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星空の下、時を繋いで 2

 カトワル湖は、周囲をなだらかな丘と森に囲まれた静かな湖だった。特に北側は地面の起伏が激しく、森も深いため人はあまり立ち入らない。

 湖の南に立てられた離宮は五百年ほど前のものだが、避暑によく利用されているため目立った傷みはなかった。

「お祖母様!」

「まあ、シェラン。速かったのね」

 馬を厩舎に入れ、シェランは出迎えた祖母皇妃に駆け寄った。

 参加を表明した者のうち一部は、転移陣を使ってこの離宮に先行していた。掃除等は事前に侍従や侍女を派遣していたが、現在は侍従も女官も侍女もいない。生活の全てを参加した皇族や貴族だけで行うのだ。

 最初に聞いたときは何の冗談かと疑ったシェランだが、迎えに出てきたのが本当に見知った親戚のみなのでそうなのだと納得せざるを得なかった。

「お祖母様、お料理とかできるんですか?」

「あら、そう言うシェランこそできるの?」

「私は向こうに居た頃、よくお手伝いしていましたから家事は一通りできますよ。でも……」

 周囲を見回すと、服こそ常のドレスや軍服ではないもっと動きやすそうなものだが、全員がどう見ても家事などしたことがないように見える。軍属している者は身の回りのことは自分でできるだろうが、料理はどうだろう。その辺の動物を捕ってきて、皮剥いで血抜きして捌いて焼いて塩振って終わり、という究極の調理になるのでないか。

 皇妃を見上げると、にこりと笑顔を返された。……余計に不安である。洗濯はこちらではどうしているのか知らないが、家事は自分が頑張るしかないとシェランが決意したときだった。

「妃陛下、パイ生地ができましたわ。どこにしまっておきましょう?」

「氷霊に作らせた保管庫があったでしょう。そこに入れておいて頂戴。楽しみねぇ、明日か明後日には何かのパイを焼きましょうか」

「野菜が届いていましてよ。肉も今日明日の分は捌き終わりましたし、少し休憩に致しませんこと?」

「まあ、これってギースベルト特産の橙のお茶? 陛下達も到着されたことですし、これを淹れてもよろしくて?」

 ……意外にも全員、てきぱきと動き回っていた。建物の外からぶひーとかコケーッとか動物の声もする。窓から覗いてみると、小さいながら養鶏場、養豚場らしきものがあり、仕切りの中で鶏と豚が走り回っていた。

 唖然とするシェランに笑って話しかけてきたのは、皇族の一人エアルローズである。

「牛の肉は捌いてから少し経った物の方が美味しいので、もう捌いてあるものを持参致しましたけれど。豚も鳥も捌いてすぐ調理しなければなりませんからね」

「エア、久しぶり……あれ、食べるの?」

「もちろんですわ。そんなことよりシェラン様、愚弟が道中失礼をしませんでしたか?」

 エアルローズはエルヴェス公爵家の跡取り娘で、彼女の弟とはアストリッドのことである。

「それは大丈夫だけど……あれ、誰が捌くの?」

「誰でも。皇太子殿下が良いと仰れば、シェラン様がおやりになっても大丈夫ですわ」

 それは謹んで遠慮したいと思ったが、良く考えればそこから始めるとなると皆かなり生活技術に習熟しているのではないだろうか。仮にも九年間庶民生活をしていたのに、文字通りの王侯貴族しかいないところで、自分が一番の役立たずだったりするのでは。

 冷たい汗がシェランの背中を流れた。

「わ、私も何か手伝う! できること、ある?」

「作業は一段落しておりますから、まずは休憩にいたしましょう。シェラン様もずっと馬の上だったのですし。その後で、夕食を作るのを手伝って頂けますか?」

「……わかった。何作るの?」

「今日は野菜も肉もまだ新鮮ですので、外で網を出して直火で焼くなり蒸すなりして適当に摘まもうという話になっています」

 どこかで聞いたことがあるような話である。

「それって、焼くもの切るだけよね?」

「それもありますけれど、男の子達が火をつけるときに火で遊ぶので、近くにいて注意して下されば嬉しいですわ。いつも木やら木製の露台やらを焼いてしまって、後始末が面倒なのです」

 神術が使えなければ十中八九、大火事になっているだろう被害である。十分火事だが。

「今回は普通の貴族もいますし、火事になって彼等が怪我をしたら大変ですから」

 皇族は通常の火や神術で呼び起こした火で傷つくことは無いが、ライゼルト達一般貴族は、体は完全に人間なので、火に直接触れればもちろん火傷を負う。

「ん、了解」

 ふざけてそんなことをする面々はすぐに思いつくので、シェランは真剣に頷いた。その様子にエアルローズは、弟と同じ淡い水色の瞳を和ませる。

「でもまだまだ時間がありますから、湖で少し泳いでも大丈夫ですよ」

「ほんと?」

「必ず誰かと一緒に居て下されば。何ならわたくしがお付き合いしますわ」

 遠慮なくお願いしたシェランである。皆と一緒に茶と茶菓子で一息ついた後、エアルローズの他、オルトリーエ、エデルガルト、マルヴィリアを加えた総勢五名で湖へ向かった。とはいっても、離宮の端に、湖の波が打ち寄せる岸辺へ直接下りられる数段の階段があるので、そこを下りただけだが。

