デカすぎる宅配荷物
こんなことは言わなくても分かってもらえると思うが、交渉を長引かせて、航空会社から多額の謝礼金をせしめようなんて気持ちは、まったくなかった。
取扱説明書にこだわった理由は、ひとつしかない。
『目を閉じていても映像が見える』
その文字が、記載されているかどうかを確認したかっただけだ。
それが明記されていなかったとしたら、アイマスク型モニターの開発に関わったすべての人々が、この製品に隠れている人類の常識を根本から覆すどえらい性能に気づいていないということになる。
仮にそのことが、関係者の間では周知の事実だったとしても、自分が体験したことすべてを詳しく話した後で、アイマスクを返すつもりでいた。
そして僕は責任者に、こう言う。
ご安心ください。秘密は守ります。この商品が製品化されて世の中に出回るまで、僕は誰にも言いません。
今回の件は、いくつかの手違いが重なったようだ。でも、彼らの元にアイマスクが戻り、僕が口を噤んでさえいれば、被害はゼロ。航空会社と製造メーカの何人かが、始末書を書く程度のことで決着をみるかもしれない。
あの新人客室乗務員にとっても、航空会社にとっても、今回の件は良い反省材料になる。すべての関係者が、ほっと胸を撫で下ろすはず。すべてが丸く収まるはず。
しかし、世の中は、自分が思ったようには進まない。
少なくとも三時間後に電話がかかった来るだろうと、相手に言うセリフを用意して、待っていたのだが、その日の僕の携帯はウンともスンとも言わなかった。
一体どうしたんだろう。緊急会議は、開かれたはず。そこで、どんな結論が出たのだろう。どうしてすぐに行動に移さないのだろう。
そんなことを考えるうちに、次第に不安が募り始めた。
不法侵入、監禁、拷問、拉致、逆さづり、そのような、日常生活から大きくかけ離れた文字が、頭の中に溢れだしたからだ。
「冗談じゃない」気づいたら大きな声で叫んでいた。「俺には善意しかない。なのに、どうして、そんな危険な目にあわなくちゃならないんだ」
携帯が鳴ったのは、次の日の夕方だった。
しかし、航空会社の担当者からではなかった。
「お届け物があるんですが」
携帯に登録済みの宅配便の社員の声だった。
どこから?
と訊こうとしたとき、唐突に、トロイの木馬という言葉を思い出した。
頭のどこかで、警報音が鳴ったような気がした。
ひょっとすると、と思った。
その荷物の中に、航空会社の意向を受けた何者かが隠れている。部屋の中で、荷をほどいた瞬間、中から黒ずくめの男が現れて、僕に刃物を突きつけて、こう言う。
黙って、アレを渡すんだ。そうすれば、命は助けてやる。
「あのぉ」と僕は言った。「荷物のサイズは、どれくらいですか?」
「結構大きいですよ」
嫌な予感。
「まさか、人間が入れるくらいの大きさだって言うんじゃないでしょうね」
冗談めかして訊くと、宅配員は笑いながら答えた。
「体が軟らかい人なら、大人でも楽々入ると思います」
実にバカでかい段ボール。僕愛用のアーロンチェアが入っていた紙箱と殆ど同じサイズだった。
差出人はP。
となると、中身は想像できた。
「ここで、下ろさないでください」
僕は宅配便の運転手に頼んで、地べた里庵まで運んでもらうことにした。
「本当に、これを全部貰っていいの?」
おばちゃんが驚きの声を上げたのも無理はない。
中身は、小さなキオスクなら、一軒分に相当するぐらいの量。
東京ばな奈、東京フルーツクランチショコラ、東京ミルクチーズ工場のチーズフィナンシェなどの、パッケージに東京の文字が見える土産物だけでなく、海苔や佃煮類まで、ぎっしりと詰め込まれていた。緩衝材のプチプチが入っていなければ、体格の良い宅配便の運転手一人では動かせなかったはず。
「あいつのやりそうなことです。でも、二、三点で良いからと、言わなかった僕がいけないんです」
「それにしても何を考えて、こんなに送ってきたんでしようね、あなたの友達」
おばちゃんはあきれたように、首を左右に振ったが、僕に言わせれば、その理由は単純そのもの。
「来店客に、開店祝いとしてプレゼントするか、このあたりを通る人に、宣伝も兼ねて配ってもいいんじゃないですか」
Pの思惑を、彼に変わって口にしたところで、先日のタクシー運転手のことを思い出した。
そう言えば、あの後連絡がない。彼の体は、一体どうなったのだろう。昔の体に戻ったのは、あの日の数時間だけだったのだろうか。
「元気ですか、あの運転手さん」
段ボールの中身をカウンターに並べていたおばちゃんが、僕に顔を向けた。
「運転手って、サトル兄ちゃんのこと?」
「ええ、そうです。この前、僕をここまで乗せて来た、おばちゃんのいとこに当たる人」
「ああ、それだったら、いつもと変わらないんじゃないかしら」
と言いながら段ボールに顔を突っ込んだおばちゃんが、嬉しそうな声を上げた。
「わー、すごい。サトル兄ちゃんの大好物が、こんなにいっぱい入っている」