男装の麗人に惨敗する!
「男装の麗人に婚約破棄を告げる!」の続編です。そちらからお読みいただくことを推奨します。誤字脱字、変な日本語のご指摘はいつでもお待ちしています。
俺は伯爵家子息ブフネリー。少しばかり強いだけの、茶髪茶目のよくいる凡人、王都育ち。王都のとある貴族向けの学園に通っている学生だ。
シモーヌは辺境伯令嬢で俺の婚約者だが、常日頃から男装をしている麗人である。容貌はまるきり王子様で、女性の理想が具現化して息をし歩いている。金の髪を後ろに束ね、瞳は朝焼けから切り取ったような輝ける紫、優しい物腰に、すらりとした体の背丈はなんと俺の背に負けない。
「おいこらシモーヌうううううう!!」
「おや、どうしましたブフネリー、そんなに怒って」
俺は学園のシモーヌの教室に殴り込みをかける。シモーヌは女だが、常に男装をしているので勿論学園内でも男の制服を着ている。奴は今日も取り巻きの女性に囲まれていやがる。女生徒の瞳は皆恋する乙女のもので、シモーヌはそんな令嬢たちを侍らせる爆発して欲しいようなきらっきらの気障な王子のように見えるのだ。
「お前! これは一体なんなんだっ!」俺は手に持った本をシモーヌに見せ付ける。
「ああ、やっぱり貴方の馬車に忘れていましたか、ありがとう、届けて下さったのですね」
にこりと気品溢れる笑みを浮かべ本を受け取ろうと俺に手を伸ばすシモーヌ。お前その顔、馬車に本を忘れて行ったのは実は嫌がらせの為にわざとなんじゃないのか?
「こんなもの! 渡せる訳がないだろうが! 没収だーーーっ!」
王都に屋敷のある俺は馬車持ちで、シモーヌの実家は遠い辺境であり彼女は今は学園寮暮らしである為、俺はシモーヌに移動手段として使われる日々だが、昨日こいつがうちの馬車に忘れて行った荷物は数冊の本だった。
その本をふと手に取り読んでみて、俺は怒りやら恥辱やら色々な感情に震えた。
本の登場人物は明らかにシモーヌと俺をモデルにしていて、しかも本の中のシモーヌは男装した女ではなく何故か完全に男で、かつ色々な状況で俺と絡んでいた。読む女性の欲をそれはもう満たす感じで。
時に俺を苛め、時に俺を愛でる金髪の王子である本の中のシモーヌ(男)。それを読んだ時の俺の羞恥と憤りたるや、お察し頂けるだろうか。
俺の剣幕にシモーヌの取り巻きたちが気まずそうにあらあらまあまあどういたしましょうと狼狽えてやがる、ええそりゃあ貴女方まで内容をご存知ですよねー!! 読んだやつも書いたやつもみんな死ね!!
「お前なあ! 俺が最初に開いた本なぞ特にえげつなかったぞ! なんで俺が戦場で四肢を失ってその後の人生ずっとお前に飼われなきゃならないんだっ!!」
しかも首輪までつけられてやがった! 時に女性も男と同じ位、闇が深いなんて生涯知りたくなかった。
「ああ、それは随分背徳的なやつから入りましたね。純愛の話のほうが貴方にはいいと思いますよ? いえ、その四肢の話も特定の女性達には真の愛の形の一つとして人気なのですけれど」
純愛は薄紅色の背表紙のです、と余裕たっぷりに微笑むシモーヌの瞳の奥には俺の反応を楽しむ色が隠しきれずにちらついている。つまりは俺をからかって楽しんでいやがるという事だ。
「男同士の純愛なんざ読みませんーーーっ!! 読みたがる変態がいたらお目にかかってみたいですねぇぇーーーっ!!」
「貴方って怒ると妙な敬語になる時がありますよね。ねえ、ブフネリー」
シモーヌがゆっくりと俺に近づく。クックックと悪の総領のように笑うこいつに嫌な予感しか覚えない。
「貴方、そうは言っても全部読んでしまったんでしょう?」
つい、うっ、と息を飲んで黙ってしまったから俺に腹芸は向いていない事がお分かり頂けるだろう。
「返事は?」
「……俺がモデルだったらそりゃ読んじまうだろ、唯のチェックだよっ! ああ、ちょろさに定評のある俺は簡単に手の平を返してやるとも! お勧めの純愛含め全部流し読んじまったよ怖いもの見たさでな! 悪いのは俺の同意無しにこんなものを作りやがった奴だ!」
くすくす笑って、ああ可愛い、と頬を撫でられる。
「~~~~っ!」
どうも俺はすぐに顔が赤くなる性質らしいのだ。止めたくても止められない。この状態で俺が何を言おうが小型犬がキャンキャン吠えているようなもの。こうして俺はまたこの腹黒く美しい男装の婚約者に人前でからかわれるのだ。取り巻きたちがきゃあきゃあと声を上げて楽しんでやがる。俺はお前たちを楽しませる餌じゃねえ!
