けそうだった
けそうだった。本当は全然平気なんかじゃない。でも、あのとき拐えって言ったのは私で、編めないって言ったのも私なんだから、今になって引き留めることなどできるわけがなかった。
その日、私は夢を見た。見たことのない懐かしい街を歩いていた。そこではみんな猫に首輪を嵌めて歩いていて、すれ違うときに必ず「ステシィ」と挨拶した。初めて聞く言葉だが、恐らく「おはよう」や「ごきげんよう」といった意味だろう。私も、猫は連れていなかったけれど、「ステシィ」には「ステシィ」で返した。このやり方はたぶん間違っていないと思う。
ステシィの街は全体が小さな球体の上にあった。道に迷っても、まっすぐ歩き続ければ元の場所に戻ってこれる。行き着く先はいつも『here』。住民は誰もがそのことに安心感を覚えていた。この街では、どこか遠くに行きたいと希求する人たちは淘汰されてしまったらしい。
この球体の上の街には、しかし、困ったこともあった。バランスが悪いのだ。大きなビルを作るときは、同時に反対側にも大きなビルを建てなければならなかった。そうしないと回ってしまう。街が回ると人々は遠心力で吹き飛ばされてしまう。この街の重力はとても小さい。だから人々はみんな猫を引き連れて歩く。猫は浮かないための重石なのだ。つまり私も、地に足をつけていられる以上、何かしらの重石を持っているはずだった。それは買い換えたばかりのヒールか、小銭とポイントカードでぱんぱんになった財布か、でなければ、シンプルに心か。
高校生の頃、隣の席の数学の得意なティンパニが話してくれた。『球体平面上に平行線は存在しない』『直線同士はどこかで必ず交わる』『この星に住む私たちは、だから、歩き続ける限り誰かと出会い続けるのだ』と。
ステシィの街も同じ。彼らは歩き続ける限り誰かと出会い続ける。重石代わりの猫を引き摺って歩く誰かと。
でも……と私は思う。平面から離れて宙に浮いてしまったら? 街が回転して吹き飛ばされてしまったら? 無限遠に憧れて重石を手放してしまったら? どうだろう。ティンパニはなんと言っていたか。そもそも私の隣の席にいた彼女はそんな打楽器みたいな名前だったろうか。
『疑問を覚えたとき、人は夢から覚めるの』
これは後ろの席のタンバリンの言葉。
起きたときには、私はホテルのベッドの上だった。終電を逃して駆け込んだビジネスホテル。この世界の人々は猫ではなく犬を引き連れて歩く。それも全員じゃない。すれ違う際の挨拶は「おはよう」か「ごきげんよう」で、それもほとんどの場合省略して差し支えない。どんなに高いビルを建てたって星のバランスは崩れることはなく、むしろ人々はホルモンや生態系や資本や軍事力のバランスに注意を払う。そして心が重かろうが軽かろうが高いビルの屋上から飛び降りれば例外なく同じ結果になる。
私はベッドから降りて、洗面所に行き、アメニティの歯ブラシと歯磨き粉で口の中を洗う。目覚めの歯磨き。この時間が一日の中で一番好きだ。今日が人生で最高の一日になるような気がしてくる。たとえ昨日が人生で最悪の一日だったとしても。
鏡を見つめる。十人中九人が同情しそうなひどい顔がそこにあった。ちなみに残りの一人は私自身で、単純に愚かしいと自嘲する。私は目を閉じて、歯磨きに集中する。
そのときだ。りりりりり、とベッドの上の携帯が鳴った。




