アベケイゴの葛藤
1 覚醒
――数日前に遡る
自由金満党八王子支部政策室
民主今平党公設秘書のアベケイゴは身を乗り出しながら金満党八王子政策本部長と話し込んでいる。
「我が党からの立候補者を取り下げてくれ、だと? そう簡単には引き下がれん。民主今平党は何を考えているのかね」
腹立たしそうに政策本部長が言う。
「ご立腹は重々承知です。そこを何とか我が党の候補者に一本化して頂きたい、と珠伊師党首のたっての願いです」
アベケイゴは深々と頭を下げる。
「秘書とは言え、君では話にならんな。珠伊師党首を呼び給え。直接彼女の口から真意を問いたい」
政策本部長は冷ややかにアベを見る。
「もちろんです。しかしその前に事前協議を行うように、と党首からの伝言です」
「ふん、根回しか? わしでは役に立たんと言うのだな、君は」
「いえ、そのような……」
政策本部長は冷たく言い放つ。
「お引き取り願おう」
その無下もない言い方にアベケイゴは慌てる。
「ま、待って下さい。立候補者の取り下げには当然、手ぶらというわけには参りません……」
そう言いながら黒鞄から包みを取り出すアベケイゴ。「これはほんの手土産でございます」
ずっしりと重い包みを政策本部長の机の上に置いた。
ちらっと見る政策本部長。――いきなり怒鳴り出す。
「我が党を甘く見るな、この若造がっ」
「お待ちください。中味は現金ではございません」
そう言いつつ包みを開ける。「インゴットでございます」
政策本部長は、きらびやかに輝くインゴットに目が吸い寄せられた。威厳を保つように咳払いをひとつした後言った。
「上層部と話し合うとするか……」
「ありがとうございますっ」
政策本部長は釘を刺す。
「だがな、最終決定には尾川首相と珠伊師党首との話し合いが必要だ。ちゃんと伝えてくれ給え」
「承知致しましたっ」
秘書のアベは車に乗り込み珠伊師と連絡を取る。
「……はい、受け取りました……はい、最終的には尾川首相と珠伊師党首との直接会談が求められ……」
珠伊師からの念を押す声が響く。
「分かりましたわ。ご苦労様でした。さて次の段階に入るから急いで戻ってきてきてくださいな。……事故にはくれぐれも気をつけて」
「かしこまりました」
携帯電話切る。
何気なくバックミラーを見ると、そこにはやつれた顔が写っている。やつれた顔――今現在のアベケイゴそのものが映っているのだ。
任期満了に伴い来月に八王子市長選挙が執り行われる。現市長は社会勤勉党が握っている。二期目を目指す現市長はまだまだやる気満々だ。それを崩そうといているのが金満党と今平党だった。
しかしこのままでは金満党と今平党がお互いに独自候補を擁立しても、そつなく市政を動かしている社会勤勉党の現市長が勝つのは目に見えている。かといって両党とも引っ込むわけにはいかない意地がある。
そこで珠伊師は一本化を図るため画策しているのだ。
ザキの党本部に戻る最中アベケイゴは不満で一杯だ。
「いくつか政策秘書を担当したが、民主今平党の珠伊師党首は手荒くこき使うだけだ。深夜、早朝呼び出しを喰らうし、人を人と思ってないんじゃないか?」
帰党の道すがらアベケイゴの頭の中では不満だらけだ。信号待ちでは青になったことに気がつかず、後方の車からパッシングされ、余計腹立たしく思うアベケイゴだった。
民主今平党党本部に到着すると、珠伊師が呼びつける。
「この鞄とあの金庫、本日中に八王子の候補者事務所に届けて頂戴。終わればそのまま車で直帰して貰って構わないから、お願いよ」と当たり前のように珠伊師は言う。
「これからですか?」
アベケイゴは時計を見る。『帰れるのは深夜か……』
アベケイゴの落胆を知るか知らずや珠伊師は言う。
「これは重要なお仕事ですよ。ただ運ぶにもあの耐火金庫は重いから台車を用意致しましたのよ」
