魔王決意する
レオン一行がアレク邸につくと、応接間に案内された。
質実剛健。そんな言葉が良く似合う、広くてしっかりしながらも、内装は簡素な邸宅だ。
裕福な家庭は壁に絵を描いて、来客を驚かせることを趣味にしているが、アレクの邸宅の壁は白いままだ。
アレクが言うにはいつだってワシは新しい物を描きたいからな。ということで、真っ白にしているらしい。
とはいえ、レオンは師匠の精神を壊しかけた手前、師匠と目を合わせにくく、目を反らせる物がない部屋であるせいで緊張していた。
また脱糞と放尿されたらかなわない。
本もないし、レオン本人にぶっかけてくるかも知れない恐怖と緊張感が襲ってくる。
「あ……あの師匠」
「可愛らしいお客さんを連れてきたな」
「あ、はい。実は……」
どうやらあの日の記憶は完全に無かった事にされているらしい。
おかげで緊張が和らいだレオンは、ミントのことについて包み隠さず話せた。
アレクは静かに相槌だけを打ち、一度も割り込まれずに話が終わる。
「あの師匠?」
「話は以上か?」
「はい。今俺の知っている話しはこれで全部です」
「レオン、お前はどうしたい?」
「え?」
「お前はどうしたいか聞いとるんじゃ。ミントちゃんを弟子に取りたいのか、取りたくないのか、どっちじゃ?」
「俺は……スランプですし、まだ若いですし、魔導士になったばかりですし」
「んな話は聞いておらん。ワシが聞いておるのはお主の心じゃよ」
アレクは真っ直ぐレオンの目を見つめて、同じ質問を繰り返した。
ミントを弟子にしたいのか、したくないのか。
単純な二択の問いかけだ。
レオンの意思しか聞いていない。
「もし、お前の心が曇っておって見えぬのなら、拭う手伝いくらいはしてやる。いいかレオン。お前と同じ年で弟子をとった人間は過去におる。魔導士になりたてだが、何十年と魔導士をやってもタイトルを取れぬ人間の方が多い。その中でお前は最強の称号魔王を手に入れた。実力は申し分ない。アイリスお前はワシの意見に反対か?」
アレクの問いかけにアイリスはフルフルと首を横に振った。
「良いか。レオン。お前がさっき口にした理由は他人の理由だ。お前の理由じゃない。お前の理由はなんだ?」
レオンの口にした理由は今や全く意味を持っていない。
確かにレオンが弟子を断ろうとした理由は全て他人の目が絡んでいる。
周りの目や、魔王として求められる資質や、魔導士としてやらなければならないこと。
色々なしがらみがある中で、しがらみを全て取っ払った時、自分自身はどう思っているのか。それを真剣に考えたことが無かった。
レオンは目を瞑って深呼吸をすると、次々に浮かび上がってくる理由が他人の物なら消して、何度も自分に問いかけた。
俺はミントをどうしたい? このまばゆいばかりの才能を、レオンという人間はどうしたいんだ?
「俺は……弟子にしたいと思っています」
「その理由は?」
「この子の未来を見たいと思ったからです」
「それで良い」
レオンの答えにアレクは静かに頷いた。
「受けるも、受けないも、どっちでも良い。大事なのはお前の理由かどうかだ。他人の理由で決めたら後悔しか残らん。自分で決めた理由なら悔しさはあるが、糧になる」
「はい。ありがとうございます。師匠」
魔法の力や物語を作る技術ではない。人としての心の持ち方をアレクは良く知っていた。弟子に負けて脱糞しようとするけど。
レオンの迷いを鋭く断ち切り、曇った心の目を一言でぬぐい取った。おしっこを自著にかけるような人だけれど。
そう思うと、せっかく道を示してくれたものの、弟子に負けたらウンコやクソと叫び挙げ句の果てにおしっこをする人だ。示した道が、ちょっとばっちい道でないことをレオンは祈った。
脱糞や放尿さえ無ければ、どれだけ惚れ直したか分からないと思いながら、レオンはアレクに深々と頭を下げた。
おかげで、頭を上げる頃には随分心が軽くなっている気がした。
「ミント、待たせちゃったね。師匠になって、っていうお願い。受けるよ」
「レオンさん……。これからは本当に師匠って呼んでも良いんですよね?」
「うん。こんな俺で良ければ」
レオンが微笑むと、ミントは椅子から立ち上がり、思いっきり頭を下げた。
そして、頭を下げたまま元気いっぱいの声を出す。
「よろしくお願いします! 師匠!」
全てが丸く収まった。
そう思った時だった。
「私は反対」
「アイリス? なんで?」
「この子が魔導士になる理由が分からない」
レオンの本が一番好きだからレオンに弟子入りしたいと言った。
そこの筋は通っているが、全ての大前提となる何で魔導士になりたいのか?