「と、とにかくこれは没収だからな! 全部焼いてやる!」俺は本の入った袋を抱える。シモーヌは目を細めて俺に手を差し出す。
「一冊平均、金貨二枚です」
「は?」
「とある女生徒の手書きで、量産されないのに需要は凄く高い。私個人のものではなく寮の皆のものなのです。以前買い取ろうとした方に筆者の娘は金貨二枚の値段をつけていました」
「はあああああああっ!? こんな、こんな薄い本にっ!?」
「価格は厚みで決まるわけではなく、需要と供給と愛と尊さで決まるのですよ」
本の中の描写そのままの美しい顔でにこりと笑う。尊さって何だよ尊さって、意味が分からねえ!
「可愛い人、返して下さいますね?」
「くっそがあああああああっ」
俺は薄い本たちの入った袋を投げつけるように渡す。軽々と受け取るシモーヌ。そんな動作も絵になりやがる。
「ねえブフネリー、そんなに嫌がるって」シモーヌが俺の手を取りにやりと嗤う。
「あ?」
「その本の中に、されたいコト、あったんじゃないですか?」
奴の手に閉じ込められる。今のこいつは男に見えるが表情は妖艶と言っていい。取り巻きの女性達がその光景に眼福とばかりきゃあああーっと声を上げて悶えた。「例のシーンの再現……沼最高、もう天に召されてもいい……」などと呟いた女性は是非そのまま死んで頂きたい。
「お、お前馬っっ鹿じゃねえの!?」俺はそれを振り払う。
「何がお好みでした? ブフネリー」暗く笑うシモーヌの顔はあくまで美しい。
「そんな物は無いっ!!」
「本当に?」
「しつっこい!! 婚約破棄すんぞ!」
「ふふ、ええ私も貴方が好きですよ」
「お前やっぱり頭が沸いてると思いますうーっ!」
取り巻きがきゃあきゃあ言う中での俺たちの喧嘩は続く。
ああ、こいつは俺に羞恥を覚えさせて楽しんでやがるんだよっ!! からかわれているのは分かっているのに俺は何で過剰な反応が止められないのか。
本当に可愛い人だ、と笑うこいつを背にして離れつつ、手玉に取られ悔しがる俺にある感情が生まれた。
――今度こいつを俺が赤面させてみたいなあ。
++++
午後、学園内で一人の下級生の女生徒が少し重いものを持っているのを見かけた。俺はさて助けるべきか、助けたら逆に煩わしく思わせてしまうだろうかと少し逡巡し、その間に颯爽と現れたシモーヌが優しく女性に声をかけ重いものをするりと引き受ける。その動作は流れるようで洗練されていた。
「お嬢さん、お手伝いさせて下さい」
「シモン様……! い、いえ、お手を煩わせる事ではございません……!」
「いいから。その可愛らしい手は私と舞踏会で踊る時のためにあるんです。ね?」
甘やかに軽いウィンクをするシモーヌ。そこらの男がやったら引かれる動作だろうがこいつがやったら実に絵になるのだこれが。ずるい。イケメンは爆発しろ。ちなみにシモンってのはこいつの取り巻きが呼ぶこいつの愛称だ。
こいつの、困っている女性を手助けしようとする姿勢、生き方は偉いと思う。線の細い王子様のような外見の麗しさだけではなく、こういったちょっとした優しさも含め女性たちはシモーヌに恋をするんだろう。
俺は、異性に接触するためらいから来る一歩の遅れでいつもこいつに出遅れてしまう。相手が魔物なら迷う前に体が反応しているのにな。
資料室まで運べばいいとのことで、荷物を引き受けてシモーヌはその女性と別れた。女性は実は丁度急いでいたとかで、シモーヌに何度も礼を言い他の階へと消えて行った。あの娘もまた今のでシモーヌに淡い恋心を抱いてしまったんじゃないだろうか。なんたって理想が服を着て歩いているのだ、それが優しくしてくれた。俺が女なら惚れる。俺は自分のちょろさには自信がある。
