第1話:異世界リング・イン
鼓膜を食い破るような咆哮が意識を覚醒させた。
――空気がビリビリと震えている。
「……ぐ、ぅ……」
轟田猛は、重たい瞼を持ち上げた。
全身が鉛のように重い。
俺は……どうなった?
最後の記憶は試合中のリング禍だ。
派手な演出のための巨大な鉄骨セットが崩れ俺の頭上に落下してきた。
避けようがなかった。
あの衝撃と轟音、そしてプツリと途切れた意識。
普通なら即死だ。
「……ここは、病院か?」
いや違う。
視界に飛び込んできたのは無機質な天井でも見慣れた控室の風景でもない。
燃え盛る中世風の石造りの街並みと逃げ惑う群衆。
そして――それらを虫ケラのように踏み荒らす体長二十メートルはあろうかという「巨大な竜」だった。
「……は?」
思考が停止する。
特撮(SFX)の撮影現場か?
いや、あの熱気、焦げ臭さ、人々の悲鳴。
あまりにリアルすぎる。
俺は自分の体を見た。
黒いショートタイツにリングシューズ。
手首にはテーピング。
首には極太のシルバーチェーン。
日本プロレス界の至宝にして最恐の悪役、リングネーム『魔王サタン・ゴウダ』の戦闘スタイルそのままだ。
状況が繋がらない。
死後の世界か?
それとも――
その時脳内に無機質なシステム音声が響いた。
『――契約成立。個体名:轟田猛』
『職業:悪役レスラー(ヒール)』
『固有スキル:ヒール・ヒート(悪役の熱狂)を取得しました』
「ヒール・ヒートだぁ……?」
轟田が眉をひそめると目の前に半透明のウィンドウが表示された。
【スキル効果】
周囲から向けられる「悪意」「殺意」「ブーイング」等の負の感情を身体能力および防御力へ変換する。
※感情の量が多ければ多いほどステータスは無限に上昇する。
「……客の野次が燃料とは皮肉の効いた名前だ」
轟田は鼻で笑った。
日本で俺がやっていたことと同じじゃねぇか。
客に嫌われ、罵られ、憎まれるほど俺という悪役は輝く。
この世界じゃそれが物理的な「強さ」になるってわけだ。
ウィンドウの文字列を読み終え、轟田は数秒沈黙し――そして納得したように息を吐いた。
「なるほど。これが『異世界』ってやつか」
腹は決まった。
状況は不明だが俺は生きている。
そして「悪役」として定義された。
ならやることは一つだ。
だがその時ウィンドウの端に小さく赤字で警告文が書かれているのが目に入った。
【警告:ベビーフェイス(善玉)転向禁止】
他者から「好意」「感謝」「信頼」等の正の感情を向けられた場合、ステータスは著しく低下し心臓に致死的なダメージを受ける。
「……ほォ」
つまりいい子ちゃんぶって「ありがとう」なんて言われた日にゃあ、ショック死するってことか。
上等だ。
俺様はサタン・ゴウダだ。
黄色い声援なんて蕁麻疹が出るほど嫌いなんだよ。
ドォォォォォンッ!!
思考を遮るように竜の尻尾が広場を薙ぎ払った。
瓦礫が舞い人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。
逃げ遅れた母子が瓦礫の山を背にして座り込み震えている。
その瞳にあるのは「絶望」だ。
誰も助けてくれない。
神様、仏様、勇者様。
誰でもいいから助けてくれという弱々しい祈り。
「……チッ。シケた面してんじゃねぇぞ」
轟田は舌打ちをした。
気に入らない。
恐怖に震えただ死を待つだけの観客など俺様のショーには不要だ。
プロレスってのはな、もっと熱くて、激しくて、魂が震えるもんだろうが!