ミントの口からは確かにその言葉が無かった。
アレクもアイリスの言葉に一理あると呟くと、視線をミントに向けた。
みんなの無言の視線がミントに突き刺さり、ミントがゆっくりと顔を上げる。
「師匠みたいになりたいからです」
「どういうこと?」
「私よりも小さい時に魔導書を書いていて、魔王にまでなった師匠に憧れたからです」
「それだけ?」
「はい。師匠みたいに誰にも負けないぐらい凄い魔導士になりたいです」
「こんななのに?」
「師匠は格好良いです。優しいですし、書いた物語も温かいのに力強くて、夢中になりました。そんな人になりたいんです」
ミントの話す真っ直ぐなレオンに対しての憧れに、レオンは照れくさくなって思わず頬をかいていた。
反対に問いかけていたアイリスはどんどん不機嫌になっていく。
「アレク師匠。こんな気持ちで魔導士になろうって思っても無理です。現実を知って諦めます」
「お前がそれを言うかアイリス……。お前だってレオンに――」
「ワー! ワー! 私は良い! って、言っちゃ駄目!」
「わかっとるわい……。ワシもまだ死にたくないからな」
アイリスが雷を飛ばしながら騒ぎ、アレクは咄嗟に魔法でガードしていた。
雷が収まると、アレクはうんざりしたような苦笑いを咳払いで打ち消して、真剣な表情に戻った。
「アイリスが自分で墓穴を掘ったが、憧れから始まったって良い。実際ワシもそうだったし、レオンもそうだったろ?」
「そうでしたね」
誰にだって始まりはある。レオンの始まりもミントと同じように憧れからだった。
「アイリス。俺は憧れから初めて、諦めなかったよ」
「……うぅ、レオンまでそう言うのなら……」
今となってはアイリスの魔法を簡単に受け止められるが、小さい頃はそうもいかなかった。
出会ったばかりの小さい頃は受け止められた。
大人ですら受け止めきれない魔法でも、自分で魔導書を作っていたレオンはアイリスの魔法を防げた。そのせいで、幼いレオンは自分が天才魔法使いだと思い込んだ。
それが歳をとるごとにアイリスの魔法が強くなっていき、幼いレオンが受け止めきれないほどの威力になった。
そしてある日、暴走してしまったアイリスの魔法を受け止めて、かき消したのがアレクだった。
見たことの無い魔法を使い、天災のような魔法をあっさりとかきけしてしまったアレクの姿に、レオンは憧れて魔導士となるべく弟子入りした。
その後に、レオンはようやく自分のしてきた魔導書を書くという行為と、アレクの見せた新しい魔法を生み出す行為が同じであることを、この時初めて知ったのだった。
そして、アレクのもとで物語を書く技術を手に入れた。
「そう思うと、ミントの理由も立派な理由ですね。師匠」
「うむ。それにな。もう一つ面白い話をしてやる」
「面白い話?」
「ワシもな。お前の未来を自分の目で見たかったから弟子にした。お前がミントを弟子にしたいと思ったのと同じじゃな」
ニカッと笑うアレクにレオンは呆れて笑うしか無かった。
師匠に対しても、自分に対しても、呆れて笑うしか無い。
弟子を取りたくないとか、弟子をとって何の良いことがあるんだろうと思っていたのに、この人の弟子になって良かったと思い、弟子を取って良かったと思ってしまうなんて。
「レオン、今度また新作魔導書のコンペがあったら、負けてやらんからな」
「はい。その時は全力で応戦します」
「よっしゃ! 話は綺麗にまとまった! 魔導学院への入学手続きはワシからしておこう。孫弟子が出来た祝いに今日は宴じゃ!」
まだ昼にもなっていないのに宴をすると言い出した気の早い師匠に、ミントは戸惑っているのか三人の顔をキョロキョロと見回している。
レオンとアイリスはスッと立ち上がると、全く同じ扉に向かって歩き出した。
「し、師匠、どこ行くんですか?」
「書斎。っていうか図書室?」
「図書室? ご自宅にですか?」
「魔導士だしね。宴までの時間つぶしは読書に限るよ」
レオンは何も知らないミントに意味ありげに笑いながら手招きした。