時間の檻から抜け出した者
オレは今、リビングにいる。
自宅のじゃない。それどころか、なんていう名字のヤツの家かも知らない。
焼きたてのたまご焼きと、ふっくらしたご飯。サラダもキレイに盛り付けられている。うまそうな朝食だ。
「甘!? ったく。よくこんな甘いたまご焼きが食えるもんだな」
オレはその家の家族がいる前で、平然とたまご焼きを口にした。
けれど、誰もオレに対して文句を言わない。
「へえ。可愛いじゃん?」
その家のお嬢さんだろうか。近くの公立高校の制服を着て、テレビを見ながら頬杖を付いている。けっこう可愛い子だ。
「いいお尻してるね、君?」
オレはまたまた平然と、その女の子のスカートの上からお尻を触った。
けれど、女の子は表情を変えぬまま、画面のかわらないテレビを見続けている。
そのテレビは、時刻を7時36分にしたまま、ずっと変わっていない。オレがこの家に忍び込んで、体感的に5分は経過しているはずなのに。
それは、時間が止まっているからだ。
「さてと。お小遣いでもいただいていくか」
オレは、母親らしきおばさんのバッグの中をまさぐると、そこから財布を引き抜いた。
「1万は……ちょっとばかし金額が大きいな。3千円なら、まあ大丈夫だろ」
クレジットカードは暗証番号が必要だし、仮に知ったところで使えばアシが付くだろう。ちょっとセコいが最小で3千円、最大で5千円までと盗む金額は決めていた。
これは、立派な窃盗罪だ。けれど、オレを咎める者など誰もいない。
時間の停止した世界では、誰もオレを目撃することなどできない。
「さて。そろそろお暇しますか。オレも学校行かないとな」
オレは去り際に女の子の唇にキスをすると、父親らしきおっさんの頭にコップの水をぶっかけて家を出た。
そして、スマホを取り出すと、アプリ『ストップウォッチ』を起動する。
そこには、黒い画面に白い文字で、2013年6月27日(木)7時36分 停止。と、表示されている。
「さて、と。動き出せ、世界」
オレは停止ボタンをタップした。
すると、途端に時は回り、世界が動き出していく。
『うわ!? なんだこれ。おい、誰だ。スーツがびしょびしょじゃないか!』
『私のたまごやきがなくなってる!!』
オレの背後で騒がしい声がした。
さて、今日は期末テストだ。早めに学校行って、勉強……なんかするわけない。
テスト中に時間を止めて、頭のいいヤツの解答を丸写しさせてもらうんだ。
ああ。オレは何ていいモンを手に入れちまったんだ。
これがあれば……時間にしばられることなんかない。学校が始まる時間までぎりぎり寝ていられるし、女子の着替えものぞき放題。
オレは時間の檻から抜け出すことができる、唯一の存在。
偶然手に入れたスマートフォンアプリ、ストップウォッチ。こいつの存在を知っているのは、どうやらオレだけらしい。
誰にも教えるものか。時間はオレのものだ。
オレは一人ニヤけながら通学路を歩いていた。途中、不良にからまれている哀れな少年を発見する。
ポケットからスマホを取り出すと、ストップウォッチで時間を止めた。
世界は動きを止め、オレが時間の支配者となる。
「ま、からまれるヤツも悪いんだけどさ。不良も不良だよね」
オレは、不良の顔面にパンチを一撃決めてやった。
不良はあっけなく仰向けに倒れて、鼻から血を出している。
うーん。これじゃあまり面白くないな。
そこでオレは、からまれていた少年の体を少し動かして、パンチを放つポーズにしてみた。
うん、これなら神速の拳を繰り出して不良を撃退したって感じに見える。
ついでに、不良の財布をこの少年のポケットに入れて……と。
よしよし。我ながら満足な出来だ。
「さ。それじゃアクション、いってみようか」
ストップウォッチを操作して、世界を動かす。
「や、やめてください! お金ならあげますから! どうか――あれ?」
「い、痛てえ……なんだってんだよ」
少年は自分の突き出した拳と、地面に倒れている不良を交互に見て、非常に驚いた様子だ。
「こ、この野郎! よくもやりやがったな! 俺の、俺の財布まで盗みやがって!!」
「え!? いや、あの。これは」
よしよし、目論みどうりうまくいった。
「ご、ごめんなさい! 決してそんなつもりじゃ」
「うるせえ! 治療費も一緒にもらうぜ?」
あー楽しかった。
「ぎぃやああああ?!」
さ、学校行かなきゃ。
「ああ、そこの人! た、助けてください!」
オレは振り返ると、少年に向けて笑った。
「がんばってね」
誰が助けるかよ。ザコはやられてろっての。
オレは、背後で必死に助けを求める少年をさっさと見捨てて、学校へ向った。
あー、楽しい。