俺はシモーヌに近づいて荷物をひょいと奪い取る。
「ブフネリー?」
「資料室まででいいんだな?」
「私が運びます」
「お前だって一応女だろうが」
「……」
どうだ? ちょっとは赤くなったか? 普段は理想の王子様として生きているような女が、女として扱われたら嬉しいんじゃないか? そう俺がへへんとばかりシモーヌをちらと見ていると。
シモーヌが俺の顔に手を伸ばし、――俺の耳元で囁く。
「ご褒美は何がよろしいですか?」
「…………っ!」
俺ゴツンと軽く壁に頭をぶつけてしまった。
「お前な、女性相手に言うんじゃねえんだから、語尾を色気たっぷりに掠れさせる必要は無いんだよ気色悪ぃ……」
「おや、気色が悪いと仰います? ならこちらを向けますよね? 壁側を向いたままどうなさったのですブフネリー、こちらを向いては下さらないのですか?」
シモーヌは、俺が振り向けないのを見越してにやにやと黒く微笑んでいる筈だ。いつもの通り性質が悪い。
廊下でのやり取りだったから知らない女生徒に見られて、シモン王子の破壊力のある声に女生徒は赤く震え出し逃げ出すように立ち去った声テロぶり。
こいつを赤面させてみたいのに、いつものように俺がさせられる。顔が勝手に赤くなっていくんだよ! 今のあいつは男に見えるのに! 俺は男に興味は無いのに!
+++++
今日もまた二人揃って招待された舞踏会。シモーヌは今夜も男として麗しい。ご婦人方の注目の的、完璧の貴公子。いつも気品に溢れ余裕に満ちたそんな奴が、何だ? 少し様子が変だ。他の奴は分からないだろうが、笑顔のシモーヌから軽い殺気が漏れている?
シモーヌはある男に静かに怒りを向けている。男は、野に咲く小さな花のような印象の令嬢を連れていた。
男、ヴァルガーは三十歳近いある公爵家の嫡男で、顔はいいが悪い噂の付きまとう男だった。連れている女性は見慣れない顔で、衣装の格や雰囲気から恐らく男爵家の、あまりこういう場所に慣れない令嬢だと推察される。ヴァルガーから女性も飲めそうな酒を手渡された所のようだ。
「ヴァルガー様、申し訳ありません、その酒、先程私が器を汚してしまったものでして、取り換えるよう頼んでおいたのですが手違いで貴方様お連れ様の元に渡ってしまったようです。お取り替え頂いても?」
シモーヌが優雅に男に申し出る。あくまで穏やかな笑顔だが、相手の男に怒りを感じているのが俺には分かる。
「いや、貴方の勘違いだろう。これは問題ないものだ」公爵家の男、ヴァルガーは引き下がらない。
シモーヌはつかつかと二人に近づく。そしてシモーヌはやおら令嬢の持つ酒を彼女の手ごと掴み、くい、と飲み干した。
「なっ!」男は声を上げる。シモーヌのした事は勿論失礼な行為になるが妙に絵になっていて、された令嬢も周囲の女性も見とれ、ほうっとため息をついている。
「申し訳ありません、やはりこちらが汚したかもしれないものをお嬢さんに差し上げるのは気が咎めましたもので。――どうぞ他の酒をお召し下さい、ヴァルガー様、お嬢さん」
貴族的な遠回しな解釈をすれば、『私はこのお嬢さんが気に入ったから手を引いてくれませんか?』と暗に含めている言い方にもなっている。どう受け取るかは受け手次第だが。
「ふ、ふん、流石、奇妙な服装をお召しのご令嬢は奇妙な事をなさいますな! ――不愉快だ、帰らせていただく」
