弟子がやってきました
魔王城。
仰々しい名前だが、死体や魔物がそこらへんを転がっている訳ではない。
街の城壁の外にある小高い丘の上にたった大理石製の白い大きなお城で、禍々しさよりも神聖さとか綺麗だという印象を受ける。
この街は石と煉瓦と大理石で出来ていて、魔王城はその中でも一際大きく美しい建物だった。
城のあるところからは街が一望出来て、外に広がる農園も見渡せる風光明媚な場所に立っている。
では、何故街のシンボルになりそうなお城が郊外に建てられているのか? 理由は城に住み着く住民達にある。
門を開けると目に飛び込んでくるのは、手の平くらいの大きさしかない翼の生えた人間だった。
いわゆる妖精という種族だ。
そして、門をくぐって庭に入れば、ドラゴンやユニコーンがレオンを出迎える。
「おかえりなさいませ魔王様」
「ただいま。みんな元気そうだね。あ、明日アイリス来るからよろしくね」
「はーい。わかりましたー」
いわゆる魔物と恐れられる存在が人の言葉を発して、レオンを迎えた。
霊獣と呼ばれる彼らは魔物とは違い、人と意思疎通が出来る。
意思疎通が出来ると言っても、やはり普通の人の手には負えない獣ばかりであるため、魔王はその圧倒的な魔力と強さで、彼ら霊獣の管理をする役目を課せられていた。
そして、人の手に負えない問題が起きれば、魔王は霊獣を使役して問題を解決しにいくのだ。
それが最強の力を示した魔王の公務の一つだった。
とはいえ、戦争は滅多に起きないし、魔物による侵略もほとんどない。
霊獣の管理と使役という仰々しい役割だが、実態は霊獣達と適当に世間話をしたり、物語を語り聞かせることくらいで十分だった。
そんな霊獣達はお返しに城の警備や、レオンの世話をしてくれる。
そのおかげで、めざとい新聞屋でもおいそれと入ってこられない。
そういう訳で、魔王と霊獣が守護する城は、国を動かすような人間が人目を忍んで会議する時にもよく使われる場所にもなった。
のどかな城に見えて、部外者はネズミ一匹通さない要塞のような城なのだ。
――だったはずなのだ。
昨日までは。いや、レオンがアレクとの魔法戦に出かけるまでは。
「え?」
自室の扉を開けたら、人間の女の子が床の上で本を抱えながら眠っていた。
長い赤い髪の女の子が丸くなっている。
年の頃は十歳くらいだろうか。まだまだ幼さの残る丸い顔をしている。
友人でも知り合いですらない少女が、霊獣達に通されて入ったとは思えない。
それ以上に霊獣達の目をすり抜けて、魔王の自室に潜り込んだとは信じられなかった。
普通に考えたらありえない事態に、レオンはそっと自室の扉を閉めると、大きく深呼吸をしてから扉を開け直した。
「……いるな」
刺客だとしたらあまりにも無防備だ。
暗殺対象の部屋の床で眠る暗殺者とかどんな間抜けちゃんだって話しだ。
暗殺では無いせよ、何が目的か分からないのでレオンは近くにあった杖を拾うと、少女の肩をつついた。
「ふぇ……?」
「起きたか?」
「おはようございます」
目を覚ました少女は居住まいを正すと、頭を深々と下げてレオンに挨拶した。
あまりにも丁寧な挨拶にレオンは思わず頭を下げ返した。
「って、何で俺の部屋にいるんだよ? 霊獣に捕まらなかったのか?」
「あ、霊獣さん達はこの本を見せたら、ここまで連れてきてくれました」
少女が本をレオンに見せると、レオンは顔を輝かせながら本の表紙を見つめていた。
他人にとっては数万ある本の中の一冊かもしれないが、レオンにとっては唯一無二の一冊だったせいだ。
「あれ? それ俺の書いた魔導書? うわっ! 懐かしい! これ初めて魔導図書館に登録された本だ! 十歳くらいの時だっけ? でも、何でそれで霊獣達が通してくれたんだ?」
「あの……私のこと覚えていらっしゃいませんか?」
「え?」
すがるような目で見つめてくる赤い髪の少女にレオンは戸惑った。
覚えているかと問われれば、覚えていないのが正直な答えだった。
