08
頭痛が痛い
〈???〉
どうやら奇跡的にも生きていたらしい――
――ぼやけた視界で夜の街のようなモノを見ているのを認識し、自分の生存をようやく実感した。
身体のあちこちがズキズキ痛む。だが痛いと言うことはまだ痛覚が生きている証拠だ。ホラーゲームの空間でも無い限り、死んだ後も苦痛が続くという事は……多分無いだろう。
上体を起こしながら目を擦る。視界のぼやけも段々と収まり自分の置かれた状況が分かる。
夜の街のような、と思っていたが正確に言えば夜のホテル街だろう。それも如何わしいタイプの。そうすると、ここがゴミの言っていた風俗エリアだろうか?
次に自分の身体を見てギョッとする。背中の半分近くと身体の至るところがボロボロに崩壊しており、そこからデータが粒子のように散っていっていた。両足のアキレス腱部分も深く切られており全身の輪郭がぼやけていた。
まるで、自分が此処から消えてしまうような不気味な感覚だった。と言うよりも、事実として徐々に消えていっているのだ。
し、死にかけじゃねーか……。
ついでに上半身殆ど裸で完全に変態のソレである。
やめようと頭を振る。無駄なことを考えているべきではない。今の死にかけの状態でケルベロスと遭遇したらそれで終わりだ。まずは安全な場所を探さなければ――
「……あそこん中、安全なのかな?」
周りにある建物の殆どはラブホテルだ。居住エリアと同様に明らかに必要以上な量が見た限り建っている。もし、これらの部屋一つ一つが居住エリアの部屋と同じように安全なら? 逆に安全で無かったとしたら?
どちらにせよ、行くしかないだろう。
痛む身体に鞭をうって足を動かす。だが一歩一歩が鉛のように重くて、すぐそこにある筈の建物がとても遠くにあるように感じられた。
距離にしてたかだか三メートル程度、たったそれだけの距離にある扉へと近付き、ようやくと言う思いで扉に手をかけようとして――
何かがぶつかった事による衝撃によって、俺の努力は水泡と帰した。まるでラグビーでタックルでもされたように、俺は激突してきた人物の下敷きになるように地面に倒れた。
「っとと、ごめ――うわぁ死にかけだぁ!」
謝罪をしかけた相手は俺の状態を見て騒々しく反応するが、この短時間に起きたあらゆる現象によって疲弊してしまった俺はそれを冷めた目で見ていた。
どうやら俺に衝突した相手は小柄な少女のようだ。ボーイッシュな黒の短髪の彼女はゴミや双子ちゃんが着ていたモノに似た制服を着ており、その瞳は血のように赤い。包帯で右目を覆っているので、恐らく怪我をしているのだろう。目の下にはクマが出来ているので、ここ数日マトモに眠れていないのだろうか?
まぁこんな状況じゃあ眠れないよな、と白髪少女や上手く顔を思い出せないゴミを頭の中に浮かべつつ感想を抱く。普通は十二時間ぐっすりなんて眠れないよな、と。
可愛い顔をしているので、別にタックルされたこともぶつかった事も押し倒された事も悪い事とは思わず、むしろ現実世界でこんな事になっていたら両手を挙げて喜んでいただろう。
もっとも現在死にかけの俺は、この程度の衝突で簡単に散ってしまいそうなので、手放しでは喜べない状況なのだが。
「大丈夫? じゃない、私逃げてる最中だった」
ぶつかった相手である俺を気遣えるような状況では無いらしく、すぐにこの場から轢き逃げ犯の如く逃げ出そうとしたがその動きを止めた。
何事かと思い俺も視線を動かしてみると、その光景にデジャヴを感じる。
「あちゃー……」
確かにあちゃーだよね。
逃げ場を塞ぐように、そして互いの隙間をカバーできるように俺と少女を囲んでいるのは四匹のケルベロスだ。俺が先程入ろうと奮闘していた建物を壁にして、半円を描くようにケルベロス達は俺達を囲んでいる。俺がこの未来世界(なのかは疑わしいが)に来た時と似たような状況である。もっとも、あの時はナナと言う強い助っ人に助けられたがまさかここにも来るワケは無いだろう。
