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泥縄渓谷の攻防

1 HALの解析


スケロク商事事務所深夜午前二時。

 窓の外は通る車もなく闇と静寂に包まれている中、事務所一階の一角でライトが煌々と光っている。

 杉田はHAL9000の仕込まれたパソコンの画面を見つめながら文句を言う。

「まだわかんねえのかよ」

 和道も画面を覗き込むが、ものすごい勢いで文字がスクロールされているだけだ。これは解析中を暗示している。

 杉田は給湯室に向かうと来客用の灰皿を持ち出し、机に置く。

 そしてポケットからタバコを取り出し、火を付ける。

「事務所は禁煙だよ、社長」

 杉田の吐き出す煙をおい追い払うように両手を振り払うが、杉田は構うことなく吹かし続ける。

「構うこたァねえ」と気にしない杉田。

「私が肺がんになったら社長の伏流煙のせいだからな」

 杉田は言う。

「タバコ吸ったからと言って肺がんになるとは限らんぞよ」

 机の上にある灰皿に一本目をもみ消すと、すかさず二本目に火を付ける。

「そういや、越狩もタバコ呑みだな。今頃どうしているかな」

 ふと、同情するように杉田はポツリと漏らした。

 和道は迷惑そうだ。

「いい加減してくれないかな」

「アンタ自慢の人工知能でも解析は難しいのかい?」

 それに対し不満そうに言う杉田に和道は答える。

「スキャン資料の解析はHAL9000直接ではないのだよ、社長」

「そりゃ、どういう言う意味だぁ?」

 煙草の灰がぽとりと落ちた。

「社長、灰が落ちたぞ……時間がかかるのは、解析はHALに任せているがぐしゃぐしゃの用紙やインクのにじみからデジタル復元するためHALは自己判断で、外部のスーパーコンピューターの演算能力をクラウド経由で『拝借』しているのだよ。だから時間がかかるのは仕方ないことだよ」

 和道の説明に杉田は三本目を手にする。

「へえ、直接解析してんじゃないんだ?」

「だから社長、タバコ、やめてくれないか。気が散る」

 杉田はニヤリとした。

「気が散るって……そりゃHALが言う言葉だろ?」

 二人が言い合う中、HAL9000の合成音が響いた。

『博士、解読できました』

「おお、できたのか、HAL、でかした」

 自動的に傍らの大型印刷機が音を立て、三枚吐き出された。

 すぐさま和道が解析された文面を手にした。

「社長、見てくれ」

 和道から渡された印刷物には、「氏名」と「供出物」が書かれている。

「サトウヒロシ現金三百万、スズキヒトシ現金二百万、タナカケイタロウ金のインゴット一キロ……何だァ、これ?」

 用紙の三枚目の末尾に「珠伊師和代」の自筆署名があった。

 杉田は顔を上げた。

「これは……党員が珠伊師民主今平党党首に献金したリストだ」

 再度和道が目を通し唸った。

「ざっと見ても一億近い金が……現金だけでない。民主今平党に金のインゴット、ゴブレット、ネックレス、時計……現物まで……それにここを見てくれ、受け取ったとして珠伊師が署名している」

