百折不撓の部長はいつだって憧れなんです。
市先輩は言っていました。
「私たちはこれからもずっと将棋で戦っていくの。」
私はそれを聞いて、プロの方同士が最初に出会ってからプロになって、そしてプロとして戦い終わるまで、何度盤を挟んで勝負をするのか。
少なくともトッププロの方は小学生のころに全国大会の場で出会い、それからプロの養成機関で何十局、仲が良い人だと何百局と指しているのです。公式戦ですら百局以上対局する方々もいます。
普通のスポーツなら十何年で終わる生活でしょうが、将棋は長いと六十年もプロでいる方もいます。
それだけの長さ、同じ人と将棋を指すということは相手をいやでもよく分かってしまうのでしょう。
将棋番組の解説をしていたプロの方も言っていました。「この人ならこう指すと思って私は解説しているんだよ。」
それが分かってしまうほど、将棋でプロになる人たちは、あるいはアマチュアで強くなって優勝しようと思う人たちは同じ相手と何度も何度でも勝ち負けを繰り返すのです。
それでは負けが続いたら?同じ相手に何度も何度も負け続けたら?その人は何を思うのでしょう。
吉川将棋センターと書かれた看板を前に私はすこし深呼吸して、これまでのことを思い出していました。
部長を呼び出して、何としても私は伝えなければいけないことがあるのです。
雑居ビルの階段を一つ一つ確かめるように進むと、ガラス窓のついたドアから、いつもの市先輩が笑顔でいました。そして私に気づくとドアを開けて、部長が約束通り来ていることを教えてくれました。
市先輩は席料も「私の奢りだから」ということでそのまま、将棋センターの中に入っていきました。
部長はどこか懐かしむようにセンターの中を見渡しています。
長机にいくつもの薄い将棋盤シートと青い対局時計が敷き詰めてあって、そこでは休日らしく、将棋を習いにきた小学生と、世間話をしに来たおじいちゃんおばあちゃん達でにぎわっていました。
私は部長のいる席に駆け付けました。
「部長、お待たせしました。」
「こんにちわ、中崎さん。それで今日はどうしたの、いきなり呼び出して。」
私は一息ついて、一つつぶやくように言いました。
「今日は部長と将棋が指したくて、教えてもらいたくて、お呼びしました。」
それを聞くと部長はすこし顔を曇らせて言いました。
「そんなの怜子ちゃんや市ちゃんに頼めばいいじゃない。」
その言葉は私の読み筋でした。ここで逃がすわけにはいかない、私はこう言いました。
「部長じゃなきゃダメなんです。今度の予選を勝ち抜くためには、部長の将棋が知りたいんです。お願いします、一局だけでも、私と指していただけませんか。」
この頼み方に部長は私が逃がさない意思をくみ取って、盤に駒を並べ始めました。
「持ち時間は30分の30秒でいいかな。」
「はい。」
「それじゃあ、と金が4枚だから、中崎さんの先手ね。」
「はい、よろしくお願いします。」
私の挨拶を聞いて、部長は対局時計を押しました。
対局は私が振り飛車、部長がそれに対して居飛車急戦を仕掛けてきました。
私にとってはこの戦い方は何度も先輩方と指した、この二か月一番見た形でした。華々しく、そして早く仕掛けてくる居飛車に私は精一杯の受けをする。考え方を述べるだけなら簡単です。そう、部長の将棋のすごさ、私は受けきった、そう思った刹那、
部長は終盤戦に私を引き込みました。
これでは受けきれない。
私は深く、長く考えていたつもりだったのに、部長の駒はあっというまに私の王様を捉えていたのでした。
私はそれをみて、
「負けました。」
そう言いました。
私は頭を上げて恐る恐る、部長の顔を見ました。その顔は驚きにあふれていました。
「すごいわ、中崎さん。この数か月でここまで強くなるなんて。さすがの私も終盤、本気になってしまったわ。市ちゃんと怜子ちゃんのおかげね。」
「そうですね、でも私はそれだけじゃないと思ってますよ。」
「え?」
「私が強くなったのは、私は将棋が好きだからですよ。部長。」
