最後の文章の横に「了」の一文字を添える日
十分ほどで、また携帯が鳴った。
「どうだった?」と訊ねると、「びっくりしたよ」と返ってきた。
作文に対する感想だと思ったが、そうではなかった。
「雲の上のキューピットと打ち込んで、エンターキーを押したとたん、いきなり、南まさきだろ。そりゃ驚くさ」
南まさきは、映像を学んでいた頃、僕が使っていたペンネーム。名付け親はP。
「あれを使ってくれてありがとう」
Pは嬉しそうな声で言うと、いくつかの質問をしてきた。
「小説をアップしたのは、いつ?」
はっきり覚えていなかったから「忘れた」と言ってから、付けくわえた。
「でも、小説じゃない。作文だ」
僕の文章力を知っているPにとって、そんなことはどうでも良かったらしい。
「原稿用紙だと何枚になる?」
「改行をいっぱい入れたから、スカスカで四十枚かな」
「書き上げるまでの時間は?」
内容に触れないところをみると、作品は受け入れてもらえなかったようだ。
がっかりしたが、それが正当な反応だろう。アップ直前に読み返してみたが、駄作の二文字しか浮かんで来なかった。
「あれでも、何やかんやで二年近くかかった」
「二年?」Pは呆れたような声で言った。「二十四ヶ月で、四十枚?」
「ああ、でも、いくら書き直しても代わり映えしなかった。だから、最終的には最初のやつをアップした。結果的には、無駄な時間だったのかもしれない」
「あのなあ」Pはため息交じりに言った。
「暇つぶしでやっているのなら、映像をやれよ。お前だったら、撮影だけでも十分食っていけるはずだぞ。いくら何でも、二年で四十枚じゃ割に合わないだろう」
ここ数年は、近くのコンビニで深夜だけのアルバイト。もうすぐ、僕の預金残高が底をつきそうだということに、Pは感づいているはず。このままだと、話は別の方向に進んでいく。僕は強引に話題を変えた。
「実を言うと、いま仕上げようとしている作品があるんだ」
「タイトルは?」
矢継ぎ早の質問にコーラを飲むひまもない。
「だらだら坂の消え女」
「それ、聞いたことがある」懐かしそうな声で言った。「で、それを選んだ理由は?」
「枚数が一番多いんだ。わらぶき屋根のお婆さんが言っていた昔話のタイトルが、だらだら坂の消え女だったことを、急に思い出したことがあったんだ。すると、どういうわけか、それに当てはまるような映像の断片が、たまに現れるようになったからだよ。でもまだ、原稿用紙で四枚半ってとこかな」
「一番長いやつがそれだと、ずいぶん効率の悪い作業だな」再び呆れ口調になったPは、何かを考えるようにしばらく黙り込んだ後「ちょっと時間をくれないか」と言うと、一方的に電話を切った。
電話がきたのは、五分ほどしてからだった。
「お前が抱えている全ての問題を解決する方法を見つけたよ」
これまで聞いたことがないような張りのある声だった。何かいいアイデアを思いついたらしい。だが、こんなとき僕は、早くそれを教えて欲しいなんてことは言わない。Pもそれを望んでいない。
「まさか、お前の紹介する美人医師の執刀で、即、脳の手術を受けろと言いだすんじゃないだろうな」
クックックッ、Pはしばらく笑った後で、そのアイデアを披露した。
「だらだら坂の消え女が仕上がるまでの間、別の小説を書けば良いんだよ」
普通の人なら、なんだつまらないと、がっかりするか、からかわれたと思って、怒り出すかのどちらかだろう。
だが、これは、Pの得意わざ。期待を抱かせ、カクンと落とし、そのあと、最初の期待以上の結果を出す。
今日もその手をつかうつもりだな、と思ったが、気になる言葉があった。小説だ。
でも、質問を重ねていくうちに、その理由は明らかになる。
「何のために、そんなことをしなきゃならないんだ」
「決まっているだろ。時間つぶしだよ」
カクンの連続に疲労感を覚えた。もしかすると、今日のPには妙案はないのかもしれない。単なる言葉遊びで終わる恐れもある。しかし、ここで質問を止めると、心理を読まれてしまう。
「別の小説って、どんなやつ?」
「あの、街の風景だよ」
街の風景の上に、あの、が付くというところをみると、僕が会長にプレゼントしたDVDのことらしい。
「どうしてあれを、小説にすれば問題が解決するんだ」
「今覗いてみたんだよ。お前の頭の中を」
内容の割には、真剣な声に聞こえた。とても冗談とは思えなかった。
僕はPの顔を思い浮かべながら、携帯を持ちかえた。
