01
おしゃれなタイトルサブタイは期待しないで(切実)
「世界の何処にも自分がいないような気がした」
「自分の能力を過大評価され、全然そんな事はないのに良い人だと言われ……まるで――本当の俺ではなく、俺より大きな影を見られているような気分だった」
「ならば……」
「ならば、本当の俺は一体何処にいるのだろうか」
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「初めまして!」
それは脳内に直接響いてくるような、澄んだ声だった。
「おめでとうございますサトウリョウタさん、貴方はこの生存競争の参加者として選ばれました!」
ただただ平坦に、その声は告げる。何がおめでたい事なのかは分からないが、少しも祝う気の感じられないような声だ――それこそ、機械音声のようにただ打ち込まれた文字を読み上げているような感じだった。
「この西暦三千六十七年において貴方がすべき事はただ一つ、生き残る事です」
おかしい数字が読み上げられるが、間違いなど無かったかのようにその声は読み続け、話し続ける。
「この世界において肉体はありません。データの集合体が貴方の身体になり、自身を構成しているデータがバラバラに散ってしまうと死亡判定となり……誠に残念ですが、リョウタさんが死亡してしまうと現実世界においては脳死となってしまい、二度と活動を再開する事は出来ないでしょう」
「ですので、死なないように生き残ってください。もちろん貴方を殺そうと襲ってくる刺客は沢山いますが、安心してください。貴方が死んでもこの世界に、ひいては過去の世界に与えられる影響は殆どありません」
安心してくださいはおかしいのでは? と思いこそすれどその意志を伝える事は出来ない。そもそも口を開く事どころか身体を動かす事すら出来ないのだ。さらに言ってしまうと、自分の置かれている状況すら分かってはいない。
「生存人数が十名になると、この生存競争は終了となります。そして、これはリョウタさんしか知らない情報となりますが……最後の一人となると、何でも願いを叶える事が出来ます」
願いを叶えられる――それは何処かで聞いた事があるような設定だった……だが、そもそもこの未来とやらで願いを叶えたからと言って、それが現実世界に――過去の世界に反映されるのだろうか?
それとも、過去に帰る為には何でも願いを叶えられる権利を手に入れる必要がある……?
どちらにせよ、絶望的な話に変わりはない。おめでとうなどと言われはしたが、選ばれてしまった事自体が不幸であると言えるだろう。
「それでは、とっととくたばって下さいね?」
最後の最後に感情らしきモノを込めたような声色で……その声は告げる。
何かが呑まれるような、何かが晴れていくような――そんな感覚と共に俺の思考は強制的にシャットダウンされてしまった。
最初はブギーマンにでも攫われたのかと考えた。
夜眠れない悪い子は攫って殺しちゃうぞ、と親が子供をしつける為の伝承のようなモノだが、訳の分からない世界に拉致されてあろう事か命を狙われているのだ、それを冗談だろうと鼻で笑う事は出来なくなっていた。
タチの悪い冗談か、ただの悪い夢であって欲しかった。
本音を言わせてもらえばそんな所だろう。だが、冗談でも夢でも無いという事をこの身をもって俺は知ってしまったのだ。
俺の右腕にはくっきりと獣の歯型がついており、血が滴り落ちる変わりに小さい緑色の英数字のようなモノが空気中に流出していた。
その光景をこの目で目の当たりにして、何処かで聞いた声の言っていた「データの集合体が貴方の身体」が事実である事を理解した。
血が出ないのはまぁ、出血多量の恐れが無いので悪くは無いのだろうが、その傷口からズキズキと鈍い痛みが伝わってくるのが厄介だった。データの身体とは言ってもしっかりと痛覚が存在しているようで、それだけで生存出来る確率は下がってしまうだろう。
