第35話:地獄という名の「楽園」
轟田一座を乗せた馬車はカジノ都市を後にしさらに北へと進んでいた。
目指すは大陸最北端魔王城。
道中の車内は相変わらずの騒音に満ちていた。
「ちょっとおっさん!もっと詰めなよ!筋肉が暑苦しいし!」
ミミが轟田の腕をペシペシと叩く。
《生理的嫌悪を確認。……基礎体温上昇》
「動かないでください実験体A。馬車の揺れと筋肉の振動数の相関データを取っています」
セレンが轟田の太ももに聴診器を当てている。
《実験動物扱いを確認。……防御力上昇(小)》
「おいクソジジイ、寝てんじゃねぇぞ。……次の休憩地点まで俺が御者やるから変われ」
レオがぶっきらぼうに言う。
《老人扱い(労り)を確認。……スタミナ回復》
「……貴方また服にソースをこぼしましたね?信じられない。口に穴でも空いているのですか?今すぐ洗濯しますから脱ぎなさい」
マリアが殺気立った目でモップを構える。
《潔癖による罵倒を確認。……精神力回復》
「……はぁ」
アリスが胃薬を飲みながら遠い目をした。
「平和ね……。会話の内容は最悪だけど」
轟田はニカっと笑い窓の外を流れる荒野を眺めた。
罵声、嘲笑、文句。
四六時中浴びせられるマイナスの言葉が轟田の細胞を常に活性化させている。
これなら、どんな強敵が現れても万全の状態で――
「……ん?」
轟田の眉がピクリと動いた。
窓の外の景色が変わっていた。
荒涼とした赤土の荒野が終わり突如として緑豊かな草原が広がっている。
それだけではない。
色とりどりの花が咲き乱れ小川がせせらぎ甘い香りが風に乗って漂ってくる。
「……なんだ、ここ」
轟田が呟くと全員が窓の外を見た。
「うわ、めっちゃ綺麗じゃん!映えスポット?」
ミミが目を輝かせる。
「植生が異常です。この緯度でこの植物群落はあり得ません」
セレンが眼鏡を光らせる。
「……変よ。魔王城に近づいているはずなのに魔物の気配が全くない」
アリスが剣の柄に手をかける。
その時。
花畑の向こうから何かが近づいてきた。
巨大な狼型の魔獣――『フェンリル』だ。
通常ならAランク相当、出会えば即死の凶悪なモンスター。
「出たわ!総員、戦闘配置!」
アリスが叫ぶ。
レオが短剣を抜きマリアが洗剤(聖水)を構える。
だが轟田は動かなかった。
いや動けなかった。
「……オイ。あいつ、何してやがる?」
轟田が指差した先。
凶悪なはずのフェンリルはその背中に『羊』を乗せていた。
それだけではない。
足元にはウサギが跳ね、頭には小鳥が止まっている。
「グルルゥ……♪」
フェンリルはまるで飼い犬のように穏やかな目で轟田たちの馬車に擦り寄ってきた。
殺意ゼロ。
敵意ゼロ。
あるのは気味の悪いほどの「友愛」だけだ。
「……キモッ」
ミミが素で引く。
「捕食者と被捕食者の共生?生態系が崩壊しています。……非合理的です」
セレンが困惑する。
轟田の額に脂汗が滲んだ。
ドクン。
心臓が嫌な音を立てる。
「……なんだ、この空気は」
轟田は口元を押さえた。
聖教国の時と同じだ。
いやそれ以上に質が悪い。
「正義」による強制ではない。
もっと本能的な脳みそが溶けるような「平和」の波動。
「ようこそ、旅の方々」
フェンリルの背後から柔らかな声が響いた。
花畑をかき分けて現れたのは一人の魔族だった。
立派な角と翼を持っているが武器は持っていない。
手には美しい花冠を持っていた。
「私はこの地区の管理官、アガペーと申します。……魔王様の下へようこそ」
アガペーは屈託のない笑顔で微笑んだ。
その笑顔には裏も表もない。
100%の純粋な「歓迎」だ。
「……テメェ。魔王軍の幹部か?」
轟田が馬車から降り威圧を放つ。
普通なら腰を抜かすほどの殺気。
だがアガペーは動じない。
それどころか轟田の殺気を「悲しみ」と受け取ったような顔で、悲しげに眉を下げた。
「可哀想に……。そんなに怒って心が痛いのですね?」
「……あァ?」
「大丈夫ですよ。ここでは誰も貴方を傷つけません。争いも、差別も、憎しみもない……ここは『全愛の楽園』ですから」
アガペーは轟田に近づき手に持っていた花冠を轟田の頭に乗せようとした。
「さあ武器を捨てて。……みんなで仲良くしましょう?」
フワァ……。
甘い香りが轟田を包む。
フェンリルが、ウサギが、小鳥たちが、一斉に轟田に擦り寄ってくる。
「大好き」「ようこそ」「愛してる」。
言葉なき善意の津波。
《致死性の友愛を確認。……防御力、測定不能レベルで低下中》
《警告:自我境界の融解を開始。……「個」としての存在が維持できません》
「が、ぁ……ッ!?」
轟田が膝をついた。
吐き気がする。
力が抜ける。
殴られたわけではない。
「許された」のだ。
俺の存在、俺の悪意、俺の暴力……その全てを「それでいいんだよ」と無条件で肯定され、飲み込まれそうになる。
(ふざ……けんな……!)
