彼の望んだ未来
自宅まで走って走って走りぬいて……それでも恐怖はぬぐえなくて……私は玄関の前で倒れこんでしまった。
今日、走ってばかりだな。少しは体重落ちればいいんだけど。
と、少し現実逃避してみたけれど、やっぱりさっきのダイアリーに書かれた8月1日の予定が、頭の中でぐるぐる回っている。
私、死ぬのかな? ダイアリーに書き込まれた未来は必ずやってくるんだもん。
未来? ちょっと待って、てことは。
「そうだ」
さっきまで恐怖で頭がいっぱいになっていたけど、よくよく考えてみれば、これはまだ予定だ。8月1日はまだ訪れていない。
「消しちゃえばいんだ」
私はすぐに本庄のスマホを取り出して、ダイアリーを起動し8月1日の予定を削除しようとした、が。
「本人でないと変更はできませんって……どうすればいいのよ!!」
考えろ、私。考えろ、私。
本人でなければ削除できないなら、本人に削除させればいい。死体の指を当ててやればそれは可能かもしれない。
それともいっそこのスマホ、壊しちゃう? どうせ自分のじゃないんだし。
自分のじゃない……あ、そうだ。自分のがあるじゃん!!
「そうだ。上書きすればいいんだ。私のダイアリーで、8月2日以降の予定をすべて埋めればいいんだ」
それに、合宿中に死ぬのなら合宿に行かなければいい。未来は変えることができるはず。
本庄が死んだ今、ダイアリーは発動しないかもしれない。よし、よし! 希望が出てきた! まずは学校に戻って、自分のカバンを確保しなきゃ!
急がないと!
焦る気持ちはあったけど、少しだけ余裕が出てきた。それに、8月1日に死ぬということは、逆に考えれば私の命は8月1日まで保証されているということでもある。
そう考えれば気持ちはまだマシだ。今は大丈夫。今は大丈夫。暗示のように自分に言い聞かせ、私は学校へ戻ってきた。
時刻はすでに午後6時を回っている。もう少しで最終下校時間だけど、昼間の事件があったからか、学校内には人の活気があった。
体育館には顧問の先生がいて、立ち入り禁止になってる。
どうしよう。荷物、取りに入れないのかな。
「おい、倉前! お前今までどこに行ってたんだ。心配させるんじゃない!」
「先生、すみません。私、びっくりしちゃって……」
「いや。もういい。先生もお前の立場ならきっと気が動転しちまっただろうしな。とにかく無事に戻ってきてくれてよかった」
「あの、それより先生。私の荷物は?」
「ああ、それなら一年生達が部室に運んでくれたぞ。警察のかたがお前にも話を――」
部室! 急がないと!
私は先生の言うことを無視して部室へ走った。
女子バスケ部の部室は、部室棟の2階。体育館から一番の近道は、本校舎の中庭をすり抜けるのが早い。
一歩一歩を進めるうちに、心が軽くなる。もうすぐだ、もうすぐ私は死の恐怖と、死の予定から解放される。
「倉前」
「あ、明智くん?」
中庭に差し掛かったところで、明智くんに呼び止められた。こんな時に、もう。
「探してたんだ。なかなか帰ってこないから……今日、部活夕方までだったんだろ?」
「うん、ちょっといろいろあって、ね」
じりじり、と静かに明智くんは私にすり寄ってくる。何故か表情は暗い。まるで何かに追い詰められているような、危険な顔だ。
「倉前!」
「い、いや!?」
がっしりと肩をつかまれ痛みが走る。見れば、彼の指が私の肩にめりこんでいた。
「倉前倉前倉前倉前!」
な、なに。どうしたの。こんなの普段の明智くんとはまるで別人だ。
ハアハア、と荒い息と充血した瞳で私を見下ろす明智くんは、手負いの獣そのもの。
「オレ、もうダメだ。オレ、捕まる!」
「ちょ、ちょっと待って! 急にどうしたの!! こんなの明智くんらしくないよ!!」
そう叫んで思い切り突き飛ばすと、明智くんは病的なほど真っ青な顔で、地面にむかってボソボソとつぶやいた。
「昨日、人を殺したんだ」
「え?」
「そんなつもりじゃなかった。ただ、別れ話を持ち出して……それで言い争いになって……河原に突き落とした。それだけで……あの女は、あっさり死んじまったんだ。けど、すぐに死体が見つかって、オレが捕まるのも時間の問題なんだ」
河原、死体、あの女、人を殺した。その4つのキーワードと、昨日の明智くんの態度を思い出し、私は確信した。
昨日の夜、明智くんは女の子を河原で殺して、私の家に逃げてきた……? じゃあ、昼間河原で発見された女の子の死体は、明智くんが……。
その考えに至った途端、背筋が急に寒くなった。目の前の可愛らしい男の子が、汚らしく恐ろしい人外の生物に思えてならない。
「彼女の妹だったんだ。でもオレ、別に阿佐美のこと好きになったわけじゃないんだ。気が付いたらいつの間にか告白してて、気が付いたらいつの間にか恋人になってて、だから……」
「阿佐美って……」
本庄、のこと?
まさか、『2014年5月8日。彼氏ができる。可愛い系男子で、料理もうまくて家事スキルのある子希望』これは、明智くんのこと?
