表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

越狩、大物を釣り上げる 

1 泥縄渓谷


 火曜日はスケロク商事の公休日だが事務所では杉田と和道は真剣な面持ちで額を突き合わせていた。

「今月末の支払いはどうするかね、社長」

「奇跡でも起きない限り、どうにもならんな」

 杉田は浮かない顔で片手に顎を乗せている。

「ここで資金繰りが滞ると……」

 深刻な顔をする和道が言うと、杉田は両手を上げ万歳をした。

「……倒産だな……」

 杉田の声に和道は眉間にシワを寄せる。

「犯罪者だった私を救ってくれたのは社長だ。その恩に報いるべく私はスケロク商事に出資した。それだけではない。前科者を雇い入れる社長の技量と情熱に私は共鳴したのだよ。倒産なんてありえない」

 杉田は頭髪を掻きむしった。

「ここまで追い詰められるとなあ、理念も理想もないぜ」

「弱々しい社長を見るには忍びない。この状況を打開する手段を選ばないと……私は決断する」

 強く言う和道にピンときた杉田は諭す。

「また金庫破りに手を染めようなんて考えるなよ」

 和道は言う。

「……未だ各銀行のサーバーに侵入して金利の端数をせしめる技術はあるのだよ、社長」

 杉田はどんと机を叩いた。

「馬鹿言うなっ。そんな汚い手で会社を存続させるくらいなら、倒産を選ぶっ」

 黙って聴いていたHAL9000は合成音を響かせた。

『御二人とも冷静になられてください。このままですと倒産確率は九十%になります』

「冷静になれって言われてもなにか打開策でもあるというのかね、HAL」

 和道がHAL9000に質問するととんでもないことを言い出した。

『博士。私をダーク・サイドに売り込んでください。ダークサイドでは人工知能を欲しがっています。私を売れば数億なんてすぐです』

 思わず和道はHAL9000の仕込まれたパソコンを抱きしめた。

「HAL、お前ってやつは」

 普段冷静な和道の両目に光るものが……。

「ダークサイドで声掛けをして賛同した連中を引き入れたのは私だ。だがここまで育てたのは私だ」

『博士、それは承知しております。しかし感情はありません。博士のお役立つなら』

 和道は感極まって泣き出した。「オマエを手放すにはいかない……」

 杉田はあきれたように言い出した。

「おい、何やってんだよ。そんなしけた芝居、みたかァないぜ。HAL、オマエを売り飛ばすのは最後の最後だ。それより傘内信用金庫に資金繰りをお願いするのが常道だ」

 泣き顔の和道は杉田を見た。

「借りまくっているんだ、これ以上は無理だよ社長」

「だがよ、いくらしぶちん信金でも倒産されたら資金の回収もおぼつかんだろ?」

 言い合っているそばにクーラーを肩越しに抱えた越狩が悠然と現れた。

「お休みなのに打ち合わせでやんすか。おやあ、和道さん、泣いてるんでやんすか? まさか社長にいじめられたとかで?」

 杉田は言う。

「今後の経営方針に対して話してるんだ、どこかに出かけるのか?」

 越狩はにぱっと微笑んだ。

「渓流釣りでやんす」

 杉田は戯けた。

「越狩は釣りが趣味だったなァ。大物頼むぜ。それがみんなの今晩の夕食に乗るかもしれないし、重要だぞぉ」

「分かりやした。腕をふるってくるんでやんす」

 口笛を吹きながら越狩は事務所をあとにした。

 見届けると杉田は和道を見つめた。

「俺には夢があるんだ。前科者はハナッから前科モンで産まれたわけじゃない。訳あって犯罪に手を染めたはずだ。和道、君もそうだろう? 自分の地位をいいことに顧客の金利の端数何銭を掠め集めポッポに入れ、捕まった」

 和道は自分の過去を出さずにはいられない。

「だろ?」

「社長の言う通りだ」と和道は白旗を上げた。

「そうだよ、それを社長が拾ってくれたのだ」

 杉田はため息を付いた。

「俺はそんな連中を嫌と言うほど見てきた。だが大半は根はいい奴らだ。しかし社会は冷たい仕打ちしかない。だから俺はそういった前科者でも受け皿にならないかと、それでスケロク商事を立ち上げたんだ。俺はどうなってもいいが、アンタらのためにも倒産せるわけにはいかねえ。たとえ前科者でもな――」

