リニューアルオープン。そして……
頭の中を、さわやかな風のようなものが、吹き抜けていったような気がしたのは、彼女との別れの場面を思い出していたときだった。
コーラの炭酸が効いたのだろうか。それとも、
考える前に、閃いた。
今、消滅した。腹式七回シネマ館が、今、消えた。腹式呼吸を七回繰り返しても、映像は現れない。
確信した僕は、早速試してみた。
しかし、七回目の深呼吸の終了と同時に、またもや映像が現れた。
なんだよ、おい。
思わず自分に突っ込んだ。
お祓いも受けず、賽銭もあげず、二礼二拍手一拝もせずに、願いが叶うほど世の中は甘くはございませんよ。
思い込みの強さに、我ながら呆れた。自分を笑うしかない。だが、二度と見ないと誓った映画を見るほどの心の余裕はなかった。
映像をリセットしようとしたところで、あることに気がついた。
目を凝らしてよく見ると、初めて見る映像だったのだ。
映画は、すでに始まっているらしく、一組の男女が、薄闇の中でにらみ合っている。
女の顔半分だけに、やわらかな照明が当たっている。男はほとんど闇に溶けこんでいて、年齢も服装も定かでない。
ほら、というように女があごで床を指す。
男は気のない仕種で、自分の足元を眺める。
画面の下から洩れる微かな明かりが、男の顔を闇に浮かび上がらせる。
男の目はうつろ。明らかに焦点が合っていない。
しばらくすると男の体が、ぴくりと揺れて、女に顔を向ける。
女は勝ち誇ったような声で言う。
「どうだい、言った通りだろう」
「まさかそんな」
男はつぶやき、周りを見回す。
ほら、というように女があごで床を指す。
男は気のない仕種で、自分の足元を眺める。
画面の下から洩れる微かな明かりが、男の顔を闇に浮かび上がらせる。
男の目はうつろ。明らかに焦点が、
なんだよ、これは。
思わず舌打ちした。
起承転結のない、一分にも満たない映像の繰り返しだった。
回路がおかしくなったのだろうか。それとも寿命?
ユーチューブの再生中に、パソコンが固まることがある。そんな時パソコンを再起動させると解決することを思い出した僕は、一旦目を開け、リセットしてから、再び腹式呼吸を七回繰り返した。
しかし、何度繰り返しても、同じ映像が延々と流れるだけだった。
でも僕は諦めなかった。
新しい映像が現れたということは、気づかないうちに、切り換えスイッチを操作したからだ。
スイッチオンは腹式呼吸を七回。だったら、切り替えスイッチも、呼吸と関係があるはず。
単純にそう考えた僕は、思いつく限りのことを試した。
腹式呼吸の前に、水を飲む、コーラを飲む。お湯を飲む。お湯の温度を変える。風呂に浸かる。冷たいシャワーを浴びる。うつぶせになる。逆立ちする。
しかし、どれもうまくいかなかった。だが、三週間ほど試行錯誤を繰り返すうちに、ふと思った。
最初の映画のストーリーを文章にしたから、新しい映像に切り替わったのではないだろうか。
奇抜すぎると思ったが、検証するのに費用はいらない。今回の映写時間は四十六秒。シナリオ程度の文章なら時間もかからない。
僕は、そばにあった新聞の折り込み広告を一枚抜き取って、ボールペンを走らせた。
ほら、というように女があごで床を指す。
男は気のない仕種で、自分の足元を眺める。
画面の下から洩れる微かな明かりが、男の顔を闇に浮かび上がらせる。
男の目はうつろ。明らかに焦点が合っていない。
しばらくすると男の体が、ぴくりと揺れて、女に顔を向ける。
女は勝ち誇ったような声で言う。
「どうだい、言った通りだろう」
「まさかそんな」
男はつぶやき、周りを見回す。
よし、これで映像は切り替わる。新しい映画が始まる。
自信満々で、腹式呼吸七回。
しかし、世の中は思った通りには動いてくれない。またしても、同じ映像の繰り返し。
どこがいけなかったのだろう。誤字脱字、句読点の間違いがあったのだろうか。
僕の字は、いわゆる金釘文字。その上、自己流の略字が加わるから、他人にはほとんど識別不能。でも、神社に持っていた原稿用紙も、この程度のものだった。
となると、チラシの裏を使ったのがいけなかったのかもしれない。
原稿用紙を取り出して、丁寧に書き写してみたが、何も変わらない。
何がスイッチの役目をしたのだろう?