「おいトカゲェ!!」
轟田は腹の底から声を張り上げた。
スキル補正なのかその声は拡声器を使ったような爆音となって広場に響き渡った。
竜が動きを止める。
轟田は不敵な笑みで目の前の巨体を見上げた。
「さっきのけたたましい目覚まし(咆哮)は、テメェだったか」
逃げ惑っていた群衆も何事かと足を止め瓦礫の上に立つ黒パンツの巨漢を見上げた。
視線が集まる。
だがまだ足りない。
恐怖が勝っている。
轟田はニヤリと口角を吊り上げ親指で自身を指差した。
「俺様は魔王サタン・ゴウダ!テメェらごとき虫ケラどもを支配するために、地獄から舞い戻ったカリスマだ!」
そして震える群衆に向かって蔑むように言い放つ。
「おいおいおい!随分とお通夜みてぇなツラしてんじゃねぇか、テメェら!」
静寂。
人々はポカンとしている。
コイツは何を言っているんだという困惑。
「あんなトカゲ一匹にビビってんのか?だからお前らは一生『家畜』なんだよ!ケッ、臆病風に吹かれて震えてる姿はお笑いだぜ。そのままトカゲの餌になって、クソとして排出されるのがお似合いだァ!」
ピキリ、と空気が変わった。
恐怖で凍りついていた人々の感情に火がついた。
それは「怒り」だ。
理不尽な暴力への恐怖が目の前のふざけた男への明確な殺意に上書きされる。
「な、なんだあいつは……!」
「人が死んでるんだぞ!ふざけるな!」
「貴様こそ餌になって死んでしまえ!」
男が叫び、女が睨み、子供が石を拾う。
いいぞ。
その目だ。
死んだ魚のような目よりよっぽど生きる力が漲っている。
轟田は両手を広げその罵声を全身で浴びた。
《スキル発動:敵対感情を確認。筋力上昇(小)……(中)……(大)!》
ドクンッ!
心臓が早鐘を打ち血液がマグマのように熱くなる。
筋肉繊維の一本一本が鋼鉄のように硬化し肥大化していく。
身長190センチ体重120キロの巨体がさらに一回り大きく膨れ上がる。
全身から赤い闘気が立ち昇り、肌が熱で赤黒く変色する。
「カッカッカ!いい声だ!その貧弱なブーイングこそが、俺様への極上のファンファーレよ!!」
「グオオオオオッ!!」
竜が咆哮した。
自分の縄張りを荒らす目障りな羽虫を排除しようと巨大な顎を開く。
口内に紅蓮の炎が渦巻く。
ブレスだ。
「危ない!」
「逃げろ、燃やされるぞ!」
群衆の悲鳴。
だが轟田は動かない。
不敵な笑みを浮かべたまま一歩も退かずに仁王立ちする。
「温るぇ」
ゴオオオオオオオッ!!!
灼熱の業火が轟田の肉体を飲み込んだ。
石畳が溶け周囲の空気が歪む。
誰もがあの黒パンツの男は灰になったと思った。
――しかし。
炎が晴れた後そこには煤一つついていない轟田が立っていた。
熱気を含んだ息を「フゥーッ」と吐き出し胸板をパンパンと叩く。
「なんだ今の?サウナの熱波か?こんなもんじゃ、俺様の冷え切った心は温まらねぇなぁ!」
観衆が絶句する。
そして次の瞬間爆発的な「なんでだよ!」というツッコミ交じりの怒号が飛んだ。
「化け物かあいつは!?」
「竜のブレスだぞ!?」
「死なないならさっさと戦えこの筋肉ダルマ!!」
《侮蔑・理不尽な要求を確認。防御力上昇(特大)》
「注文の多い客だぜ……。いいだろう、メインイベントのゴングだ!」
轟田が地面を蹴った。
ドンッ!という衝撃音と共に石畳がクレーター状に陥没する。
人間とは思えない加速。
一瞬で竜の懐に潜り込むと轟田はその丸太のような剛腕を竜の首元に叩きつけた。
「まずは挨拶代わりの……地獄突きィィッ!!」
ズドォォンッ!!