いつの間に、そんな能力を身に付けたのだろう。どうして黙っていたのだろう。この携帯電話が、スキャナーの役目をしたのだろうか。
どういうわけか、本気と冗談の境目があやふやになってきた。
「お前に霊能力があったとは知らなかったよ」
思ったことを、そのまま声にしたのだが、僕の口調がいつもと違っていたらしく、Pは呆れたような声で「おいおい。頭の中に、どでかい映画館を持っている人間が、他人の頭の中が覗けるぐらいのことに、いちいち反応するのはおかしいだろ」と言った後で、冗談口調に戻った。
「お前の頭の中は、ゴミみたいなやつがぷかぷか浮かんでいて、全然見通せない」
僕は話のリズムを乱さないために、彼に合わせた。
「頭の中をきれいにする方法を知っているとでも言いたいのか?」
するとPは、わけの分からないことを言い出した。
「女の人は、一生分の卵子を持って生まれてくるってことを知っているか?」
初耳だったが、どう反応して良いのかわからなかった。
「それが俺の話と、どう繋がっているんだ」
Pはごく普通の声で、それに答えた。
「生まれたばかりの、お前の頭の中には、結構な数のDVDがあったんだ」
まさか、そんな答が返ってくるとは思わなかった。だが、なぜか、それをすんなり受け入れている自分がいた。
「なるほどね」
「そのDVDには、物語がいっぱい詰まっていたはずだ。お前にはDVDを修復して、その中にあった物語を世の中に送り出す義務がある」
「義務? どうして?」
「DVDを壊したのは、お前だからだよ」
「証拠は?」
「お前が毎日やっていることが、それだよ。お前は無意識のうちに、バラバラになった物語を、復元しようとしているところなんだ。俺が言っていた断片話というのは、DVDの欠片が自動再生されたやつなんだよ、きっと」
最初は、荒唐無稽な話だと思っていたのが、いつのまにか、真実だと思うようになっていた。
自分の最も苦手とする作業に没頭する理由が、わかったような気がしてきた。もしPが、キャッチセールスマンになっていたら、数え切れないほどの被害者がでていたはず。
しかし、ある疑問が湧いてきた。
「この作業を何年やっていると思う? 壊したのが俺だったとしても、脳本体からの手助けがあっても、いいんじゃないの?」
だがPは、いとも簡単に退けた。
「お前の事だから、DVDは一人だけで修理します。絶対に手伝わないでください、みたいなことを言ったんじゃないの?」
そう言われると、誰かにそんなことを言ったような気がするから不思議。
どこで誰に言ったっけ? と思い出そうとしたとき、話がずれてきていることに気がついた。
「ところで、どうすれば、俺の抱えているすべての問題が解決するんだったっけ?」
「だから、練習するんだよ、街の風景で」
僕は少し考えてから質問した、
「DVDを見た会長が、俺を東京に招待するまでのことを書けばいいわけ?」
「できることなら、三日続きの夢からがいいな。今ではうちの情報提供者になった個人タクシーの運転手さんも、入れて欲しい」
Pの意見に従う気は、さらさらなかった。しかし、頭のどこかに、時間つぶし程度ならやってみようかな、くらいの気持ちがあったのだろう。
「だけど、自分が実際に体験したことを書いても面白くないだろ。何がどうなるのか全部分かっているのに」
「だから、言っただろう。練習だって」
少しムカッとした。
「じゃあ、訊くけど、俺が書いた、街の風景を読む気はあるか?」
「ない」
馬鹿にしているのかと思ったが、そうではなさそうだった。
「俺が読みたいのは、街の風景を書き上げた後に出てくる物語だよ。これは俺の勘だけど、だらだら坂の消え女じゃないような気がするんだ」
何かが僕のどこかを引っ掻いた。
空になったコーラのボトルを眺めながら、Pの言葉を、頭の中で何回か繰り返した。繰り返すうちに、三日続きの夢を見た頃の自分を思い出した。
ずいぶん遠い昔のことに思えた。
そういえば、あの頃、夢の中でよく夢を見ていた。それを自分では、マトリョーシカ方式の夢と呼んでいたっけ。
夢の中に出てきた、美しすぎるコンビニの女店員も、わらぶき家のパソコンショップのお婆さんも、声だけオンナのトリエステも、粉々になったDVDの中にあった物語の主人公だった可能性がある。
あの夢は、私たちがいることも忘れないでね、というメッセージだったのかもしれない。