そう言って部屋の隅にある台車を指さす珠伊師。
頑丈で重そうな台車がしつらえてあるのを冷ややかに見つめるアベケイゴ――
珠伊師は内線ボタンを押す。
「近藤さん? 金庫載せるの手伝って頂戴」
別室から大柄な近藤が入ってきた。
「これですか。確かに一人じゃ無理だな」
珠伊師と近藤、アベの三人で台車に乗せる。
「車に乗せ替えるからアベさん、後部扉開けて」
確かに人使いが荒い珠伊師だ。アベが憤慨するのも無理はない。
近藤とアベは汗だくになりながらも耐火金庫と台車を載せた。金庫と台車だけで荷室は一杯だ。
「これ候補者事務所に届けてね」と珠伊師は黒鞄を渡した。「まだ誰かいるはずだから」
アベケイゴにはその言葉はまるで呪縛呪文のように響く。
「安全運転で行ってらして」
党本部をあとにする車ににこやかに手を降る珠伊師。
「アイツに届けさせて大丈夫なんですかね?」
近藤の言葉に珠伊師は振り返る。にこやかな民主今平党党首からは笑みが消えた。
近藤を見る珠伊師和代の顔はみるみる般若の様に歪んだ顔になった。
般若は言う。
「本来なら信義の厚いおまえに行かせたいがの。じゃが、おまえは警察やマスコミに面が割れておる。バレようもしたらぞ、計画が全て台無しになる。そこでアイツの出番としたのじゃが、わらわの考えに何か不満でも?」
近藤は慌てるように手を降った。
「いや、珠伊師党首様、不満などありようがありません。素晴らしき考えでございます」
言われるまま八王子に向かっている。走らせながら車内の時計をちらっと見た。
「午後九時かよ」
事務所到着まで一時間は掛かりそうだ。
アベケイゴにはふつふつと怒りがこみ上げてきた。
「高額な報酬に目がくらんでいたよ俺は。そりゃそうだ、昼夜区別なくこき使うために高額報酬を提示したんだ。いや、されたと言っても過言ではない! 珠伊師和代、クソ忌々しい!」
ハンドルを激しく叩くアベケイゴ。
その瞬間アベケイゴの背筋に衝撃が入る――これは「アベケイゴ」が「阿辺圭吾」に戻った瞬間だった――
「僕は何をしていたんだろう……?」
正気に戻った阿辺は今までの出来事を反芻しながら車を走らせる。
「あんな党首のためにこれから先の僕の人生が踏みじられるのは……」
車中で怒りに任せた阿辺――。気がつくと候補者事務所数キロ手間に位置している。
阿辺はコンクリート製の橋を渡りきった場所で車を止めた。橋の下ではとうとうと流れる川が音を立てている。
運転席側の窓を阿辺は大きく深呼吸する。
冷たい夜とはいえ清々しさを感じ、渡され助手席においた黒い鞄を手にする。
「何が入っているんだ? ……ええ?」
チャックを開けるとそこに帯付で括られた札束がみえた。それも百万程度ではない。取り出すと五束、五百万円だ。
有力者を買収する金、と阿部は直感する。
後方を振り返るとクリーム色の耐火金庫がそこにある――
阿辺圭吾はおもむろに後部ドアを跳ね上げた。
「と言う事は金庫にはそれ以上の……?」
金庫には鍵を差し込む穴とダイアルがある。阿辺は鞄をまさぐると、黄金色に輝く鍵を見つけた。
阿辺は鍵穴にそれを突っ込み、ゆっくりと回す。
かちゃり――
明らかに金庫のドアが解錠された音が静かに響く。
阿辺は次にダイヤルに手をかけたが解錠する数字がわからない。
解除する数字を知るために再度鞄をまさぐるが、それらしい記述がない。封筒を見つける阿部圭吾――
「この中に?」
封筒から数枚の用紙を取り出すが――
見つめる阿辺。党員氏名と内容が書かれ、最後には「受け取った」と書かれた珠伊師和代の直筆があるだけだ。
「こんなものっ」そう言うと阿辺は書類をグシャグシャにする。
実は解除する数字は珠伊師しか知らないのだ。
橋の袂……下に流れる渓流……。阿辺は恐ろしいことに思い立った。