 和道は興奮した。「これは裏金集めの証拠だよ、社長」

 しかし灰皿にタバコをもみ消す杉田は冷静だ。

「どうしてこれが裏金だと言えるのだい? もしも裏金だったとしても、これだけじゃあな、真っ当な政党運営に集められんだと主張されたら終わりだぜ」

「だが社長、これは臭うぞ」と妙に食い下がる和道。

「鬼の首を取ったように言うなよ。裏金かどうかの証拠を抑えないと」

「随分、冷静じゃないか、社長」

 杉田は、フフン、と鼻で笑う。

「あらゆる可能性を潰したうえで結論するもんだぜ。証拠を積み重ねて相手を追い込むんだ」

 その言葉に、和道は、やはり、と思い口にする。

「そういうところを見ると、やはり社長は警察関係者だったのだな?」

 それに対し杉田は嘯いた。

「なんとしても越狩を救い出す手段を考えないと。そうだ和道、HAL9000に見せた黄金の鍵、写真撮ってあるよな? 正体がわからないか?」

 和道はマイクに向かって言う。

「ごきげんようHAL」

『はい博士』

「AIに向かって、ごきげんよう、って言い方あるかよ」

 不服そうな杉田に和道は言う。

「これはHALを呼び出すための、まあ、呪文だな。HAL、この前の黄金の鍵もっとなにか分かることないかな?」

『金庫の鍵のようですがそれ以外情報はありません』

 そっけないHAL9000だった。

「分かったHAL。お休みだ」

『私は大丈夫ですが、博士とご友人は健康のためにお休みになられたほうが良いです』

 HAL9000の声に杉田と和道がは顔を合わせる。

「そうするか」



2 片平の陰謀


 翌朝、神奈川県警

 片平は会議室の片隅で鑑識から提出された数枚の書類を見続けていた。

 それによると越狩から提供された黄金色の鍵は金魂巻製造所から三年前に製造された中型耐火金庫の鍵と報告され、中型でも頑丈に作られ一人では運べるシロモノではないことが判明されている。

『五十キロの中型耐火金庫か。金庫の在処を吐かせようとしたが、別の方法で責め立てるしかないな……』

 そこへ水野捜査一課長が顔を出した。片平は敬礼する。

「やっとこっちの事件は目星がいたが、どうだ片平、そっちの捜査は順調か? 勾留期間が迫っているぞ」

「は。ご心配おかけします」

 水野は机を挟んで向かいの椅子に座り込んだ。

「捜査の邪魔しにきたんじゃない。何度も本部長賞をうけているお前さんだから話すがな、上層部うえから内々に発破をかけるようだ……」

 といいながら水野は額を寄せ、ヒソヒソと話し始めた。

「下手すると本店が乗り込んでくるぞ」

 片平は眉を上げる。

「課長、それは本当ですか」

「ああ、何しろ政界が絡んだ事案だ。とにかく今平党が盗まれたと主張している鍵と金庫を探せとのお達しだ。尾川総理も民主今平党は連立には欠かせない。相談を持ちかけられた尾川総理も頭が痛いんじゃないのかな。それを伝えたく邪魔したわけだ」

「とうとう総理まで話が行きましたか。本店が乗り込んでくる前に必ず解決します」

 水野は立ち上がりながら「頑張れよ。また本部長表彰を受けられるぞ」

 水野が立ち去った後、出世欲に凝り固まった片平は恐ろしいことを考えついていた。

「そうだ、越狩は()()()()()()()()ことにしよう」

 自分の出世欲を満たすため、片平は完全なでっち上げ調書の下書きを書き始めたのだった――


 翌朝の午前八時スケロク商事事務所

 内線で呼び出され和道以外一階事務所に集合した。

 今日、オーデションを受けるといきこんでいる御手洗にとって不満たらたらだ。

「連休なのに呼び出されるって何よぉ」

 御手洗の不満をよそに杉田は言う。

「久々の連休に申し訳ない。伊東の証言が引っかかってな、この機会に泥縄渓谷に向かいたいと思っているんだ。強制はしない、強制はしないが越狩のために一肌脱ごうという気骨に溢れた社員はいるか?」