霧の中に消えたアディダスのスニーカーを履いた彼女も、僕の頭の中の住民なのかもしれない。
「ちょっと、このまま待っててくれ」
と言って、デスクトップの電源を入れた僕は、映像保存用のフォルダーを開いた。
『街の風景』は三分程度の短い作品。僕は携帯電話を耳に当てたまま、タイムライン上の再生ボタンを押した。
久しぶりにモニターから流れるアズ・ティアーズ・ゴー・バイのメロディと、いずろ交差点あたりの映像。
それを二回繰り返して見てから「やってみる」と言った。
「これを中心に、話をまとめてみるよ」
意識して小説という言葉は使わなかった。
Pがうれしそうな声で訊いてきた。
「登場人物のひとりとして、俺も出てくるのかい?」
「もちろんだよ」と僕は言った。「本名で書いてもいいかい?」
「そのあたりのことも含めて、全部任すよ。俺が口出しするのは、途中で投げ出したときだけだ」
「了解、でも、タイトルは変える。ふくしき七回シネマ館だ」
「それはお前の自由だけど、そんなタイトルだと、見向きもされないぞ」
「ちょっと待てよ」
僕の声のトーンが下がった。ふわりとした夢の世界から、現実の世界に引き戻された気分だった。
「今、なんと言った?」
「インターネットの世界は、タイトル名がとても重要な役割を担っているってことを言いたかったのさ」
やっぱりそうだ。だとすると、あれの二の舞になる。冗談じゃない。
「つまり、ネットにアップして、今回も世間に恥をさらしなさいと言いたいわけ?」
するとPは、一気にまくしたてた。
「それを恥だと思うのは、お前の勝手。でも、本末転倒なんじゃないの? ネットにアップするのは、書き続けるためのある種の縛りだよ。聞いた話で悪いけど。途中でギブアップしない極意は、頭に浮かんできた奴を、一気に書き上げて、すぐにアップする。アップした奴は、見直さずに、次に取りかかることらしいぞ。それに、アップしたからといっても、ど素人が書いたやつなんか、誰も見やしない。それは、雲の上のキューピットが証明しているだろう。二年ちょっとの間に、ダウンロードが25件、後はゼロのオンパレード。コメントも、ツイッターも、いいねも、レビューも、評判も、全部ゼロ」
確かに彼の言うとおりだ。付け加えるとすれば、霧の中に消えた彼女からの連絡もゼロ。
「俺の作文に、えらく詳しいじゃないか」
そう言う他なかった。
「だって、雲の上のキューピットで検索すれば、それに関する情報は一目瞭然だろ」と言ったPは、僕が使ったサイトについての質問をしてきた。
「どうして、パブーを選んだんだ」
「選んだわけじゃない。俺の使っているソフトが一太郎なんだ。そこのお勧めサイトだっただけだよ」
と答えると、Pはあるサイト名を上げて、今回は、そこにアップするように勧めた。
でも僕は断った。小説家になろうなんて気持ちは、微塵もないからだ。
しかし、Pにしては珍しく粘った。
「でもよ、俺の得意先の一人が言っていたぞ。長編だったら『小説家になろう』しか考えられないって」
得意先の人間が、何を根拠にそんなことを言ったのか知らないが、僕の中では「街の風景」は、多く見積もっても、原稿用紙二百枚程度にしかならない。
小学時代の作文四十枚しか書いたことがない僕にとって、二百枚でも長編に違いなかったが、いずれにしろ、一度お世話になったサイトを簡単に変えるつもりはなかった。
「やだね、俺のは、長編じゃないし」
「あ、そう」
再度の断りに、簡単に折れたように見えたが、Pは軽い調子で付けくわえた。
「途中でも構わない。俺が言ったサイトに乗り換えろ。ついでに言う、第一話のサブタイトルは、長い長い物語の始まりにしろ」
しつこいと思った。
「お前の仕事に、サイト紹介の業務が加わったんじゃないだろうな」
本気でそう言ったのだが、Pは笑いながら、
「それにはさすがに気がつかなかった。今度の会議で提案してみようかな」
と言った後、唐突に、映像を学び始めた頃の思い出話を口にした。
「俺たちさ、何度言われても、要らないカットを積み重ねていたよな。いつまでたっても、説明カットだらけで、中身無しとミスダツに笑われた。でもよ、あのおかげで、映像を極限までそぎ落とす技術が身についたんだよな」
彼が何を言おうとしているのか、分かった。でもアップすると決めた以上、その手の話はもういらない。
「ご忠告ありがとうございます。サイト紹介業者様のためだけに、パブーにアップすることに致しました」