チラリ、と建物の角から状況を観察する。
どうやら俺がいきなり放り出されたのは碁盤の目のような道が広がっている住宅団地のようで、同じような景色が無限に広がっている為現在位置を把握する事すら難しい。それでも、交差点のような開けた場所が危険だと言う事は理解しているので建物の角へと身を潜めていたが……どうやら撒く事に成功したようだ。
突然こんな所に放り出されて右も左も分からない時に現れたソイツは、容赦無く俺の右腕に噛み付いてきた。咄嗟に振り払って逃げたのでこうして生きていられるが、出来ることならもう会いたくは無い。
「……っても、ここも安全とは限らんしな」
安全な場所を探す……よりも、他の人間を探すべきだろうと結論を出す。
総勢何名かは分からないが、生存競争と言う事は他にも人間がいるはずだ。それら全てが俺と同じように(とても信じられる話では無いが)過去から連れてこられたとは限らないだろう。むしろ可能性としては、俺以外の全員がこの時代の住人である方が高い。であるならば、彼らの方が余程此処の事に詳しい筈だろう。
時間帯が夜というのも少なからず影響しているのだろうが、見渡した限り一人も人間がいない。ので、恐らく安全な場所に隠れているのか……或いは、俺よりも早く死んだかだろう。
この時代の住人が俺より先に死ぬようであれば、安全な場所など何処にも無さそうなので出来ればやめて欲しいが……とそこまで考えて頭を振る。今はとにかく生き残りを探す事にしよう。
暗さのせいであまり見えない分慎重に気配を探り、音を立てないように身をかがめて歩き出す。基本的に何かの陰や建物の近くになるように意識して移動する。
音も聞こえなければ獣臭さも感じない……この分なら大丈夫そうだろう。そう思った瞬間、俺は後悔する。見つからない様に移動するのではなく、なるべく速く――出来れば走って移動すべきだった、と。
まるで泥を煮込んでいるかのように、地面がボコボコと泡を吹いて盛り上がる。盛り上がった地面は何かを形作るように隆起し、数秒も待たずにとある姿を形成し黒とも紫とも言えるような色へと変色する。
首を三つ持っている犬とも狼とも取れるようなそれを、その生物を、一言で表現するならば「ケルベロス」だろうか?
「生存競争とか言う割にはハードモード過ぎるんだよなぁ」
右も左も分からない俺の右腕に噛み付いてきた張本人であるケルベロスの目が紅く光る。そしてそれは動き出すサインでもあり――こちらを真っ直ぐに見据えたケルベロスは、弾かれたように俺に迫ってくる。
実物を見た事は無いけれど、その素早さはチーターの如くだ。気を抜かずとも喰い殺されてしまうだろう。
「冗談じゃねぇって!」
咄嗟に横に転がる事で初撃を躱し、転がりながら体勢を整えて走り出す。
逃げるべき場所なんて思い付かないが、その場に留まれば確実に喰い殺される。だから、走り出した。
どれくらいの速度なのかを正確には知らないが、確実に人間よりは速いケルベロス相手に直線に逃げては格好の的だ。すぐに建物の角を曲がり次の建物の角も曲がる。車だって急には曲がれないのだ、例え動物であろうとスピードを維持したまま曲がる事は難しいだろう。
「――っ!!」
咄嗟の判断だった。何か黒いモノが飛んでくる、一瞬僅かにソレが見えた瞬間別のケルベロスだと直感し、自らの顔を隠すように左腕を前に出した。
肉が割かれる感覚と言うよりは潰される感覚に近かった。鋭い歯は俺の腕に容赦無く喰い込み、万力のような強靭な顎は俺の腕の肉を潰そうと圧力をかけた。予想通り、俺の左腕にぶら下がっているそいつはケルベロスであり、後ろから追いかけてきているヤツとは別の個体のようだった。
