最後のおまじない
「ねえ、天音ちゃん。お姉ちゃんと観覧車に乗らない? 先輩、なんかメリーゴーランド気に入ってもう1回乗るみたいだし。ていうか、彼女と妹放っておいて、メリーゴーランドにいそしむ男子って、どうよ」
お兄ちゃんは、メリーゴーランドにとり付かれたのか、また乗ると言い出した。彼女を放っておいて、困った白馬の王子様だ。
仕方がない。多少不本意ではあるけど、ゆかりさんの相手をしてあげよう。
「いいよ。観覧車、乗ってみたかったし。それに……2回もお兄ちゃんいじめちゃったんだから、私達が言える義理はないんじゃない?」
「むー、天音ちゃんは大人だなー。とても小1の発言とは思えないぞー」
あ……そうだ。私今、7歳の子供だったんだ。
すっかり忘れてた。精神年齢だけなら、ゆかりさんよりも上になるのか。とにかく、あまり不用意な発言はやめたほうがよさそう。
「観覧車楽しみー。ゆかりさんいこー」
我ながらわざとらしいけど、しようがない。そして、私たちは観覧車に乗り込んだ。
「うーん、高いねー広いねー」
「そうだね」
ゆかりさんは子供のようにはしゃいで、ゆっくりと流れていく景色に感動していた。
のんびりとした時間が過ぎていく。その時ふと、ゆかりさんが口を開いた。
「私ね、妹がいたんだ」
いた? 過去形? もしかして……。
「よく一緒に遊んだり、歌を歌ったり、テレビ見たり、ケンカしたり……仲良し姉妹だったの。こんな風に、ね!」
「わ!」
話の途中でゆかりさんは私の横に座り、そっと私を抱き寄せた。
「3つ年下でね。真奈美っていう名前の、やんちゃな妹だったなー。でも、交通事故で……遠いところに行っちゃった。もう、5年になる」
ゆかりさんの話を聞いた途端、心が痛くなった。
彼女の瞳には、うっすらと光るものがある。
「私ね、私……天音ちゃんともっと、仲良くなりたいんだ。だって、天音ちゃん可愛いんだもの」
この人は……私と同じだ。亡くした兄弟を忘れられないでいる。きっと、私の中に妹さんを見ているんだろう。
「天音ちゃんを見てると……真奈美の……妹のこと思い出して……ごめんね、天音ちゃんには関係ない話して……迷惑だったかな」
「ううん……ゆかりさんの気持ちわかる、よ。私も、お兄ちゃんがいなくなったらって、思うと……」
どうしてだろう。あんなに嫌っていたはずなのに。なんでこんな、心がリンクするんだろう。
気が付くと、私も泣いていた。
「ごめんね。私、ゆかりさんのこと、避けてた。ねえ? これからは、いっぱいお話しようよ? お料理も教えて欲しいな。ゆかりさんの料理、すごくおいしかった、から」
そういい終えると、ゆかりさんは真夏の太陽よりもまぶしい笑顔で、私を痛いくらい抱きしめた。
「天音ちゃん! うん、一緒にお菓子作ろう! いっぱいいっぱい2人で作ろうね!」
「うん! ゆかりさん」
私とゆかりさんは、観覧車の中で一気に仲良くなった。
「帰ってきたね? じゃあ、皆でメリーゴーランドに乗ろう!」
お兄ちゃんは観覧車から降りてそうそう、KY発言した。
「却下です、先輩」
「恥ずかしいよ、お兄ちゃん」
私とゆかりさん、見事に息のあったコンビネーションだ。
「それより。天音ちゃんは何か乗りたい物、ある?」
「うーん。じゃあ、あれ」
そういって、私はジェットコースターを指差した。
「え。えっと……考えなそうよ、天音ちゃん。うん、そのほうがいいよ! あれは、悪魔の乗り物なの!」
ゆかりさんは真っ青な顔で、小刻みに震えていた。
もしかして、怖いのかな?