 和道はふっと思った。

「そんな連中を嫌と言うほど見てきた?」

 言われれば杉田の過去を誰も知らない。

「だれも社長の生い立ちは知らない。何をしていたのかね?」

杉田は呟く。

「昨日の事は忘れた」

 聞いていたHAL9000が突然合成音を響かせた。

『博士のご友人は立派な方です。私は感動しました』

 杉田はHAL9000が仕込まれているパソコンに向かって戯けた。

「おい、人工知能ってやつは感情がないとさっき言ってたよな。ありゃあ嘘かぁ?」



 一方、越狩は新横浜駅行きバスに乗り込み、横浜から高尾方面に向かった。高尾に到着し地元のバスに乗り込む。向かった先は渓流釣りでは穴場の泥縄渓谷だった。

 新緑が見に痛いほどの穴場だ。小鳥はさえずり、流れ越しには川魚が泳いでいるのが見える。

「空気がうまいでやんす」越狩は清々しい空気を吸う。

 普段の喧噪感を忘れさせる清涼感が越狩の心を踊らせる。越狩が釣り好きにさせたのは、まさにこれを手に入れるためだけにあると言っても過言ではない。

「さあて……どこにするんでやんすかな」

 呟きながら勢いよく流れる渓流の土手を、普通の釣り人なら足を取られるような苔むした岩の上を越狩は玉乗りで培った技術でヒョイヒョイと上流に向かって歩いていく。

 急な流れが緩やかになった場所に到着した。

 流れを変えるような大きな苔むした岩がある。地元では落ち武者の大猿岩と呼ばれている。

「あそこの淀んだ場所がいいか……」

 越狩は淀みのある場所を選んで傍らにある石を複数積み上げ釣り竿を設置した。

「食卓に登るか……みんなのことを考えると大量に釣り上げないとならんでやんす。責任重大重大」

 食料事情が改善されたとはいえ、公休日では二階の倉庫件会議室で全員が食料を持ち寄り、食卓を囲む流儀がいつの間にか出来上がっていたのである。これは在日米軍の支配により食料が滞っていたときの名残だ。

 越狩は釣りの合間に小石を手に取り器用にジャグリングし始めた。これによって玉乗りピエロ時代を思い出すのだ。

「あんときゃよかったでやんすなあ……観客から拍手をもらい、花形だったでやんすよ……」

 思い出すと急に涙があふれだした。

「練習していた時にバランスを崩して床に叩きつけられたときは、正直怖かった。今までなんとも無く出来たことが当たり前だった演技が急に怖くなり……」

 越狩は過去を思い出し小石を手玉に取り、更には両手でホイホイとなんの造作もなくジャグリングをしはじめた。

「もう元には戻れないでやんす――それでも杉田社長は温かく迎えてくれた」

 過去を振り返りながら器用に放り投げていた越狩だが、釣り竿がしなったのを見つけた越狩は小石放り投げ竿を手にする。

 ガツンと根掛かりしたような重みが走り、リールを巻くと、魚の引きとは違う泥を掴んだような鈍い感触が伝わってきた。ぐっと引き寄せると流れに抵抗するかのような手応えだ。

「この手応えだと大きな鯉かでっかいうなぎか、さもなくば伝説の怪魚――」

 わくわくしながら格闘の末、釣り上げたのは――なんとも大きな鞄だった。

「何でやんすか」

 呆けた顔で泥水がザアザアと滴り落ちる鞄を見つめる越狩。

 落ち着いたところで越狩は鞄を手にすると上部のチャックを見つけた。なんとなくチャックを開け中を覗くと残された泥水の中に鞄にそぐわない「金色の鍵」があった。つまみ上げる越狩。

「妙でやんすな。古びた鞄にピカピカの鍵……」

 その時妙な胸騒ぎがした。振り返るといつの間にか背後に男が二人。作業服に身を固めた格好はどう見ても釣り人では無い。一人が言う。

「こんな所にあったのか、その鞄、俺たちが落としたんだ。返せ」

 横柄な言い方に越狩には不信感が一杯だ。

「釣ったのはオイラでやんす。あんたがたのものって証明出来るんでやんすか」

五月蠅(うるせ)えッ」

 一人が奪い取ろうと歩みを進め手を伸ばした。軽く身を翻す越狩。

「あ」

 苔むしたような岩場だ。足を取られた男は叫ぶと、渓流に頭から突っ込んでいったのだった。

「泳ぐにゃまだ寒いでやんすよ~」

 水面から頭を出した男が叫ぶ。

「俺のことはかまうなッ奪えっ!」

 我に返ったもう一人が越狩を襲う。

「渡すもんか」

 足場が悪いがクーラーと鞄を抱え込んだ越狩は器用に飛び跳ねる。

「待ちやがれ」

 男は追いかけるが軽業師だった越狩と距離が開く。そのうち「うわ」と言う声と共にもう一人も渓流に……。


 クーラーに鞄を押し込め帰路についのだが、この鞄と鍵がこれからの騒動を引き起こすとは、スケロク商事にもわからなかった。




2 鞄


 二階の倉庫兼会議室では、炊きたての御飯、味噌汁が並べられている。

 鞄を見た願成寺がぼやいた。「喰えねえじゃんよ」

 越狩の釣果を見て杉田はがっかりしたが気を取り直した。

「ま、こんなこともあるさ。瑠那、雄馬といっしょに買い出ししてこい」

 杉田は革財布を広げた。そこには、なけなしの一万円札が一枚――。

 ぐっと睨んでいた杉田は最後の札を抜き出し管弦に渡す。そして一言、釘を差す。

「これっきゃないんだ、瑠那。酒ばっかり買ってくんなよ。シューマイとか唐揚げとか、おかずだぞ。大事に使え」

「わかってるサ。おい、荷物持ち、こっちきな」

 管弦は御手洗を指で招いた。

「何よぉ、荷物持ちってぇ」

 不満そうな御手洗に「か弱い女子に荷物もたせんのかよ」と管弦。

「どこがぁか弱いのぉ~?」

 管弦は御手洗の頭をはたいた。「いいから、来いよ」

 捨て台詞のように吐き出し御手洗とともに事務所を出ていった。

「とんだ災難だったな」

 改めて杉田は越狩に言う。

「そうでやんす。でも何が何だか分からんでやんす」

「男二人が奪おうなんてそんな重要なものなのか?」

「これでやんす」

 杉田に対し越狩は乾いてガサガサになっている鞄を渡した。杉田が鞄を広げ覗き込むと、鞄の底には似つかない金色の鍵がある。

「鍵か……いや待て内側にポケットがあるな」

 覗き込む杉田の声に越狩は気がついてなかったが、もう一つのチャックを見つけたのだ。内側のチャックを開けるとそこにはぐしゃぐしゃになった用紙が三枚。泥だらけでおまけに水を含み容易に判読出来ない状態だ。破けないように慎重に取り出す杉田。