一体相手ですら臨死体験だってのに、と愚痴の一つでも言ってやりたいがそんな暇は無い。伝わってくる激痛に苛立ちを覚えながら、すぐ真横にある建物の壁へと思い切り左腕を叩き付ける。
ガンッと重い音がするが、ケルベロスには怯んだ様子すら窺えない。
後ろから迫ってきているケルベロスに追い付かれるのは時間の問題だ、だがこのケルベロスに腕を喰い千切られるのも同じ事。逃げる為にも左腕の方から冷静に処理しなければならない。
ガンッ、ガンッ、ガンッと三度程叩きつけてようやく呻き声が上がる。それと後ろのケルベロスに追い付かれたのは同じタイミングだった。
慌てず冷静に――噛み付く力の弱まった左腕のケルベロスを右腕で掴み、無理矢理引き剥がして後ろのケルベロスへと叩き付ける。引き剥がす際に左腕の肉がかなり抉られたが、死ぬよりはマシだろう。
二匹同時に倒れている今しか無いとすぐにその場から離れ、角を曲がりながらさらに逃げる。
走って逃げながら、チラリと視線を落とす。左腕から流出しているデータの量が右腕の比じゃない。これが現実での血液と同じようなモノだとしたら出血多量待った無しだろう。
「……いや、違う」
左腕の輪郭が歪んだのを見て俺は直感する。そうではないのだと。現実世界での血に相当するのなら確かに出血多量の恐れがあるだろう。だが、違った。俺の身体がデータの集合体でしかないのなら、この流出しているデータは俺の身体の構成物質なのだ。つまり、現実世界では肉に相当する。
傷口から肉が零れていく様子を想像し青ざめてしまうが、思考を切り替える。少なくともすぐに死ぬ事が無い傷よりも、俺をすぐに殺せるケルベロスへの対策を考えなければ。
もっとも、考える時間を与えてくれるかは別問題なのだが。
「ウウゥゥ……!」
唸り声だった。
咄嗟に走る方向を変えるが、まるでそれを予期していたかのようにケルベロスは降って来た。上から、俺の退路を阻むように。
不味い! そう思い慌てて後ろを振り返れば、当然のように先程の二匹もそこにいて……。
流石に対処のしようが無かった。そもそも一対一でどうにか出来るのなら最初の一匹から逃げる事なんてしない。つまり、一匹の方をどうにかしてそちらから逃げるという事は無理なのだ。
かと言って横に逃げた所で、追い付かれるのが関の山。この流れであれば四匹目五匹目が出てきて本格的に逃げ場が無くなるだろう。
打つ手なしじゃねーかふざけんな。
ケルベロスが一気に飛びかかって来ずに、ジリジリと距離を詰めてくるのは飛びかかって来たところを避けて逃げ道を作る事を防ぐ為だろう。
嫌らしい作戦である。それとも本能だろうか? どちらにせよ、簡単に生き残らせる気は毛頭無いらしい。
これでは生存者も望めなさそうだ……。
バッと真横に走り出す。追い付かれる可能性も囲まれる可能性もあるが、ジッとしていてはただ死ぬだけだ。であるのなら、確率が低くても生き残れる手段を取るしかない――だが。
「マジかよ!」
嫌な予想と言うモノは往々にして当たるもので、血路を開くべく駆け出した先には待ち構えていたように四匹目のケルベロスが居座っていた……が、最悪では無かった。居座っていた――つまり、そこに構えているだけなのだ。
囲まれて喰い殺されるくらいなら、先に進むべきだろう。そう決心し加速する。体力テストも運動能力も平凡程度の俺ではあるが、可能性はゼロでは無い。
全力で走り、反応する前に横を抜けられそうだ……そう思った。丁度ケルベロスの真横の辺りだろうか、そこまで行った所でケルベロスは有り得ない反応速度を見せた。
飛び上がり、身体を捻り……俺の首元を喰い千切ろうと噛み付いて――
「――ッ!!」
運が良かった。或いは不運だったとも言える。たまたま、奇跡的に、偶然にも俺の足はもつれ転んでしまう。そのお陰で首に食いつかれはしなかったが、状況は余計に悪くなってしまった。
