ハイスペックな人生の結末
「狩田アリスさん」
「はい」
廊下を歩いていると、先生に名前を呼ばれた。
狩田アリス。それが、今の私の名前だ。アリス……なんて可愛らしい名前だろうか。
「狩田さん。後で職員室、来てくれるかな? 今日、日直でしょ。プリントを運んで欲しいのよね」
「え、あ、ああ。はい。わかりました」
「あら? 珍しいわね。あなたがそんな素直に返事するなんて、まあいいわ」
何だ? 狩田アリスは不真面目な生徒なのだろうか。
そういえばまだ、狩田アリスについて何も知らない。私の体が死んでからそのまま学校に来たので、知っているのは狩田アリスの通う学校と、クラス、名字だけだ。
まあ、携帯も持ってるみたいだし、なんとかなるだろう。
とりあえず今は、狩田アリスという少女について情報収集するのが先か。
「おっす、狩田」
「アリスおはよー」
4年2組の教室に入ると、アリスはクラスメイトから一斉に声を掛けられた。
「おはよう」
この感じ……覚えがある。そう、天音と同じだ。
天音も昔、こんな風に人の中心にいた。
「アリスちゃーん。すごいよすごいよ! パチレモンの読モ受かったんでしょ?」
「え?」
この子、読モになるんだ……それは知らなかった。
「アリスちゃんアリスちゃん。今度アリスちゃん家に遊びに行っていい?」
「ん、うん。いいよ」
机にランドセルをおくやいなや、女の子達に声を掛けられた。
しかし……すごい人気ね。想像以上にこの子、すごいのかも。
「そういえばさー。この前アリスちゃんのパパ見たんだけどさ。超かっこよかったよねー。いいなー。しかもさ、まだ20代なんでしょ? パパっていうより、お兄さんって感じだし」
「ん、うん。ありがとう」
パパ、ね。
真下由紀の父親は、パパというよりオヤジだった。汚らしいおなかと臭い口臭の、同じ空間にいてほしくない50歳だ。
クラスメイトの話を統合すると、狩田アリスの両親は2人とも美形で、会社を経営するエリートらしい。
その上アリスはこの前、少女ファッション雑誌の読者モデルオーディションに合格したとか……。
成績も良好。運動も得意。さらには……。
「アリス、一緒に帰ろうよ」
彼氏がいた。
小4で彼氏持ちって……なにこいつ。
順風満帆そのものの人生。ずっと、こういうのに憧れてた。
私は、彼氏と手をつなぎながら一緒に下校した。
その途中、体に違和感を感じ、倒れてしまった。
あれ? どうしたんだろう、急に。
体が。動かない? 遠くで誰かが私を呼んでいる気がする。
「……ここは?」
目が覚めると、そこは病院の中の一室だった。
「アリスちゃん、ああ。よかった、目が覚めて……ママ、心配したのよ?」
「ママ……?」
アリスの母親という女性が、心配そうに私の顔をのぞきこんでいた。
若く、美しい女だった。まだ夫同様、20代なのかもしれない。
「狩田さん。あの、お話が……よろしいですか?」
病室のドアが開いて、そこから白衣を着た男性が現れた。
「はい。ちょっと待っててね、アリスちゃん。ママ、先生のお話聞いてくるから」
そういって母親は病室を出て行って、私は一人取り残された。
うーん、何だろう? 貧血かな?
さっきは急に意識がなくなったけど、今はぜんぜん平気だし。
私はベッドから起きると、トイレを探した。
途中、病室の手前で先ほどの医者と、母親の声がして耳を傾けてみた。
『非常に申し上げにくいことなのですが……アリスさんは……現代の医学では治療不可能な病にかかっています。後もって一年……いや、半年もつかどうか……』
え。
『そ、そんな! アリスは、アリスは助からないんですか!? お金ならいくらでも用意します! 臓器が必要なら、私の体からいくらでも取ってアリスちゃんにあげてください! あの子は、私の全てなんです!!』
『落ち着いてください、狩田さん。我々も最善の努力をします。ですから――』
死ぬ? 狩田アリスは、あと半年で……死ぬ?
頭の中が真っ白になった。
せっかく手に入れたハイスペックな新しい体と人生。
それが、あと半年の命?
呆然自失のままトイレに入り、ぼんやり鏡を眺めていると……鏡の中の私が笑っていた。
え? 私、別に笑ってなんか、いないのに。
「あはは」
口から笑い声が漏れ出る。
「よかった」
勝手に、勝手に、口が、動く?
「アリス一人で死ぬんじゃなくて」
背筋が凍り付いた。鏡の中の私が、じっと私を見て笑っているのだ。
まさか。
狩田アリスの意識が……まだ、残ってるの?
「あはははははは!!」
笑っている。私が、いや、狩田アリスが笑っている。
体が勝手に笑い出していた。
「うるさい、だまれ!!」
私は無理矢理自分の頬を打つと、笑いは急に止んで静かになる。
何よ。何よ、これ。
こんなこと、今までのジャックで一度もなかった。もしかして、私が死んだから?
もしも、このままジャックが維持できなくなったら……私はどう、なるの?
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
死にたくない。死にたくない。死にたくない!
せめてもう一度、ジャックできれば……そうだ!
スマホ! あのとき、私の死体はスマホを持っていなかった。まだあの公園にあるのかもしれない。
急げ。急いで探し出して、別の体に乗りうつらなければ、どうなるかわからない。
私は病院を抜け出すと、一心不乱に今朝の公園へと向った。
事故現場のせいか、警察がうろちょろしていたが、なんとかスキを見つけて潜り込み、ベンチの周囲を探っているとあっさり見つかった。
しかも、壊れていない。電源も付く。
よかった……!
だが、電池が残りわずかしかない。早めに次の体を決めなければ……。
そう考えていると、目の前に真下由紀のクラスメイトの姿があった。
確か、名前は服部浩太だっけ。地味でオタクっぽい男子で、クラスでも目立たないタイプだ。誰かと一緒にいるところを見た事が無い。
まあいい。とりあえず、あれでガマンしよう。
このままこの狩田アリスの体にとどまり続けるのが、怖くて仕方が無い。この際、誰でもよかった。
「私に、あんたをちょうだい」
呪いにも似た心の呟きとともに、シャッターを押す。
すると……。
『エラー。あなたにジャックの使用権限がありません。あなたは真下由紀ではありません』
「ふざけんな!! 私は、真下由紀だ! ふざけんなこのガラクタ!!」
何度もシャッターを押すが、エラーだった。
そういえば、ジャックした体からさらにジャックをしたことはなかった。ジャックは、元の体でないとできないのか。
「どこへ行くの? 真下由紀さん」
また、口が! 勝手に!?
「どこにも行っちゃだーめ。最後までアリスに付き合ってよ。ねえ? 地獄まで……」
電源が切れたスマホの画面に映ったのは、憎悪に満ちた笑みを浮かべた私の……狩田アリスの顔だった。
~『ジャック』 終~