これは「救い」じゃない。
「死」だ。
悪役としてのアイデンティティを溶かされ、ただの「幸せな家畜」にされる。
「轟田!?」
アリスが駆け寄る。
「離れろ!……クソッ、なんて場所だ……!」
轟田はアガペーの手を振り払おうとした。
バチィッ!
轟田の拳がアガペーの頬を掠め花冠が飛び散る。
「……!」
アリスたちが息を飲む。
丸腰の相手を殴った。
これで相手が怒れば、まだ「戦い」になる。
だが。
「……痛かったでしょう?」
アガペーは殴られた頬を押さえもせず、逆に轟田の拳を優しく包み込んだ。
「ごめんなさいね。私の配慮が足りなくて貴方に暴力を振るわせてしまった。……貴方の手、痛くありませんか?」
「は……?」
轟田が絶句する。
怒らない。
憎まない。
それどころか暴力を振るった加害者(轟田)の心配をしている。
「狂ってやがる……」
轟田の背筋が凍りついた。
聖教国のアークやマリエルには、まだ「正義感」という名のエゴがあった。
だから反発できた。
だがコイツらには「自分」がない。
ただひたすらに他者を愛し、許し、融合しようとする「純粋なシステム」だ。
「怖くないですよ。さあ、ハグしましょう?」
アガペーが両手を広げる。
後ろからフェンリルたちも笑顔(?)で迫ってくる。
地獄だ。
お花畑という名の底なし沼だ。
「……レオ!セレン!全員乗れ!ずらかるぞ!」
轟田は叫び、這うようにして馬車に戻った。
逃げる?
この俺が?
だが今はここから離れるしかない。
ここにいたら俺は俺じゃなくなる。
「ちょ、おっさん!?敵前逃亡!?」
「合理的判断です。精神汚染レベルが危険域を突破しています!」
馬車が急発進する。
アガペーたちは追ってこない。
ただ去りゆく馬車に向かっていつまでも優しく手を振り続けていた。
「また来てくださいね~!私たちは、いつでも貴方たちを愛していますよ~!」
その声が呪いのように轟田の耳にこびりついた。
◇
「……オエェッ」
安全圏まで逃げた後、轟田は馬車の外で胃液を吐いていた。
「大丈夫?轟田」
アリスが背中をさするがその顔も青ざめている。
「……何なのよ、あれ。気持ち悪い。聖教国の比じゃないわ」
「思考停止の極地ですね」
セレンが不快そうに眼鏡を拭く。
「個人の感情や生存本能を去勢し、『愛』という単一のプログラムで上書きしている。
……あれは生物の営みではありません。ただの『平和な地獄』です」
「……あァ、違いねぇ」
轟田は口元を拭い、ぎらついた目で振り返った。
恐怖は消えた。
残ったのは強烈な「不快感」と悪役としての「使命感」だ。
「『争いのない世界』だァ?笑わせんじゃねぇ」
轟田は拳を握りしめた。
「痛みも、怒りも、悔しさもねぇ人生なんて、死んでるのと同じだ。……あんな気味の悪ぃ楽園、俺様が更地にしてやる」
魔王城への入り口。
そこで待っていたのは戦うことすら許されない「究極の平和」だった。
殴れない敵をどう殴るのか。
愛せない敵をどう倒すのか。
轟田猛のプロレス人生最大のそして最後の難関が立ちはだかる。
(第36話へ続く)
お花畑の地獄。
友愛が痛い!
轟田に現実の厳しさを教えるため、評価ポイントをお願いします!




