星空の下、時を繋いで 3
「絶対、ぜぇーったい、いや!」
シェランはこちらに帰ってきて初めてと言っていいほど、全力で拒否を示していた。
「希望者だけでいいじゃない!」
しかし発案者達――ユリスディート、ディートハルトを始めとする皇族若手男子は笑っていて、真面目に取り合わない。
「こういうのは怖がる人がいるから面白いんですよ」
「嫌ったら嫌!」
「大丈夫ですよ、どうせ何も起こりませんから」
「何か起こることを期待されているなら、今から簡単に仕掛けて来ますけど?」
「やらないって言ってるでしょ!」
三十六計逃げるに如かず、を実行したシェランである。行く手にマルヴィリアを見つけて飛びつくように背後に回る。
「マリア、助けて!」
「まあ、何事ですの……あら、皆様お揃いで」
気負って青年達と対峙したマルヴィリアだが、事情を聞くとシェランの背中を押した。
「いいではありませんか。いつものおふざけですわ。少し付き合ってやれば気が済むんですから」
「やだ!」
マルヴィリアの胴にしがみついて梃子でも動かない構えを見せた皇女に、わらわらと湧く青年達も、しかし後には引けない。この辺の良くわからない頑固さがヴィーフィルド人のヴィーフィルド人たる所以である。
「やだって……姫君、子供じゃないんですから」
「子供でいいよ、むしろ堂々と子供だよ!」
「じゃあ、幼児じゃないんですから。大体、この程度のことで一々怖がっていたら、ヴィーフィルド皇女の名が廃りますよ」
ぴくっと少女の肩が跳ねたのを、ユリスディートは見逃さなかった。すかさず引き剥がしにかかる。騎士として鍛えられた成人男性の力に勝てるはずも無く、またマルヴィリアも守ってくれなかったので、シェランはずるずると引き摺られた。
頼みの綱のソルディースまで苦笑しながら頷くのを見て、シェランは逃れられないと覚悟せざるを得なかった。しかし、尚もぐずる。
「夏場に水辺で肝試しとか、絶対何か出る……!」
「出ませんって。多分」
湖の周辺は森に囲まれており、その中を細い石畳の道が周回している。多少の凹凸はあるものの、一周するのに大人の足で四半刻もかからない。
「道なりに行って、ちょうどこの離宮の反対側に祠がありますから、そこで一旦止まって光球を打ち上げて下さい。それを合図に次の者が出発します」
「どーしても一人?」
「でなければ度胸試しにならないでしょう」
散々文句を言ったシェランだが、強制参加となった。他の女性達は不参加なのに。
「よーし、始めるぞー」
最初に森に入ったのは、提案者の一人のユリスディートだった。木立の中に消えていく姿を見送ってから、シェランはいよいよ始まってしまったと溜め息をついた。
周囲を見回すと、当然のように巻き込まれたらしいライゼルト達が、面倒くさいという表情を隠しもせず伸びをしていた。
彼等三人は親の仕事の都合上、幼い皇族達の遊び相手として幼少時から皇族達と関わっていた。士官学校時代など、それをいいことに教官達にかなり良いように使われていたらしく、もはやこういったことには諦めの境地で付き合っている節がある。
三人で固まっている傍へ寄っていって、文句を言う。
「どうして止めなかったの」
ライゼルトが青玉の瞳を見開いて、大袈裟に肩を竦めて見せた。
「無茶を仰らないで下さい。どうして俺達が、あの方達を止められるんですか」
「私がやらないで済むようにはできたでしょ」
「その点については申し訳ありません。ですが我々の今後の円滑な人間関係の運営を考えますと、シェラン様にはもう少しこう、経験を積んで頂く必要があるかと」
「それがどうして肝試しなのよ! どうせ男同士で飲んでて、盛り上がってやろうってノリになっただけでしょ!?」
ご明察、とはセイルードの呟きである。そんなことはヴィランド公爵ギルトラントが参加者の中に混じっていることからして容易に推測できる。
シェランは地団太を踏んだ。
「私と男同士の友情と、どっちが大事なの!」