「ええ、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」シモーヌが微笑んで公爵家の男に礼をする。
シモーヌが女性を誘った時の勝敗はほぼ無敗。顔を潰された事になるが、立ち去ったヴァルガーは無駄な争いを避けたと言えよう。
そしてシモーヌは場慣れしない男爵家の令嬢に向き直る。
「お嬢さん、一人の時によく知らない男性から勧められる酒は断ることです。今の酒を飲んでいたら、少しの量なのにいつの間にか酷く酔って、しかも明日には記憶を無くしていますよ」
「なんて事! ありがとうございました、私、お恥ずかしいことに、あまり舞踏会に来たことが無くて。あの、ごめんなさい、私をお助け下さるるためにその妙なお酒を貴方様がお飲み下さったのですね? 私、何とお礼を申し上げたらいいか」
令嬢は目に涙を溜めて礼を言い詫びている。そりゃあそんな酒を飲まされてもし間違いがあれば最終的に勘当なり修道院行きだったりするからな女性側は。
「ああ、私は大丈夫。どうぞ御身を大切に、花のようなお嬢さん。楽しみ方が分かれば舞踏会は素敵な所です。そして人の噂に耳を傾けて。噂は時に根も葉もないものですが、時に真実であったりもしますから」
男爵令嬢の目が熱く潤む。令嬢はシモーヌに真剣に惚れてしまいそうだ、可哀想に。この令嬢視点から見ればヴァルガーが無実だという事すら有り得るのにこの反応だ。そのきらきらしい王子様オーラを少しは抑えてやれよシモーヌ、お前、瞳の色や髪の艶が明かりに煌めいて何か美しさが凄いんだよ自重しろ。
シモーヌは令嬢にダンスを申し込み、一曲踊った後、取り巻きの女性達に「色々教えて差し上げて下さい」と男爵令嬢を託し、俺のほうへとやって来た。
「すみませんブフネリー、そういう訳で私はそろそろ酩酊します、ですが今日は出来るだけこの会場にいさせて下さい、よろしくお願いします」
「お前な、何かするなら事前に言う位しろよ。踊って大丈夫だったのか?」
「薬が効いてくるまでは何をしていても大丈夫です。すみませんこの件、発生頻度が半年から年に一度程度と間が空いているものですから。
ヴァルガー様は身分が高すぎるし、色々人脈がお有りなのですよね。仮に私が魔術師の塔に今の酒を鑑定依頼したとしても揉み消されて混ぜ物は何も発見されません。
もし各たる証拠を提出出来ても受け取られなければお話にならないし、あの方を落とし入れるために私が事前に仕込んだとか難癖をつけられるだけです。面倒な相手なんですよ」
「危ない橋は渡るな」
「まずは警告のつもりです。私は目立ちますからね、あいつの酒しか口にしていない、普段酔わない私が酩酊したら噂になります。これであの方には、また暫く大人しくして頂けるかと」
「女性を守ったんだからお前の父君、辺境伯は褒めて下さるだろうな。けどな、お前ならもっと他にやりようがあるんじゃないのか? 妙な酒を口にするなよな……」
「今回私が直接酒を飲めた、そのお陰で成分が分かりました。これで薬品の入手経路から足はつくと思うんです、証拠が受理されれば凄い事ですよ」
妙な酒を飲むなと言う俺の主張にやんわり異議を唱えるシモーヌ。
「本気で相手をつぶそうとするなら手回し合戦になりますが、何にせよウチより身分が高いというのが厄介です。先立つ物が欲しい」
この国ではシモーヌの家、辺境伯は公爵と侯爵の間に位置する身分だ。国によっては辺境伯には大公のような権力が備わるらしいが、少なくとも我が国でシモーヌの家は先程の男、ヴァルガーより爵位が下位だ。