 水着などという物はないが、濡れても良い軽めの服装である。

「冷たーい!」

「水ですもの」

「殿下、あちらは急に深くなっておりますのでお気を付け下さい」

「はーい」

 しばらく岸辺で泳いだり水を掛け合ったりと戯れていた彼女達だが、脇から声をかけられた。

「随分とお楽しみのようですね」

「ユリス。ディーも」

 マルヴィリアの兄のユリスディートであった。傍らにはビーレフェルト公子ディートハルトもいる。二人は離宮の一角、湖の上に張り出した木製の露台に出ていた。近くまで泳いで行けば湖の中から柵を掴んで上ることもできる。

「貴方達は泳がないの?」

「明日にしようかと思っていたんですが……ご一緒しても?」

「それはいいけど、術使って遊ぶのは無しよ」

 この二人は兄弟でも双子でもないのだが、なぜか行動が地球で大流行した某小説の某双子によく似ている。揃うと必ず何か仕出かす二人なので、警戒しつつシェランは是と答える。最悪、自分では駄目でも父か祖父母か、ヴィライオルド公爵あたりが盛大に雷を落としてくれるだろう。

 欄干を乗り越えて水しぶきを上げた二人に、視線が集まる。

「あら、兄上……」

「ディーも一緒なの?」

 警戒心を顕わにする女性陣に、ユリスディートとディートハルトは苦笑した。

「何も企んでないさ。涼みに来ただけだよ」

「そうそう。我が妹と違って、こっちはずっと馬だったから」

「おかげで我等が皇女殿下の成長振りを間近で拝見できたけどね。姫君、泳げるならあちらの川へ流れ込んでいる方へ行ってみませんか。少し深いですが、アーヴァンクがいるんですよ」

「アーヴァンク?」

「ええ。美女が好きな水棲幻獣です」

 聞いたことの無い生き物の名に興味を惹かれたシェランだが、それを遮ったのはエデルガルトだった。

「いけません、殿下。アーヴァンクは確かに美女が好きですが、反動で男が大嫌いで気性も荒い。こやつらと一緒に行けば間違いなく攻撃してきます。それを狙っているのだろう?」

 揃って肩を竦めた二人である。

「殿下にお怪我などさせないよ」

「そんな当たり前のことに胸を張るな。それに聖女たる殿下の御前で無闇な殺生は控えろ。行くのならばお前達だけで行け」

 ディートハルトが白けたように言った。

「誰も殺すなんて言ってないだろ。ちょっとからかってやるだけだよ」

「キティは昔から頭が固すぎて困る」

「では兄上の脳は、溶けて耳から流れ出て久しいようですわね」

 痛烈なマルヴィリアの皮肉に、ユリスディートが両手を挙げた。

「わかった。諦める」

「今回は、と付くのが見え透いていましてよ。いい歳して子供の真似事ばかりして、恥ずかしいとは思いませんの」

「……皇女殿下、シェラン様。聞きましたか、あの言い草」

「仮にも兄に向かってあの言い様……」

 よよよ、とわざとらしく嘆く二人だが、シェランも救済策が思いつかず苦笑いした。

「ね、そろそろ上がろうか。ユリス、ディー、また明日、他の人も誘って見に行こうよ。ちゃんとその、アーヴァンクに手加減はしてあげてね」

「シェラン様っ、この二人を甘やかしてはいけません!」



 辺りが赤く染まり始める頃、離宮の調理場に程近い、石造りの露台で全員が一堂に会して夕食が始まった。

 数箇所で炭から火を熾し(※シェランが監視していたので誰も火遊びはしなかった)、こちらでは簡易な竈を作って網を渡し、あちらでは鍋を置き、向こうでは直火で用意された食材を炙るといった体で、完全に野営さながらの様相である。

「皆、何か、慣れてるのね」

 ちまちまと手伝いながらシェランが呟くと、イルヴァースがそれはもう、と笑った。

「基本的に軍隊生活で簡単な料理は叩き込まれますから」

「専用の調理班とか、支援部隊があるんじゃなかったっけ」

「いえ、それとは別に単独行動での訓練で。半月から一ヶ月ほど無人の山に一人で放り込まれて、取り合えず五体満足で自力で歩いて生還したら合格っていう、試験も兼ねた訓練が士官養成課程にあるんです」