鋭い打撃音が響き、巨大な竜の巨体が仰け反る。
竜が苦悶の声を上げてたたらを踏む。
観衆の目が点になる。
「ひるんだ!?」
「素手で!?」
轟田は止まらない。
よろめく竜の尻尾を掴むと全身の筋肉を唸らせて踏ん張った。
「テメェらの『平和』は俺様のもの!俺様の『栄光』も俺様のものだ!俺様のリングでデカい顔してんじゃねぇぞ新入りィ!」
「グ、ギャ……!?」
信じられない光景だった。
体重数トンはあるはずの巨竜が宙に浮いたのだ。
人間一人の腕力によって。
「回れ回れェ!メリーゴーランドだァ!!」
ブンッ!ブンッ!ブンッ!
轟田は竜を振り回した。
ジャイアントスイングだ。
遠心力で竜の目が回り、悲鳴すら上げられなくなる。
周囲の風圧で瓦礫が吹き飛ぶ。
「うおおおおおっ!?」
「すげええええ!!」
「やっちまえ悪党ーー!!」
観衆の声が変わった。
「死んでしまえ」という純粋な殺意から圧倒的な力への「興奮」とそれを振るう悪役への「熱狂」へ。
(……あァ?なんだ今の声援は?)
轟田は背筋に冷たいものを感じた。
まずい。
「殺せ」という殺意ならいい。
だが「やっちまえ」という期待、あるいは「応援」が混ざり始めている。
このまま英雄視されれば感謝の毒(正の感情)で俺が死ぬ。
(調子に乗らせすぎたか……!さっさと終わらせて、嫌われねぇと!)
「フィニッシュだ、オラァッ!!」
轟田は回転の勢いのまま竜を空高くへと放り投げた。
そして自らも跳躍する。
空中で無防備になった竜の首に、轟田の極太の腕が絡みつく。
「必殺!サタン・ラリアットォォォォォッ!!!」
ドッッッッッゴォォォォォォンッ!!!!
雷が落ちたような轟音が響き渡る。
轟田のラリアットが直撃した竜はきりもみ回転しながら地面に激突。
広場全体を揺らすほどの地響きを立ててピクリとも動かなくなった。
完全なるKO。
土煙が舞う中轟田は悠然と立ち上がった。
静まり返る広場。
やがて誰かがゴクリと喉を鳴らす音が聞こえ――
「……勝った……のか?」
その呟きを皮切りに、爆発的な歓声が上がろうとした。
「ありがとう!」
「英雄だ!」
そんな言葉が喉まで出かかっている。
――今だ。ここで潰す。
轟田は倒した竜の頭を踏みつけ凶悪な笑顔で観衆を睨みつけた。
「カッカッカ!見ろ、このザマを!口ほどにもねぇ雑魚だったなァ!」
そして助けられたことに安堵して泣いている子供に向かって指を突きつける。
「おいガキ!泣いてんじゃねぇ!耳障りなんだよ!テメェらが弱っちいせいで、俺様の手が汚れちまったじゃねぇか。クリーニング代よこせコラ!」
一瞬で空気が凍る。
そしてすぐに沸騰した。
「な、なんて奴だ!」
「助けてやったって態度かよ!」
「最低だ!出ていけ!」
石が飛んでくる。
罵声が飛んでくる。
心臓を締め付けようとしていた「感謝の予兆」が消え轟田のHPバーが回復していく。
(……へっ、そうだ。それでいい)
轟田は心の中で安堵の息をつきながら表面上は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「ケッ、貧乏人どもが。石投げる元気がありゃあ、自分で戦えってんだ。……興が削がれた、俺様は行くぜ」
轟田は踵を返す。
背中に浴びるブーイングは以前の世界で聞いたどんな歓声よりも温かく轟田の背中を押してくれた。
これが、極悪レスラー(ヒール)の異世界巡業、その記念すべき第一試合だった。
(第2話へ続く)
開幕のゴングです!皆様の【☆☆☆☆☆】という名のブーイングが、轟田の筋肉をパンプアップさせます!