「貴女に生命の危機が及ぶ可能性が限りなく低い現状では、確実に後者ですね」
澄ました顔で言う従兄は、あくまで冷静である。ジスカールが慌てて取り成すように間に入った。
「大丈夫です、姫様。変なモノの気配はしませんし、普通は貴女の神気を察知したら、変なモノの方が逃げていきますから」
それもそれで肝試しになっていない。
シェランとて夜に森の中を歩くことそのものが恐ろしいわけではない。彼女の目は昼夜関係なくはっきりと周囲を見ることができるし、そもそも神の末裔である彼女にとって、闇は恐れる対象ではない。
しかし、誰にでも先入観というものがある。皇室所有の土地に墓などあるわけがないし、この湖で水難事故が起こったことがあるわけでもないが、『真夏』の『夜』に『水辺』の『明かりのない森の中』で『肝試し』という状況が、とにかく彼女にとっては嫌なのだ。折り返し地点が『祠』というのも何となく不気味である。
暗い湖面が、鮮やかに照らし出される。それを受けて次の者が森へ入って行った。
「……一緒には行ってくれないわよね」
「ソールに頼んで下さいよ、ソールに。婚約者でしょう」
「だってあっちで団長に絡まれてるもん」
爪先で軽く地面を蹴って、シェランは俯いた。その小さな頭を、ライゼルトはよしよしと撫でる。宮廷でやれば不敬罪で投獄されるが、ここでは無礼講なのでこれくらいは許される。
「心配しなくても、貴女に何かあれば皆様すっ飛んで行きますよ。いつかのように貴女が変に空間を歪ませていなければね」
「……もうしないわ。できないし」
本能のままに躊躇なく神力を解放する幼少時だからこそやれたことだ。神術に対する知識と、精神の発達に伴って成長した理性がある現在では、実行することは非常に躊躇われる。神力を全開にして一点集中してぶつければいいとわかるが、とてもやろうとは思えない。
「それは置いといて、祠ってどんなもの?」
気を取り直して尋ねてみたシェランだが、三人は首を横に振った。
「存じません。我々もここに来たのは初めてなものですから」
「……ごめん、言われてみればそうね」
皇室直轄地の中の離宮周辺の地理に、一介の貴族子息が詳しければ、それはそれで問題である。
「あ、でも俺もそれは気になってました。あまり小さいと見落として通り過ぎてしまうかもしれないし」
「よね。誰か……あ、ソール! こっち! ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
ようやくギルトラントから解放されたらしいソルディースは、ぐしゃぐしゃにされた金髪を手櫛で整えながら近寄ってきた。
「何だ?」
「光球を上げる目印の、祠ってどんなもの? 小さすぎて見落としたりしたらって、今話してたところなんだけど」
意を得たようにソルディースは頷いた。
「ああ……そんなに小さなものじゃない。むしろ祠の中では大きい方に入る。ただ、封じの祠だから、不用意に触らない方がいい」
シェランはきょとんとした。
「……封じの祠って、何?」
ソルディースはもちろん、ライゼルトはあからさまに嘆息したし、それより少し年長のジスカールとセイルードは苦笑気味だ。
「祠にも種類があるんですよ。高位の精霊を祀っていたり、何かの術式の基点に利用するためのものだったり、何かしら『重石』をして封印した方がいいモノを封じていたり」
へえ、とシェランは相槌を打った。
「何が封印されてるの?」
興味津々で尋ねる。祠ではないが、そういう事例は聞いたことがある。その場合漏れなく封じられているモノは意外に面白いモノが多い。昔の皇族の使役だったりもする。
しかしソルディースは首を左右に振った。
「僕もそこまでは知らない。だがかなり老朽化が進んでいるから、お前は触るなよ。確かこの休暇の間に、陛下か皇太子殿下が封印をやり直すはずだ」
「ええっ、私聞いてない!」
「だから、触るなよ。今お前が触ったら、変に神力が作用して妙なことになるかもしれないんだから。お前、一人じゃまだ対処できないだろう」
