夢と妄想と現実のコラボレーション
それなら良く覚えている。つい先日聞いたばかり。
「なるほどな。ついに、俺の脳の崩壊が始まったわけだ。俺の言動は、さらにおかしくなっていく。お前が手配してくれた医者が、とびっきりの美人だということも分からないまま、老いさらばえていく。そういうことだったよな」
「なお、おい」Pはあきれ声で言った。「自分のことになると、どうしていつもネガティブになるんだ。人類は、地殻変動によって、数々の恩恵をうけているんだぞ。世界的に有名なリゾート地のほどんどは、そうだ。ハワイ諸島、フィジー諸島。あのあたりは、海底火山のマグマの噴き上がりによって誕生したって習ったよな。要するにだな、これからのお前を待っているのは、バラ色の人生ってことだよ」
Pの中には、独断と偏見に満ちたストーリーが出来上がっているらしい。暇つぶしに、話を聞き続けてもいいが、どうせ終着点のない無意味な話。結果的には、多忙極まるPの仕事の妨げにしかならない。
「喩え話はいい。簡単に説明してくれ」
その言葉を待っていたのか、彼は嬉しそうな声で「ああ、いいよ」と言った。
「これまでとは、根本的に違う。今回は、断片話じゃない。お前はその前後も含めて、すべて覚えている。つまり、あの三つが、やっと絡み始めた証拠だよ」
質問しないつもりだったが、口が勝手に反応した。
「あの三つ、って何だ」
「夢と妄想と現実のコラボレーション」
スパッと言い切るPに、反論する気も起きない。
「それで?」
「でもまだ、未完成なんだよな、これが」
そこで間を置くように、Pは一旦言葉を切った。しかし僕が何も言わないでいると、その続きを始めた。
「でも、違和感を覚えたのは、目を閉じていても映像が見えていたというあの部分だけだった。あそこを工夫して、その前後に別の話をくっつけると、ちょっとした物語になるんじゃないかな」
僕は、二つのアイマスクを交互に眺めながら、心の中でつぶやいた。
でも、あれは夢じゃない。もちろん妄想でもなければ、創作話でもない。あれは実際に体験したこと。間違いない。
でも、それを口にする代わりに、こんな質問をした。
「お前だったら、あの部分を、どんなふうに変える?」
「そうだなあ」彼は十数秒後に答えた。「時代設定を、一世紀ほど後にする」
理由は訊かなくても分かった。科学の進歩速度は恐ろしく早い。百年後に、視神経細胞に直接作用する映像機器が実用化されていている可能性は高い。しかしそうなると、その設定では、誰も驚かない。
「他には?」
僕はわざと気のない声で訊いた。
「主人公が夢を見ていたという設定」
さらにつまらない。しかし、Pは時々、僕が考えつかないようなアイデアをひねり出すことがある。興味半分で訊いてみた。
「あの部分だけが、夢だったってことか?」
「いや、違う。主人公は機内で爆睡していたんだよ」
実にくだらない。よくあるパターン。主人公が見た夢は、一睡もできずに思い悩む夢。次の設定を訊く気も起こらなかった。
どうやって、このつまらなすぎる話を終わらせようかと考えていると、彼の方から話を変えてきた。
「時間ぎりぎりだったみたいだな。羽田」
渡りに船。すぐに食いついてやった。
「どうして、それを知っているんだ」
「赤スーツと、青スーツからの情報だよ。待合室の横を、憧れの男性が、汗をかきながら駆け抜けて行ったんだってさ」
Pは、そのあと、クックックッと含み笑いをしながら「連名での伝言を預かっていたのを忘れていたよ」と、メモでも読むような口調で付けくわえた。
「声を掛けようと思いましたが、泣く泣く思いとどまりました。でも、あなた様が、私たちを見つけたときは、絶対に声をかけてくださいね。たとえ、私たちが、どのような状況下に置かれていたとしてもですよ。では、次の出会いを心待ちにしております」
それは、ない。ぜったいにあり得ない。次の仕事をもらいたいだけの、見え見えの挨拶言葉。しかし、それをPの声のニュアンスの中で確認したかった。
「あの二人は、とんでもない高給取りらしいな。彼女らの人材派遣会社にいくら支払ったんだ」
だが、返ってきたのは、またもや、揚げ足取り。
「ほらほら、さっき言ったばかりだろ。自分のことはポジティブに考えろって」
二人が本気なはずがない。Pの意図が分からなかったが、話題が羽田になったのは、僕にとっては好都合。今日の電話の用件を言うチャンス。
「その二人が言ったように、土産を買う時間がなかったんだ。何でもいいから、ラベルに東京の文字がある名物を、送ってくれないかな」
でも、二、三点だぞ。それ以上は、俺にとっては迷惑になるんだからな。と言おうとしたところで、僕は自分の脳裏に、ある言葉が、映像として浮かんでいることに気がついた。