「あ、天音? もっと楽しい乗り物があるから、そっちに行こうよ、ねえ? ほら、メリーゴーランドとか、メリーゴーランドとかさ」
私は2人の言葉を無視して、ジェットコースターに並んだ。
2人はしぶしぶ付いてくる。ふふ。ちょっと、いたずらしちゃえ。
やがてジェットコースターの順番がやってくると、私たちは3人横一列に座った。
「た、楽しみだな~。ねえ、ゆかり?」
「ですよね~先輩。あ、天音、ちゃん。怖かったら、お姉ちゃんにしがみついてきてもいいからね?」
うわあ、2人とも無理しすぎ! ヘンな汗かきまくってる。大丈夫?
そんな私の心配をよそに、ジェットコースターは走り出した。
「あ、あああああああ!?」
「ぎいいいあああああぐおおおお!」
奇声とも叫び声ともつかない声が、左右から聞こえてくる。
あは。面白いなー2人とも。
ジェットコースターはいよいよ最大の山場を迎えつつあった。意識が急降下していく。
そこで、なにか耳障りな音がして、浮遊感が突然私を襲う。
何? 何? どうして、私……空を飛んでるの?
「天音!」
「天音ちゃん!」
急に私の体は、左右から優しくて暖かい物に包まれた。
そこから先は、月と地球がぶつかったような衝撃だった。
気が付けば私は……地面の上に放り出されていて……目の前には、地獄があった。
激痛と吐き気が入れ替わり私を襲う。それでもなんとか体を起こし、状況把握に努める。
たくさんの人が、苦痛にあえぎ、助けを求めていた。
すぐ近くには、ひしゃげた鉄の塊……それは私達を乗せていたジェットコースターの成れの果てだった。
そうだ、お兄ちゃん達は?
「大丈夫、天音、ちゃ……ん?」
「ゆかりさん?」
声のしたほうを振り向く。そこには、血塗れの……ゆかりさんがいた。
「ゆかりさん! しっかりして!!」
「天音ちゃん、大丈夫? ケガは、ない?」
「大丈夫! 痛いけど、痛くない! それより、ゆかりさんが……」
「よかった……無事で……天音ちゃん。ねえ、先輩、どこだろう?」
「わかんない。わかんないよぉ……」
「私より、先輩を探してあげて。私は、大丈夫、だから……」
大丈夫? そんなわけが、ない。素人目に見ても、『もうダメ』だって、わかる。おそらく、ゆかりさんは、もう……。
「待ってて、ゆかりさん。助けを、助けを呼んでくるから……」
けれど、いつまでたっても返事はなかった。
嫌。嫌だ。せっかく、仲良くなれたのに。
この人になら、お兄ちゃんを任せてもいいって、そう思えたのに。
一度でいいから、お姉ちゃんって……呼びたかったのに。
「あ、天音……」
「お兄ちゃん!?」
私は嬉しさと不安がないまぜになったまま、声のしたほうに駆け出した。
お兄ちゃんは、すぐに見つかった。けれど……。
お兄ちゃんは……お兄ちゃんは……ゆかりさんと、同じ……ううん、それ以上にひどい状態、だった。
「お兄ちゃん!! 大丈夫!?」
「天音……僕よりも、天音……痛いところは、ない? ここは危険だから、大人のいるところまで、逃げて」
「やだ! やだ、お兄ちゃん!!」
「ダメだよ、お兄ちゃんのいうこと、聞いてくれよ……もう、天音は……困った子、だなあ」
「ごめんなさい! ごめんなさい! 私が、わがまま言ったから……こんな、こんな、こと……」
「泣かないで、天音。僕は、もうダメかもしれないけど……でも、天音を守れてよかった。天音は僕の大事な宝物、だから」
そうか。落下の直前感じた暖かい物は、お兄ちゃんとお姉ちゃんの体だったんだ。
私を、守ってくれたん、だ。
……私のせいだ。私のせいで、お兄ちゃんが……お姉ちゃんが……。
――助けなきゃ。絶対に、助けなきゃ!