「ごめん……」
「あの! これ! 本当に覚えていませんか!?」
レオンの謝罪に少女は慌てて本の最後のページをめくった。
そこには確かにレオンの自筆のサインが書いてある。そして、何でも願い事を一つ叶えるという一文が書かれていた。
魔導書には魔力を込めながら文字を書く。そのため、レオンの魔力が文字と紙に宿り、霊獣達がこの本からレオンの魔力を感じ取った。
その結果、客だと思って中に入れたのだろう。
だが、この本にはそれ以上に大切な思い出が詰まっていて、レオンはとても驚いた。
「あああああっ! 君はまさかあの時の!?」
「思い出して……頂けましたか?」
自筆のサインと嬉しくて思わず書いてしまった一文で、全てを思い出した。
「初めて俺の本を買ってくれた女の子!? あぁっ! あの時は髪の毛が短かったから全然気がつかなかった!? っていうか、え!? 六年前だから、あの時、四歳くらいだよね!?」
「五歳です。今十一歳です。あ、今年で十二歳になります。ミントって言います」
ミントと名乗った少女の言う通り、レオンとミントは六年前に出会っていた。
それどころかミントはレオンの初めてのお客さんだった。
十歳の少年が書いた魔導書を欲しがる人はいなかった。
大したこと無いとハナから馬鹿にしていたのだ。そして、一冊も売れなかった本をレオンは自分のお金で一冊だけ買って帰ると、噴水の縁に座っていじけていた。
その時だった。
赤い髪の少女がレオンにその本を読み聞かせて欲しいと言ってきた。
そして、言われるがままレオンは自分の本を読み聞かせた後、「僕が書いた本なんだ。売れなかったけど」と言った。
すると、少女はポケットからたくさんの小銭をレオンに見せて、これで買えるか聞いてきた。
「面白いお話だったから一生の宝物にする」そう言って嬉しそうに笑ってくれた少女の顔を見て、レオンは泣き出しそうになるのを必死に我慢して、自分のサインと何でもお願いを一つだけ叶えると書いたのだ。
「そっか。君の名前はミントって言ったんだ……。そっか……。ありがとう。まだ大切に持っていてくれたんだ」
「はい。私の宝物ですから」
そう言ってはにかむミントの顔は六年前と同じ、レオンを救った可愛らしい天使のような笑顔だった。
天使は何年経っても天使だった。
「魔王様になったと知った時は本当にビックリしました」
「あの後もたくさん本を書いたんだ。ミントちゃんのおかげで俺は本を書けているんだと思う。あの時、ミントちゃんが本を面白いって言ってくれたから、俺は真っ直ぐ前を向けた」
初めてなってくれたファンにようやく感謝を伝えられた。
面白いと言ってくれた言葉にようやくお礼が出来た。
でも、同時に何となく分かっていた。この子がお礼をいわれに来ただけじゃないと。
「お願いがあります。魔王様」
今のレオンなら、よほどのお願いでない限り叶えることが出来る。
お金も魔導書の印税があるため、かなりの額の貯金がある。
村が魔物に襲われているのなら、レオンが魔物を退治しに行った後に、冒険者ギルドや兵隊を送って平和を維持することも出来る。
悪い人間に追われているのなら、かくまえるし、衛兵に捕らえさせることも出来る。
そんな感じで魔王になったレオンには金と権力で、ある程度のことは解決出来る。
「何でも言って欲しい。さっきも言ったように君が俺の物語を面白かったって言ってくれたおかげなんだから」
何でも出来る。そんな絶対的な自信がレオンにはあった。
「私を弟子にしてください!」
「まかせ――は? 今なんて?」
――何でも出来るはずだった。
「私を魔導士の弟子にしてください!」
よりハッキリしたお願いを言われたのに、レオンの頭はフリーズしかけた。
年端もいかない少女が、床に頭をこすりつけるほどの土下座をしているからではない。
レオンが一番考えていなかったお願い事をされたせいで、頭が対処しきれなかったのだ。
弟子と師匠の関係について悩んでいる真っ最中だった自分が、師匠になるなんて夢にも思っていなかった。