台車をおろし鬼のような形相で金庫に手をかける。到底一人では動かせない金庫だが、荷室の傾斜が味方する。
ズル……ズル……。
阿部圭吾の渾身の力で金庫がゆっくりゆっくり手前に移動してくる。
動かしている最中、立木の間から様子をうかがっている「目」があった。それは闇夜の中でも確実に「獲物」を見ている冷徹な「目」だ。息を殺した「目」は札束を補足している。そして助手席に置かれたことも確認している。
それに気がついていない阿辺は一心不乱に台車に金庫を載せようとしている。
しばらく藻掻いていた阿辺が台車に載せることに成功した。
ふう……とため息を付く阿辺。そして台車を川の縁にゆっくりと押し出すと……一気に台車から手を放した。
徐々に縁を滑り落ちていったかと思うと、加速し盛大な水しぶきを上げ台車と金庫が川底に落下していく。
「ざまあみろ」
沈みゆく金庫を見つめせせら笑うような阿辺啓吾だった。
車に踵を返し黒鞄の中から現金を盗もうとする阿辺啓吾。
しかし助手席にあるはずの黒鞄が消えていた。
「無いッ?」
唖然とする阿辺。
「確か、ここに置いたはずだ!」
必死になって車を引っ掻き回し、車外周辺を、車外の下を目を皿のようにして探し回る。
「無い……無い……どこに行ったんだ? いや冷静になれ、なるんだ、阿辺啓吾」
泣き出しそうな顔。歪む口元。
だがこのときには立木の「目」が行動を起こしていたのだった。
2 近藤の行動
民主今平党党本部二階、珠伊師和代の執務室
じっとディスプレイを見つめる珠伊師と近藤。
中央部に白点が点滅している。それは車の位置情報を示しているのだった。
近藤は珠伊師に声をかけた。
「もう一時間経つのに一向に動きませんね」
「こんなこともあろうかと、前もって位置情報発信機を組み込んでいて正解じゃったぞえ。じゃがあやつ、何をしておるんじゃ?」
「岩洞法師の法力が効果を失って自我に戻ってしまったのかもしれません」
珠伊師は言う。
「法力が解除された? 聖ハントス、相変わらず鋭いやつじゃの。褒めてつかわす……と呑気な事は言ってられんぞえ。自我に戻ったとしたら、あやつ、まさか、金庫を盗む算段を考えておるのではなかろうか?」
聖ハントス(近藤)は答える。
「アレは地元有力者に配る金品です。盗まれてしまいますと……」
珠伊師の形相が一気に悪鬼と化した。
「勝つ選挙も勝てぬわっ。聖ハントス、こうなれば仕方ない、夜なら面は割れにくかろう。様子を見て参れっ」
「御意」
頭を下げる近藤だが――「待てっ」
車の位置を示す白い点が、移動し始めた。
「動いた? どこにいくつもりでしょうか……」
柳眉を逆立てた鬼は断言した。
「自宅に戻るんじゃ」
近藤(聖ハントス)は「自宅……さすが党首様の読みは深い」と感心した。
鬼の目がぎょろつき近藤を睨む。ものすごい眼力だ。
「戻るまで時間はある。今から岩洞法師の術が解けてない下人どもを集めるっ。集まり次第先回りせぇ!」
「御意」
栄区銀杏町午前一時半
阿辺啓吾自宅マンション前にライトバンが止まり、辺りをうかがうように男が一人――阿辺啓吾だ。
『自宅からありったけの財産をかき集め、逃亡するんだ』
破れかぶれの阿辺だが、その実、冷静になっていた。『遠方に逃げられるだけ逃げる』
マンション一階のエレベータホールに近寄るが――
「待ちな」
後方から声をかけられた阿辺は総毛立った。
ゆっくり振り向くと、そこには近藤と珠伊師が手配した『下人』二人を見つけた。
「畜生っ」
阿部圭吾は喚きながら勢いよく男衆を突き飛ばす。しかし体格にまさる大男、近藤はびくともしない。
ボキ……近藤に腕を取られ鈍い音と同時に激痛が走る。右腕上腕部が逆さになる。
悲鳴を上げる阿辺啓吾――
「聖ハントス、金庫が無えっ」