「しゃべっちゃだめ! 誰か呼んでくる! 待ってて!」
その場から立ち去ろうとしたとき、お兄ちゃんに腕をつかまれた。
「天音。これからは、一人で学校いけるよね? これからは……一人で、立ち向かっていかなきゃいけないよ。どんなに嫌なことがあっても、僕はもう守ってあげること、できないから……」
「何、言ってるの?」
「大丈夫。天音は強い子だから。僕がいなくても、やっていける。ああ……見たかったなあ。大きくなった天音の姿。恋人はどんな男の子だろうね。僕は、お前なんかに妹はやらん。って言えたのかなあ」
「お兄ちゃん」
「きっとこの先、いいことばかりじゃないかもしれない。すべてが嫌になるときがくるかもしれない。だから、天音」
お兄ちゃんは困ったように笑うと、優しく頭をなでてくる。
「天音、がんばれ」
おまじない。私が何かに挑戦するとき、こうしてお兄ちゃんは私を励ましてくれる。
「そして、ありがとう。僕の妹に産まれてくれて……」
それが、お兄ちゃんの最後の言葉になった。
私の意識が急激にしぼんでいく。まるで眠りに落ちるように、力が抜けて……意識が途切れた。
「あれ?」
目を覚ますと、そこはお兄ちゃんの部屋だった。
学習机のイスから立ち上がると、熱い滴が目からこぼれ落ちてくる。
「夢、だったの?」
スマホを確認すると、例のリメンバーは跡形もなく消えている。
『天音ちゃーん、何してるのー? 冷めちゃうわよー』
お母さんが呼んでる。行かなきゃ。
私はとりあえず下に行ってご飯を食べると、自分の部屋に行ってネットで10年前のことを検索してみた。
ジェットコースター 事故。すると、たちまちヒットして、事件の……あの日、あれが本当にあったことだと知った。
「お兄ちゃんは最後まで私を守ってくれたんだ……お姉ちゃんも……」
自分の命を投げ捨ててまで、私を生かしてくれた。私はそれを……十年間知らずにだらしなく生きてきた。
「ごめんなさい……」
……自分が情けない。私はなんて兄不孝な妹なんだろう。
結局、過去を変えることなんかできない。できるとしたら、それは神様だけだ。
でも、未来は少しずつ変えていくことができる。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん。私……頑張ってみるよ」
涙を拭いて、私は机に向った。
次の期末くらい、いい点を取って兄の墓参りにいこう。
その日から、私は変わった。
さっそく図書館に行って、勉強をしていると――。
「あれ? 相良、どうした? お前がこんなとこにいるなんて、珍しいじゃん」
「花岡くんこそ、どうしたの?」
花岡充くんが、勉強道具一式を持って図書館にこもっていた。彼には悪いけど、キャラじゃない。
「ベンキョーだよ、ベンキョー。……オレさ。目標ができたんだ。どうしても、やりたいことが……あるんだ」
「ふうん。なんか、感じが変わったね?」
「そっか? 相良こそ……なんか変わったな?」
それが、私達の恋の始まりだった。
そして、十年後。私は彼と結ばれ、2人の子供にも恵まれて……毎日を幸せに過ごした。
ねえ? あの頃の私、大人になったら確かに嫌な事だらけだよ。けど、泣いても逃げても、時間は私を追い抜いていくんだよ。どんなにかっこ悪くたって、立ち向かわないといけないの。だってもう、子供じゃないんだもの。今の私には、可愛い息子と娘がいるんだから、誰かの影に隠れて守ってもらうことはできないの。
今はまだ解らないかもしれないけど、きっといつか、あなたにもわかるときが来るよ。だって、あなたは……兄と姉に愛されていたんだから。
~『リメンバー』 終~