 月に一度あるかないかの連続公休日だ。御手洗のように公休日だからこそ出来ないこともあるのだ。

「ボス、いきますよ」と祖父江が手を上げた。

「あたしは……穂乃香に会いたいんだけどなあ」と願成寺は言う。

「サヤカはそうしてくれ」と杉田。「他に?」

「予定はないけどさ、元町やみなとみらい、ぶらついてみたいし」と管弦は言う。

「ああ、瑠那もそうしてくれ。ショッピングや美味しいもの食べるには天気もいいしな。ただナイフは持ち歩くなよ」

「行きたいと思うけど」と蔵前。

「直美は足が悪いからな、いいぞ」

 伊東が言う。

「おら、いぐど。ジロキチの言葉しりてぇ」

「そうだ、一番重要だなんだ、伊東」

 黒川が手を上げた。

「私も参加します」

 吃驚した杉田は言い淀んだ。「足場の悪いところだ。黒川さんは不参加でいいよ」

「グローリーがいます」と黒川は見えない目で盲導犬グローリー号の頭を優しく撫でた。

「怪我でもしたら困るから手当のために私もいきます」と寺家優子。

「わっちもいきますぜえ」的場が申し出る。

「和道さんは?」

 管弦の問いに杉田は答えた。「今朝方まで仕事してたからな。寝かせといたんだ」

「社長も一緒だったんじゃ?」と訝しがる管弦。

「俺は道中寝てるさ、それで十分だ。よし、渓流釣りと行こうぜ」

 洒落る杉田に黒川が冷静に言う。

「越狩さん以外釣りは素人では?」

 黒川の言葉に全員が笑う。



3 水面下の発見


 午前九時前、泥縄渓谷めざしてスケロク一号車二号車に分乗し、道すがら弁当や飲み物を買い求めた。

「親方、何にします?」

 的場は声掛けしたが後部座席をベッドに昏昏と眠っている姿はまるで死んでいるようだ。

「多分起きないと思うわ。適当に見繕うから寝かせときましょう」と寺家。

 大した渋滞もなく昼前には公共駐車場に到着した。その間中でも杉田は起きる気配がない。

「社長、ついたよ」

 大声を上げた寺家に寝ていた杉田がようやく起き上がり、座席をもとに戻し大あくびをした。

 そして事前に和道から渡されている地図を見ながら方向を確かめる。

「ここから伊東の言う橋はここから上流に向かって歩いて三十分位っだな。ただ足場が悪いんでそれ以上かかるかもな」

「おら、持つ」

 伊東は弁当など詰め込んだリュックを担ぎ上げた。「わっちも大丈夫でさあ」と的場。

 一行は歩き出した。

 グローリーは危ない箇所を見つけながらゆっくりと黒川を先導する。

 渓流の両脇から青々とした木々が伸び、日差しを和らげている。

「新緑で清々しい。空気が綺麗だ」

 黒川が声をはずませるが、同時に首を傾げる。

「水音に勢いがないように感じますね」

 言われる杉田は川面を見る。水量が少ないようにも思えるが、普段の状態を知らないのでなんとも判断のしようがない。

「そういえばこの何ヶ月か雨が降ってないわね」と寺家は思い出すように言う。

下流から上流に至る道すがら、年配の釣り人の姿を数人見た一行。スケロク商事では連休でも世間一般では火曜水曜は平日なのだ。

 的場が川辺に腰を掛け帽子の隙間から白髪が覗く初老の男に声をかけた。「どうでがす? 釣れるでがすか」

  人懐こそうな男性は答える。

「このへんは、いつもなら釣れるんだがねぇ。今日はダメだね、水量が少ないんで魚も下流へ逃げちまってらあ。あんたら、ピクニックかね? 天気も上々だし」

 杉田達を見て男が言うと腰を上げた。「もっと下に場所変えだぁな」

「ピクニックか? そんな風に見えるならまずは成功だな」

「何が成功なの?」

 寺家の問いにひょうひょうと杉田は答える。

「越狩調査団には見えんだろ。警戒されずに済むってもんさ。けど的場、いい問いかけだな、水量が少ないという情報を得たぜ」

「泥棒時分に覚えた技でさあ」

 的場は笑った。「わっちは逃げ出す算段をしてから泥棒に入ったんでさあ。渡って逃げられるか水量にも気を使うんでさあ」

「泥棒ってぇのはそんなことまで計算に入れるのか」と祖父江。「組事務所の出入りじゃ考えたこたァねえ、やるかやられるかだ」

 杉田は釘を刺す。

「昔の話は無しだぜ、せっかくにピクニック気分が台無しだ」

