血と魔眼と終わりと
今年最後の更新です。良いお年を。
*ショッキング描写注意
本当は最初から全部わかっていた。ルピウスがおかしくなったことだって、ラーミナさんが夫殺しを為してしまったことだって。全部、全部……ほんとうは……
***
黒い本は、リシテアさんの日記だった。
先ほど指が弾かれたのは、もしかするとこれを守る防御式だったのかもしれない。
日記には、多くのことが書かれていた。
『今日はアモールちゃんの魔力を検査した。やはり莫大な量の魔素が魔眼から生成されているらしい。魔王としての特徴だとアーテルは言っていた』
それは、リシテアさんらしい綺麗な字だった。日付は、僕がここへやってきた時のものになっている。その後も毎日日記が続いていたようだ。彼女らしい几帳面さだ。
そこには……魔眼についての見解、魔王と聖女のこと、彼女の苦悩など、一度も表に出していなかったことが多く書かれている。
僕の記憶に、彼女から見た僕の姿が重なって見えて、胸が苦しくなった。
『この魔眼はあまりにも危険だ。今までの魔王とは性質が違う……対策が非常に難しいものになっている』
『物理的に視界を塞いでもダメ、魔力制御をしてみてもダメ。正直、アモールちゃんは魔力制御に関しては天賦の才を持っていると思う。それでも無理なら、やっぱりこのアプローチじゃ無理なのかも』
『どうして私が聖女として選ばれたのだろう。戦うことができない私を、どうして神様はお選びになったのか……私には、この子を殺すことなんてできないのに』
『しばらく観察してわかった。この子は、悪性なんて欠片もない、普通の女の子だ。どうしてこんな子が魔王になってしまったんだろう……もしかして、私が聖女になったのは……』
『ラーミナさんのことは、この子には知らせない方がいい。この子は何も悪くないのだから』
『魔眼の制御は上手く行かなそう。やっぱり内側からのアプローチじゃ厳しいのかな。たくさん窮屈な思いをさせてしまって心苦しい』
『今日は初めてアモールちゃんが笑ってくれた。すごく可愛かった。こんな子が魔王だなんて信じられない』
『私の魔力は魔眼の力を相殺するらしい。レジストするだけでも今は手一杯だけど、少しだけ糸口が見えたかもしれない』
『重圧に耐えられない。誰かに代わってほしい……でも、私しかいないんだ。どうして私なんだろう。こんな調子で、アモールちゃんに悟られちゃったら、心配を掛けてしまう』
『アモールちゃんの元気が少しずつなくなっていってる。やっぱり部屋に篭りきりは良くない。でも、まだ魔眼を封じる術は見つからない』
『……ラーミナさんの処刑日が決まった。もしアモールちゃんが知られてしまったらと思うとゾッとする。きっと、取り返しのつかない傷になる』
『気分転換も兼ねて、あの場所に行ってみようと思う。懐かしいな。私もアーテルに師事したばかりの頃に連れて行ってもらった。それに、隕星花があればついに試作品が完成する。やっとアモールちゃんに外を自由に歩かせてあげられる』
『失敗してしまった。彼女にとってこの森はあまり良い思い出のない場所だったのかもしれない。私はいつも肝心な場所に気が回らない……嫌になる。こういうことをするから私は……』
『少しだけ、アモールちゃんと打ち解けられた気がする。やっぱり、この子は私が守らなきゃ。きっと、私が聖女になった意味はここにあったんだ。どうかこの哀れで可愛い子に祝福を』
日記はそこで終わっていた。昨日の記述が最後だ。
……頭から冷や水を浴びせられたような、そんな感覚だった。
「……はは」