「人の名前のような――名簿か? ドロドロで読めんぞな。和道、飯すんだらHALに解析して貰えるかな」

「分かった」

 次に鍵を取り上げつらつら眺めた。

「泥鞄の中に入っていた割には随分と綺麗じゃないか。金でできているのか?」

 そう言いながら杉田は和道に鍵を渡した。和道はひっくり返したり試すがめつ眺めたが、わかるはずもない。しかし杉田の目にはなにか謎を含んでいる、と直感していたのだ。

「越狩、どんな場所で釣り上げたんだ?」

 杉田の問いかけに得意げに語り始める越狩。話し始めると止まらないのも越狩の癖だ。

「落ち武者の大猿って言われる岩のすぐそこでやんす。落ち武者の大猿伝説が泥縄地区に御座いまして、かの昔源氏に追われた平家の残党領主がこの地に追い込まれ、もはやこれまで、我に力を与え給え、と護摩を焚き一心不乱に天に祈ると、あに図らんや祈りが天に通じ領主が大猿と化し、ちぎっては投げちぎっては投げ、獅子奮迅の活躍で源氏の一党は窮地に追い込まれんでやんす。その時弓の名手、ときの源三郎時貞が放った一本の矢が大猿の額に突き刺さり――」

 杉田は渋い顔をした。

「講釈師かよ。誰か、やめさせろ」

 後ろから伊東の手が伸びた。「うぐ」目を白黒する越狩。

「要は大猿の岩の付近で釣り上げたってことだろ?」

「そうでやんす」と伊東の手を振りほどきながら言う。

 さらに金色に輝く鍵を代わる代わる手に取る。

「どっちにしろ食いもんじゃないし」と願成寺。「的場さん、元泥棒として見たらなにか分る?」

 願成寺の問いに的場は首をひねる。

「玄関の鍵ではないでがすな。金庫の鍵の様でがすが?」

 伊東は手に取ると暫くの間眺めていた。彼はなにか感じたように宙を見つめた。その無言の仕草を見ていた杉田は問いかける。

「銀次、なにかわかるのか?」

「なんでもね」

 黒川が冷静に言う。

「越狩さんが襲われたからと言って、取得物を勝手に開けて良いものでしょうか。素直に警察に届けるのが筋だと思いますが」

 杉田は簡単に言う。

「襲われた理由があるんじゃないかとおもったんだ。中身は鍵と用紙だけだし、そっともとに戻せばいいんじゃね? 黒川も気になるだろ?」

「しかし指紋など付着しますね」

「拭き取りゃいいんだよ。ホレ、黒川も触ってみ」

 いきなり手に掴まされた黒川だったが「この感触、仄かに香った臭い――触覚、嗅覚――」とつぶやきながら突然、鍵を囓った。

 吃驚した願成寺。

「汚ったねえジャンかよう、病気になったどうすんだよ。指紋どころか唾液がびっちりじゃん」

 しかし黒川は平然としていた。

「五感をフルに活用しないと気に済まないタチなのでね」

「で、何か分かったか」と杉田。

「危険な香を感じます」と黒川は答える。

 杉田は感心したように言う。

「ほお、黒川らしい独特な表現だな。ま、越狩、明日にでも警察に届けろ」

「この鞄、届けるんでやんすか? 警察は苦手でやんす」

 杉田は言う。

「鞄はドロドロだが中身は綺麗というのもなんだか不自然だぜ。それにこの用紙。警察に預ければなにかわかるかもな。おっとその前に指紋がついたろ。黒川の唾液もな、拭き取るぜ」

