魔法の言葉に関するPの見解
真剣な表情で話す彼の顔を見ていると、冗談や作り話で僕を驚かそうとしているようには見えなかった。
彼の話を信じたわけではないが、アパートに戻った僕は、試しにやってみた。
「不動産屋、不動産屋、不動産屋、不動産屋、不動産屋、不動産屋……」
三分ほど繰り返してみたが、何も聞こえなかった。何も感じなかった。何も変わらなかった。
その日の夜、宅配便のお礼を言ったついでに、Pにこんな質問を投げかけてみた。
「魔法の言葉を唱えるたびに、頭の中で幸せの鐘が鳴り響くという人間がいるんだけど、どう思う?」
電話の向こうで、首を傾げるような気配がした。
「何だよ、魔法の言葉って」
意外な気がした。社会人になって、このあたりのことには、興味を示さなくなってしまったと思っていたのだが、当時のままらしい。
第一秘書ともなると、入ってきた情報がどんな些細なものであったとしても、敏感に反応しなくてはならないのだろうか。
「不動産屋」
とだけ言って様子を見た。
「フドウ、サン、ヤ、……」しばらくの沈黙の後、Pは困惑したような声で「悪いけど、もう一度言ってくれないかな」と言った。
「不動産屋だよ、不動産屋」
「おいおい」Pは、今度は笑いながら言った。「俺だから良かったけど、他の人だったら笑われていたぞ。その人は不動明王とか、不動明王菩薩と言ったんじゃないのか」
確かに彼の言うとおりだ。常識に従って考えた場合、そっちの方の可能性が高い。しかし、いつも常識に分があるわけではない。
「いや、何度も聞き直した。絶対に間違いない」
「絶対に?」十秒ほどの沈黙。「そうだったとしても、俺の仕事とは関係のないやつだよな」
「ところが、お前の仕事そのものなんだ」そこで、わざと間を置いてからつづけた。「しかも、その魔法の言葉を彼に授けたのは、この俺らしい」
「何だよ、新しい断片話かよ、で、その続きは?」
「いや、断片話じゃない。実際に起きたことなんだ」
すると、彼は急に真面目な声で「ちょっと、詳しく教えてくれないかな」と言った。
そこで僕は、鹿児島中央駅から乗ったタクシー運転手との絡みを、かいつまんで話した。
「俺が授けた言葉のおかげで、筋肉がやわらかくなった。肩こりが完治した。耳が聞こえるようになったと信じ込んでいるみたいなんだ。何考えているんだろうな、あの運転手」
と締めくくると、Pはこんなことを言った。
「その運転手さん、間違ったことは、何も言ってないと思うよ」
Pは時々、本心とは違うことを言う。でもそれには、理由がある。僕の頭を混乱させるためだ。
自分が放った一言に、僕がどのような反応を示すか。そしてその結果、話がどんなふうに転がっていくのかを楽しみたいだけなのだ。彼の思惑は分かりすぎるぐらい分かっている。でも、いつもその手に乗ってしまう。
「どういうこと?」
「お前には、それくらいの力があるってことさ」
いくらなんでもその手には乗らない。
「俺は偶然、その場に居合わせただけなんだ。俺は何もやっていない。もし誰かが奇跡を起こしたとしたら、あの運転手に付いている守護神だろうよ」
言った後で驚いた。守護神を信じない僕の口から、その言葉が出たからだ。もちろんPとの間でも、それが初めてだった。
そのせいなのか、Pは話を遮った。
「今、何と言った?」
昔のPは、幽霊とか未確認飛行物体に関する話を良くしていた。しかし、科学的裏付けのない話をしたことはない。興味も示さなかった。
たぶん彼は、守護神に関する科学的説明を求めてくる。でも、僕はそれに答えられない。口から勝手に飛び出した言葉だからだ。
「詳しくは知らないけど、よく言うだろ、人にはそれぞれに守護神が付いているって」
そんな、言い訳じみた返事をするしかなかった。
何だよ、つまんねえ、と笑われると思ったが、違った。
「お前が、どのような状況で、不動産屋と言う言葉を使ったのか、詳しく教えてくれないかな」
ひょっとすると、僕が言った話の中に、Pの仕事に繋がるような情報が隠れているのかもしれない。
そんなことを頭の隅に浮かべながら僕は、運転手と交わしたセリフのすべてを話した。「なるほどな」話を聞き終えたPは、納得したような声で言った。「お前の言うとおりだな」
「何が?」
「奇跡を起こしたのは、彼の守護神に間違いないってことさ」