地面に倒れ込んでる俺をすかさず四匹のケルベロス達が取り囲む。退路は防がれいよいよ抵抗が許されなくなる。
慎重に立ち上がる俺を、まるで観察しているように唸りながらケルベロス達は見詰めている。このまま嬲り殺しにするつもりなのか、或いは俺が動いた瞬間に喰い殺しに来るのか――どちらにせよ、打つ手なしだ。
来世があるなら異世界でチーレムさせて欲しいな、と半ば諦めながら考えていた時にその異変は起きた。
ゴウッ! と轟音を上げながら、俺を囲むように炎が上がる。
一瞬何事か、とパニックになりかけたがまるで熱さを感じない。どうやらこの炎は俺を焼こうとしているワケでは無いようだと、炭と化していくケルベロス達を眺めながら思う。全く以て意味不明である。
やはりパニックになっているのだろう、そんな事を考えるだなんて――だが事実として、その炎は俺を取り囲んでいた四匹のケルベロスを焼き払い、俺には何のダメージも与えていない……炎自体が意思を持って、俺を守っているようにすら感じられた。
「大丈夫?」
声だった。
人間の――それも十代くらいの女の子の声だった。
こんなハードモードな生存競争で、もはや生存者なんていないのでは? とすら思っていたのだが、どうやらまだ生き残っていたらしく……そして、何とも優しい事に俺を助けてくれたのだろう。
俺を守るように上がっていた炎の壁が消える。それと同時に、声の主の姿も顕になる。
マントのような黒のロングパーカーと赤のチェックスカートといった格好をしている十代中頃の少女がそこにいた。
炎の消えた余波で少女の白い長髪が揺れる。目を奪われてしまいそうな程に美しいその髪は現実味を感じさせないが、この(確定では無いが)未来の世界では当たり前なのかもしれないので、下手に聞かない方が良いだろう。
「ああ、助かった……正直もうダメかと思ったわ」
そう言うと、少女は俺の状態を観察するようにジッと赤い瞳で見つめ、危ない状況だった事を理解したように安堵の息を吐く。
改めて自分の状況を見てみるが、左腕の輪郭だけでなく右腕の輪郭も歪み始めていた。傷が浅かったとは言え、右腕もそれなりの怪我を負っていたので当然と言えば当然の事だろう。
「取り敢えずはその腕を治さないと……だね」
まさか怪我の心配もしてくれるとは……記憶違いでなければ、今絶賛開催中の生存競争とやらは残りが十人になるまで続く筈だ。他人を助けるメリットよりも見捨てるメリットの方が大きいだろうに。
とは言えだ、こんな酷い状態なのに唾をつけておけば治るワケが無い。
「これ治るの?」
この世界の常識は少しも知らないが、今にも瓦解してしまいそうなこの状態から治す――もしくは直す事が出来るのだろうか? 少なくとも俺の知る医学では不可能だろう……そもそもこんな状態になる人がいないだろう。
そんな俺の不安を和らげようとしてなのか、彼女は微笑んで頷く。
なるほど、つまり限度がどの程度かは分からないが、ある程度データが流出し形が崩れかけていてもまだ修正は効くという事か。
「取り敢えずここにいたら危ないし、移動しようか」
立てる? と手を差し伸べてくれたのでしっかりと形を保てているのか不安な右手でその手を掴み、立ち上がる。どうやら見た目こそ歪んでいるが、まだ腕としてそこに存在しているらしい。
「移動するって言っても、何処に行くの?」
「取り敢えず私の部屋かな、それ以外に落ち着ける場所は無いし」
落ち着ける場所が無い、その言葉を聞いて俺は改めて理解する。今この世界では生存競争が行われていて、この時代の住人達も戦っているのだと。女の子の部屋で果たして落ち着けるのだろうかと言うのは別問題として。
「じゃあいこっか、ついてきて」
そう言って、遠くまで同じような景色が広がっている住宅団地を迷いなく進んで行く彼女の背中を俺は追いかけた。少しの不安と警戒を胸にして。
週一更新していきます。