三人目の下人がライトバンの後方部を跳ね上げながら報告する。
「鞄あるか?」
のたうつ阿部に頓着せず近藤は下人に聞く。「鞄も無えっ」
近藤はエレベーターホールの前でのたうち回る阿部の頭を荒々しく踏んづけた。
「金庫、どうした? どこへやったんだ?」
近藤は更に踏みつけ左右に躙る。
「聖ハントス、死んじまうぜ」
「ふん」
そう言うと力任せに阿部の頭部を蹂躙する。
「止せよ」
エレベーターホール横のドアがゆっくりと開き始めた。騒ぎを聞きつけた住人がこわごわ玄関ドアを開けたのだ。
「えええ?」
エレーべー前には血を流している男が倒れているのを見つけ、仰天したが、そのときには倒れている男しかいなかった。
3 「目」
ジロキチは自宅アパートの一室でしたたかに酔っ払っていた。四畳半の畳の上には五百万の紙幣がばらまかれている。
「いやあデカイ仕事したぜ。当分遊んで暮らせらあ」
紙幣をかき集めては宙に舞い上がらせながら大きな声で笑い声を立てるジロキチ。
粗末な木製の扉が叩かれる。「この野郎っ何時だと思ってんだよっ」
隣人の声だ。ただでさえとなりの声も聞こえそうな安風情。特に隣人は元ヤクザ崩れだ。部屋に入らればらまかれている紙幣を見られたら……そう思ったジロキチは血の気が引いた。ヤクザ崩れとはいえ、何をされるか分かったものではない。
「申し訳ねえっ」
ジロキチは扉に向かって謝るように這いつくばった。
「静かにしろ、馬鹿野郎」
隣人の立ち去る足音を聞いて、ジロキチは、ほっと安堵した。
『危ねえ危ねえ……そうだ、仲間に見せびらかしてやろう。アイツラなんて言うか――けけけ――明日、楽しみだ』
笑いを抑えながら、ばらまいてある紙幣を静かにかき集めるジロキチだが、ふと部屋の隅においてある黒い鞄に目が止まる。
「あれにゃあ、ようはねえな。川に捨てちまおう」
日が昇りかけた早朝、エレベーターホールを中心に規制線が貼られ、鑑識や警官、消防でごった返していた。ほぼ同時に横浜栄警察署には殺人事件として捜査事務所が置かれた。
殺人事件捜査一課責任刑事が報道を前にしている。
「被害者は阿部圭吾、四十三歳、職業は民主今平党第一公設秘書、自宅に戻る最中に何者かによって殺害された」
「防犯カメラには殺害映像ありますか」
「ちょうど死角に入っている。詳細は解析中だ」
「殺害方法は?」
報道機関に問われ、責任刑事は言い淀む。
「なにか強力な力、つまり、撲殺されたのではないか、と思われるが捜査中だ」
スケロク商事三階杉田の自室、朝六時
杉田は目覚めるとすかさずテレビのスイッチを付けるのが習慣になっている。ちょうどKHKニュースが始まり人工知能が喋りだした。
「今日未明横浜市栄区銀杏町ホリホリマンションエレベータ付近で殺人事件が発生しました……」
「もっといいニュース無いのかよ」
大きく背伸びする杉田。
「さて、今日の仕事は」といいながら杉田の目が壁のカレンダーを見る。「そうだった、本日も会社は休みだったんだ。もう一度寝直すか」
掛け布団を引っ張りベッドに潜り込むがややあってガバっと飛び起きた。
「金庫だ金庫」
ようやく杉田は目覚めたようだ。ガウンを羽織り一階事務所に向かう。朝の日差しが眩しい。
深夜に帰社しただけに泥にまみれ鎮座する金庫は給湯室手前に置いておくしか無かったのだ。その傍らには放り出された台車が転がっている。
杉田の目が金庫に注がれる。泥水はすっかり乾きクリーム色のはずの金庫が灰色になっている。
「さて、どうしたもんか」
金庫のハンドルを握る杉田――ハンドルは横に回せるが扉は開かない。ガチャガチャと何回か試す杉田は確信した。
「何故そうなのかわからないが、間違いない、金庫の鍵は解錠されている。となれば……このダイアルを解除できれば」
だがどうやって解除するか?