つまり、死にかけの俺と戦闘能力など欠片も無さそうな少女でこの場を乗り切らなければならないという事だ。
無理ゲー。
「えーっと……やるしかないか」
そう言って立ち上がり、何かをしようとした少女に向かい一匹のケルベロスが飛び込んできた。まるで先手を取らせないと言わんばかりに突っ込んでくるケルベロスの速度は凄まじく、例えナナレベルの速さで魔術が使えたとしても発動する前に腕に食いつかれてしまうだろう。
何を思ったのか俺は、少女を建物へと突き飛ばして代わりとして自分の左腕をケルベロスに差し出していた。
ボロボロになりデータが流出し、輪郭すらあやふやになっている左腕に牙が喰い込む。幸いにして全身が激痛に襲われているのでそれによる痛みはあまり感じなかったが、深く噛み付かれてしまい俺はより死へと近付いてしまった。
「建物の中に、早く!」
俺が少女へとそう叫ぶと、全く状況を理解出来ていないような少女は慌てて扉を開いて中へと入る。その一連を眺めながら、俺は左腕に噛み付いたケルベロスを思い切り蹴り飛ばし、倒れ込むように建物の中へと逃げ込む。
少女が扉を勢い良く閉めると、四匹のケルベロスはしばらくこちらを睨み続けていたが、出てくる気配が無いと悟ったのかバラバラに散っていった。
「……一先ず助かったか」
この建物の中が安全とは限らないが、一難は去っただろう。
「いや助かって無いじゃん死にかけじゃん!」
ふぅ、と一息吐こうとした俺の右腕を少女は掴み、その小柄な身体の何処にそんな力があるのかと疑問に思えるような力でグイッと引っ張られる。
「え、ちょ」
「とりあえず安全そうな部屋に行くから」
ラブホテルの? と言う俺の疑問などお構い無しに少女は俺を引っ張り、二階にある一つの部屋へと入る。
内装は見事なピンク色。こんな内装でムードやヤる気が盛り上がるのか甚だ疑問である。フカフカでギシギシとなるベットに投げ捨てられた俺は仰向けとなって横たわる。半分近く無くなっている背中の喪失感が確かにあるのだが、まるでそこに肉体が存在しているかのようにベットが沈んでいる感覚がとても気持ち悪かった。
下手したら襲われてしまいそうな勢いだ。
勿論そんな脳内お花畑のような展開は無く、俺をここまで連れてきた少女は俺の横へと腰掛けてキーボードを出現させ、カタカタとコードらしきものを打ち込み始め「早く直さないと不味いよねー……あれ、操作受け付けないなぁ」と不思議そうに言った。
非常にデジャヴを感じる台詞だが、現在の俺がいつ死んでもおかしくないような状況だとすると遊んでいる暇など無い。
「あー、包帯とか出してもらえると助かるなー」
「そう言えば自分で直せないの?」
今更かよ、と思ったが素直に事情を話すべきだろう。
「えっと、過去からの参加者? ってやつで、そのあんたらの使う魔術が俺には使えないんだよね」
「へー、よく生き残れたね?」
「まぁ、ね。必ずしも包帯を出してくれとは言わないけど、他に治療法ってあるのかな」
そもそも半分近く喪失している身体に包帯を巻いたとしたら、果たしてどうなるのかを想像出来ず、むしろ想像する事に恐怖を感じる。
「包帯を巻くっていうか、包帯で流出を防いで自然治癒に任せるんだよ。だからまぁ、傷口とかを防ぐように全身フルメタルでコーティングでもしちゃえば大丈夫だけど……どうせなら金でコーティングしようか?」
ピッカピカになれるよ、と少女は笑う。
「はは、そりゃ随分と輝けそうだ……まぁ目立つのは好きじゃないから、普通に包帯出してくれるとありがたいわ」
りょー、と軽く言った少女は再びコードを打ち始める。