 程なくして渓流をまたぐコンクリートの橋が見えてきた。

「あそこか」

 突然祖父江が立ち止まり対岸方面を指さした。

「ボス、アレは?」


 そこで見つけたもの――。


 向かい側の川面から金属に光る棒状のものが突き出ている。

「う~ん?」

 杉田は目を凝らした。

「なんだか気になるな……水量が低いといっても川に入るわけには行かんし」

「ボスの言いつけなら、飛び込みますぜ」と祖父江。

「待て待て、いくらドクターがいると言っても風邪ひかれたら困るぞ」

 杉田はカメラモードに切り替えた携帯を取り出し川面を撮りまくった。

「写真見ながらここでお昼だな」

 木漏れ日の元、めいめいがお弁当とお茶を取り出し、護岸に座る。優しい風が頬を撫でる。

 伊東だけはお茶代わりにカップ酒を取り上げ弁当を広げる。

 杉田はタバコを吹かしながら写真を眺め、現場の川と交互に見比べる。更に拡大するが画面が荒れて何が写っているのかわからない状態だ。

「何が映ってると思う?」杉田は写真を見せるが的場や伊東も判別できないなか、寺家が言う。

「和道さんいるんでしょ? その画像、HAL9000まで飛ばせない?」

 杉田はぽん、と手を打った。

「HALに解析してもらおうってか、さすが常務」

「馬鹿なこと言ってないで。どう、飛ばせそう?」

「やってみよう」

 杉田は和道に連絡を取り、飛ばす手順を受けた。

「こうすりゃいいんだな」

「そうだよ社長。分かり次第HALからそっちに答えを送る」

「荒れた画像なんだけどよ」

「たしかにデジタルズームは画像が荒れる。だがHALはピクセル補完できる超解像度エンジンを持っているのだよ、社長」

 受け取ったHAL9000は早速画像処理に取り掛かり――

「水面から突き出たものは形状から判断しますと、台車の手すりです。かなり大きめです。水面下に写っているのはクリーム色の四角い金属のようですが、これだけでは判別不能です」

 杉田の携帯からHAL9000の声が響いた。

「やっぱり飛び込みます、ボス」

「いやいや待て待て。そうだこうしよう。作業服と長靴あるよな?」

「トランクに着替えとして常備してまさあ」と的場が答える。

「何考えれてるの耕一……じゃない、社長」

 言い淀む寺家を見ながら杉田はニヤリとした。

「みんな耳をかせ。ドクターと黒川探偵はグローリーとここで待機しててくれ。店番だ。残りは駐車場に戻り予備の作業服に着替えて駐車場から車を出す」

 黒川と寺家は押し黙っている。何をお互い気を紛らすために話そうかと思っているのだが。グローリーはふせの状態だ。

 寺家が口を開く。

「変なこと聞くけど、目が見えなくなったのはいつくらい?」

 黒川は当たり前のように答える。

「産まれたときからですね」そういいながら黒川は濃いめのサングラスを外す。両目のまぶたは落ちくぼみ、明らかに眼球そのものがない状態だ。

「ごめんなさいね変なこと聞いて」

「大丈夫です。嫌というほど昔から聞かれているので」

 そういいながら黒川はサングラスをかけ直した。

「その代わり両親から視覚以外の感覚を叩き込まれました」

「カギ齧ったのもそのせい?」

 黒川は右手を上に向け「ドクター、ここに手をおいてください」

「こう?」

 黒川の触覚が寺家の手のひらから情報を読み取る。

「ドクターはやはり凄腕ですよ」

「そんなことわかるの?」とびっくりするがその表情を読み取ることはない。

 黒川は淡々と話す。

「昔、光学機器メーカーでレンズをこの手で磨いていた職人でした。0.01ミリ以下の歪みをこの指先で探っていたものです。当時、上司から『君は神の指先を持っている』と言われた」

「凄いじゃない」

「しかし倒産してしまい、行き場のない中杉田社長に雇われたのです」

 寺家は興味ありげに黒川に尋ねた。

「黒川さんにとって杉田社長ってどんなイメージ?」

 淡々と話す黒川。

「第一印象は社長の体臭ですね。何しろタバコの匂いが強烈で。話し方は毅然としていて……時折冗談を飛ばしますが、アレは社長一流の照れです。……ああ、車の音が聞こえてきました。会社の車が二台聞こえます」