考えようとしたとき、唐突に脳裏に浮かんできたものがあった。
色白で、ややつり上がった細長い目。きつねに見えたときの彼女の顔だ。
とたんに、僕の肩の力が、カクンと抜けた。
彼女だ。彼女が、映像を切り換えたのだ。それしかない。そうとしか考えられない。となると、あきらめた方がよさそうだ。
あんな消え方をしたのは、あなたには二度と会いません、というメッセージ。
そんな相手に、操作法を習いたくはない。オープニングからエンドロールまで見られるようにして下さいなんて、口が裂けても言えない。
とその時、窓の外で強い風が吹いたらしく、アパートに隣接する自動車修理工場のトタン屋根が、ガタガタガタと歪な音を立てた。このようなことは別に珍しいことではないのだが、なぜかその時の僕の耳には、こんなふうに聞こえた。
「お前にできるわけがないだろ」
空耳にしては、いやにはっきりしていたなと思いながら、天井を見上げたとき、これまで感じたことのない強い怒りを覚えた。
「何言ってやがる。じゃあ、やってみせようじゃないか。見てろよ、お前」
気がついたら、誰もいない天井に向かって怒鳴っていた。
僕の場合、たまには激怒した方が良いらしい。
なにくその精神が原動力になったのか、二週間ほどたったある日、切り換え方法を発見したのだ。
結論から先に言うと、仕掛けは、実に単純なものだった。
「了」
この一字を、文章の最後に書き加えるだけでよかった。
そのことに気づいたのは、神社にお祓いを受けに行く前の自分の行動を思い出していたときだった。
あの日僕は、書き上げたばかりの原稿用紙を前に悩んでいた。
人生の区切りをつけるつもり書いた作文の最後を、小学生時代と同じ「おしまい」で終わらせたくなかったからだ。
最後に相応しい言葉が欲しい。もっと引き締まる何かが欲しい。
そう思っていても、小学校から勉強を怠ってきた僕の頭には、何も浮かんでこなかった。
時計を見ると、すでに午後三時を回っていた。
僕は焦った。作文を書き上げた日に、お祓いも受けると決めていたからだ。
このままじゃ、明日になる。お祓いの効果が出なくなるかもしれない。
映像を学んでいた頃、作品の最後に「終」または「END」を使う生徒が多かったが、僕とPは「FIN」しか使わなかった。しかし文章の最後に「FIN」は似合わない。
いつものようにネットで調べてみようと思ったとき、押し入れに一冊の同人誌のようなものがあったのを思い出した。
表紙には何もなかったが、目次と作者名だけはあった。エッセイと短編小説が十数作。
手に入れた経緯は覚えていない。たまに買う本屋の景品だったのかもしれない。
中身に興味はなかった。作品の最後がどうなっているのか、それだけが知りたかった。
調べてみると、どれも句点の「。」で終わっていた。
ページをぱらぱらと捲っていくうちに、最後の作品まできてしまった。
短編小説だった。
せっかくだから、これだけでも読んでみようか。
斜め読みしているうちに、巧みな文章表現に引き込まれて、最後まで読み切った。
作者は女性だった。
この人だったら、僕が小学時代に書いたあの作文を、どのような作品に仕上げたのだろう。
そんなことを考えながら、ふと見ると、最後の文字の横に「了」の文字があった。
直感的に思った。
これしかない。これが一番似合う。
念のために調べてみると、了には、終える。 終了。完了。といった意味があるようだった。
作文の最後に、了の文字を書き入れたあと、大急ぎで神社に向かったことを思い出した僕は、とりあえず、それを試してみることにした。
男はつぶやき、周りを見回す。
の横に、「了」の文字を書き加えたあと、いつもの動作を繰り返すと、それまでとは違う映像が現れた、
しかし、そのときの僕に驚きはなかった。
新しいソフトをマニュアルなしで操作しているとき、なにかの拍子に、目的のアイコンを見つけるときがある。それとよく似た感じだった。あ、ここにあった。その程度の喜びしかなかった。
映像は切り替わったが、残念なことがあった。前回同様、映画の途中からはじまったのだ。
青い空。白い雲。眩しい太陽。
洗濯し終えたばかりにみえる黄色いTシャツを持った女が、芝生の向こうにそびえる樹木を眺めている。
濃い緑の葉に包まれた大木のところどころに、白い蕾が見える。
女は素足。足についた水滴が、日差しを浴びて宝石のようにキラキラ輝いている。
「ねぇ」
カメラ目線になった女が、少し甘えた声で言う。
「あの木の名前、知っている?」
