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魔道具師リシテア

 白髪の少女、リシテアさんに連れられて走ること数分、綺麗な外観の宿に到着した。ここの一室を借りて住んでいるらしい。


 正直精神的に追い込まれていた僕は、走っている間に周囲へ目を向ける余裕が全くなかった。だが、今周りをチラリと見てみると立派な建物が並んでいるのが見える。


 いつの間にか富裕層の居住区まで来ていたらしい。リシテアさんは一体何者なのだろう……。孤児院出身の僕にはあまりに縁遠い場所だ。


 自分の格好はかなり浮いているのではないかと思い、自分の体を見下ろす。そこでようやく今下着しか着ていないことに気づいた。そういえば昨晩寝て、そのまま着替えずにここまで来たのだった。


 寝巻きとしてのシュミーズ(シフト)のみという、なかなかの格好である。場違いというレベルではない。まぁ見方によっては普通のワンピースにも見えるくらいの丈であるので、恥ずかしさは比較的マシであるが。


 そんな風に自分を客観視している僕の手を引いて、リシテアさんは宿の一室へと入っていく。


 部屋に入ると、リシテアさんは静かに扉を閉め、鍵をかけた。


 それを尻目に、部屋の内装を眺める。広い部屋で、簡素だが丁寧な作りの家具が並んでいる。ほのかにハーブの香りが漂い、机の上には見たこともない小道具が大量に並んでいた。


 いまいち思考が現実に追いついていない僕は、ぼーっとしながらリシテアさんに促されるまま椅子に座る。


「ちょっと待ってね……一旦着替えようか」


 そう言われて改めて服を見れば、血や埃、木屑で汚れている。あれだけのことがあったのだから当然だろう。


「でも、着替えが……」


「大丈夫、私のを貸してあげる」


 そう言ってクローゼットを漁るリシテアさん。そして一着のドレスを取り出した。


「これを着て。大きさもちょうど良いと思う。あ、シフト(下着)も必要ね。使っていないのが余ってるから、安心して」


 手渡されたのはリネン製の下着とドレス。ドレスは夜を呑んだような黒色だ。僕には似つかわしくない、高価そうなものである。こんなものを借りることに恐縮しながらも、流石にずっとこの格好で居るのも忍びない。


「と、その前に……怪我はない? 痛いところは?」


「……大丈夫」


「ちょっと見せてね」


 そう言って、こちらへ手を伸ばすリシテアさん。



 ────その姿が、あの時のルピウスと重なる。血走った目、獣のような息遣い。……そして、むせ返るような血の匂い。


 ヒッと、無意識に喉から悲鳴が漏れた。あの時の恐怖がフラッシュバックし、全身を冷たく縛り付ける。


 そうして体を震わせる僕を見たリシテアさんは、ばつが悪そうに手を引っ込め、そっと目を伏せた。


「怖がらせてごめんね……怪我がないなら良かった」


 はっはっと短い呼吸が口から漏れる。リシテアさんの悲しげな声に我に返るが、それでもしばらく恐怖が消えてくれなかった。一体どうしてしまったと言うのだろうか。


 しばらく深呼吸をして、ようやく体から緊張が抜ける。変に怖がって困らせてしまい、申し訳なく思う。意識してもわからないが、自分が思うよりもまだルピウスが死んだショックが心に巣食っているのかもしれない。


 そんなことを思いながら、リシテアさんに促されるまま部屋の隅へ行き、服を脱ぐ。


「汚れてる分は私が洗っておくから、そこに入れておいて」


 言われるがままに脱いだものを近くの籠に入れ、借りた服へ袖を通す。シンプルな作りのリネン製で、肌触りが良い。


 見立て通り、サイズは私にピッタリだった。リシテアさんは私よりも少し背が高いので、お古だろうか?


「うん、よく似合ってる。ふぅ……やっと一息つけるね。ほら、こっちに座って」


 着替えているうちに、いつの間にか紅茶を淹れてくれていたのだろう。クッション付きの柔らかな椅子に座ると、目の前のテーブルに紅茶を置かれる。甘い香りが鼻腔をくすぐった。初対面で何から何までしてもらって、罪悪感が胸に募る。


「その……言うのが遅れてごめんなさい。助けてくださり、ありがとうございました」


 せめてこれだけは言おうと、その言葉を口に出す。


 それを聞いたリシテアさんは、表情を曇らせて、逆に懺悔するように目を伏せた。


「……助けに行くのが遅くなってごめんなさい。本当なら、もっと……」


 なぜ彼女が謝るというのか。あのような事件が起こって、彼女には何の責任もないのに。


「……いえ、変なことを言ってごめんなさい。改めて自己紹介するね。私はリシテア。魔道具師兼、魔術研究家だよ」


「アモールです。えっと、インノケンティア教会出身で、アーテルさんのパーティで見習いをしてます」


「アーテルから少しだけ聞いたよ。よろしくね」


 優しく微笑むリシテアさんを見て、昨日と今日に起こったあまりにも現実味のない出来事をぼんやりと思い返す。


 ルピウスが死んで、ウルフさんも死んで、ラーミナさんがおかしくなって。


 瞬きをすれば、瞼の裏にはついほんの一刻ほど前の光景が焼き付いている。手足から血を流し、こちらへ必死に手を伸ばすラーミナさん。そして、夫の返り血を浴びながら、穏やかに笑う彼女。