「自分で自分のことが解らなくなって……、正直な話、妹のほうが好みのタイプだったんだ。だから、妹のほうとも付き合うことになって……。でもどうしても阿佐美のことが頭から離れなくて、それで別れようと思ったんだけど……」
本庄は、妹に自分の彼氏を取られた。だから、『2014年6月1日。1つ年下の妹がうざいので、少し黙らせる。適当に足でも骨折してもらって一月ほど入院』、と書き込んだ。
そう考えれば、合点がいく。それと同時に、明智くんがあわれに思えて仕方がなかった。
明智くんは本庄のダイアリーに翻弄されていた被害者なんだ。勝手に彼氏にされて、自分の心とは関係ナシに本庄を好きになっていた。
「なあ、倉前。オレ、もうダメだ。人殺しなんだもん。未来なんか、ないよ」
「そんなこと……未来は、変えれるよ! 私が、私なら明智くんの未来、変えてあげることができる!」
「ウソだ! オレはもうダメなんだ! だったら」
明智くんは立ち上がると、今度はしっかりした足取りで私に近づいてきた。
「あ、明智くん?」
そして、私は彼の体に包まれた。明智くんに抱きしめられた。
「倉前、好きだ」
「明智、くん」
「好きなんだ。だから――」
『一緒に死んでくれ』
耳元でそうささやかれたと同時、首筋に強烈な痛みが走った。
「ぁ、ぁ、あ!!」
「好きだよ、倉前。だから、オレと一緒に死のう。死んで一緒に天国で暮らそう!!」
やめて! 私、死にたくない!
声を出そうとしても喉が締められてどうにもならない。どうすればいいの。8月1日まで私は死なないんじゃなかったの!?
まさか、予定が繰り上がった、とか?
「や、めて。たすけて、だ……れ、か」
意識が飛びそうになったとき、何かが落ちてくる音がして、次の瞬間私の体は自由になった。
「ハア、ハア、ハア……」
私のすぐ横をバウンドしていくバスケットボール。それを見て何が起こったのか理解する。
「倉前!」
声のしたほうを見ると、キレイなシュートフォームが頭の中に蘇ってくる。
「安藤?」
安藤が放ったバスケットボールが、見事に明智くんの後頭部に命中したらしい。
「明智、てめえ。倉前に何してんだ!!」
安藤は明智くんに馬乗りになると、顔を殴った。
運動部の安藤と帰宅部の明智くんでは体力差があり過ぎて、すぐに明智くんは観念してぐったりと地面に転がる。
「大丈夫か、倉前」
「う、うん」
正直な所、まだ頭が混乱している。けれど、一つだけ確かなことは、安藤が私を助けてくれた。私の命を助けてくれたということ。
心の奥底から、熱いものがこみ上げてくる。安藤を直視できない。
そうだよ、私は。安藤。やっぱり、私は安藤のことが好きなんだ。
「安藤、ありがとう!!」
「お、おい。倉前」
何故だか体が勝手に動く。気持ちが高揚しているからか、それともこれが吊り橋効果というやつなのかわからないけど、私は気持ちを抑えきれずに安藤に抱き付いていた。そして、心に秘めていた言葉を解き放った。
「安藤、私。ずっと安藤の事好きだったの」
「倉前……俺もだよ。1年の時からお前の事、ずっと見てた。お前の練習してる姿に惚れたんだ。ひたむきでまっすぐな所が、俺は……好きだよ」
さっきまで殺されかけていたことも忘れて、私はしばらく安藤の体に包まれていた。
「倉前、お前のことはオレが守るよ。だから、何も心配しなくていい」
「うん、ありがとう」
安藤が一緒なら、8月1日以降のこともなんとかできるかもしれない。楽天的かもしれないけれど、なんだかそんな気がしてくる。とにかく早くダイアリーを操作しないとだ。
「これからずっと先も、幸せにしてやる。だって、そういう『予定』だからな」
「え?」
「いや、こっちの話。そういう意気込みってことさ。んじゃ、明智を先生に突き出してくるから、部室で待っててくれるか?」
「うん。行ってらっしゃい」
安藤は気絶した明智くんの体を抱えると、本校舎の中に消えて行った。
「さて、私も――っと」
足元に落ちていた黒いスマホを踏みそうになって、へんな姿勢で止まってしまう私。
「これ、安藤のかな?」
本人確認だけするつもりでロックを外したスマホ。その画面には……。
2014年7月29日8時22分。倉前は俺のことを好きになる。
2014年7月29日18時22分。倉前が明智に殺されそうになる。そこに俺がスリーポイントシュートを明智の後頭部に命中させて助ける。倉前は感激して、その場で俺に告白する。
2014年8月1日。倉前と初デートする。
2020年7月。倉前と結婚する。
2021年8月。2人の間に長女が生まれる。顔は俺に似ていて、将来は美人かな。
2024年12月。次女が生まれる。
2048年……。
そこまで見た時、私の中で何かが音を立てて壊れた。
私のこの気持ちは、何なの? 安藤を好きだった気持ちは……何だったの? 何も信じられない。けれど、安藤のことは理由がなく好きだ。このキモチは本当のハズ、だよね?
2064年。孫や娘夫婦に囲まれて、夫婦仲良くそろって死ぬ。死ぬ最後の時まで、俺たち夫婦はずっと一緒。あの世でも、来世でも。
50年先までぎっしりとつまった未来のスケジュールを見て、私は泣き出した。
~『ダイアリー』 終~