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アイマスクにまつわるエトセトラ

この物語は、この章から読んでも、以前の内容が分かるように書くつもりですが、ここに至るまでの出来事を詳しく知りたいと思われた方は『ふくしき七回シネマ館1』『ふくしき七回シネマ館2』『太平洋上空32000フィートでの出来事』の順番にお読みください。

 台所のすりガラスに当たる陽の光が、僕の部屋をやわらかく照らしている。

 ベッドに上半身を起こし、パソコンデスクを見つめている僕の頬が自然にほころんでいくのも無理はない。

 昨夜確認した通りだった。そこには、十年ほど前特別注文した映像編集用デスクトップが一台あるだけ。他には何もない。

 僕がトリエステと名づけたノートパソコンは、この世に存在していなかった。これで、トリエステは夢の中の登場人物だったことが証明された。

 しかし、あの夢を忘れたいと思っているわけではない。

 夢の中にトリエステが出てこなかったら、森伊蔵酒造に予約注文することはなかった。 東京に招待されたのは、幻の焼酎の抽選に当たったから。十年ぶりに親友に会えたのも、帰りの飛行機の中で最新式の映像機器をゲットできたのも、元はと言えば、あの夢のおかげ。

 ポンポン、

 僕に幸運をもたらしてくれた夢に感謝を捧げる意味で、両手を軽く打ち鳴らした。

 時計に目をやると、午前十時をすこし過ぎたところ。

 久しぶりの熟睡。久しぶりにすっきりした僕の頭。その頭の中に浮かんできたものがあった。

 何をぐずぐずしているんだ。はやく連絡よこせよ。そんな声が聞こえてきそうな表情をしていたのは僕の親友、P。

 はいはい、分かりましたよ、億万長者直属の秘書長様。

 そんな独り言を言いながら、サイドテーブルの携帯を掴んだ。

 代休を取っていたら、とっくに起きている。もし、仕事中だったら留守番電話に、後でかけ直すよ、と残して電話を切ろう。

 短縮ボタンを押すと、ワンコールでPがでた。

「いよー、イロ男。待ちかねたぞ」

 何が嬉しいのか、朝っぱらからハイテンション。昔はこんなやつじゃなかった。会長の第一秘書という立場が、そうさせるのだろうか。

「お前、いつから、そんな性格になってしまったんだ」

「俺? 俺は昔から、ずーっと、こうだ」

「十年前のお前は、ニヒルな男と呼ばれていたぞ。あのミスダツでさえ、現代版眠狂四郎と言っていたじゃないか。もう忘れたのか」

「そんなつまらないことを、誰が覚えているもんか。本質的なものが見えない奴らの言うことをいちいち気にしてたら、自分を見失ってしまうのが関の山。お前がミスダツをどう思っているのかしらないけど、俺に言わせれば、あいつは自分では何もできないくせに、他人に難癖を付けたがる、ちんけな評論家だよ」

 辛辣な言葉に聞こえるが、ミスダツを心底尊敬しているからこそ言えるのだろう。でもこのセリフのおかげで、当時の片鱗が彼の中にまだ残っていることが確認できた。

「ところで、お前、今どこにいるんだ」

「俺の部屋」

「じゃあ、代休をもらったわけだ」

「違う、会社。会長室の隣」

「と言うことは、勤務中ってことだよな。じゃあ、夜にでも電話するよ」

 するとPは、不機嫌な声になった。

「おいおい、変な気を使うなよ。お前からだったら、重要会議の真っ最中でも、俺は電話を取る。用があるときは遠慮なくかけろ。いつでもいい」

 一度も聞いたことがないセリフだった。たぶん、会長あたりから、僕を我が社のスタッフに、というような指示が出ているのだろう。ありがたい話だが、その気はない。

 僕は早速、本題に入ることにした。

「部屋中探しても、あいつはいなかったよ」

 思った通り、それだけでPに伝わった。

「そりゃあ、ざんねんだったな。とびっきり美人の精神科医を紹介してやろうと思っていたのに」

 そのあとPは、クックックッと笑うと、どうでもいいような質問を投げかけた。

「ひょっとすると、トリエステは、単なる夢の中の登場人物じゃなくて、お前の理想の女だったのかもしれないぞ。なあ、おい。ある日突然、トリエステによく似た女が現れたら、どうする?」