「ど……どうして?」
「魔導士になるには、現役魔導士に弟子入りしないといけないって聞いたのですけど……。確か、魔導士に弟子入りして魔導士学校に入校した上で、魔導士検定で資格をとる必要があるって。何か間違えていましたか?」
「いや、それはそうなんだけど……」
魔導士になるには魔導士の弟子にならないといけない。
魔導士と魔法使いで決定的に違う点はその師弟制度にある。
魔法使いは既にある魔法をいかに効率良く上手く使うかを考える職業だ。
それに対して魔導士は新しい魔法を作り、魔法を導く職業となっている。
そのせいで、何か事故が起きたときに未知な出来事が起こる。その事故を収拾できる人物のもとでないと魔導書は書かせないという法律があるのだ。
ざっくり言ってしまえば、未熟な間はケツをふける人間の下にいろ。自分のケツがふけないやつは魔導士にはなれないぞ。という制度だ。
他に必要な資質としては、魔術書を書く際に魔力を一文字一文字込めて書くため、膨大な魔力が必要となる。その魔力を測り、候補者を選別するのも師匠の役割なのだ。
「魔力が足りない人間に魔導士はなれない。検査してみようか」
レオンにとってみれば、魔力が足りないことは断る理由の一つでしかない。
魔力のインクが使えても、物語を書く力がいる。
文字が書けても物語が書けなければ魔導書は書けないし、魔導士にはなれないのだ。
魔法使いと作家の二つの能力があって初めて成り立つから、魔力が良くても次に物語のハードルを設定すれば良い。そう簡単に超えられる才能の壁ではないはずだ。
レオンがインクと紙を机の上に置いて文字を書くように促すと、ミントは深呼吸をしてから紙に向かい合った。
ミントの握ったペンが魔力に反応してキラリと輝き、黒いインクの中に星空を閉じ込めたような光が瞬いた。
「へぇ……」
魔力は申し分なし。
レオンの想定以上で、雷帝と恐れられるアイリス並かもしれない。
「なら次は物語が書けるかどうか見たいから、何でも良いから適当に書いてみて。物語のワンシーンでも良いし、掌編でも短編でも良い」
「何でも良いんですか?」
「うん。何でも良い。好きに書いてみて」
何でも良い。適当で良い。
この二つの言葉を聞いた瞬間、誰でも楽勝だと思う。
難しいお題を考える必要が無いなら、好き勝手書けば良い。
そう思ってペンを取ると、最初の数行で意外と詰まる。
自分の好き勝手というのは意外と分からない。
そして、例に漏れず、ミントもペンを握ったまま固まっていた。
ただひたすら紙をじっと見つめて、微塵も動いていない。最初の一文字すら書けていない。
魔力はあったけど、やっぱりこんなもんか。
レオンはどこかホッとしたように息を吐いた。
魔力だけならインクが反応する時点で相当な才能を秘めている。
魔導士にはなれなくても、良い魔法使いにはなれるだろう。
「ミントちゃん、もう良いよ。みんなそう簡単に書けるものじゃな――」
レオンが慰めの言葉を口にしようとした途端、背筋が凍り付いた。
ほんわかした幼い顔のミントの表情が、恐ろしく鋭くなっていた。
子猫だと思ったら、凶暴なヤマネコだったと思えるくらいの目付きの変化にレオンは言葉を失った。
「うん……うんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうん……」
ミントは単に書けなくて固まっていたのではない。
恐ろしい集中力で物語を組み立てていたのだ。
そして、レオンが言葉を失ってから数秒ほど経った頃だろうか。
「うんっ! 決まった!」
ミントが動き出した。
「ここはこうで、うん、こうこう! そして、次はこう! ここがこうなるから、伏線を入れて、ここの言葉で隠す! 別の流れを生み出して、伏線を一度消す! そうなったら、こう書いて、こう驚かせたいから、ここで伏線を回収して、こう!」
タン! サッ! タン! サッ!