思わず、乾いた笑いが漏れた。あまりの自分の愚かさに、もはや笑うしかなかった。あまりにも罪深く、愚かで醜い生き物。それが僕だった。
──僕の魔眼が人を狂わせるものだなんて、本当は気づいていたんだ。
ルピウスがおかしくなったことも、ラーミナさんが狂ったことも、本当は僕の魔眼のせいなんじゃないかって……本当は気づいていた。
でも、それが認め難くて、愚かにも自分を守りたくて……自らの罪から目を背け続けた。リシテアさんは平気なのだから、きっと僕の勘違いだなんて、嫌な確証バイアスに縋って。
その罪を、僕が殺した本人に突きつけられた気分だった。
ドクドクと心臓が脈打つ。されど、体の末端から芯まで冷え切っていく感覚がある。罪悪感、いや……これは、自分への嫌悪感だった。
「気持ち悪い……」
そんな言葉が口からこぼれ落ちた。
胸の奥から何かが込み上げてくる。口を押さえる手が震える。
加害者のくせに、ずっと被害者ぶって目を背けて、みんなを不幸にし続けて。それなのに、悲劇のヒロインかのように振舞って。
気持ち悪くて仕方がない。こんな生き物が存在していていいのか。吐き気を催すほど醜悪で、汚らしい世界の癌だ。悍ましい……気分が悪い。どの面下げて、リシテアさんの元でのうのうと暮らしていたというのか。
僕が冒険者になるなんて言わなければ良かったのか……いや、そうしたら別の人が犠牲になっていただけだ。
つまるところ、僕は生まれてきてはいけない存在だったのだろう。
そうとしか思えなかった。そのくらい、僕の生は呪われていて、どこまでも行き詰まりしかなかった。
近くにあった鞄から、名前の刻まれたナイフを取り出す。思い出の詰まった、大事な宝物だ。
そんな思い出も、なんだか色褪せて見える。
孤児院での日々。アマストリネさん、そして他の子供達との日常。今思えば、ああして慕われていたのだって、魔眼のおかげだったのではないだろうか。アマストリネさんに、家族だって言ってもらえたことだって……
全部……こんな目さえなければ……こんなもの、全部、全部お前のせいで……!!
カバーを外せば、綺麗に磨かれた刀身が灯りの中に揺らめく。手が震えているのは怒りか憎悪か、それとも恐怖か。
意を決して、それを強く握りしめる。そして、
────二度、ナイフを突き立てた。
鋭い痛みと、焼けるような熱さが目を襲った。テレビの電源を落としたように、視界は暗く、何も映さない。
これでいいのだと思った。
どうにかなりそうな程の痛みがあるのに、なんだか清々しい気分だった。これで全部終わったと、あのくそったれな女神に意趣返しができたと思った。
そのはずだった。これで何もかも終わったはずだった。それなのに……
「なんで……? なんで……ッ!?」
……暗かった視界が、次第に明るさを取り戻していく。段々と視界が鮮明になっていく。そして……手の中に、血のついたナイフが見えた。
意味がわからない、意味不明だ。どうして。なんで。確かに僕は終わらせたはずだ。
ナイフを覗き込んで見れば、無傷の瞳が映り込む。
「は?」
思わず、そんな声が漏れる。
手を汚す赤い液体が、確かに目を貫いたことを証明している。だというのに、そこにあるのは傷ひとつない真っ赤な目。
思わず、手の力が抜ける。床に落ちたナイフがからりと音を立てる。体が、口が、喉が引き攣る。
「ぅあ……ああ……」
まだ、僕は解放されないの……?
気が狂ってしまいそうだった。傷が、浅かったのか? まだ、僕の覚悟が足りなかった? なぜ、なぜなぜなぜなぜ僕はまだ外が見えているの?