 冗談だというのは分かっていた。でも、彼の術中にはまってしまった僕は、いつしかムキになって反論していた。

「お前、トリエステの話を覚えていないんじゃないのか。俺は最初の頃、あいつのことを、声だけオンナと呼んでいたんだぞ。つまり、トリエステには顔がなかったということだ。なのにどうやって、似てるか似てないかを判断するんだ」

 すると、Pは楽しそうに、ハハハと大きな声で笑った。

「でも、夢は無意識下の願望とも言うぞ。念ずれば通じるという言葉もあるだろ。今度は、人の姿で出てきてね。僕の可愛いトリエステ、と願い続けてみろ。きっと運命の女と遭遇するぞ」

 ピント外れの余計なお世話。もし、Pが彼のマンションにいたのなら、タクシー運転手の話に切りかえるタイミングだった。

 しかし彼は仕事中。超多忙な会長を補佐する第一秘書。スケジュールはいつもぎっしり詰まっているはず。そんな彼の意味のない冗談は、誰のためにもならない。時間を浪費するだけのこと。

 そんな結論に至った僕は、次の用件を口にした。

「あれも、お前の指図だったんだよな」

 そりゃ、そうさ。お前のためなら、あれぐらいのこと、何てこともない。

 そんな返事が来ると思った。しかし、しばらくの沈黙のあと、怪訝そうな声が返ってきた。

「なんだよ、あれって」

 Pは時々、知っているのに知らない振りをすることがある。

「最新型モニター」

 それだけ言って、様子をみた。

「最新型?」

 声の感じからすると、スマホを耳に当てたまま首をひねっているようだ。

「あれか? 秋葉原の電器店から連絡が来た、ヘッドマウントディスプレイ」

 口ぶりからすると、思い当たるものがないのは本当らしい。

「ということは、あれは、お前じゃなかったのか?」

「だから、あれって、何のことだよ」

 声が苛立ってきたのは、本当に分かっていない証拠だ。この状態で話を引っぱると、電話を切られる恐れがある。

「アイマスクだよ、アイマスク。スチュワーデスが俺にくれたアイマスク」

 僕が強調したのはアイマスクだった。くどいと言われそうだったが、短いセリフの中で三回も言った。なのに、彼が反応したのは、別の方だった。

「いい響きだよな、スチュワーデス。やっぱりいいよな。スチュワーデス」

 それから少し声のトーンを上げると、いつもの持論を展開した。

「どうして客室乗務員と言わなくちゃいけないんだ。何を考えているんだ航空会社の経営陣。男女雇用機会均等法は大賛成。しかし、この件に関しては大反対。本人だって、乗客だって、スチュワーデスの方がいいと思っているはずなのにさ。でも俺たちだけでも、スチュワーデスって呼ぼうな、これから先も、ずーっと、ずっと」