杉田は受け取ると丁寧に拭き取り始め、そして元通りにすると、鞄を閉めた。



3 越狩の災難


 次の日、越狩は仕事の前に最寄りの移動交番に届けた。

 ひとの良さそうな年配の警官が応対し調書をとる。

「ほお、高尾の泥縄渓谷で拾い上げたんですか。随分と遠いところですな。ほお、昨日ですか。ほお、ほお、渓流釣りで」

 警察官は越狩から聞き取りながら書類に内容を書き込んでいく。

「では拾得物を確認しますので立ち会ってください」

 手袋をはめ警官と越狩が中身を確認する。

 事務的にチャックを広げ中身を確認した。

「金色の鍵ひとつ。泥まみれた用紙が三枚。ん?」

 年配の警察官の顔が一瞬曇った。

 警察官と越狩の視線が交差した。

 顔は笑っているように見えるが越狩は警察官の眼光を見逃す事はなかった。

 越狩は緊張した。「な、なにか?」 

 しかし中年警官は越狩の声を無視するかのような顔になり「あなたには落とし主が現れなかった場合、所有権取得の権利があります。どうされますか」と尋ねた。

「いらんでやんす」と越狩。「じゃあこれでいいでやんすね」

 慌てるように腰を浮かした越狩を警察官は今までの態度とは逆に、にこりとして見送った。

「ご苦労様でした」

 しかしこの態度が警察官に不信感を増長させたのは事実だ。

「おい君」

 傍らの若い警察官に走り書きのメモを渡す。

「このブツと俺のメモ持って至急本署へ届けろ」

「了解しました」

 大型バッグに詰めると自転車に飛び乗った。

 改めて調書に目を通す。『何と無く怪しい……』

 それは長年培ってきた警察官の『感』がそう思わせたのだった。


 そして二日たった金曜日。

 電話が鳴った。

「社長あてに宝来警察の加藤副署長からです」と黒川が言う。

「なんだろう」

 杉田は受話器を取ると開口一番加藤の声が響く。

「越狩さんはいるかね?」

 杉田は面食らう。

「出し抜けに何だよ、挨拶ぐらいしないのかよ……あいにく仕事だ。携帯を預けているんで呼び出しはできるけどな」

「宝来警察署まできてもらうように言ってくれんか」

 押し殺したような加藤の声だ。

「わかった……だが、彼はなにかしたのか?」

 加藤の声が小さくなった。

「それはこっちで聞きたいね。ここだけの話、管轄警察経由で神奈川県警捜査一課が話を聞きたいと言うんだ」

「神奈川県警?」

 加藤の言葉には当惑が広がっているような口ぶりだ。加藤の言葉を越狩に伝え、仕事を早期に終えた越狩はその足で宝来警察に向かった。

 出迎えたのは神奈川県警捜査一課女刑事、片平だった。

「神奈川県警捜査一課の片平といいますが、ちょっとお話を聞きたい」

 片平と警察事務所で一問一答。

「そうなんでやんす。二人の男が鞄を奪おうと襲ってきたんでやんす。なんとかやり過ごし警察に届けたんでやんす」

 越狩の言葉に片平は語気を強めた。

「二人の男が? 鞄を奪う? 初めて聞く話よ。そんな危険な目に合ったにも関わらず何故当日届けなかったのです? 事件性に発展する事案ですよ。それに移動交番の話ではあなた、翌日に届けたと言ってますよね」