杉田は社長室の机に向かい、HAL9000が解読した用紙を取り出すが、そこには金庫のナンバリングなぞ書かれているわけはなかった。
しかし諦めるにはいかない。越狩の嫌疑を晴らすためにも金庫を開けなければならないのだ。それにグズグズしていると捜査の手が入らないとも限らない。
「加藤副署長が漏らしていたな。神奈川県警の片平はヘビのように執念深いってな」
瞬くことのない蛇の目。杉田は思い出すように呟く。
「警視総監になるんだ、と息巻いていた女性刑事がいた気がしたが……たしか片平とか言ってた気がする。――そうか、あの片平が神奈川県警に配属されていたのか……」
杉田は片平を知っている?
もう一つの引き出しを開く。そこには愛用のタバコがある。
給湯室に向かい来客用の灰皿を手にすると粗末な社長用皮椅子に腰を掛けタバコに手を伸ばした。
「朝の一服は効くぜ」
煙草を燻らしながらどうやったら金庫が開けられるか……紫煙とともに杉田の脳髄が動き始めた。
「おはようごぜえます」
的場の声が聞こえた。そして近くの椅子に腰を掛けた。
気がつくと午前七時。いつもなら集合時間なのだ。
「習慣てぇのは恐ろしいでがす。休みなのに七時にはここにきちまうんで」
「おはよう。俺もだ」と杉田は笑った、とその時杉田の脳みそに電気が走った。
「的場、君は金庫開けたことあるかい?」
「金庫でがすか」
的場の目が給湯室前に鎮座している金庫に向いた。
「泥棒時代何回かチャレンジしたことありまさあ。でけんども開けられた試しがありゃあしませんぜ」
「どうやって試したんだ?」
「いやあ、金庫に耳を当て慎重にダイヤル回したんでさあ。カチリカチリと音がすんでさあ。でもわからんでがす。かっぱらった医療用聴診器で試したんでがすが開けられやしねえでがす……え? てぇ事はなんですかい、まさか親分……」
的場は金庫を見やる。
「アレを開けろってぇんじゃござんせんか?」
「そうだ」
的場は手を降る。
「無理ってぇもんでがす。構造自体わからんでがす」
話し合っている間にグローリーを従えた黒川が二階から降りてきた。
「これからグローリーの散歩に出かけます」
「そうか気をつけてな」
送り出す杉田。
このときにも杉田の脳髄に電撃が走った。
「親分、どうしたんでがす?」
慌てるように四本目をまさぐる。
「いやあ、ちょっとなあ」
そこに和道も降りてきた。三回目の電撃が走る。
「おはよう社長、ちょっとしたら朝食を摂りにに出かける。気持ちの良い休日だよ社長」
四本目に火をつける杉田。
「だから社長っ」和道は語気を強めた。「ここは禁煙だよっ」
「ちょっと大目に見てくれよ、あの金庫なんだがね」と杉田は顎をしゃくった。
和道の目が金庫を見つめる。
「泥縄渓谷から引き上げた金庫か? まさか開けようというのか社長」
杉田は手を叩いた。ここで断片的だったピースが揃った瞬間だ。
「さすがぁ和道、図星っ。HALを起動させて金庫を解錠させてくれ」
和道はにべもなく断った。
「HAL9000は閉鎖型人工知能だよ」
杉田は怪訝な顔をした。
「何だよ、その閉鎖ってのはよ?」
和道は説明しだした。
「オープン型人工知能はあらゆる手段を使って情報を自分で集める。閉鎖型は人間が集めたデータを読み込ませるのだよ」
「だからあ、なんだよ?」と杉田はちょっと苛つく。
「こんなことには疎い社長だ。クローズAiでは持ち得た情報を外部に流すことはないのだよ。利点は知り得た情報はHALの中だ」
ますます訳分からんと言った風情の杉田。
「はあ……?」