正論である。事実であるだけに反論もできない。
「う……じゃあ、やり直すのを見学するのは?」
「それは良いだろうが……次は誰だ?」
星が映っていた湖面が、再び鮮烈な光に照らされる。着々と迫る出発の時を知らせるそれに溜め息をついたシェランだが、上がった球が次に見せた変化に歓声を上げた。
「すご……花火みたい!」
変化する光球はそれだけに留まらなかった。
本物の花が咲くように広がっていくもの、動物の姿を象って空を駆け回るもの、上がっていく間に様々な色に変わるもの――同胞達が技巧を凝らして打ち上げるそれに、肝試しへの恐怖を一時忘れる。
それを半ば呆れながら見上げたライゼルトは、うんざりだというようにソルディースに確認を取った。
「……あれは普通に上げてもいいんだよな?」
「もちろん。ただし、周辺の民の安眠妨害になるから、音はなしだ」
「誰が付けるか」
「確実にリィスティーア様に殺されるだろう……」
音楽が大好き、反動で騒音が何より嫌いな先代ヴィランド公爵夫人(ソルディースの大叔母)がいる棟から、そっと目を逸らした四人である。
そのときだった。
「ジェラルドの次は……と、殿下か。シェラン様、順番」
順番の最後を買って出たディートハルトは、先ほど籤引きで決めた誰がどの順番で入るかを把握して促している。シェランは傍に立つ婚約者の袖を掴み、最後の抵抗をした。
「もう?」
「もう、です。上がったでしょう、ジェラルドの合図」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃありません。四の五の言ってないで、行ってらっしゃい」
完全に楽しんでいる。
「……変な仕掛けとかしてないよね?」
「してませんったら。ああ、祠には触ったら駄目ですよ。一応結界が張ってありますけど、それもかなり古いので」
「……わかった」
石畳の道はきちんと手入れが行き届いており、とても歩きやすかった。シェラン自身が市井の少年のような服装ということもあるだろう。
しかし時折、道端の茂みで「がさっ」と物音がしたり、頭上の梢から「かさかさ」とか聞こえてくるのはいただけない。
その度に身を竦ませるシェランとしては、心臓が持たないというのが本音である。半日前に母方の従兄が同じことを思っていたとは露知らず、既に彼女は半泣きな状態だった。『目』を開いて同胞の神気の『痕跡』を確認できていなかったら、その場に座り込んで朝まで泣いている自信があった。
それでも、否、だからこそほとんど駆け足で進み、問題の祠の前に辿り着く。
「……これかあ」
確かに、大きい。人の背丈を軽く越すそれは、小さな神殿と言ってもいいかもしれない。『目』を開きっぱなしなので、張られた結界の様子も見ることができた。
「古い……何か、あちこちガタガタじゃない?」
手を伸ばしてちょっと結界の下の方に触れてみる。すると。
びりっ――と、布が裂けるような、何とも嫌な音がした。
慌てて手を引っ込める。よくよく見てみると、触れた分だけ結界に綻びができているようだった。
何となく罪悪感に駆られ、こそこそと土を盛って小細工をしてみる。離れて見ると、綻びが生じているとはわからない。
どうせ数日の内に張り直すのだから、と自分に言い聞かせ、下手に自分が手を出すと大惨事になりかねないと誰にともなく言い訳し、シェランは一人何度も頷いた。土で汚れた手を、ちょうど近くに湧いていた泉で洗うと、光球を打ち上げた。技巧を凝らすような余裕はないが、これで意味は果たすはずだ。
その後、全力疾走で残りの道を駆け抜けたシェランは、先を歩いていたギースベルト公子ジェラルドに追いつく羽目になり、彼に盛大に笑われることとなった。しかしこの後に起こった事件のため、この些細なことは人々の記憶から飛んでいく――かと思いきや、後々までしっかり覚えられていて、事あるごとにからかわれることとなる。