ペンが机に当たる音、ペンが紙を滑る音が途切れなく、リズム良く流れる。
ミントのペンが目にも止まらない速度で物語を描き始めたのだ。
自分の好きなように書いて良いとは言ったが、ここまでやるとはレオンも思っていなかった。
一度開いた蛇口から止めどなく水が溢れ出るように、ミントは一度も手を止めること無く、彼女の物語を書き上げた。
「できました!」
「お、おう」
ミントが元気いっぱいにかわいい笑顔を見せながら物語をレオンに差し出した。
さすがのレオンもこんなことになるとは思っておらず、戸惑いながら物語を受け取った。
冷静になれない頭で物語を読み始めると、レオンの目は物語に釘付けになった。
そして、同時に思う。
なんて押しの強い子なんだ、と。
物語には書いた人の個性が出る。
己の中にある感情を描いたり、読者を喜ばせるための話作りをしたり、逆に読者をいじめたいという話作りをする人もいる。
魔導士になれば、そういう物語に秘められた情報から魔導書の意図を把握するどころか、作者の人間性まで推測することだって出来る。
ミントが描いたのは憧れと、憧れを乗り越える少女の物語だった。
そして、憧れた人というのは少女を導く魔法使い。
モデルは間違い無くミントとレオン。
ミントがレオンに弟子にしてくれと頼んだところから、卒業するまでの話を描いていた。
ミントは「私はあなたの元で強くなる覚悟があります。そして、いつの日かあなたを追い抜いて見せます」と物語を通じてレオンに語りかけた。
その物語でレオンの中に生まれた魔法は、敵の直前で急激に巨大化する炎だった。
最初は小さな煌めきでしかない炎は、誰の目から見ても弱々しく、何の力もないように見える。だが、その炎は目標に近づくにつれて力をつけ、ある時を境に急激な成長を遂げて、目標を飲み込む。
敵を油断させて一瞬で焼き払う暗殺魔法のようだ。
「ど、どうですか?」
「……すごいな」
感想を聞かれてレオンは思わず感嘆を漏らした。
「いつから書いてる?」
「物語を書き始めたのは一年前くらいです。でも、ずっとレオンさんの魔導書は読んでて。あ、魔導書用のインクを使ったのは初めてでした」
魔導士見習いになって、ちゃんとした魔法を生み出せるようになるには十年くらいかかると言われている。
それを独学で一年しか学んでいない子が初めて書いた魔導書で、具体的な魔法を作ったと言われたレオンは身体が震えた。しかも、生まれた魔法はシンプルながらも実用的だ。
そして、何故かひどく懐かしく感じた。
何の訓練もせず、いきなり魔導書を書き上げた人間をレオンは一人だけ知っている。
それが誰だったかは思い出せなかったが、古い友人と再会したような喜びが胸にあふれた。
「ど、どうですか? 合格ですか?」
「そうだね。魔力も十分、物語の完成度も魔法の実用性も高い」
「なら、合格ですか?」
普通なら合格だ。というか、断る理由が無いほどに完璧な結果を示した。
でも、レオンは魔王だ。魔導書を読み、書くことを生業にして全ての魔法使いの頂点にたった人間だ。
少しくらいワガママを言っても罰は当たらない。何せ魔王なのだ。
「一本だけじゃ分からないけど、書く力はある。でも、魔導士は読む力も必要だ」
合格を今すぐ言い渡さずに、もっとこの原石の持つ可能性を見てみたい。
魔導士は魔法を作る職業だが、既存の魔法を知ることも大事だ。
その能力に必要な読解力は登場人物達の感情や行動理由を理解するだけでなく、何故その場面で驚いたか、面白いと思ったか、ワクワクさせられたか。
そう言った作者が意図した物語の骨組みを見抜く目が必要だ。
「今からこの本を読んで、互いに感想を言い合おう」
「分かりました」
「一応言っておくけど、面白かった丸。って感想だけなら即不合格だからな」
「はいっ!」
その後、二人で黙々と読書を済ませた後、様々な角度からレオンとミントは本の面白さについて解説しあった。
伏線の繋がり方と隠し方の妙、読み手の意識を誘導する数々の仕掛け、そして、笑いを誘うギャグの仕組みなどをお互いの視点で解説していく。
気付けばレオンは弟子に取るか取らないかなんて完全に忘れて、ミントとともに本について考える事を全力で楽しんでいた。
しかも、ミントを一読者としてではなく、一魔導士として認めた上で物語についての考えを語り合った。
打てば響くミントと過ごす時間があまりに楽しく、食事をすることも忘れ、眠気も忘れ、気付けば何冊もの本をミントとともに読み開かしていた。