思考がうまく回らない。なにもかもわけがわからない。この世界がわからない。
まだ、きっと傷が浅かったんだ。そうに違いない。もっと……うまくやらないと。
……指を、瞼の中に差し込む。嫌な音を立てて、指が深く沈んでいく──視界がぐにゃりと歪み、鈍い痛みが広がった。
ぐちゅ……ぶち……ぬちゅ…………ぐちゃり
湿った音が部屋に響く。手のひら残るのは、形の崩れた粘着質なモノの感触。
これで今度こそ終わったと思った。何も見えないことに胸を撫で下ろした。
だというのに、何か妙な感触があった。眼窩の奥に、何か蠢いているのを感じた。
「い、いや……」
そして……数秒も経たぬうちに、また視界が元に戻り始める。これは幻視か? いや……指で触れてみれば、そこには確かに眼球の感触がある。
「いや……いやだ……いやああああアアア──!!!!」
喉が張り裂けそうなほどに叫ぶ。喉がひとりでに声をあげていた。ほとんど無意識だった。
考える余裕もなく、両手を顔に伸ばす。苦しくて、痛くて、悲しくて……そして何よりも、恐怖があった。
きょうふが、ワタシをつよくかりたてた。
ゆびがわたしのがんかくをつきやぶる。
ぶち……ぶち……ぶち……ぶち……ぐちゃ…………ぐちゃ…………ぶつり……ぶち……べちゃり……ぶち…………ぶち……
なんどもなんどもえぐった。でも、りょうのめはひかりをうつしつづけた。どれだけつぶしてもつぶしても、つぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしてもつぶしてもだめだった。
目を抉る。潰す。抉る。潰す。抉る。潰す。抉る。潰す。抉る。潰す。抉る。潰す。抉る。潰す。抉る。潰す。抉る。潰す。潰す。潰す。潰して潰して抉って潰して潰して抉って潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して潰して────
────ナイフを首に、突き立てた。
目が覚めれば、あたりは血の海に沈んでいた。そこら中に眼球だったモノが散らばっていた。
首を手でなぞれば、血で濡れた感触。しかしそこにあるのは傷ひとつない肌。
確かな絶望が僕の心を包み込む。僕は、死ぬことすらも許されないらしい。
非器質性疼痛で、体が硬直する。あまりの痛みに、床へ顔から崩れ落ちる。痛くて痛くて堪らない。
もうダメだった。起き上がる気力も湧いてこなかった。死という最後の逃げ道も塞がれて、もう何かをできる力が残っていなかった。
生きていても、ずっと周りを巻き込み続けるだけなのに。もう誰かに迷惑を掛けたくないのに。ぼくが死ねば全部終わるのに。
楽になりたい。死んで全部終わりにしたい。僕が罪悪感を感じない人間であればよかったのに。どうしてこんなに苦しい思いをしないといけないの?
どうして神はかくも残酷なのだろう。
「ごめん……なさい……」
視界が涙で歪む。声が震える。本当に泣きたいのは、巻き添えになった被害者のみんななのに。僕に泣く資格なんてないのに、涙が止まらない。
「ごめんなさい……ごめ、んなさい……」
勝手に口が動く。こんな謝罪、意味ないのに。こんなことを言っても、みんなは返ってこないのに。最後まで僕はこんな偽善に濡れた醜い獣なのか。
寝台のそばへ這っていけば、ぐちゃぐちゃになって辺りを赤く濡らすリシテアさんがいる。目を背けたくなるほどの傷だった。その表情は、酷く苦しげに歪んでいる。
「あぁ……ごめんなさい……ごめんなさい……生きててごめんなさい……」
こんなにもボロボロで、一体どれだけ痛かったことだろうか。あんなに優しくて、清らかで、まさしく聖女と呼ぶべき人だったのに。僕と関わってしまったせいで、こんな終わり方をするなんて……そんなことあって良いはずがないのに。
全部僕のせいだ。僕が彼女を殺したんだ。リシテアさんも、アベラルドさんも、ウルフさんも、ラーミナさんも、ルピウスも……みんな。
「ごめんなさい……」
一体どうすれば良かったのだろう。そんな、何度目かもわからない問いかけをする。
死ぬこともできず、魔眼を制御することもできず。ただそこにいるだけで人を狂わせる。そんな化け物が僕だ。
最初から、人と関わるべきじゃなかったんだ。転生者だなんていう異物が、みんなと一緒に生きていこうだなんて、最初から烏滸がましいことだったんだ。
──人のいない場所にいこう。