 そう言われ聞き耳を立てた寺家だが、まるきりわからない。

「足音から判断すると社長を先頭に伊東さん的場さん……」

 言い終わらないうちに「おう、待たせたな」と杉田の声が……。

 一時間もしないうちに杉田と祖父江、的場、伊東が作業服と長靴に着替え戻ってきた。杉田以外スコップとロープを手にしている。

「さあ、計画通りに行こうぜ」

 ワラワラと対岸の岸辺にたどり着く。そして元大泥棒の的場がHAL9000が台車手すりと判断したものに手際よくロープを結びつけた。

「よーし、引っ張り上げろっ」

「せーの……よいしょ……」

 徐々に水面から引き上げられた物体――HAL9000の明確な答えとしての『台車』がザアザアと水を噴き上げながら姿を表した。

「見事だHAL、図星だぜ、てぇってことはこの下にある金属は……」

 突然後ろから女の声がした。

「なにしてます?」

 思いを巡らしている最中、後ろから声を掛ける女の声に全員凍りつく。

 振り向くと警官が二人怪訝そうに見つめているのだった。

「何やってんだい?」と男性警察官。

 二人は周辺を巡回している地元警察官で不審な行動をに思い声をかけたのだった。

 祖父江たちはひやりとした。

 職務質問、任意同行……過去のいやな記憶が蘇り、言い訳が思いつかない――

 そんな窮地の中、杉田は平然と答える。

「近隣から水辺が汚いから清掃してくれ、と要請がありましてね」

「川の掃除ですか……その台車は?」

「イヤナニゴミを載せようと思って用意した台車ですが手を滑らせちまってね、引き上げたところなんですよ」

「そうかい、ま、それはご苦労さま」

 相方の男性警官は言う。

「作業、気をつけてね」

 女性警官が言うと一応納得した二人の警察官はその場をあとにした。

 祖父江は感心した。

「さすが、ボス、機転が利きましたね」

「サツ見た時ヒヤヒヤモノでがすよ」

「んだ」

 杉田は答える。

「咄嗟の嘘でも経験が物言うんだ。だが彼ら戻ってくるかも知れんぞ。戻ってきたらそれこそ厄介だ。さっさと済ましちまおう」



4 攻防


「あっさり終わっちゃったけどなんとなく気になりますね」と女警官。

「おんぼろの車が止まってたけど、あの業者の車だろう。ナンバー控えとけば良かったかな」

「引き返します?」

「そうだな……」

 乾燥して砂埃が舞う道の途中、二人の警官が向こうから自転車に乗って近づいてきた男を認めた。自転車の男性は町内会の会長だ。町会長は自転車を降り二人に会釈する。

「ご苦労さんでござんす」

「町会長、こんにちは」と顔なじみの男警官。三人がとりとめのない話をする中、女警官が言う。

「ところで町会長さん、川の清掃、いつ頼んだのです?」

「川の清掃……? はて何のことでござんすか」

「今しがた川の清掃業者と話をしたのですよ」と女は話しだした。

「川向うの杉作さんが勝手に頼んだんでござんすかねえ? いやあ、そんなことはあんめえ。町内の行事は町会費が絡んでくるんでござんすよ。それに今の時期に清掃なんて計画は入っとりませんでござんす。……どこの業者だって言いました?」