おどけた声でそう言ったのだが、まさか『ふくしき七回シネマ館』の七回目から、Pお勧めのサイトに引っ越すことになるとは思ってもいなかった。
「何かが始まるって、うれしいもんだな」Pは、本当に嬉しそうに言った。「で、いつから始める?」
その約束はできそうにもなかった。
「自分が経験したことと言っても、それを連続物語風に書き続けるのは初めてなんだぞ。最初の一行を書いてみなければ、何も言えない」
そのあと僕は、ふと頭に浮かんだことを口にした。
「第一話のサブタイトルは、お前の意見を取り入れることにする」
「ぎひひ」
Pが最高に嬉しいときの笑い方だ。
「それと、もうひとつ」
「それも、俺と関係あるのか?」
「ある」と僕は答えた。「ふくしき七回シネマ館の最後は、今日の俺たちの会話で終わる。そして最後の文章の横に「了」の一文字を添える」
しかし、「了」の件については、Pにはうまく伝わらなかったようだ。
「ま、人のことは気にせずに、やってみることだな。何か俺にできることがあったら、いつでもいい、電話をくれ」
Pはそこですこしだけ間を置いた。
「くどいようだけど、お前に一番似合っているのは映像だぞ。それと、会長からの伝言を忘れるなよ」
「分かっているさ。そんなことより、俺の執筆活動の邪魔をするんじゃない。さっさと消えろ」
そんな冗談を言いながら、電話を切った僕は、街の風景の画面を閉じて、ワープロソフトの一太郎を開いた。
目の前で静かに点滅を繰り返すカーソル。
椅子に腰を下ろし、モニター画面を見つめながら考えた。
三日続きの夢。僕の妄想。幻の焼酎。夢の中で見た夢。Pに贈ったDVD。豪華な招待旅行。頬を伝う涙を拭おうともせずに、DVDを見つめていた会長の心情。夢と現実の境が分からなかった頃の出来事。
今でも記憶の箱の中で、ねじれたまま絡み合っているそれらを、どうやって、ひとつの物語にすればいいのだろう。
時間と共に不安が押し寄せてきた。
しかし、一度決めたこと。今さら後には引けない。
こんなときは、コーラ。
心を落ちつかせるために、冷蔵庫から新しいボトルを取りだした僕は、キャップを回しながら、ふと思った。
最後の文字にたどり着くまでに、どれくらいのコーラが僕の喉を通りぬけるのだろう。炭酸の爽快さが、どれくらいのアイデアを生みだしてくれるのだろう。
半分ほど飲んだコーラを、パソコンの横に置いた僕は、デスクの左隅の携帯電話に視線を向けた。
思わなくても浮かんでくる、はにかむPの笑顔。
「煮詰まったときは、よろしく」
何も言わない携帯電話に語りかけた僕は、静かに目を閉じて、肺の中の空気をすべてはきだした。
深呼吸を何回か繰り返すうちに、短い文章のようなものが脳裏に浮かんできた。
満ち潮の予感がした。
この、流れに乗ろう。
僕は、最初に浮かんできたものをキーボードに打ち込んだ。
その映画館の名前は、腹式七回シネマ館という。我ながら奇妙な名前をつけたものだ。つくづくそう思う。
「了」
★ ★ ★
と言うわけで『ふくしき七回シネマ館』は今回をもって終了します。
最初から読んでくださった方。途中から読んでくださった方。我慢強くて、心優しい皆様に心から感謝します。
何度も言ってきましたが、最初の時点で、この物語とも呼べない、ふくしき七回シネマ館が、原稿用紙換算で千四百枚以上になるなんて、夢にも思っていませんでした。
しかも丸々、二年書き続け。
でも、不思議なことに、書き疲れみたいなものは、まったくありません。
その逆です。
最後の「了」を添えたのは、強制着陸させたといったところです。
書き足らない部分が、いくらでもあります。
頭の中には、いまだに使い道のない大量の浮遊物が、プカリプカリと浮かんでいるのが、自分でもよく分かります。
それを取り除く方法は、一つしかなさそうです。
と聞いて、嫌な予感を覚えた方もいらっしゃるかもしれませんが、近々、後編と言うべきものを、立ち上げる予定です。
もちろん設定は、大幅に変えます。
まず、主役の年齢を下げます。登場人物は、なるべく少なく。行動範囲は狭く。ストーリーがあちこちに飛ばないように、心がけます。
タイトルは、決まっています。
『ゆうれい付きアパートの管理人と、バーシューレイン』
よろしかったら、いつかこのキーワードで検索してみてください。
最後に、改めてお礼を申し上げます。長い間、ありがとうございました。
南まさき。