「ところで、どうしてあんな所で死にかけてたの? 攻撃プログラムにやられて逃げようとしてる所だった?」
どうやら魔術の速度はあまり早くないらしく、カタカタとタイピング音を鳴らしながら少女は聞いてくる。
「あー……俺もどうして彼処にいたかは分からないんだよな。ただ学校エリアで中央制御室とやらの入口を探してたんだけど――」
――複数の人が襲われている現場に遭遇した。女の子のハートを射抜いてしまいそうなイケメンが、女の子だけでなく色んな人間の心臓を物理的に射抜こうとしている現場に立ち会ってしまった。
「あーね、過激派にでも襲われたんだ。それで命からがら逃げて来たって?」
いや、と俺は首を振って否定する。
「襲ってきたのは過激派のヤツなんだろうけど、実力差があり過ぎて逃げる事すら出来なかったんだ」
そして俺の背後で魔術が発動した……そこまでは覚えている。そしてそこから先の記憶はなく、本来ならばそこで死んでいたのだろう。
「ほい、包帯。巻いてあげようか?」
そう言いながら俺の殆ど無くなっているなけなしの服を剥ぎ取る彼女は、どうやら俺の意志がどうであれ自分で巻くつもりらしい。
頼むわ、と言って身体を起こす。
「じゃあつまりこういう事? 学校エリアで中央制御室の入口を探してたら運悪く過激派と遭遇して、実力差のあまり逃げる事も出来ず死んだと思ったらここに居た?」
「我ながら理解不能だけど大体そんな感じだわ。こんだけ派手にやられておきながら無意識の状態で移動してきたはずもないし」
「んー……分かんないや」
どうやらここの住民でも分からない事はあるらしい。
「考えられるとすれば、誰かがエリアを移動させる魔術を使ったか、奇跡でも起きたかだね」
「そんな魔術あるの?」
「知らないけど、魔術を極めようとしてた人なら使えない事も無いんじゃない?」
ファンタジー世界の魔術や魔法ならテレポートはあるだろうが、空間に干渉して現実を歪めるここの魔術でそんな事が可能なのだろうか?
「まぁ、そんな感じで気付いたらこのホテルの前に倒れてて、このホテルに入ろうとした時に激突されたんだよ」
「あはは、ごめんねー?」
出来たよ、と言われて身体をペシッと叩かれる。見た目が完全に重症患者やミイラのそれである。抉れ無くなっていたはずの背中部分も、まるでそこにあるかのように包帯が巻かれており不気味な気持ち悪さがある。
ついでと言わんばかりにクローゼットの中から上着を取ってこちらに投げてくれるので、ありがたく着させてもらう……なんでホテルに服が?
「ありがとう。改めて俺は佐藤亮太、まぁ番外って呼び方も一応用意したから好きな風に呼んでくれ」
「おっけー。私は666番、まぁ幽鬼って呼び方もあるから好きに呼んでいいよ」
「ゆうき?」
「まぁ、妖怪やら幽霊やらの事を指すらしいよ。こんないたいけな女の子にそんな渾名つけるなんてどうかしてるよね」
まぁ可愛い名前にも聞こえるからいいけどね、と言ってゆうきは肩を竦める。何故かうさぎを連想させる名前だ、効果を発動したら破壊されてしまいそう。
「ゆうきのその右目は怪我でもしたの?」
「ああ、これね……まぁそんなとこ」
「片目しか使えないと大変だよな」
視界が狭まり景色の立体感も失われる。生存競争なんて行われている所でそんなハンデがあってはさぞ大変だろう。
「まぁ、慣れたからね」
包帯を巻いて自然治癒をしているのだろうか? 操作を受け付けないと二人もの人物が俺に対して困惑していた事から考えるに、別の治療方法もあるようだが……あまり触れて欲しい内容では無いようだ。ないようだけに。
「ゆうきは何でこんなエリアに?」
「ん? あー、まぁちょっと野暮用が――」
そこまで言ったゆうきは突然俺の口を塞ぎながら俺をベットに押し倒した。これが襲われる女の子の気持ち……!?!?