「へええ……」

「で、大体最初は不合格なんです。装備は自分で準備するのですが、調理の事など考え付かなくて。一応山菜を取ったり獣を狩ったりしますが、食べられたものではなくて。その辺から霊気を吸収するのは無しという制限があるので、一ヶ月持たないんですよ」

「だろうね」

 シェランは深く頷いた。

 士官になるのは大抵、生粋のいいとこ育ちの若君姫君だ。実家ではもちろん侍女や従僕がいるし、騎士団の宿舎において炊事洗濯は外部から人を雇っている。いざ出陣となれば専用の調理班や後方支援部隊が動くから、先陣を切る騎士達は戦闘に専念できるのだ。

「ソールと二人、実家の料理長に頭を下げて簡単な料理を習いました」

 当時を思い出したのか、どこか遠い目をして語るイルヴァースである。隣でアストリッドが酒杯を片手に相槌を打つ。

「獣の捌き方も必死で覚えたよな」

「覚えないと一ヶ月肉が食べられなかったからな……干し肉とかの軍用食は携行不可だし」

「霊気吸収の『痕跡』が誤魔化せれば一番楽なんだけどなぁ。ルヴァ、お前そのとき何の肉一番食べた?」

「全体を通したら、鳥かな。羽を毟って内臓出すだけだから一番簡単だ」

「だよな。皮剥がすのは疲れてるとちょっとな……ていうか、調味料の携行は良くて軍用食の携行が不可って意味不明だと思わないか」

「それだよ。終わってから教官に言ったんだが、『伝統だ』の一言で終わった」

「ぶっ……それ、ベルネット教官だろ!? 似てる……!」

 なかなか愉快な士官学校生活だったようである。ヴィーフィルドでは三年間の士官学校での養成課程を卒業しなければ士官、つまり騎士位を取得できないので、騎士を志す者は必ず通る道だ。皇族とて例外ではなく、騎士位を持つ現皇王、皇太子も士官学校の卒業生なのである。

「楽しかった?」

 くすくす笑いながら訊いてみると、二人は和やかに笑っているところから一転して表情を固くした。

「……あまり楽しい時期ではありませんでしたね。私は入学したてでしたが、ちょうどその頃姫が異界に流れてしまわれたものですから」

「俺は卒業直後で従騎士に叙勲されたばかりでした。姫君が騎士の勲章を見たいと仰るから、真っ先にお見せしますと約束していたのに、当の本人が時空に風穴開けてどこかに転がり落ちるから」

 一気に拗ねる気配を見せた同胞に、シェランは素直に頭を下げた。これは自分が悪い。

「……ごめんなさい」

「よしよし、ってしてくれたら許します」

「アスト、貴方何歳よ!?」

「先月で二十二になりましたが、それが何か」

 両腕を広げて完全に迎える体勢になったアストリッドである。拒否するのも面倒なので大人しく腕の中に入ってやると、意外にも力は緩かった。

「……まだ時々ね、姫君が本当に戻ってきたとは信じられない時があるんです。これが夢なら、覚めた時にはきっともう正気ではいられない。そんな話をこの間姉上としましたよ」

「……ちゃんと戻ってきたよ?」

「わかってます。もう一人で黙って変なところに行っては駄目ですよ」

 行きたくて行った訳ではないのだが。しかしそんな冗談を言うのも憚られて、シェランはそっと同胞の広い背中に腕を回した。宥めるようにその背を撫でてやると、微かに彼が笑う気配がした。

 同胞達は、ふとした拍子にこうした触れ合いを求めてくる。恋情を含んだものでは全くなく、彼女の存在を確かめるように。

 実際にその目的なのだろう、とシェランも何となくわかる。夢というなら、これまで生きた年数の内、半分以上であるにも関わらず地球で過ごした九年間こそが夢のようにも思えてくるけれど。年長の皇族の中には、自分が生きている内に戻られるとは思っていなかったとはっきり言った者もいたし、実際に九年間の間に亡くなってしまった者もいる。最期の時まで貴女を案じていたと、そう伝えられて改めて後悔が胸を苛んだ。

 ふと西の空に目をやれば、地平線が鮮やかな朱色に塗り替えられていた。アストリッドの背を叩いて抱擁を解き、欄干の端ぎりぎりまで身を乗り出す。

 空模様を映す湖は、徐々に朱金の輝きを失って紫紺へ、そして夜の漆黒へと姿を変えていく。

「シェラン様、お食事は終わりまして?」

「うん、大丈夫。片付け、手伝うよ」

「お願いしますわ。……あら、湖を見ていらしたのですか? 今日は良く晴れていますものね」

 そうね、とシェランは笑った。湖に映った星は、反射によってその光を増して、ともすれば空に輝く星そのものよりも明るいくらいだった。


 そんな幻想的な空気を破壊する提案がなされるのは、この数分後のことである。

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