しばらくの沈黙のあと、自信なさそうな男の声だけが聞こえてくる。
「ビワの木、じゃ、ないですか?」
女の顔がアップになる。
エヘン、
女はわざとらしい咳払をいする。そして、再び空に顔を向ける。
「タイサンボクというの。満開になると、とてもいい匂いがするのよ。とくに雨の、」
ところが、その画面で最初のシーンに戻った。
映像が新しくなったのは、嬉しかったが、あまりにも短すぎる。時間を計ってみると、三十九秒。
ソファにもたれて考えてみた、
映像のオンオフと、映像切り替えができるのなら、一本丸々見るためのスイッチもあるはず。
それを探すための検証をすぐに開始した。
しかし、三ヶ月経っても見つけ出すことはできなかった。映像はスムーズに切り替わるのだが、すべて一分以内の断片映像。
絶対に、スイッチのありかを探し出してやる。
その執念を胸に、来る日も来る日も映像の文章化に明け暮れていた僕だったが、ふとしたことがきっかけとなり、小学三年生のときの作文を、ネット上に公開することに決めた。
それは、彼女と出会った日のことを、ぼんやりと思い出していたときだった。
一体、彼女は何者だったのだろう、
そう思った瞬間、脳裏に鮮やかに蘇ってきた場面があった。
突然の横風に煽られて、崖下に落ちていった原稿用紙を追った彼女が、僕の頭の上をふわりと飛び越えていったあの場面だ。
どうして、こんな大事なことを、忘れていたんだ。お前は、
僕は自分をなじった。
あのときの彼女のスニーカーには、有名なスポーツメーカーのロゴが入っていただろう。
なじりながらも、体の芯がブルブル震えるような衝撃を覚えた。
彼女は神様でもなく、化けぎつねでもなかった。僕と同じ生身の人間だった。あれが、それを裏付ける決定的証拠。
『神はサイコロを振らない』
これは物理学者のアインシュタインの有名な言葉らしい。
僕は物理のことはわからないが、これだけは言える。
『神様はブランド品を身に付けない』
スニーカーのロゴマークと共に、蘇ってきたものがあった。レストランでの彼女の言葉だ。
「つまらない作文だったとしても、人に読まれるために生まれてきたのよ。それを誰にも見せないで、処分するのは、生まれてきた赤ちゃんを、そのまま闇の中に葬るのと同じでしょ」
なぜ、あのようなことを言ったのか、改めて考えてみた。
人に読まれるために生まれてきたは、他人に読んでもらいなさいという意味にもとれる。
僕の作文を、他人に読んでもらえる手段といえば、インターネットしか思いつかない。
でも、彼女は、インターネットどころか、パソコンにも弱そうだった。
彼女がインターネットの世界に精通していたと考えたらどうだろう。あの日は、わざと苦手を装っていたとしたら……
そんなことを考えているうちに、僕の中で、自問自答がはじまった。
原稿用紙は、レストランのテーブルに、長い時間置いてあった。彼女が題名を見たのは間違いない。この題名のままで、ネット上にアップしてね。そう言いたかったのだ。
だったら、どうしてあの場で、言わなかったのだろう。その方が早いし、確実。
たぶん、僕を試したのだ。自分の願いを、いつ、どのような形で叶えてくれるかどうかを。
何のために?
もちろん、自分の理想の相手かどうかを、調べるため。
だとすると、僕は彼女好みの男だったということになる。でも、気づくのがあまりにも遅すぎた。
いや、そんなことはない。今でも連絡を待っている。すぐに行動を起こせば、何らかの反応が返ってくる。スニーカーのことを思い出させたのが、彼女の念力だった可能性もあるぞ。
他人に見せるような作文でないことは分かっていながら、小学三年生のときの作文をネット上にアップすることにしたのは、そのような強引な思い込みがあったからだ。
もちろんその時の僕は、その試みが見事な空振りに終わるなんて、夢にも思っていない。
★ ★ ★
月日の流れるのは早い。
今日は、腹式七回シネマ館がオープンしてから数年経った僕の誕生日。
でも、特別なことは何もしない。コーラを飲みながら、いつもの作業。
しかし、三日前からシネマ館の調子が、おかしくなった。
映像が切り替わったまま、画面は真っ暗。音声もゼロの状態が続いている。手のほどこしようがないから、昨日から閉館状態。
製品に故障は、つきものだが、僕の頭の中でしか見えないものを、修理に出せるはずがない。
しかし、望みはもっている。ものごとの大半は時間が解決してくれる。人事を尽くして天命を待つだけ。
そんなことを考えながら、コーラを飲んでいたとき携帯が鳴った。