「いやあ……それは……」

 弱々しく話す越狩に更に語気を強める女刑事。

「場所変えます。こちらに」

 片平は取調室に越狩をいざなった。

 先ほどと違い取調室はコンクリに覆われた無機質な部屋だ。部屋の角にはもう一人刑事がいて背を向いて腰掛けている。

『あの時と同じでやんす……』

 越狩は急に怖気づいた。

 片平は再度質問をする。

「二人の男に襲われたって言ってたけど」

「そうでやんす」

 片平は確信じみた言い方をした。

「それ、嘘だね。ホントは隠そうとしたんでしょ?」

 越狩はすっかり怖じけた。

「調べはついてるんだ。正直に吐きな」

「正直に話してるんでやんす……」

 片平の眼が光った。

「違うね。アンタにの前科、調べはついてるんだよ。あの鍵は金庫の鍵だ」

「そうなんでやんすか」

「バックれたってダメだよ。正直に言いな。金庫、どこに隠した?」

 越狩は片平の言葉に驚いた。金庫なんて初めて聞いたからだ。『アレは金庫の鍵?』

「金庫なんて――知らないでやんす」

 片平は容赦なく追い込む。

「もう一度聞く。金庫、どこに隠したんだ?」

 越狩は猛烈に首を振る。

「知らないでやんすっ」

「言いにくいのかい? いいにくいだろうさ。では本官から言ってやろう――これを闇で売れば儲けになるって」

 片平にますます不利になる越狩――だからといって正直話せばスケロク商事に迷惑がかかるのは明白だ。

「儲けなんてそんな……」

 越狩は反撃に出る。「金庫なんて知らないでやんす。無いものを売るわけはないでやんす」

「一日おいたのは何故?」

 片平は前科がある以上越狩を前科者として確信している。片平はそれを前提としてシナリオを組んでいる。

「一日おいたのは金になる算段を考えていたんでしょ? それが出来ないとわかったから鍵だけ届けた、そうでしょ?」

 今度は越狩は貝のように無言になった。

「アンタは釣り上げたと主張しているけど、数日前に起きた殺人事件と関連があるんだよ」

 以外な話に越狩は片平の顔を見つめた。

「捜査上詳しくは話せないがね、害者はある秘密を知り、それをアンタが聞きつけ一儲けを企んだ――詳しくは神奈川県警で聞こうじゃない?」

 片平は黙って座って聞いていた男刑事に言う。

「連れてけ」

 がっしりした体格の刑事が越狩を促す。逃げ出そうにも逃げられない状況だ。更に複数の警察官が入ってきて。ことあろうか、越狩に手錠をかけた。

 ガチャリ……

 鈍い音は越狩に絶望感を与えた。


 事務所の柱時計は午後八時を示している。

「遅いな」

 誰もいない事務所で一人、越狩の帰りを待つ杉田がいる。

 いきなり杉田の私用携帯がなった。それは宝来警察署副署長の加藤だ。

「お前さんとこの社員、越狩が容疑者として拘束された」

「なんだって?」

 加藤の声に驚く杉田。

「いや、待ってくれ。どういうことだ?」

 加藤の声は低い。

「県警の片平巡査長がしょっぴいた」

「何でだよっいきなりしょっぴくなんて無茶も甚だしいぜっ」

 加藤は言う。

「県警と宝来警察は支店と営業所ほどの力関係だ。抵抗は出来んのだ」



4 宝来警察署にて


 スケロク商事事務所午前七時。

 仕事の割り振りの前に杉田は全員に言う。

「……理由はわからないが、越狩は神奈川県警に拘束された」

「理由がわからないって、そんなこと、あんの?」と願成寺は不審そうな顔つきを示した。

 杉田はおもむろに言う。

「たしかに……今思えばあの鍵が……」

 全員が杉田の言葉を固唾をのんで待った。そして言う。

「カギだ」

 全員ズッコケ、その中で管弦は奮然とした。

「ダジャレとばしてるばあいじゃないヨ。なんとかならないのかさ」

 御手洗が言う。

「仲間うちでぇ仲間割れはよしましょうよぉ……イテッ」

 祖父江は御手洗の頭をひっぱたいた。「馬鹿言ってんじぇねえっ」

 杉田は続けた。

「越狩は会社で対応する。さて今日の仕事の割り振りだ……」


 宝来警察署

 加藤副所長の内線が鳴った。

「来客だって? 誰だね」

 うんざりした内線の声がインカムから響く。

「何時も来るスケロク商事の杉田さんです。会議中、として断りますか」

「いや、いい。下の応接室にいく。待たせておいてくれ」

 加藤は杉田が来ることは承知していた。理由もわからず部下が拘束されたのだから、気になるのがわかっていたからだ。

 案の定、挨拶もそこそこに杉田は憤然とした。

「当社社員が拘束されたとは一体どういうことだよっ」

「いや、まあ、なんだね」

 歯切れの悪い副署長だ。

「はっきり言ってくれっ」

 杉田の強い言葉に加藤は身を乗り出し、ボソボソと話し始めた。

「……ここだけの話、越狩君の釣り上げた鞄な、アレが事件性を帯びてたんだ」

「鞄が何だと言うんだ」

「うむ」と加藤は指を組む。「殺人事件が絡んだ鞄だ」

「殺人事件?」

「ココだけの話だがね、三日ほど前に珠伊師国会議員のアベケイゴ公設秘書が複数の何者かに襲われ、撲殺されたんだ」

 杉田は思い出すように呟く。

「報道で言ってたな。確か大規模災害庁庁管の……」

 加藤は関心ながら続けた。

「さすが杉田、いい記憶力だ。秘書は鍵と金庫を保管していたんだが、それが無くなっていた。そうなると奪われたと警視庁は結論づけ今回の事件を捜査していた」

「事件はどこで起きたんだ?」

「横浜市栄区銀杏町だ」

 聞いた杉田はますます興奮した。

「おかしいじゃないか。越狩は泥縄渓谷で釣り上げたと言っていたんだっ。距離が全く違うぞ!」

「まあまあ、そう興奮してもらっては困るな。確かに場所が全く違う。県警全体に情報共有したのだが、そこで神奈川県警本部が事情を聞きたい、ということでか片平巡査長が乗り込んできたんだ」

 話を聞いた杉田は腕を組んだ。

「そうなると――広域捜査だな」

「そうだよ、杉田。次には本店が乗り込んでくる。となれば越狩は警視庁に転送される」

「ますます厄介なことになる。なんとか出来ないか?」

 加藤は横に首を振る。

「こうなるとウチラ末端の警察署には報告が上がるだけだ」



5 銀次、北千住へ


 そして午後五時。

スケロク事務所に次々と社員連中が帰社してきた。その中、何を思ったか伊東が言う。

「すたねごど言って申訳ねぇんだども…有給、お願いできねべが…」

 杉田は目を丸くした。

「有給とは珍しいな。いつがいいんだ?」

「明日」

「随分急なこと言うな、ちょっと待て」

 杉田はホワイトボードを見る。不景気な世間を反映して、ボードには書き込みが少ない。

「まあ、いいだろう」

 杉田は机の引き出しから「有給願届」をだし伊東に渡す。「理由と期間と……」


 翌日、伊東は北千住銀座通り商店街の酒屋から日本酒『ダイチノホマレ』の一升瓶を「まいどあり」の声とともに抱えながら出てきた。

 一升瓶を片手に記憶を便りに路地に入っていった。狭い路地の突き当り昭和中期に建てられた粗末な木造アパート「梅木荘」を見つけた。表札もかかっていないが伊東は確信を持って一室の木の扉を叩いた。