 話の中で警察官特有の感が働いた。

「町会長さん、ちょっとご一緒できますか?」

「ええとも、畑仕事終わったし、ワシも気になるでござんすよ」

 自転車を押す町会長とともにもと来た道を引き返した。二人の警察官は町内会長の証言に清掃員の動向がかなり怪しく思えてきたのだ。

『落ちた台車を引き上げる……あり得るかもしれないが、どうも不自然だ』

 二人の警官は同じことを思っていた。しかしここで杉田たちが職務質問されたら計画どころか窮地に追い込まれる。


 危うし、スケロク商事――


 その時黒川が鼻をひくつかせ杉田に言う。同時にグローリーが立ち上がる。

「先程の警察の方がきますっ」

 黒川の声に全員が総毛立った。

「捕まっちゃあ、お陀仏だッ逃げるぜッ」

 杉田の号令に浮き足立つがその中でも黒川は冷静だった。

「証拠を残すのはいけません。台車、持って帰りましょう」

「こんな重い台車?」と寺家は悲鳴に近い声をあげた。「今からじゃ無理よ」

 寺家の悲鳴に触発され三人が呼吸を合わせた。

「任せろ」「合点でがす」「んだな」

 えらい勢いで三人が重い台車を担ぎ上げた。先回りした杉田はスケロク三号車の後部ドアを跳ね上げた。

「それっ」

 三人は呼吸を合わせドロドロの台車を放り込んだ。勢いのあまり「ガシャン」と大きな音が渓谷中に谺するが、逃げるのに必死だ。

「皆、乗り込めっ」

「グローリーッ」

 黒川はグローリーのハーネスを素早く解除する。その動きはまるで見えているようだ。盲導犬グローリーも後部ドアが閉まるより早く飛び乗った。

「黒川さんも早くッ」

 寺家は黒川の腰に手を当てると力任せに押した。膝をぶつける黒川だが乗り込むのを確認すると杉田は後部ドアを勢いよく閉める。

「ドクターはケンジの車へっ」

 飛び乗る杉田が、祖父江が、エンジンをかける。ギアをドライブレンジに入れる。小石を派手に跳ね上げ急発進させる。

 ガチャガチャと甲高い金属音を響かせながら台車が踊り出すが構う余裕など無い――

 


「あれ?」と警官が声を出した。

 そこには誰もいない。せせらぎだけがあたりをこだまするだけだ。

「ここで複数の作業員がいたんですよ。おかしいなあ」

「ふーん」と町会長は腕組みをする。ぐるりと見渡し首を左右に振る町会長。

「雨が降らないから水かさは減ってますんで、清掃にはちょうどイイっちゃあちょうどいいんでござんすが」

 水量が豊富だった時期では水没していて台車がここに眠っていたことは知らない。

 町会長は川面を覗き込む。

「ここが妙にえぐれているんでござんすが……ま、町内会におふれ出しときましょ。最近は物騒でござんすからねえ」

 男警官が言う。

「そうしてください。何かあったら遠慮なくご相談ください。こちらも無線で報告入れときます」



5 大嘘


 同じ時間帯神奈川県警取調室

「苛つくね」

 片平は越狩を睨んでいる。

「さっさとゲロしちまいな。前科モンのお前は釣り上げたんじゃなく、職質で捕まったんだ」

 片平が言う事にびっくりする越狩。釣り上げたのがいつの間にか職質に変更されている。

『この女刑事デカありもしない罪をなすりつけるんでやんすか、だったら余計口出ししないでやんす』

「言いたくないのはわかるよ。ホントのことだからね」

 無言を貫く越狩をいいように辺りの刑事や警察官に言い回す片平。

 でっちあげだろうが彼女は出世欲に目がくらんでいる。出世欲に歪んだ片平には越狩を有罪に持ち込む必要があるのだ。虚偽自体警察官としてはあるまじき行為だが、出世のためならなんとも思っていなかった。