そう言われた部長は黙って、厳しい顔でこう言いました。
「中崎さん、私に説教しようとしてる?」
「いえ、そんなつもりじゃありません。伝えたいんです。私が強くなった理由を。部長のことはいろんな人から聞きました。みんな、怜子先輩もあなたに憧れていた。」
「知っているわ。知っているけど、なぜ私なんかに憧れるのかな。小学生の頃にはもう超えられていたのに。」
「部長。自分のことは意外と自分ではわかりませんよ。」
「それじゃあ、中崎さんは私の何を知っているのかしら。」
「今対局して知りました。部長の将棋は誰にも指せない。こんなにもカッコよく勝ちに来るなんて、こんなの誰だって憧れてしまいますよ。最後、私だって疑いましたよ。これが詰むのかなって、でも部長には見えていた。こんなのかっこよすぎて、私も好きになりました。部長の将棋。誰にも指せない。だからどんなに勝っても追いつけない、追いつけないから憧れるんですよ部長。憧れは力関係じゃないんです。憧れは最初の衝撃から生まれるんですから。
私は楽しかった。この負けた一局も。部長は楽しく無かったんですよね。
怜子先輩に追われる日々が恐ろしくて、私にはわかります、私もずっと勝負では一番でいた。でもそれがどれだけつらいか。でもそんなの周りには関係ないんですよ。怜子先輩が見たいのは、楽しく指してる部長の姿です。カッコよく勝つ部長です。一番になる部長じゃないんです。」
ここまで言って本当に伝えたいことを、一息で言いました。
「部長、予選でもこんな将棋を指して下さい。怜子先輩の憧れらしくいてください。私もそうでいてくれれば勝ちます。絶対に。怜子先輩がそう言っていました。」
全部を聞いた部長は、うなだれて、目に手を当てていた。
「そう、そうなのね。あの子はやっぱりあの子のままなのね。本当にずるい子よね、怜子ちゃんて、それが私にとってどれだけつらいことか考えもしないなんて。」
「それだけ、怜子先輩にとって部長は大切な人なんですよ。将棋は個人戦です、だけど高校生の私たちがやるのはチームで勝たなきゃいけないんです。そのためには一人でも諦めちゃいけない。怜子先輩は、部長は諦めない人だと信じて待っています。だから、私からもお願いです。
一緒に勝ちましょう。部長。」
それを聞いた部長は顔を上げて、赤くなった目を閉じて、頷いてくれました。
カラン、
ドアの開く音がすると、
「浩子さん!」
その透き通る声に私も部長も顔を上げると、そこには怜子先輩がいました。
その姿を見た部長は泣き出しそうな声を必死で潜めて、こう決意したのです。
「私、楽しいわ。今、中崎さんと指して、本当に楽しかった。怜子ちゃん、次、相手してくれる。」
怜子先輩は息を整えてこう言いました。
「もちろんです。浩子さん。みんなでしましょう。将棋。楽しく!」
そうしてこの日は出張、藤花高校将棋部となりました。すると突然、
「お姉ちゃんたちすげぇ!」
何人かの小学生が私たちの対局を見て、そう叫びました。そして部長のところに来た少年が言いました。
「お姉さんの将棋、カッコいい、どうすればそう指せるんですか、教えてください。」
部長は何かを思い出したかのように笑いました。
そして、その少年の頭を優しくなでて、一つ一つ、教え始めていました。
憧れは初期衝動で発生して、どこまでも続きます。
だから、憧れは折れない心を持っているのです。どんなに負けても、また勝ちに走り始める。
部長は憧れであるために、将棋を指し始めたのです。
どうも、たけさんです。
やっと第十話が投稿できました。
季節の変わり目で体調を崩しやすい私なのですが、今年は何とも病気に運がなく、
ずっと書くほどの気力がなかったのでした。
そして気づけば藤井聡太四段は二十三連勝、もう時の流れが残酷です。
ところで、物語は次から大会です。新しいキャラクターも予定しています。
全国大会に向け走り出した、藤花高校将棋部をよろしくお願いします。
それでは、読んでくださった方々に感謝を、また次回!