「誰でぃ」

 中から男の声が聞こえた。

 無言で扉を開くと、玄関のたたきのすぐ先の古びた四畳半の和室にみすぼらしい男が一人敷きっぱなしですえた臭いの布団の上に胡座をかいていた。

 ドアを開け無言で入る伊東を見て、その男が飛び上がるように大声を出す。

兄者あにじゃ、兄者でねべかっ」

「達者でや?」と伊東は言いながら男の傍らに腰を落とした。「土産だ」

「おお済まねえ兄者ぁ久方ぶりだべ。何年ぶりだべ。懐かしごと」

一杯いっぺえやるべ」

「湯呑持ってくるべ」

 男は立ち上がり湯呑を二つ差し出す。ダイチノホマレの栓を抜き、なみなみと次ぐ伊東。男の口が伸び、ゴクリ、と呑む。

「かーっ……こい、うめぇなぁ」

「秋田の地酒だべ。うめぇはずだ」といいながら伊東もぐっと飲み干した。

「ところでジロキチ、今どしてら?」

「ヤツか、北千離れ、たしか高尾あだりで仕事してるはずだ」

「高尾か。ジロキチと連絡、とれっか?」

「俺等のシンジケートはまだ切れでねぇども……時間かかるべ。なして、そげなごど聞ぐ?」

「俺んとこの仲間がな……ちっと、やべぇごど起ぎちまってよ」

「兄者の仕事仲間が? サツの旦那にとっ捕まったが」

「まんず、そんたどごだな」

「いやぁ、しかし懐かしいごどだべ。兄者に手ほどぎ受げだスリの技、まだなまっちゃいねぇど」

 伊東はその昔、北千住周辺でスリで生計を立てていた。その中でも伊東は一目置かれていた存在だったのだ。

 それから先、伊東とその昔の相棒だった佐藤柚吉は真っ昼間にかかわらず一升瓶をカラにした。

 ふたりとも顔が真っ赤だ。

「邪魔したな。ここが俺の住処だど。会社だば、電話くれ」

 伊東はよれた名刺を柚吉に出した。名刺を見た柚吉は顔を上げる。

「兄者、もうすっかり手ぇろだが。連絡とれだら、電話すっからな」

 すっかり酔いが回った伊東の足がもつれた。

「歳だな……だば、柚吉、達者でな」


 伊東は鍵を持った時、スリのジロキチが札束の入った鞄をスリ取って仲間に自慢気に見せびらかしていたのを風の噂で聞いていたからだ。

 ただ、鍵があったのか定かではない。しかし妙に符合する部分もある、と鍵を手にしたときに思い出したのであった。

 そう考えながらフラフラした足取りで梅木荘をあとにした。



 同じ頃の午後四時、西日が差し込み始めた神奈川県警取調室。

「越狩さんなんとか言ったらどう?」

 刑事に越狩は沈黙した。

「越狩さん、あなたは泥縄渓谷で鞄を釣り上げ中身を開封したって言ってたわね。得体のしれない漢に襲われたって言ったよね。もう一度聞くけど普通なら地元警察や交番に真っ先に通報すると思うけど、何故そうしなかったの」

 更に片平の追求が続く。

「襲われたって嘘でしょ。金庫はどこにやった? 一緒に闇に転売しようとしたんじゃないかよ」

 片平刑事の厳しい追求でも越狩は無言を貫く。スケロク商事に迷惑をかけてはいけないと思い黙っているのだ。

「知らないわけないでしょ。カギと一緒に金庫があるはず。どこに隠した?」

 それでも越狩は言葉を発することはない。

「宝来警察では結構雄弁に話していたじゃない? それと同じこと、再度聞いているだけよ。何も言わないならそれでもいいでしょう。ただこれから独房だよ、いい?」

 女刑事の脅すような言い方でも越狩は無言を貫いた。

「春、たけなわね」

 刑事は話題を変えた。

「もうじき桜が散るころね」

 情に訴えても言葉を一切発しない。

 スケロク商事では新参者の越狩だが、社員一同暖かく向かえられた恩義がある。彼らに迷惑を、嫌疑を、かけさせるにはいかない……。理不尽な嫌疑だが一人背背負う覚悟でいるのだった。

「――連れてけ」

 傍らに控えている警官に刑事は言明した。

「こっちに来い」

 手錠をかけられた越狩は無言のまま独房に連れて行かれた。

 もう一人の年配刑事が囁く。

「素直に歌えばいいものを。前科もある。あいつは絶対何か隠している。きっと金庫も所持しているぞ」

 女刑事が言う。

「うん、そうだね。ただ鞄だけ提供したのは引っかかる。前科者のあいつなら鍵と金庫、持ち逃げできるだろ。金庫の所在を吐かせれば令状を取りガサ入れだ」

 この時点で片平の頭の中ではありもしないシナリオを書き立てている。

 ――襲われたと言っている男たちもグルに違いない。三人は口裏を合わせている。金庫の中には数千万の現金が入っているのが分かっている。公設秘書を襲ったのもアイツラだ。金庫、と誤魔化しているが、もしかするとすでに金庫は開けられ山分けになったのかもしれない。いや、前科者の越狩は現金を見て独り占めしようとしたのかもしれない。いや。そうだ。きっとそうだ――

「広報課にはガサ入れ後県警発表とする手配をかけておこう」

「あの紙片、判読困難な箇所もあるが、書かれていたのは事実だろうか。珠伊師和代民主今平党党首の嫌疑に触れるぞ。何しろ大規模災害救助隊のおさだけに、微妙な問題だな」

 片平は呼応する。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない――いずれにしろあいつはクロだ」




6 寺家、帰還す


 よく月曜日朝九時半。

 杉田と和道は傘内信用金庫の担当者と膝を交えての話し合いが行われている。

「――しかしですねえ杉田社長、これ以上は上部からの決済は難しいですよ」

 担当も困った顔をしていた。

「では当社は倒産するしか無い」

 静かに、きっぱりとにした杉田の声に担当は答える。

「いや、それも困ります。焦げ付いたら業界内でも当金庫の信用が落ちます」

「だろ? だからそこをなんとか……今月末の支払いを乗り越えればなんとかなるんだ」

 なんとも生々しいやり取りが続くが埒が明きそうにない。

 膠着状態にある時「ただいま」と言う声が響き管弦の「あれえ? 寺家先生じゃん、しばらくぶり~」

 信じられないと言いたげに杉田はほうけた顔をして振り向いている。

「優子……いや、寺家先生、どうして?」

「あら、帰ってきちゃいけないの?」

 杉田は口ごもる。

「あ、いや……突然だったからさ。元気か、久しぶりだなあ。連絡くれれば迎えに行ったのに」

 寺家は不機嫌そうな顔をした。

「社長の携帯鳴らしたけど出ないから」

 傘内信用金庫の担当者のやり取りに無中で気が付かなかったようだ。

「悪かった悪かった」

 そういいながら急に杉田は立ち上がり、寺家を半ば強引に給湯室に引っ張り込みヒソヒソ声で言う。

「金、貸してくれ。さもないと倒産する」

 寺家は呆れた顔をした。

「帰ってきたばかりなのに、それが挨拶なの?」

 杉田は寺家を拝んだ。「頼むっ」

 何やら相談しているふうの杉田たちを見ていた担当者はこれ幸いと立ち上がった。

「なんだかお取り込みのようですね、取り敢えず事の経緯を上司に報告します」

 それはそうだろう。倒産されたら溜まったものではないが、かと言ってこれ以上の貸し出す余裕もないのだ。担当者も上司から口やかましく言われており、倒産との板挟みで頭が狂いそうなのだ。