「状況証拠でも検察に送れるんだよ……越狩」

 片平は睨みつけるが逆に無言を貫く越狩は毅然と立ち向かい一言を言い放った。

「いいでやんす」

 今まで無言を貫き通していた越狩の一言に片平の頭に血が上ったようだ。

「なんだと、お前っ!」

 片平は脅すように越狩の襟を掴み強引に揺さぶった。揺さぶられると越狩は横を向き、また貝のように押し黙った。

 越狩を突き放した片平は拳を握りしめ殴りかかった。傍らの刑事が慌てて片平を止めに入った。

「片平巡査長っ、暴力はいけませんっ、録画されてますっ」

 止めに入った刑事の必死の言い方に片平は肩で息をする。

「忌々しいやつだっ」

 そういいながら片平は不満のはけ口を机に求める。蹴飛ばされた机が派手な音を立てる。

 若い警官が顔を出した。「片平刑事、お電話です」

「電話? 取り込み中だっ」

 苛つく片平に警官が言う。

「それが……民主今平党党首珠伊師さんからです」

「何だって?」

 片平は急に冷静になった。

 見張っとけ、と警官に言いながら別室で電話を取る片平。

 珠伊師の声が響く。

「県警から被疑者を捕まえたと報告、受けましたわ。それでどうなの、まだ所在がわからない? アナタやる気あるの?」

 棘のあるような珠伊師だ。言葉の端々には明らかに党首は苛立っている。片平は大嘘をついた。

「盗まれた金庫の所在分かりました」

「え、分かったの?」

 明らかに珠伊師の声が変わった。「早く返してくださいな。党の存続に関わるのです」

「分かりました。証拠品の精査を行いますのでもう少し時間をください」

  消えたカギと金庫……電話が切れると珠伊師からの圧力を嫌と言うほど感じた片平だ。それに大嘘をついてしまった片平。もはや後戻りできない切迫した状態になった。

『嘘をついてしまった。どうしよう……』

「片平巡査長」

 後ろから声が響き片平は振り返る。

「八王子警察署から入電です。泥縄渓谷で事案が発生しました」

「なんだって?」

 傍らの机に設置してあるタブレットを見た。全国の警察署からの報告を見ることができる。

 片平は検索項目に『泥縄渓谷』と打鍵するとすぐに浮かび上がった。

「不審な清掃作業員?」

 片平はその文字を凝視する。

「台車を引き上げた作業員だがおかしな振る舞いで……」

 この時、片平の全身に雷が撃たれたような衝撃を感じ、踵を返した。

「片平巡査長、どちらへ?」

 若い警察官に言い放つ。

「泥縄渓谷に行ってくる」

「今日の容疑者の尋問は終わりにしますか?」

「ああ。独房に放り込んどけ」

「は」

 若い警察官は敬礼した。


 日も暮れかかろうかというような夕方

「神奈川県警の刑事さんでござんすか」

 片平から名刺を受け取った町会長は驚くように片平を見た。片平の後ろには先程の警察官二名引き連れている。

「遠いところから、まあ……」

 片平は言う。

「早速ですが得体のしれない作業員がいた場所に案内してください」

 町会長は薄い頭髪の頭を掻いた。

「得体のしれないってぇのも、なんなんでござんすが、分かりやした。案内します」

 四人は程なくして杉田たちがいた場所についた。

「ここで台車を釣り上げていたんですよ」と男警官。

 周辺が黄色く染まり始め、夕日が沈みかける。

 片平は現場を睨みつける。

『アレは?』

「刑事さん何をなさるんでござんすかっ?」

 私服のまま、いきなり片平が駆け出し川に入り込んだのだ。

 目を見張る町会長たち。

 ずぶ濡れの片平が勝ち誇ったように叫んだ。

「あった! ここにあったっ」

 片平は沈んでいる金庫の手応えを感じていたのだ。

 冷たさも何のその、『これで確定だっ』と片平の脳髄に調書が浮かび上がった。

「刑事さん刑事さんっ、無茶でござんす!」

 町会長の驚く声が夕日に響いていった……。



6 片平の当惑


 町会長宅

「これから八王子署に」といいかけた片平は大きなくしゃみを連発した。無理もない。春先の渓谷の水は冷たい。

「ブツを引き上げに」再度大きなくしゃみ。全身が寒さで震える。

「刑事さん、唇、真っ青じゃござんせんか。今風呂たてますんであったまってからでも遅くはないでござんすよ。おーい、お前」

 町会長は妻に声をかけ風呂をたかせる。

「そ……それには及びません。時間が……時間が勿体無い」

 ブルブル震わせる片平に同情するように女警官が言う。

「片平刑事、本官が無線で手配しますので町会長さんのご厚意に預かられては」

 同時に男性警察官が無線で成り行きを報告する。

「――了解しました。明日朝九時半頃レッカー車で釣り上げます」

「今日じゃダメなのか?」

 警官が言う。

「この時間では業者に手配かけるのがせいぜいですよ。片平刑事も承知でしょう。……では我々は引き上げます。何かあれば本署へ」

 警官二人は敬礼をして町会長の玄関をあとにした。

 町会長の奥さんが「沸きましたのでどうぞ、こちらへ」と風呂場を案内する。

「着替えはどうすっだ?」

「娘が使っていた下着ありますよ。取り敢えずこれで」

「花柄? おい、ずいぶん派手なパンツだな」と町会長は示された下着を見る。

「刑事さん、どう見ても四十は過ぎてんだろ? いくら娘のと言ったって花柄パンツ、派手じゃござんせんか」

「誰に見せるってわけじゃないんだよ、お前さん」と妻は笑う。

 風呂に浸かりながら片平は次の手立てを考えていた。

『あんな場所にあったなんて。誰がどうして……? いやそんなことより調書を書き上げ検察に送致だ。証拠が出た以上ガサ入れは不用だな。さて、どうやって組み立てていこうか……』

