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魅了の魔女  作者: おさかなさん
第二章『冷え込む朝の記憶』
20/21

 相も変わらずどこからか魔素が流れ込んでくるものの、自由に体が動くだけでも快適であった。


 もちろん、体が動くというのも精神世界上の話なので、実際に動いているわけではない。


 とにかく、束縛感がなくなった開放感が心地よいということだ。


 ただ、一つ問題があるとすれば……


『全部あんたのせいでしょ!? あんたのせいで私の人生めちゃくちゃじゃない!!』


 開放感に浸っていると、突如として周囲の景色が切り替わる。周りを見てみれば、この世界とは随分と様式が異なる部屋にいるのがわかった。


 正面へ目を向ければ、いつもの嫌な光景が映る。


 この景色さえなければ、本当に快適な場所なんだけど。



 ──背の高い女が、痩せ細った少年の上に馬乗りになっている。よく見てみれば、女は少年の首を絞めていた。女の手が小刻みに震えているところから、彼女がどれだけ力を入れているのかが窺える。……完全に、殺意の籠った行動だ。


 少年は抵抗もせずそれを受け入れている。なんとも奇妙な光景だった。女は、凄まじい形相で少年を睨みつける。


『全部、全部あんたがなんとかしてよ!! ねぇ!?』


 女が、頭に響くような甲高い声で怒鳴る。しかし少年はぴくりとも動かない。


 ──それに痺れを切らしたのだろうか。女は近くにあったリモコンを手に握りしめ、少年の頭に振り下ろした。


 ガツンと、鈍く痛々しい音が辺りに響き渡る。音は一向に鳴り止まない。


 うめき声をあげて頭を庇う少年へ執拗にリモコンを打ち付ける女。それは、見ていて気持ちの良い光景ではなかった。


 思わずため息を吐けば、周囲の景色が霧散し、元の孤児院へと戻ってくる。



 ──ここしばらく何度も繰り返していることだ。


 精神世界ゆえか、あの子の断片的な記憶が私に流れ込んでくるようになった。度々、あの子の前世の記憶を見せられている。


 記憶は先ほどのような映像の他に、断片的な知識も含まれている。リモコン、テレビ、電子レンジ……あの世界の道具に関する知識から、人の名前などのさまざまな知識だ。


 興味深いものもあるが、やっぱり不愉快なものも多い。


 私は両親共にいないが、親がいるからこそ不幸になることもあるとは、なんとも皮肉な世界である。


 彼の記憶の中には、楽しかった思い出が一つもなかった。単に辛かったことだけがリフレインしているのか、あるいは……


 もしかしたら、彼の楽しい記憶というのは、今世でのものしかないのかもしれない。少なくとも、ルピウスとの剣の稽古はとても楽しかったようだし。それも全て終わったことだけど。


 そうして考えごとをしていると、意識空間に浮上してくる気配が一つ。噂をすればなんとやら、あの子が起きてきたらしい。


「おはよう。2年ぶりのお目覚めだね」


「2年……そう」


 彼女はそう答えたっきり、黙り込む。


 起きたアモールちゃんは、膝を抱えて座り込んだまま顔を上げない。この様子なら、立ち直るにはまだまだ時間がかかりそうだ。尤も、時間が解決するものなのかは怪しい。もしかしたらずっとこのままかもしれない。


「外のみんなは元気そうだよ。なんか、魔力の流れ的に家がどんどん大きくなってる気がするけど」


「……」


 返事をしてくれないアモールちゃんに悲しくなりながら、彼女のそばに近寄る。後ろにまわり込み、脇の間から手を差し込んだ。


 そんなことをされても、彼女はピクリとも動かない。なんだか寂しくなってしまう。まるでお人形遊びをしている気分だ。



 無抵抗なまま動かない彼女の頬をむにむにと揉みしだく。我ながらもちもちで触り心地の良いほっぺただ。


 ひとしきり堪能して満足したので、頬から手を離した。そして、沈黙を保つ彼女の頭を撫でる。


 アモールちゃんは、頭を撫でられると、少し魂のガードが緩む。きっと、心の奥底では誰かの温もりを求めているのだろう。指摘すれば更に殻の奥へ閉じこもってしまうだろうけど。


 守りが緩み、表面化した魂に触れる。まだ穢れていないそれを、優しく握りしめた。


「何もせず起きていても辛いだけだからね。また、しばらくの間眠っているといい。……おやすみ、アモール」


 魂を握っていると、少しずつ彼女の輪郭が解けていく。しばらくして完全に姿を消した。


 それを見送って、椅子に座る。いつしか飲んだ紅茶を生成し、口に含む。甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 戯れに中身の残ったカップを床に落とせば、記憶の再現に過ぎないそれは割れずに霧散した。