「また来ますんで」と傘内信金の担当者は逃げるように立ち去っていき、和道は事の成り行きに両肩をすくませた。

『ナンだね、あの社長のうろたえぶりは』

 杉田は、これ幸いとばかりに二階の倉庫兼会議室に寺家を引っ張り込んでいった。

「ちょっと、痛いわよっ、何なの全くっ、腕、離してっ」

 憤るする寺家に杉田は謝る。

「悪かった悪かった、焦ってたんだよ」

 寺家は落ち着いたように粗末な椅子に腰を掛けた。

「倒産するって、ホントなの?」

 杉田はうなだれた。

「今月末に二千万の電子決済があるんだ。それに社員の現金給料も。俺の給料はどうでもいいが、心待ちしている社員をがっかりさせるわけにはいかん」

 呑気そうに寺家は言う。

「じゃあさあ、支払先に先延ばしにしてもらえば?」

 杉田は首を振る。

「それはビジネスの世界では致命的なんだよ。信用ガタ落ち、工具や備品など回してもらえなくなる、お願いだ、優子、この通りっ」

 杉田の必死の思いに寺家は考えた。

「今までだって無心されたじゃない。いくら貸したかわかっているの? まあ、条件次第によっては貸さないこともないわ」

 杉田は希望を見た。

「条件? どんな条件だい?」

「あたしをスケロク商事の役員として招き入れること」

 きっぱりと言い放つ寺家に杉田はたじろいた。

「そ……それは……」

「出来ないというの? 副社長として招き入れてくれるの、どう?……あ、副社長は和道さんだったわね。じゃあ、さ、常務取締役としてなら貸さないことはないけど」

 杉田は言う。

「いや、君を危ない会社に巻き込みたくないんだよ」

 寺家は意地悪そうな目付きをした。

「スケロク商事ってそんな危ない会社だったんだぁ」

杉田は言い淀む。

「い……いや……危なくないよ……」

 寺家は杉田を冷ややかに見つめた。

「あたしは耕一の心意気に惚れたからここにいるのよ」

「いやいや……君の財産をこれ以上いじるわけにはいかない」

 そういう杉田に寺家は吹き出した。

「今更、何言ってんの。今まで散々無心していたくせに。経営に参画させてもらってもバチは当たらなくてよ。それに今回政府から特別給付として破格の三千万入ったからね。どう、凄いでしょ」

 杉田はびっくりした。

「そんな大金、政府が払うって? そんなこと信じられないぜ……優子、この数ヶ月何してきたんだよ?」

 寺家は笑う。

「政府との密約よ。困難な手術を請け負った代金、決して汚れた金じゃないわ」

 そういいながら杉田の顔をまじまじと見つめた。

「常務取締役にしてくれないかしら?」

 いくら頭脳明晰な杉田でも実社会での商い行為は、ある意味苦手な部類だ。

「そういきなり言われても――経営会議で……」

 苦し紛れに言う杉田に大笑いする寺家。

「何が経営会議よ。耕一の決断ひとつじゃない? さ、決めて。いる? いらない?」

 朗らかな顔立ちの寺家に杉田は折れた。

「わ、わかった……君を取締役常務に任命する……」

 寺家はぱっと笑う。

「情けない顔しないで。好きよ耕一」

 目を瞑った寺家は唇をそっと差し出す。杉田はそれに呼応した……。

 柱の陰で見つめている存在がいた。

「やっぱし、社長と先生は出来ていたんだわ」

 柱越しに御手洗は呟いた。

 共同経営者としての寺家の口座から無事にスケロク商事の口座に振り返られ杉田は安堵した。

 その夜の杉田の居室。

 ベッドの中で杉田と寺家はねんごろになっていた。

 上半身裸の杉田は寺家の頭髪をくりくりと弄んでいる。

「優子……助かったぜ」

 寺家は潤んだ瞳で杉田を見つめる。

「売上が入ったらまっさきに優子に回す、それまで勘弁してくれ」

「何言ってんのよ」

 寺家は毛布を手繰り寄せた。

「これで天馬と越狩が帰ってくれば万々歳だ。優子、天馬のことほんとに知らないのかい?」

 杉田の言葉に寺家は和田総括から近い内に政府から大規模災害救助隊の存在が正式に発表されるまでは何人にも漏らしていはいけない、と言明されているのだ。そこで寺家は話をはぐらかした。

「越狩さんどうかしたの?」

 寺家の胸の内を知ってか知らずか、寺家に話しだした。

「越狩は神奈川県警に拘束されているんだ」

「え、何でまたそんな?」

「加藤副署長の話としては、どうやら窃盗を働いた罪で拘束されたと言うんだな。とんでもない濡れ衣だ、と信じるが、まずいことに越狩には犯罪者の記録がバッチリ警察のデータベースに残されていて、それも少なからず関係しているようだし、それに完全に黙秘しているらしいぜ」

