弟子の事情
気付けばレオンは椅子に座ったまま眠っていた。
机の上には読みあさった本が積み重なっていて、足下に一冊の本が落ちている。
本を読んでいた途中で寝落ちしたようだ。
そして、本以外には赤毛の髪の少女、ミントが床に転がっている。
「座敷童とか霊獣とかの類いかとも思ったけど、間違い無く人間だったな」
「魔王様ー。朝食の用意が出来ましたー。昨日は晩ご飯いらないって言ってましたけど、朝ご飯もいらないですかー?」
「あぁ、すぐ行く。ちゃんと食べる」
給仕係の妖精の声がしてレオンは立ち上がると、踏み出そうとした足を止めた。
考えてみればミントもレオンと一緒になって、食事を取らず寝落ちするまで本を読みふけっていたのだ。
「ミント、起きて」
「ふぇ? 師匠?」
「……なった覚えはないけれど、朝ご飯食べるぞ」
レオンはミントの師匠という言葉を冷たくあしらいながらも、彼女の手を取って起こした。
「で、でも、私お金が……」
「ん? 別に金とるつもりなんて無いよ」
「あ、ありがとうございます。師匠は優しいです」
「たいしたことじゃないから、そんな気にするな」
頭を何度も下げるミントを見て、レオンはいくつかの疑問が湧いた。
お金の心配をしているということは、お金に困っているのだろうか? というか、そもそもどこから来たのか? 親はどうしたのか?
考えてみれば色々気になることが出てきた。けど、食事の最中でいいや――と思ったのが間違いだった。
聞きたいことはあったはずなのに、そんな疑問を吹き飛ばすような勢いでミントがパンにかじりついた。
一心不乱にフモフモし続けている。
「フモフモ。ほいひい。フモフモ」
リスか何かが一生懸命木の実にかじりついているような可愛さに、レオンはポカンとしていた。
「……おいしいか?」
「はいっ! 久しぶりに美味しいパンですっ!」
ミントの笑顔をマジ天使。と笑顔にレオンが反応したところで、ふと疑問が引っかかった。
「久しぶり?」
「あっ、えっと、ここ数日間保存食の硬いパンばかりだったので」
「あー、なるほど。結構遠い所から来たのか?」
「はい。昔、師匠に会った時もお父様達の商談についてきた時だったんですよ」
「そう言えば、会ったのってあの一回きりだったもんなぁ。そっか、違う街に住んでたんだ」
幼心に再会出来ないことに寂しさを感じていたが、きっとあの子は天使か何かだったんだろうと幼いレオンは考えて、寂しさを紛らわしていた。そしていつしか記憶の片隅に追いやられていたようだ。
「えっと……その……」
「あー、長旅だったんならお風呂にも入りたいよね? お手洗いも近くにあるよ」
年頃の女の子だったら身体の汚れも気にするだろう。トイレに行きたくても恥ずかしくて直接聞けないのかも知れない。
レオンは気を利かせたつもりで尋ねたが、ミントは逆に恐縮していた。
そんなミントの反応で何か間違っていたのかな? とレオンは顔をしかめた。
「……これでお願いが使われませんよね?」
「あー……」
そういうことか、とレオンはようやく納得した。
レオンが書いた一筆は願い事を『一つだけ』叶えるだけ。
朝食もお金を持ち出していたが、本当は弟子にして欲しいというお願いが無くなってしまうのが怖かったのだ。
それに気付いたレオンは改めてミントが賢い子だと思った。
「使われないよ。そもそも最初に言われたお願い事の優先度が一番だ。だから、このご飯も、お風呂も、トイレも使って良いよ」
「ありがとうございます。師匠!」
「大したことないさ。ただ、師匠っていうのは止めて欲しいなぁ……」
育ち方は知っていても、卵をふ化させて、雛鳥を育てる方法は知らないんだ。
ようやく自分の足で立てるようになったくらいだし。
レオンはそう思いながら、この才能ある雛鳥をどうするかを決めていた。
魔王と雷帝を育てたアレクに相談する。
タイトルは持っていなくても、指導者としてならアレクは優秀だ。
弟子に負けると脱糞と放尿しようとするけど。
師匠としては良い人のはずだ。
妹弟子には殺意をもたれるほど憎まれているけど、良い人のはずだ。
魔導士の商売道具であり血と涙の結晶である魔導書を燃やしちゃうけど、良い人のはずだ。
本当に良い師匠だったような気がする……。いや、本当は良い師匠だったような気がしてきた。
「師匠、どうしました? 頭痛いんですか?」
「はっ!? いや、大丈夫だ」
レオンは思わず頭を抱えてしまっていたが、ミントの一言で正気に戻った。
きっと大丈夫。
レオンは自分にそう言い聞かせると、残りの朝食に手をつけた。
「後で出かけるから身支度しておいてね。ご飯が終わったら風呂場とか案内するから」
「はいっ!」
素直で元気の良い返事に思わずレオンの頬が緩む。
育てたくないのか? と尋ねられれば、育てたい。と本心は言っている。
この雛がどのような鳥になるのか、どのような空を飛ぶのか、一番近くで見てみたいほど、ミントの才能は輝いている。
威厳や風格がある魔王であれば、もっと自信が持てたのだろうか。
そんなことを思いながら、レオンはミントが嬉しそうにご飯を頬張るのを見つめた。
「なぁ、ミント。何で俺なんだ?」
「先生の本が一番好きだからです」
ミントは純粋な目でレオンを見つめてそう言った。
どうしよう。かわいい。この子は昔も今も本当に天使のような子だ。もう、かわいすぎて、今にも抱きしめたくなってしまう。
そんな衝動を必死に押さえつつ、レオンは何事も無い振りをした。
「そ、そうか、それは良かった」
良かった所では無い。今すぐ廊下を駆け回りたいほど嬉しい。
自分の書いた物語を好きと言われて喜ばない魔導士がいようか。いや、いない。
そんな反語を心の中で呟くほど、レオンは浮かれていた。