 暗記した文章を読み上げるようによどみなく喋っていたPは、そこで、いつものテンポに戻した。

「アイマスクが、どうかしたのか?」

 わざと知らない振りをしているのだろうと思った。

「俺にアイマスクをくれたスチュワーデスは、お前が手配してくれたんだろ?」

 しかし、単刀直入の言葉も伝わらなかった。

「何の話をしているんだ」

 そこで僕は、東京に行く朝、アパートまで迎えに来てくれた赤スーツと青スーツの話を持ち出した。

「あの二人は、私たちは、人材派遣会社のスタッフなんですと白状したぞ。その人材派遣会社に依頼したのは、お前だったんだろ」

「ああ、あれな。あれは間違いなく俺。顔写真から、お前好みの女の子を二人選んだのも、この……」

 そこまで答えたところで、僕の言葉の意味を理解したらしい。

「あ、無理無理。いくら何でもスチュワーデスは無理。俺の力は、飛行機とJRには通用しないんだ」

 と言ったところでPは「あ、」と言うと、唐突に電話を切った。

 でも、僕との会話に嫌気がさしたわけではない。急用ができたわけでもない。いつものことだ。通話料金を気遣ってのことなのだ。


「何時間でも、好きに喋れ」

 Pからの電話は、数秒後にきた。

「会長はいいのか?」

「今は、迎賓館で瞑想に耽っているよ。気にするな」

 その言葉に甘えて、スチュワーデスにアイマスクをリクエストした経緯と、彼女が持ってきたアイマスク型映像機器を装着した感想を、時間軸に沿って話した。

 しかし、僕の話にPは興味を示さなかった。

 あ、そう。フン、フン。へーっ、気の乗らない相づちを打つばかり。

 しかし、ある時点で、僕の話を止めた。

「今のところを、もう一度言ってくれ」

 要望通り、その部分を繰り返した。

「これからは、目を閉じていても見える映像機器でなければ、絶対に売れない」

 そのアイマスク型のディスプレイは、どこで売っているんだ。どうすれば手に入るんだ。もったいぶらないで教えろよ。

 と食いついてくると思った。しかし、彼の反応は予想外のものだった。

「今の話、例の断片話なんだよな?」

 断片話というのは、Pが名付けた僕のある現象のことだ。

 彼に言わせると、僕は時々、ちょっとしたストーリーを口走ることがあるらしい。ま、そのあたりの詳しいことはまたの機会にするとして、その言葉が出たということは、僕の話を真剣に聞いていなかったということになるわけだ。

「要するに」その後の声は、次第に高くなっていった。「お前が言いたいのは、俺が作り話をしているってことだよな」

十秒ほどの沈黙があった。大声での反論を予想していたが、冷静な声が返ってきた。

「質問があるんだけど、いいか?」

 つられて、僕の声も低くなった。

「どうぞ」

「そのアイマスク、今も持っているのか?」

 僕はテレビの前のテーブルに視線を移した。

「もちろん」

「だったら、そのメーカーを教えてくれないかな」

 新型のヘッドマウントディスプレイが出たら、即購入。そんなことを言っていたはずなのに、どうして、現物を見たい。大至急送ってくれと言わないのだろう。

「メーカーだけでいいのか?」

「この前も言ったけど、我々の業界は本業だけでは食べていけないんだ。だから四方八方に情報網を張り巡らしている。人が見逃したものの中に、金脈に繋がる何かが隠れていることがあるんだ」

 話が少しずれているような気がした。僕はしばらく考えてから訊いた。

「情報網と、俺が貰ったアイマスクとの間に、どんな関係があるんだ」

「おいおい、これは、考えなくても分かる話だぞ。お前の言うとおりだとしたら、そのモニターを発明した人間は絶対にノーベル賞を貰う。その人間の功績は、青色発光ダイオードどころの騒ぎじゃない。その会社の株を今のうちに買っておけば、誰でも億万長者になれるかもしれないというレベルの話だぞ」

 確かにPの言うとおりだ。アイマスクの入力側に、GoProとかアクションカムのような超小型ビデオカメラの映像信号を入れてやれば、世界中の全盲の人を救う世紀の大発明。「もう一度訊くけど、そのアイマスクってやつは、今も、あるんだよな? お前の手元に」

 言葉を選んでいるところを見ると、やっぱり断片話か、夢の中のできごとだと思っているらしい。でも、僕には絶対的な自信があった。

トリエステも、美しすぎる郷土史家も、超ハイテクわらぶき家の奇妙なお婆さんも、すべて夢の中の登場人物だった。

 でも、今回は絶対に夢ではない。

 機内で一睡もしていなかったからこそ、ここにアイマスクがあるのだ。あの初々しいスチュワーデスに訊けば、僕の言うとおりだということが分かる。

「もちろんだよ」ベッドから降りた僕は、テーブルの上のアイマスクを手に取った。「間違いなく、ここにある。しかも二つ。一つは実際に使ったやつ。もう一つは、まだセロハンに入ったままの新品」

「じゃあ、メーカー名が明記してあるんだな」

「ない。品番も無し。たぶん、色々な条件下で性能を試すためのプロトタイプなんだろう」

 じゃあ、使用済みの方でもいい。大至急送ってくれ。こっちで調べてみる。

 今度こそ、そんなセリフがくると思っていたのだが、違った。

「なあ、おい」ずいぶんゆったりとした声だった。「この前、俺が言った話を覚えているか?」

 東京での二日間、彼とは色々な話をした。しかし、ほとんど彼一人が喋っていた。

 初めて耳にする多種多様な情報のほとんどが、僕の記憶に留まることなく、耳を通り過ぎていったような気がする。

「世間を知らない俺には情報量が多すぎたうえに、内容が濃すぎた。まだ消化し切れていない。で、お前は、どの話を繰り返すつもりなんだ」

 Pは答える前に、ギヒヒと嬉しそうに笑った。

「地殻変動」


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