 風呂から上がり派手な下着に目を丸くし、用意されていた服に着替えた片平は、お礼を述べて退去する予定でいた。しかし――

「タラの芽とウドの芽、天ぷらにしたんでござんす。塩で召し上がると最高でござんすよ。刑事さん、いけるクチでござんすか」

 町会長はぐい呑みの格好をしながらにこやかに言う。

 当惑する片平。

「いやせっかくですがご辞退いたします」

 しかし半ば強引とも言えそうな町会長。

「まま。いいじゃござんせんか。なんなら泊まっていってください。明日神奈川からお越しいただくより今日はゆっくりと」

「これ以上のご厚意は……まだ仕事が溜まってますので帰ります」

「この時間ですと人っ子一人通りませんや。いくら刑事さんと言ったって女子(おなご)でござんしょ。部屋いくらでも空いてますんでごゆるりと。それともなんですか、これは賄賂とでも言うんでござんすか」

「いや、そんなわけではありませんが」

 ……まあ確かに都会とは違い、物騒といえば物騒だ。また、町会長一家はお人好しでもある。結局流されるままご厚意に預かることにした片平だった。

 すっかり酔っ払い、ふかふかの布団に身を包むと、執念深い片平でもストンと寝に入った。


 しかしこれは片平の油断でもあったのだ。


 深夜零時

 泥縄渓谷にゆっくりと大型貨物車が近づいてきた。

 エンジン音が止まり、中から杉田と祖父江、伊東が出てきたのだ。

「休みなのに悪いな」と杉田が囁く。

「ボスと越狩のためなら、火の中水の中ですよ」

 息を殺すような祖父江の文言。

「いくらひとが通らないとはいえ十分注意しろ。さ。作業開始だ」

 杉田は一足先に金庫を取り上げようと画策していたのだ。

「わし、いぐ」

 いきなり伊東は作業服を脱ぎ捨て褌一枚になった。闇夜に浮かぶ白い褌――

「ケンジ、滑車の用意だ。橋の欄干に引っ掛けろ」

「分かったボス」

 ゆっくりと伊東が水に入る。流石に渓流はつめたいが伊東は平然としている。

「ロップくれ」と伊東。都合三回水中に潜り起用にくくりつける。

「準備完了」

 水中から伊東は上がると声をかけた。

「銀次、中で着替えろ。風邪引くなよ」

 無言で頷く伊東。貨物車に乗り込み手早く拭き取ると、用意してあるコップ酒に自然と手が伸びる。

「引くぞいいか?」

「了解だ、ボス」

 三本のロープを呼吸を合わせながら、ゆっくり、ゆっくりと引き上げてゆく。ザアザアと音を立てながらクリーム色の物体が姿を表した。

 昼頃手に入れた丈夫な台車に載せることに成功した二人は、貨物車までギシギシと音を立てる台車を押していく。

 伊東は後部扉の開き台車を招き入れる。

「そおれっ」

 息を合わせた三人が金庫と台車を荷室に入れる。

「ヨシ、作戦完了。見ろ、やっぱり金庫だ」

「台車くくりつけますかボス」

 杉田は時計を見る。「時間がない。暴れたって仕方ない。そのままでずらかるぜ」

 杉田は貨物車のエンジンをかける。そしてゆっくりとその場を立ち去っていった――


 かくしてスケロク商事は金庫の回収に成功したのだった。


朝九時

「なんてことよっ」

 せっかく見つけた金庫が消えているのだから片平の衝撃はいかばかりだろう。

 地団駄を踏む片平。しかしそれはこの出来事に片平の頭の中ではさらなる悪魔の囁きが――


第三部へ続く


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