「オープン型だと情報共有ができる。しかしそれは外部に秘密が漏れる恐れが多分にあるのだよ。それでなくても我が社はオープンにできない機密情報が多数ある、だから閉鎖型を選んだ。私が育てているHAL9000の自慢はそこだよ社長」
「分かったようなわかんねえような。じゃあ、あのグシャグシャの書類を復元するためにナンダカを使ったろう? 外部に接続したんじゃねえのか。オープンじゃないのかよ?」
和道は鼻で笑う。
「あれは、一時的に利用できるクラウドサーバーだよ。利用するだけなので情報は漏れないのだよ」
「何でもいいよ」と杉田は頭を抱える。「あの金庫の解錠さえできれば越狩の冤罪を払拭できるかもしれないんだ。和道、HALと話をしたいんだが」
「そのスイッチを押し給え。私はそこのハングリーバーガーにいる」
そういうと和道は朝食を摂りに外に出た。
『和道はHAL9000になるとタカビーになるなあ』
愚痴りながらもスイッチを押してみた。ポーン……という音とともにHALは目覚めた。
「おはよう」
画面は真っ暗で反応がない。杉田は焦る。「なんとか言えよっコイツっ」
ガタガタ言っている最中、二階から降りてきた寺家は杉田とHALを見つめおもむろに言う。
「ごきげんよう、HAL」
ディスプレーがぱっと明るくなった。
『博士のご友人ですね。おはようおございます』
「何だってんだよ、全く。俺の言うことは無視かよ、コノヤロー」
寺家は言う。
「和道さん言ってませんでした? ごきげんようって言う呪文」
4 力を合わせて
『その金庫を開けるにはまず音響センサーが必要です。それを私の空きポートに差し込み……』
次々と言うHALの言葉を杉田はメモする。
「待て待て、早くて分からん」
『音響センサーで内部の音の相違を一つ一つ解析します。この金庫では数億通りのパターンが考えられ、解析には都合十日必要です』
「そんなかかんのか? とても待っちゃいられねえぞ」
杉田には焦りがある。
『時間的にも金庫の捜索が始まっているだろう。もしあの片平が陣頭指揮を取ったとしたら……いや……彼女の性格なら取るはずだ』
「金庫を奪ったのは越狩の仲間が奪ったのだ。あいつには得体のしれないグループが関与している。なぞを解明するのよ。全員団結してこの闇を取り払いましょうっ」
おう……と捜査官たちが気炎を上げているのが想像できる。
ならば片平より先に珠伊師の正体を暴き、越狩の冤罪を晴らすのだ。ここでしくじると、それこそスケロク商事は倒産の危機が迫るのだ。
「……が以上揃えていただく機器類です。各センサーは」
「分かった分かった。和道に揃えさせるよ」
HAL9000は不満そうに答えた。
『ご友人とはいえ和道と呼び捨てないでください。私にとって博士です』
「分かったよ、ごめんな」といいながら『なんで機械の言いなりにならんのか』と杉田は思った。
「じゃあ親分これで」と言って腰を浮かした的場に杉田は、まってくれ、と言う。程なくして黒川とグローリーが帰ってきたので黒川にも待ってくれ、と頼んだ。そして和道も帰ってきた。
「おや、どうしたのだね?」
和道は黒川や的場がいることに不思議に思ったのだ。
「和道、いやいや博士、これを用意できるか?」と杉田はメモを渡した。
眺める和道。
「ずいぶん検出器がいるようだね。倉庫ひっくり返せば揃えられると思うが……増設用ハブも必要だ。それでこれをどう使うのかな、社長」
和道の言葉に杉田は胸を張る。
「ここにいるみんなで金庫を開けようじゃないか。全員の力を合わせ奇跡を起こすんだ」
杉田の発した言葉に全員がびっくりだ。
「親分何言ってんでがす?」
「越狩を救いたくないのか、的場」
「そりゃあ気の合う仲間でさあ、救い出せれば」
