独占欲
算数が数学になって、証明問題が出てきて、それからだったかな。私が数学を嫌いになったのは。
その点、小学1年生というのは実に楽で良い。授業なんか聞いていなくても、テストで満点を取れてしまう。国語も社会も同じ。
体育だって、男子との体力差は無い。むしろ、女の子のほうが体が大きかったりするから、ケンカしても負けることなんかない。
まあ、私は大人だからケンカなんかしないけど。
久しぶりに食べた給食のカレーというのもまた、思い出補正が手伝っておいしかった。
「あまねちゃん、あそぼー」
「いいよー」
給食を食べ終わると、クラスの子達と遊具で遊ぶ。
途中、3年生の男子が順番を無視して割り込んできたので、少し押してやったら倒れてしまった。情けないことに、泣きながら校舎に戻って行ったので、子供の相手は疲れる。
それにしても、どうしてこう小学生男子というのは、バカなんだろうか。ワケの解らないことを叫びながら走り回ったり、不潔だったり……。うちのお兄ちゃんを見習うべきだ。
私の理想の男性像というのは、お兄ちゃんそのもので、今まで何度か男子の告白を受けてきたけど、みんな子供ばかりで相手にしなかった。
告白された数=ふった数。『相良天音は調子こいた勘違い女』。と、同学年の女子に言われ。『相良天音はお姫様』。と、同学年の男子に思われてきた。
それが私の孤独の原因だけど、仕方がない。私の理想は死んだ兄そのものなんだから。
だから……10年前の体に入ってから3日立った今、この状況がずっと続けば、と願うようになっていた。
勉強、友達……なによりお兄ちゃんがいる今この日々が、私を満たし尽くしていた。
もう、高校生の自分に戻りたくない。ずっとこのままこの時間をループしていたい。
現実に疲れちゃったんだもの……少しぐらい夢、見させてよ、神様……。
「あら、天音ちゃん。こんにちはー」
学校から帰って、玄関の扉を開けようとした私は、背後から声を掛けられた。
「あ……こんにちは」
忘れていた。お兄ちゃんに会えた事に浮かれすぎていたせいで、こいつの存在をすっかり忘れていた。
目の前にいるのは、お兄ちゃんと同じ学校の女子生徒。
「先輩、いるかな?」
お兄ちゃんの後輩で、高校1年生。お兄ちゃんの……彼女。
「いないよ」
本当は知らない。もしかしたら家にいるかもしれないけど、一刻も早く目の前から消えてほしい。
「そっかあ。いないんじゃ、しょうがないなあ……」
私はこいつが大嫌いだった。お兄ちゃんが、こいつに取られてしまう。
「じゃあ、中で待たせてもらっちゃおうかな! ね、いいでしょ? 私ね、ケーキ焼いて持って来たんだよ。天音ちゃん、お姉ちゃんと一緒に食べようね!」
「私、ケーキ大嫌い」
私はウソをついた。
本当は大好きでたまらない。でも、こいつのケーキなんて……食べたく――。
どうやって追い返そうか思案していると、玄関から母が顔を出した。
「あら、ゆかりちゃん。いらっしゃい。真人ならもうすぐ帰ってくると思うんだけど……上がって待っててくれる?」
ゆかりというのは、この女の名前。真人はお兄ちゃんの名前だ。
「あ、こんにちはおばさま! お邪魔しちゃいまーす」
本当に邪魔なんだけど。
ゆかりは無遠慮に家へ上がりこんで、自信作のケーキとやらを私に差し出してきた。
「天音ちゃんの口に合うといいんだけどなー」
「……腐らせたらもったいないから、食べてあげる」
私は目を合わせずに皿を受け取ると、一口含んでみた。
すると、どうだろう。とろりとした生クリームが口の中いっぱいに広がって、甘さと濃厚なクリームの味わいが私を別世界に旅立たせた。
何これ!? こんなの食べたことがない。こんなおいしいケーキを食べれるなんて……幸せ。
「どう!? おいしいでしょ!」
「……まずい……」
私はウソをついた。こんなおいしい物があるだなんて……。
「そっかー、自信作だったんだけどなあ」
「……まずい、けど。もう一個ちょうだい。残したらもったいないから」
我ながら、とんでもないツンデレだ。
けれど、ケーキの味は認めてもこの女は認めない。
『ただいまー』
「あ、お兄ちゃんだ!」
お兄ちゃんの声を聞くと、真っ先に飛び出した。
「お帰りお兄ちゃん!」
「ただいま、天音」
お兄ちゃんは私を見ると、笑顔で頭をなでてくれる。
「お帰りなさい、先輩」
「あ、ゆかり。来てたの? 来るなら言ってくれればよかったのに。バイトくらい休むよ?」
「いいの。先輩をびっくりさせたくて……それに、なんだかこういうの憧れてて……新婚さんみたい……」
「ゆかり……」
ゆかりはちょっと照れくさそうに笑うと、お兄ちゃんと見詰め合った。
お兄ちゃんもまんざらではない様子だ。
……嫌なムード。
「そうだ、先輩。今度の金曜日……一緒に遊園地へ行きませんか? お父さんに無料チケットもらったんです。ちょうど、期末が終わる日だし」
「ああ、行こう。金曜日っていうと……4日後の27日?」
4日後。27日。その日は……お兄ちゃんの命日。
お兄ちゃんが……死ぬ日だ。