「混ぜられていたのは朦朧草の実の粉末と時忘れ草の根です。この薬品名を明日私が忘れていたら教えて下さいね、ブフネリー」
そう話している間に、目がとろんと酔いゆくシモーヌ。こいつは酒に強い方なんで、こんな目を見るのは初めてだ。異変を嗅ぎ取り、取り巻きの女性たちが寄って来て、どんどん酔っていくシモーヌを介抱している。俺に出来る事は無い、それとなく周囲を警戒して安全を確保する位だ。
しかしこいつは酒に混ぜられたものを飲んで成分が分かるのか、流石未来の辺境伯サマは毒暗殺対策もばっちり訓練されてるな。
ヴァルガーの酒を飲んで酔っ払ったシモーヌを周囲に見せるのがあの男に対する警告だとシモーヌは言っていたが、見せたくねえなあと思って俺は周囲の、特に男に睨みを効かせた。
だって今こいつはどんどん呼吸が荒くなって来て、顔は赤くて苦しそうで実に艶かしく生ける凶器と化している、一目見てしまえば男色の気はないのに目覚めてしまう奴がいるだろう、賭けてもいい。
……期せずしてこいつの赤い顔を見れたが、こんな方法じゃ意味が無いんだよな。
心配しつつ、酒気を帯びたシモーヌの退廃的な美しさにうっとりと浸る取り巻きたちを尻目に、俺は思案にふける。見てろよ、ヴァルガー。
* *
シモーヌは結局、最後まで会場にいた。
馬車に乗って帰路についているが、シモーヌは相変わらず苦しそうだ。
「ほら水を飲めよ、もう舞踏会は終わりだ。最初から見ていたご婦人たちが、お前がヴァルガーの酒だけしか飲んでないのに酷く酔ったって噂してくれるだろうさ。あいつに変な酒を飲まされていかがわしいことをされる女性はお陰で減るぞきっと。良くやったよ、お前」
顔だけでなく行動もイケメンの婚約者を俺は誇るべきなんだろう。――今回のやり方は止めて欲しかったが。
「ブフネリー」
「寝ろ、すぐに寮に着く」
シモーヌが抱き付いて来る。件の酒のせいだが顔は赤らみ瞳が潤んで、俺が見た事のない表情をしていて――美しい。お陰で俺の胸がどくりと鼓動を速めて、沈めるのに酷く努力が要る。落ち着け俺、こいつはかつて見たことない程に酔っているし、男に見えるだろ?
「今なら、何をしても、私は忘れてしまいますね……?」
「……これまでの中で一番性質の悪い冗談だな、それ」
男の格好をしているくせにくすくすと妖艶に秋波を送られて、もうこいつを裸に剥いてやればいいだろうかと思ってしまう、そうすれば女に見えるだろう。すぐ寮に着くという事実が俺を押し止める、俺は褒められていい。
「ブフネリー、好き。……私は明日には貴方の今この時の表情を忘れてしまうのですね」
「アホ、寝ろ、お前酔っぱらってるんだよ」
こいつの熱のある息が俺の首にかかる。この状況で俺の顔が赤くない訳がない、そしてお前はその俺の反応で焚き付けられるのを知ってる。俺をからかっている時にしかしない、獲物を狙うような目に追い詰められる。
「忘れないようにしたい」
酔ったシモーヌが、俺の首にキスをしてきた。キスどころか吸われている。駄目だこれ跡になるやつだ。お前な、俺が今どれだけの努力をして俺を沈めていると――!
「待てシモーヌ、そこは制服で隠れねえ……っておい」
忌々しいことにこの状況で、俺にもたれかかり俺の首に口付けたまま、シモーヌはすや、と寝息を立てた。俺の戸惑いやら葛藤やら焦りやら焼け付きそうな胸の疼きやらを置いて。
知ってたよ、こういう落ちがつくこと位はな!
