現代版 アリとキリギリス
虫たちの世界にも機械化の波が押し寄せた。
キリギリスは今日も楽器を奏でながら、陽気に遊んで暮らしている。
「おや?アリさん、今日もお仕事ですか?」
キリギリスは、にこやかにアリに話しかけた。
このアリは近所に住むアリで、お互い顔見知りだった。
とても働き者で真面目な性格の持ち主。
毎日、肉体を酷使した重労働を淡々とこなす日々。
文句を言わず、ロボットのように言われたことをこなす。
アリは、最近働き過ぎなのか、少し顔色が悪いように見えた。
「こんにちは、キリギリスさん。今日は……今日も楽器を奏でているのですね」
「ええ、私は根っからの芸術家なので、真面目に働くことにむいてないのですよ。それに働くと芸術にかける時間が無くなってしまいますから」
「確かに、キリギリスさんの音楽的な才能は素晴らしいと思いますよ。いつもキリギリスさんの奏でる音色は私の心を豊かなものにしてくれます。働くことをせず、お金がなくとも、心の豊かさだけを持ってこれからも生きていけるでしょう」
「お褒めの言葉ありがとう。その言葉を聞くと私のモチベーションも上がるというものです」
キリギリスは素直な性格だったので、アリの褒め言葉にとても喜ぶ。
言葉の裏に潜む皮肉にも、もちろん気がつかない。
皮肉にまったく気づかないキリギリスの図太い神経にいら立ちを覚えながら、アリは直球で質問してみる。
「しかし、芸術も素晴らしいですが、働くことをしなければ、家賃や食費は払えないのではないですか?」
アリはキリギリスに問いかける。
「未来に希望がある限り、恐れることなどありません。多少の貧しさなど問題ではありませんよ。アリさんは働き過ぎではないですか?少しは仲間と遊びに行って気分転換でもしたらいかがです?」
いかにも、遊び人らしい能天気な性格に、イライラしてきた。
このアリは元々神経質な性格だったので、対照的なキリギリスのことは苦手だった。
「しかし、現実はそんなに甘くないでしょう。私はずっと働き詰めで、仲間と遊ぶ暇などありません」
アリはキリギリスがどうしてこんなに遊んでばかりいるのかが理解できなかった。
「人生を楽しみましょうよ。人生など、気持ち次第でどうにかなるものですよ。労働など機械に任せればよいのです」
キリギリスはいたってのんきに言ってのけた。
「そういうものですかな?」
アリは納得できなかったが、このキリギリスとは価値観が違うのだと思い、それ以上言うのをあきらめた。
きっと後で痛い目にあうに違いない。
いや、あってほしい。
アリは心の中で密かに願う。
「では、私はこれから楽器の練習がありますので、これで失礼します」
「練習頑張ってください。ではこれで」
アリとキリギリスは別れた。
アリはキリギリスと別れた後、キリギリスとの会話を振り返った。
「キリギリスの奴、毎日毎日遊びまわってどういうつもりなのだ。あいつはまだ独身だから分からないかもしれないが、今のうちに働いておかないといずれ大変な苦労に襲われるに違いない。あとで泣きついてきたって、絶対助けてやるものか」
アリはキリギリスを罵った。
これはうらやましさの反面でもあったのだが、こうでも言っておかなければ、現在自分が低い給料で、つらくとも頑張っている意義が無くなってしまうことが大きかった。
アリは現在の労働環境がつらかった。
今までやってきたことが機械に置き換わり、人件費のカットが進み、機械の処理速度に追いつくためには残業を増やさなければならなかった。
上司や仲間から邪魔だと言われ、妻からは給料が低いとなじられる。
こんなみじめな人生を肯定できるところは、遊びにお金を費やさず、真面目に働いているという自負だけだった。
そして、秋が終わり、冬を迎えた。
アリは春から秋の間、必死に働いたおかげで、家族の分のたくわえをためることができた。
しかし、今までの働き過ぎと冬の寒さが原因で体調を崩してしまった。
冬の間はベッドから出ることができない。
アリはベッドに横になりながら、窓の外を見て過ごした。
今日はずっと雪が降っている。
かなり積もっているようだ。
外を眺めているとキリギリス雪の中を歩いている。
「はっは~。キリギリスのやつ。この寒い冬は家賃が払えず、外で暮らしているんだろうな。だから言ったのに。ざまあみろ」
アリはキリギリスが冬の寒さに震え、つらい思いをしているのだろうと推測し、優越感に浸った。
病気で寝込んではいるが、家もあり、家族もいて、食料もある今の自分の状態の方がまだましだと思えたからだ。
一方、外のキリギリス。
「いや、今日は雪がたくさん降って楽しいな。よし、仲間を呼んでカマクラでも作って、中で鍋をしよう」
実はこのキリギリス、持ち前の芸術家の才能を発揮し、たくさんの報酬を得る仕事についていた。そして、その報酬を株に積極的に投資したおかげで、今や莫大な財産を抱えることとなった。
アリが一生働いても、100分の1にもならないほどの年収を得ていた。
もちろん、キリギリスは家賃を払えず、外でひもじく暮らしているわけではない。
芸術家としての名声を得て、どんな業界の虫とも結びつきができるほどの人脈を持つ人気者になっていた。
つまり、金も名声も名誉も人脈も手に入れた形になる。
キリギリスはアリの家の前を通ると、窓の奥でアリが寝込んでいるのを見つけた。
その様子を見たキリギリスはそっと呟く。
「ああ、やっぱりアリさん働き過ぎて体調崩したんだな。あとで、どんな病気でも治る幻の薬を持って行こう。」
キリギリスは医療界の人脈をもちいて、最先端の薬を手に入れ、アリの家に出向いた。
しかし、アリはキリギリスが来ても会うことをせずに、居留守をつかい、キリギリスを家に返してしまった。
キリギリスが空腹のあまり、食料を恵んでもらいに来たのだと勘違いしたのだ。
床に伏しているアリが飲めば治る薬を持ってきたとも知らず……。
まもなく、アリは死に、キリギリスは世界に知られる存在となった。
ロボットが活躍する世の中、生き物が活躍する場が変わりつつあるのかもしれない。
価値観が変わる世界。
何が正しいのか。