「救い出すんだ。一人ひとりでは何も出来ん。だがな、的場の指先、黒川の聴覚、そしてHAL9000の検出機能、これらを使えば不可能を可能にできるんだ」
『微力ですが』とHAL9000の声がスピーカーから流れた。『協力します』
「ほらHALもそう言っている。希望を持とうぜ」
和道が探し出した各種センサーがHALの入出力に繋がれ、金庫もHAL9000も配線の嵐になった。
黒川には寺家から提供された聴診器を耳に当て、的場は持っている自作聴診器を耳にかけた。
「音立てるなよみんな」
いつの間にか管弦や蔵前、御手洗が固唾をのんで成り行きを見守っている。
HAL9000はダイヤルの構造体を解析するために微弱な電波を金庫に照射する。
『ダイヤルは三重構造。歯車の欠けた一部発見』
淡々と報告を上げるHAL。
『左4コマ』
HALに言われ緊張する的場がゆっくりと左に回す。
「まだ早いですね」
聴診器を当てている黒川は回す音に敏感に反応する。
「やり直すでがす」
的場はリセットするようにダイヤルを回し、はじめからやり直した。ゆっくりと実にゆっくりと的場は左にダイヤルを回す。
カチリ……
的場の指先に感覚が走る。同時に黒川が言う。「それです的場さん」
HALのカメラとしての「目」が光った。
『1つ目は6』
見つめる管弦が言う。
「まどろっこしいじゃんかヨ」
杉田は指を立てる。
「静かにしろ」
「だったら部屋に戻るヨ。開いたら知らせろよな」
管弦は二階の女子寮に戻るように階段を上がってゆく。
「息が詰まりそう」と蔵前。
「僕もぉ」と御手洗が言う。
息詰まる攻防に耐えられなかった二人も静かに消えていく。
「HAL次は?」と杉田。
『右に12コマ』
的場はひとつづつ右に回していった。
「いや?」
黒川が慎重に言う。「八個目でなにか違う音がしました」
「やり直しかよ」と呟く杉田。「HALなんか間違えてないか?」
『私は完璧です』
「えらい自信たっぷりに言うな……」
杉田は皮肉っぽくHALに言う。
「12と8の違いって何よ」と寺家がクチにした。
的場はダイヤルをグルッと回した。それは小気味よい音をたてた。
「おいおい、何するんだよ?」
杉田の疑問に的場は言う。
「ご破算でがす。左6は確実なら、まんず左6っと」
的場は簡単にダイヤルを6の数字の上に置く。黒川の聴覚が『正解』と言っている。
「さて次だけんど」
黒川は左手で聴診器を耳押し込み右手で微細な振動を確かめるべく金庫の筐体を触れながら「始めましょう……」
「デジタルとアナログの共演ね」と寺家がため息交じりに言う。「どっちが勝つのかな?」
杉田は口を挟む。
「勝ち負けじゃない。俺はお互い間違ったことを言っている言うとは思えねえ」
「じゃあ何よ?」
「見解の相違だ。お互い視点が違う。それを修正するのが的場の指だ」
そう言われた的場は真面目になった。
「次は8を目指しまさあ」
陽気にいう的場だが指先はかすかに震えている。ここで間違えばまた最初から、となる。そして8についた途端――
カチリ……
答えは8だった。
『二つ目は8』と冷徹にHALは言う。
「最後の3つ目だ。HAL右か左か?」
『左12に欠損状態あります。原因不明』
「何だよ、ギアだかなんだかが欠けてんのかよ」
表通りで大型トレーラーが地響きを立てて通過する。そのたびにスケロク商事のボロビルがかすかに揺れる。ちょうど通勤の車や営業トラックが動き出し始める時間だ。
朝の横浜が目覚めに入ったのだ。
「やかましくなってきたな」
立ち上がった杉田はカーテンを引く。
「親分、どうします?」と的場。
「どうもこうもない」
杉田は的場を見る。「やるだけだ」
第四部へ続く