安らかな寝息。寝息の主の肌が夜の影に白く浮いて蠱惑的。なのに恋慕の情がじりじりと燻られたような俺の胸が独り置いていかれて、腕の中にシモーヌがいるというのに世界から隔絶されたような孤独を感じてしまう。揺れる馬車の中、為す術もなくただ窓の外の月を見る。美しくとも今この月をシモーヌは見ていない。
ああ、ドレス姿のシモーヌに逢いたい。
時間がいやに、いやに酷く長く感じる夜だった。
++++
次の朝。まだ人の少ない学園。シモーヌと合流する。
「おはようございますブフネリー、案の定記憶が無いのですが、貴方にきちんと送っていただいたようで、お手数をお掛け致しました」
「シモーヌ、体調は?」
「多少二日酔いで頭が痛い位かな、問題ありません、ありがとう」
爽やかに笑うこいつのきらきらしい王子様顔がむかつく。こっちはあまり眠れなかったって言うのに。機嫌のよろしくない俺は明後日の方に顔を逸らす。
「おや、ブフネリー、虫ですか?」
「――っ!」
首を見られた。少しだけ赤くなっている。反射的にがばっと首を抑え隠したが、シモーヌはほんの一呼吸置いた後、くす、と笑って「ああ、犯人は私でしたか」と平然と言われる。
「俺の表情だけで全てを悟るなよお前は」苦々しく睨みつける。
「昨日の貴方はさぞ可愛らしかったんでしょうね。覚えていられないのが残念です。何か残したかったのでしょうね、記憶の消えてしまった昨夜の私は」
「お、前、なあっ! 俺が、どれだけ――!」
「今の貴方もとても可愛いですけれど。真っ赤になって首を押さえ私を涙目で睨めつけるその目、――酷く苛めたくなる」
俺はむせた。誰かこいつの嗜虐趣味を何とかしてくれ!
「……で、ヴァルガーだっけ? あの男をどうするつもりだよ?」話題を昨日の話に逸らす。
「根回し手回しが必要ですが、父のいる辺境は遠いから父とまめな相談も出来ないです、ああ、先立つ物が欲しい」
「昨日のお前も金が欲しいって言ってたな。金があれば何とかなるのか?」
「なるでしょうね、悪人はあちらですし、世の中はお金で大抵の融通は利きます」
「これがあれば出来るか?」俺は子袋をシモーヌに渡した。
「――凄い大きさの魔石ですね、どうなさったんです?」
「俺が長期休暇ごとにS級冒険者を雇って迷宮に潜ってるのは知ってるだろ? それで手に入った魔石を貯めておいている。いつか辺境に婿入りして肩身が狭くなった時に金があれば少しはでかい顔が出来るかなと思って」
ちなみにシモーヌへ送るドレスも俺が迷宮で稼いだ金で購入している。もっと着て欲しい。
「私が使ってもよろしいのですか?」
「辺境で使うつもりだった金だからな。お前が使いたければ使えばいいさ。ムカつく外道野郎を吊るし上げてやれ」
「やっぱり貴方は最高です! ブフネリー!」シモーヌは破顔する。本当はちょっと惜しい気持ちもあるけれど、この顔が見れたならまあいいか。
「褒美を貰っていいか?」
「私に出来ることでしたら何なりと」
「ドレス姿のお前に逢いたい」
心を込めて真剣に言ったから、シモーヌの澄ました気障野郎な顔に少しは赤みが差してくれないかなと期待した。
が、普通ににこりと笑って「了解しました」といつもの余裕に満ちた調子で答えられた。流石シモーヌ手強い、俺に勝利を許さない。
++++
シモーヌは人脈を駆使し第一王子に接触、俺の魔石を献上することで彼の君に動いていただき、腐敗した組織ごと捜査の対象に早変わり。組織ごとなので王宮の勢力図がひっくり帰った。
シモーヌの予想通り薬の入手経路で足がつき、あのクソヴァルガー公爵嫡男は廃嫡され、次男が後を継ぐ事になった。当の公爵家は第二王子の後ろ盾だったとかで、第二王子と仲のよろしくない第一王子にお褒めいただいたそうだ。こうして未来の辺境伯は未来の国王と太いパイプを手に入れたのである。
そんなこんなで今日は魔石の褒美のデートだ。
淑女のドレスに身を包んだシモーヌは相変わらず、目にするこちらの息が止まりそうな位美しい。移動するための馬車に乗せるエスコートで触れる手にどれだけ心躍らされればいいのか。
「最近私に会えなくて寂しかったですか?」
「まあ、最終的に王宮の勢力図をひっくり返すような事に繋がったんだし仕方ねえよ」
「その過程で第一王子殿下に側妃にならないかと誘われました」
「え」
あまりの事にちょっと脳がついていかない。この一瞬で、こいつに逢うのは今日で最後なのかと理解したくない認識が脳裏によぎる。
「私の王子様はブフネリーなのでとお断りしたら潔く引いて頂けました」
「本当に心臓に悪い!」
呼吸が止まるかと思ったわ王子殿下が温厚な方で良かった、断るとか国によっては斬首ものだぞ!