 渇きも癒えず、飢えも満たされず、なんの栄養も得られない。空虚で馬鹿らしい行為だ。


 ──また、一人の虚しい時間が戻ってきた。唯一の娯楽は、外から聞こえてくる音たちに耳を傾けることくらいだ。


 そういえば、新しい名前を考えないといけない。


 お互いに相手をアモールと呼ぶのも変だし、なにより、名前を区別すれば自我の統合も起きにくくなるだろう。せっかく彼の自我からアモールが消えつつあるのだから。


 フィリア(友愛)エロス(性愛)アガペー(慈愛)ストルゲ(親愛)。うーむ……パッと思いつくのはこの辺りだけど、なんかしっくりこない。


 他言語から借りるのはやめよう。そうだ、アマレなんてどうだろう。適当だけど。うん、いい名前だ。


 次にあの子が起きたときに言ってみようかな。


 次に起きるのがいつかは、わからないけどね……









 ──────────────────



















 (くら)い海を、揺蕩っていた。自意識が薄れゆくなか、思考を止めてゆらゆらと。


 音もなく、光もなく。外敵もなければ仲間もいない。


 どこまでも静かな空間だった。


 でも、ごくたまに海面から顔を出すときがあった。今まで閉ざされていた五感が急に蘇るその瞬間は、正直に言うと苦痛だった。


 もうなにも感じたくないのに、全てを閉ざしていたいのに、その声は何度も僕の鼓膜を揺らした。


『おはよう、いつもより早いね。半年ぶりかな?』


『おはよう。2年ぶりのお目覚めだね』


『やぁ、4年ぶり。実は今日から私はアマレと名乗ることにしたんだ。アモールという名前は正式に譲るよ。これからはアマレと呼んでくれたまえ』


 アモール……アマレは、起きたらいつもそこにいた。いつも変わらぬ姿で、最後には頭を撫でてくる。そんなやり取りがずっと続いていた。


 ずっと、彼女の態度は変わらなかった。僕を責めることもせず、かといって必要以上に話してくることもせず。僕が浮上したときに、軽く語りかけてくるだけだった。


『随分と久しぶりだ……50年ぶりかな?』


『やぁ、6年ぶりだね。最近は外が騒がしいね……』


『おはよう。よく眠れた? 何年ぶりかは……まぁいいか』


『今までどうやって数えてたのかって? 実は外でわざわざ数えてくれてるお優しい人がいてね』


 あれから一体どれほどの月日が流れたのだろうか。僕が空っぽの時間を享受している間に、何百年経ってしまったのだろう。


 なんの罪もないアマレを巻き込んで……ただ眠って全てを放棄して。


「おはよう。久しぶり、でもないね」


 その日は、前回の目覚めからほとんど時間が経っていなかった。そのせいかはわからない……いつもより、思考がクリアだった。


 クリアだったせいで、様々な嫌な考えが頭を満たした。


「ぼ、くは……」


「うん? どうしたんだい?」


「なにを、して……いる、んだろ……」


 気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。口を開くのも何百年ぶりかわからない。もはや言葉の紡ぎ方すらも曖昧になりつつある。


 言葉を忘れずにいられたのは、起きるたびにアマレが話しかけてくれたからかもしれない。


 言葉も思考も全て忘れられたら、もっと楽だったのに。そんな風に理不尽に他人を恨むような薄汚い自分がなお許せない。


 醜悪な自分への嫌悪感で吐き気が込み上げてくる。


 口元を押さえて顔を上げれば、感情の読めない微笑みを浮かべたアマレが僕を見ている。目からも口からも、全く心の内が読み取れない。


 その弧を描いた唇が、ゆっくりと開かれる。そこから漏れ出たのは、柔らかく冷たい声だった。


「その問いを投げるには、遅すぎたね」


「え……?」


「尤も、早かったとしてもなにも変わらなかったけどね」


 ほら、周りを見てごらん。と言いながらアマレは両手を広げる。


 それに釣られて辺りを見渡せば、そこには異様な光景が広がっていた。


 ──世界にひびが入っている。


 いつもは無駄に広い草原や、孤児院の一室がそこにはあった。しかし、今目に入っているのは、あちこちが歪んで、軋んで……今にも崩壊しそうな世界だった。


 少しずつ、世界が欠けていくのが見える。


「なに……これ」


 意図せずそんな言葉が溢れた。それに、感情の読めない声音でアマレが言葉を返す。


「長いおねんねの時間は終わりっていうことだよ」


 その言葉の意味を理解する前に、眩い光が目を焼いた。思わず怯んだ僕の耳に、パリンという何かの割れる音が入ってくる。


「遂にお目覚めの時間だね。──私たちの義務を全うする時間だ」


 足場が崩れてどこかに落ちていく中、そんなアマレの言葉がやけにはっきりと響いた。







 ***







 パキ……ピシ…………パリン



 何かの音と共に、顔を覆っていたものが消え去る。目を開ければ、眩い光。


 目元を押さえようと手を動かせば、硬いものに遮られる。力を込めれば、パキリと何かが砕けるような音がした。


 目元に手を翳してみれば、眩しかった視界が幾分かマシになる。そして顕になった光景は、あまりに衝撃的なものだった。


 ──時が加速して、世界がスローモーションに見える。


 ガラスの破片のようなものが、僕の周りを舞っている。眩い光を反射して、キラキラと輝いている。前方に意識を向ければ、そこには目を見開いて固まるアーテルさん。


 その周りには、見知らぬ男女が6人。その更に奥には……10名弱の身を鎧に包んだ性別不詳の集団。


 よく見れば、自分が全く見知らぬ場所にいることにも気づく。


 ──やけに豪華なお屋敷だった。


 床には赤いカーペットが敷かれ、壁には橙色に光る魔力灯。


 そこまで確認したところで、景色が通常通りに動き始める。しかし、それに反比例して心臓の鼓動は早鐘を打つ。あまりに予想外で、認めたくない光景だった。僕はなんのために、封印を……


 僕の前に歩み出たアーテルが、膝をついた。


 それに合わせて奥にいた大量の人影も一斉に跪く。


「あなたのお目覚めをお待ちしておりました。魔女様」


 そんな、普段のアーテルではあり得ないような言葉を聞いて、


 ──僕は過剰なストレスで意識を手放したのだった。


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