「あんなおしゃべりな越狩さんが? 黙秘? 信じられないわ」

「黙秘すればするほど不利になる。彼は何を考えているのだろう」

「窃盗の証拠はあるの? 証拠がなければ証拠不十分、で釈放されるんじゃない?」

「それはそうだが、拘束期間が迫ってきている。神奈川県警はおそらく……」

「おそらくって何よ?」

「ガサ入れで時間を稼ぐだろう」

 寺家は皮肉っぽく笑った。

「スケロク商事の悪事もバレるんじゃない?」

 杉田は慌てた。

「何、言ってんだよ、この前の絵画強奪事件では感謝されたんだぜ。真っ当な会社だぞ。――ま、それよりもだな……大事なこと……」

 そういうと杉田は寺家の唇を奪う。

「やめて~」

 そういいながらもまんざらではない寺家だった。


 そしてある日伊東に一本の電話がスケロク商事に入った。

「伊藤銀次さんとお話がありまして」

 低音の声が受話器から漏れる。相手した管弦が答える。

「仕事で不在です」

「何時頃なら話できますか」

「こちらからお電話差し上げます」

「電話、ないんでかけ直します」

「帰社時間は午後四時過ぎです」

「かけ直します」

「お名前拝借してもよろしいですか」

「ジロキチ」

「ジロキチ何様でしょうか」

「ジロキチといえば分ります」

 そう言うと一方的に電話が切れた。電話口から車の騒音がする。明らかに公衆電話からかけている、と管弦は直感した。

「銀ちゃんも妙なことに巻き込まれた?」

 その後ジロキチから数回電話が来た。

「仕事が長引いているようです」とそっけなく答える管弦。

 午後六時、伊東と的場、願成寺が帰ってきた。

『やっと帰ってきた』と管弦は思い銀次にジロキチから何度も電話があったことを告げた。

 伊東は勢い込んで聞く。

「どこさ、いるって?」

 管弦は不満げに言う。

「分かんないヨ。公衆電話のようだし。何聞いても電話する、の一方でさ」

 ちょうどその時電話がなり、黒川が応対した。黒川が保留ボタンをしながら「銀次さんに電話です」

 待ってましたとばかり伊東は受話器を手にする。

「兄者、そのセツはお世話になりやして」

 声の主はジロキチだ。伊東はヒソヒソ声で話だした。

「今、どこさ、いる」

「高尾」

「おめさ、昔、大金の鞄スリとった鞄どした」

「そんなこと? 川にドボン、でさあ」

「それどごだ?」

「近くの川……たしか泥縄渓……」といいかけた時、電話が突然ぷっつりと切れた。今や数少ない公衆電話だ。おそらく料金が足りなかったのだろう、と伊東は思った。

 机越し杉田の目が光る。

「銀次こっちに来い」

 杉田は招き入れ、机を挟んで伊東は素直に座った。長い沈黙が流れ、二人を和道が見る。

「実は親方」と伊東が切り出した。

「舎弟だったジロキチが大金入った鞄をかっぱらったという噂を聞いて」

 秋田弁なら雄弁に奮う伊東だが、たどたどしく喋りだした。

 じっと聞いている杉田。聞いている和道は声を出す。

「銀次、それは重要だぞ」

「待て」と和道の声を遮る杉田。

 更に無言で聞き入っていた杉田がおもむろに口を開き、机に向かって指先をトントンと叩く。

「銀次、わかった。それがなにか繋がりがあるんじゃないかと言うんだな?」

「んだ」

 杉田は立ち上がりホワイトボードに向かい図を書き出した。

「泥縄渓谷に鞄を投げ捨てた舎弟と拾い上げた越狩。場所は同じ渓谷。これは符合する。だが、時間の経過では辻褄が合わない。以前に捨てた鞄が、今頃になって出てきた。それと撲殺事件との関連性」

 杉田は呟きながらボードに書き込む。

「捨てた鞄が出てきてもおかしくはないと思うが、銀次、どれくらい前だかわかるか」

 杉田の問いに伊東は首を横に振る。

「だろうな。泥棒にしろスリにしろ証拠を書くとこはないからな」

 続けて杉田は不思議なことを言った。

「盗品を丹念に書き込んでいた大泥棒を捕まえた時――」

 そう言うと杉田はハッとした。

「大泥棒を捕まえたってなんだね、社長」と和道。

 杉田ははぐらかした。

「いやなに、営業周りをしていたその昔を思い出しちまったんだよ。感謝状もらったときはなんだか妙に晴れがましくってねえ」

 答えをはぐらかす杉田。やはり杉田は過去を隠している。

「それにしても、だ。現場を見たいぜ。越狩の嫌疑が晴らせるかもしれないぞ」

「急になんだね」と訝しげな和道。

「明日明後日と連休日だ。よぉし人選といこうか~」

 妙に張り切る杉田だった。

「身軽なやつがいいなあ。和道、猿の大岩の場所、確認してくれ」

 和道は呆れた。

「それはすぐわかる、だがね久々の連休だ。楽しみしている連中もいるぞ、社長」

「参加者には特別賞与を与えよう」

「やれやれ」和道は肩をすくめた。「資金繰りの宛が出来た途端この調子だ。振り回されるこっちの身にもなってくれないかな」


第二部へ続く


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