 これは、本当に現実なのだろうか。心が追いつかず、どこかスクリーン越しに世界を見ているような錯覚を覚える。


 でも、そんな錯覚に今は助けられている。きっと、正常になってしまえば、僕はどうにかなってしまうだろうから。


「……まだ、やっぱり落ち着かないよね。その紅茶、砂糖多めに入れたの。甘いから、少しは気分が良くなると思う。よければ、飲んでみて」


「ありがとうございます……いただきます」


 リシテアさんが口を付けるのを見て、私もそっと一口。舌の上に、甘さと温かな香りが広がった。


 自分でも気づいていなかったが、手が小刻みに揺れている。液面を見れば、揺れで細かな波が立っていた。今はその何も映さぬ姿がありがたい。今自分がどんな顔をしているのか、知りたくなかったから。


「色々とお話を聞きたいところではあるけど、今日は一旦休もっか」


「えっと……」


「あぁ、気を使わなくて良いからね。私も久しぶりにああいう動きしたから、疲れちゃった。アーテルが戻るまでは特にできることもないし、仮眠でも取ろう」


 まだ自分でも、頭の整理がついていないことを見透かされたのだろう。優しい目で、休むように促される。隣の部屋も彼女が借りているようで、この部屋が作業用、隣が寝る用らしい。確かに、部屋を見渡して見れば、様々な道具があちこちに積んである。


 案内されるままに隣室へ移動する。こちらはあまり物が置かれていなかった。言葉の通り、寝るための部屋なのだろう。


「おやすみ。今日はゆっくり休んでね」








 ────────────────────────










 ────その姿があまりにも痛々しくて…………言うべきことを、何ひとつ言うことができなかった。


 目はガラス玉のように無機質で、だけど私の一挙手一投足にその身を震わせるのだ。視線を向けるたびに体を強張らせるその姿は、私の気力を削ぐには十分だった。


()()()()()()()についてどれだけ知っているのか。ラーミナ達と一体何があったのか。


 聞くべきことはいくつもあった。だけど、それが喉を出ることは結局なかった。


 目の前に座るピンク髪の少女、アモールを直接見て、私はアーテルの推測が正しかったことを確信した。


 この魔眼が持つ魔力は、()()()()()()()()()()()()である。アーテルがレジストできなかったことからもそれがわかる。


 きっと、彼女はまだこの力に無自覚なのだろう。このか弱い少女が、狙ってこの事件を起こしたとは思えない。


「色々とお話を聞きたいところではあるけど、今日は一旦休もっか」


 そのような言葉が出たのは、私自身考える時間が欲しかったからであった。この子に何をどこまで話せば良いのか……経験の浅い私では判断できなかった。


 ただでさえ、心に傷を負っているであろうこの子に、今追い討ちをかける必要はないだろう。時間はあるのだから、少しずつ進めていけばいい。



 寝室にアモールを案内し、私はまた作業室へ戻る。



 静かな部屋で、一人思慮に耽る。


 なんとなく仕事をする気分にもならなくて、最近習慣にしている日記をつけていく。こうして書いていく内にも、なんとなく心の中に暗いものが差しているのがわかる。漠然とした不安感があった。


「| Ὦ σκοτεινὸν πνεῦμα《ああ、暗晦の霊よ》| , τὸν κόσμον διόρα.《世界を見通したまえ》」


 遠視の魔術で、隣の部屋を見る。本当は良くないとはわかっている。だが、心のモヤをどうにかしたくて、つい行動してしまった。


 遠視して見えてきたのは、ベッドに腰掛けて虚空をじっと見つめるアモール。何をするでもなく、ぼーっとどこかを見ている。虚ろな表情からは、何を考えているのか、何も読み取ることができない。


 見ていていいものか。数瞬の逡巡ののち、そっと遠視を切る。



 日記も書き終わり、手持ち無沙汰になった私は、部屋の魔道具の点検をしていく。


 中規模の結界を張る魔道具に、冷気を遮断する魔道具。多くの試作品が部屋に散らばっている。仕事をするには時間がないため、点検をするのが時間を潰すのにちょうどよかった。


 そうしているうちに、日が落ち始める時間だ。点検の終わった魔道具を片付け、魔力灯のスイッチを入れる。


 作業して疲れたため一息吐こうと、水を生成しコップに注ぐ。冷たい水が喉を通る感覚が心地よい。


 そうしてコップを片付けていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。



「私よ……開けて」



 どうやらアーテルが帰って来たらしい。部屋へ入ってきた彼女は、いつものように疲れた顔でため息を吐いている。


治安官(シェリフ)には適当に伝えて来たわ……パーティ内のいざこざだって」


「お疲れ様。面倒ごとになりそうにないならよかった」


「ラーミラがやけに協力的で……そういう理性は働くのが、少し虚しかったわね」


 はぁ、と再度ため息を吐いた彼女は椅子に深く腰掛ける。お茶を出そうと思ったがいらないと言われてしまった。仕方なく私もアーテルの対面に座る。


「それで……あの子について……少しはわかった……?」


 そう、真剣な目で見つめられる。それに対して、私は深呼吸をして、落ち着いて言葉を紡ぐ。



「アーテルの推測があってた。…………あの子は、今代の魔王だよ」



 そう言葉に出す私の口は、カラカラに乾いていた。


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