「妬けました?」
「そりゃあな」そっぽを向いて言ってやる。こいつ今絶対悪い顔してるし。
「ねえブフネリー」
シモーヌは、男装の時にするように、にやりと笑う。
「貴方の首にキスをしても?」
「……!」
「先日私は記憶を失ってしまいましたから」
「い、いや、そりゃ俺としては女の姿のお前ならいつでも歓迎だけど」
急に言われて俺はどぎまぎと硬直する。俺の声が上擦っていたのが嫌だ。婚約者だし、しょっちゅう会ってはいるが女性としてのシモーヌに会う事には慣れていない俺の心はいとも簡単に平常心を失い浮かれやがる。
俺の胸に手を置かれ近くで見上げられて、彼女の美しさにくらんで眩暈が起こるかと錯覚する。そんな美麗な顔が近づいて来る。鼓動が早くなって苦しい。目を、目を閉じてしまえば分からないぞ、俺。
瞼を閉じて待つが、何も起きない。
「嘘ですよ」ふふと笑われる。「貴方は本当に可愛い」
お前、変に期待させておいてこの……!
「この、性わ――」
ちゅ。
このタイミングで首に口づけをされた。体の芯をぞくりと何かが駆け抜ける。
「~~~お前は本当に性悪で最悪で最悪だっ!!」
「ふふふふ、そう! その顔、本当に最っ高です」
その顔に逢いたかったと俺を見上げて来たシモーヌの、くすくす笑う表情は相変わらず嗜虐的だった。
+++++
「やっぱりシモーヌを赤面させられないんだよなあ。どうしたらあの余裕を崩せるんだか」
デートでも頑張ったが結局完敗だった。学園で一人時間を持て余して呟いたとき、それを聞いて一人のシモーヌの取り巻きの女性が近づいて来る。やたらと緩い喋りの女性だったと記憶している。
「ブフネリー様ぁ、シモン様もぉ、赤くおなりになる事は偶にぃ、ございますわよぉ?」
「はあ、いつです? 俺は見たことがありません」
聞いているだけで力の抜けそうな声の主は俺の知らない事を教えてくれる。
「ブフネリー様がぁ、お帰りになったり離れたりなさってぇお姿が見えなくなった後ぉ、こう、シモン様お一人でふるふると手に顔を当てて震えてぇ、お顔を見ると真っ赤で大変ん」
「はっ!?」
あいつ、俺をからかった後そうなの? え?
なんだよそれ俺は見られないじゃないか!
「あら貴方様のお顔ぉ、可愛いことになってますわよブフネリー様ぁ。嫌ぁだ、貴方様を苛めたがるシモン様のお気持ちがぁとぉっても良く分かってしまいますわぁ」
「し、失礼する」
動揺した俺は挨拶もそこそこに顔を背けてその場を立ち去る。
その後、この喋り方の緩い女性は例の薄い本の作者だということが分かり、この時の俺の反応を本に書かれ、後に俺は憤慨することになった。
まあ俺が見れないシモーヌの一面を教えてくれた事には感謝していないでもない、がな。
お読みいただきありがとうございました。