「噂をすれば何とやら、だね……過激派が来るよ」
マジで? と聞き返したくなるが喋れないので恐らくマジだろう。コクコクと頷いて見せると安心したようにゆうきは手を離す。
人差し指を自らの唇へと当て「話すな」と俺に伝えながらゆうきはベットから降り、手招きしながら窓際へと音を立てずに移動する。
俺もそれにならい忍び足で窓際まで移動したタイミングでドアが開かれる音がする。展開が早すぎてついていけないが、どうやらラブホテルの部屋は居住エリアの個室のように安全ではないらしい。女の子がそんな部屋にひとりでフラッと向かえば確かに危険だろうが。
足音の主は浴室などを確認しながらこちらへと向かって来て……その姿を現した。金の短髪でそれなりにガタイが良い男だった。それを見た瞬間、ゆうきが声を発する。
「秘技・壁抜け!」
ダサい技名だと思っていた俺は実際に壁抜けをする事になった。そんなダサい技名を宣言したのはゆうきだったのだが、フラッと後ろに倒れ込むように動いたゆうきの身体はカーテンと窓と壁をすり抜け、俺の襟首を掴んでいたらしくそれに引っ張られるように俺も壁を抜けた。
そして二階分の高さを背中から落ちる事になり、現在呼吸がまともに出来ず非常に辛い。怪我の状態から考えてこの衝撃で死ぬ可能性も相当高そうなのだが……大丈夫と思っての行動だったのだろうか?
俺とは違って華麗に着地したゆうきは先程まで自分達がいた部屋を見つめながら「ごめんね」と笑って謝った。
壁を抜ける不思議な感覚やそれへの感想も、落下ダメージによって全て消えていた。やっぱこれ三階分の高さだったら死んでいたのでは?
「過激派から逃げるのは大賛成なんだけど、まさか壁をすり抜けるとは思わなかったわ……」
ようやく呼吸も戻り俺が感想を呟くと、バリーンと窓が割れる音が――
「――あっぶねぇ!」
降り注ぐガラスの破片から逃げるように、そしてゆうきを守れるように彼女へとタックルの形で飛び付いて事なきを得る。完全に変態の所業であるが何とか許してもらえると良いのだが……チラリと彼女へと視線を向けると、驚いたような顔をしながら「ありがとう」と感謝の言葉を言ってくれたので、どうやら心配はいらないようだ。
「人の胸の部分をわざわざ押したり飛び付いて来たり、もしかして変態か何かなの?」
帰りたい。
「はは、冗談だよ。そんなこの世の全てに絶望したような表情しないで……それより、来るよ」
何が? と思いながら振り返ると、丁度過激派の男が二階分の高さを飛び降りてきた現場を目撃する。想像以上の衝撃があったらしく、プルプルと痛みに震えていた。
可哀想に、格好つけるからそんな事になるんだよ。
「えっと、過激派の君は何番かな?」
覆いかぶさっている俺をどかして立ち上がりながら、ゆうきは男へと聞く。
「ご、576番だ……お、お前らを殺させてもらうぞ」
痛みを耐え抜いた男はバッと身体を起こし、キーボードを出現させ――
「そう、さようなら」
――僅か数秒でこの世界から退場していった。
「はは、弱いね」
まずケルベロスに追われていた姿を見た。そして包帯を出すのにそれなりに時間がかかっているのを見た。その二つから、俺はゆうきが弱いのだろうと考えていた。実際魔術を使うのにそれなりに時間がかかるのだろう、だが――それだけで彼女が弱いと判断するのは、早計だったようだ。
さようなら、と言ったゆうきは背中から大きめの鉈を取り出し、素早く男の懐へと潜り込み……首元を横薙ぎにした。
一瞬にも満たない一連の行動の後、宙を舞った男の首から上はゴトリと地面に落ち、首から下は地面に倒れ込み、数秒もしないうちにデータとなって霧散していった。
「……俺、助けた必要無かったんだな」
わざわざ左腕をケルベロスに食わせたり、ガラス片から守ろうと覆いかぶさったりと、随分と無駄な事をしたように思える。
「むしろ、戦う力もないのに守ろうとしてくれて嬉しかったよ? ありがとう」
そう言って笑顔を見せるゆうきが何故幽鬼と呼ばれているのか、少しだけ分かった気がした。
魔術ばかりで戦おうとするここの住人達からすれば確かに化物だろう。なにせ魔術の発動まで速くても一秒程度はかかるのに、それだけあればゆうきは自分の射程圏内へと相手を捉える事が出来るのだから。
コイツを相手にしようとすれば、離れた所から魔術を使うしか無いのだろう。それすらも簡単に対処してしまいそうな自信をゆうきから感じるのだが。
「ははは……格好つかねぇなぁ」
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