ふらつく体を何とか動かして立ち上がる。これ以上ここにいてはいけない。どこか、人のいない場所に行かないと。霧の森なんかはどうだろうか。浅い場所では危険だ。人に見つからないような、森の奥深くへ行こう。
少しだけ悩んで、鞄に自分の荷物を詰める。ここに、僕なんかの穢れた痕跡が残っていてはいけない。
僕の荷物は、小さな鞄に全て入るほどに少なかった。
最後に、リシテアさんの横に立つ。
苦悶の表情を浮かべたその顔に、そっと布を被せた。
「ごめんなさい……今までたくさんのものを私にくれて……ボクのことを大事にしてくれて、ありがとうございました。殺してしまって……ごめんなさい」
さようなら、と最後に告げて部屋を出る。
廊下には、首の捻じ切れた亡骸が転がっている。この人も、僕の被害者の一人だ。
悪いのは全部僕なのに、衝動だけで殺めてしまった。やはり僕は、人間と関わってはいけない化け物だ。
廊下を進み、食堂を経て宿を出る。
──そして鼻に入ってきたのは、鉄と脂の臭いだった。
視界の中には、幾つもの遺体が転がっている。バラバラにされ、もはや人数の判別もできないような遺体が散乱している。その中央には二人の男。
男達は、血に濡れた剣を手にその場に佇んでいる。この光景を作ったのが誰なのか明らかだった。
二人は僕を見つけるや否や、先ほどの男と同じように、星明かりに照らされながら跪く。
「我らが女神よ、やはりここにおられたのですね。あぁ、我らの供物は気に入っていただけましたか?」
「邪魔が入らぬよう、あたりは既に掃除済みです。さぁ、安全な場所まで案内します。共に向かいましょう」
二人は歓喜するように震えながら、喜色に富んだ声で話す。
もううんざりだった。でも、この人たちも僕のせいで狂ったのだと思うと、どうして良いのかわからない。これも、僕の罪だ。
「君たちは……」
そう僕が口を開こうとしたときである。突然二つの影が視界の端に映った。
ぴちゃりと、飛んできた液体が僕の顔に掛かる。
気がつけば、男の一人の頭を何かが貫いていた。
──それは槍であった。槍が、男の眉間から飛び出していた。
即死だったのだろう。跪いていた男は、そのまま前へと崩れ落ちる。
あぁ、今日は命がどんどん散っていく日だ。それに心が追いつかない。また一人……僕の前で死んでしまった。
もう一人の男も、突然首が宙を舞う。飛来してきた何かが一瞬キラリと瞬いた。暗くて何が飛んできたかは見ることができなかった。
そして、遠くから大きな声をあげて、人影が走ってくる。
「アモール!! 無事か!」
そんな声と共にやってきたのは、赤い髪のよく見知った女性だった。その姿に体が硬直する。もう死んでしまったのだと思っていた。
だって……日記では、処刑日は昨日だって……
「らーみな、さん?」
「そうだ。遅れてすまないね。……もう大丈夫だよ」
そのセリフに、安心なんて全くできなかった。むしろ、更に深くまで心が突き落とされるような気分だった。
そして、もう一つの影は遠くで固まっていた。
その姿を目に映して……心臓がどくりと跳ねる。
「あ、あぁ……そんなことって……」
見覚えるある人影が、ゆっくりと近づいてくる。その姿が、だんだん鮮明になっていく。こんな場所で見たくなんてない姿だった。
知っている顔が……遂に見えてしまった。
「アモール……君が……女神だったんだね」
いやだ、そんな言葉聞きたくない。どうしてこんなにも運命というのは残酷なのか。何度僕の心に釘を打ち込めば気が済むというのか。
「ひるで、がるどさん……!」
そこにいたのは、僕の魔術の師である──ヒルデガルドさんその人であった。
孤児院にいるはずだった。ここで会っていい人ではなかった。いや、元パーティが崩壊したんだ。こっちまで駆けつけても仕方ないはずだった。そんなことには頭が回っていなかった。
あぁ、ヒルデガルドさんが、僕の魔眼に侵されて……
ショックでふらりと倒れかける僕を、咄嗟にラーミナさんが抱き寄せる。あの日と同じ感触が頬を撫でる。辛い、嫌だ……こんな現実受け入れたくない。どうしてこんなに、大切な人ばかり狂わせてしまうんだ……。
そして、背後からまた足音が聞こえてくる。今度は一体誰なのか……
「はぁ……結局こうなるのね……運命とは、酷いものね……」
それは、またしても聞き覚えのある声だった。
振り返れば、そこには真っ黒な影。
黒いドレスに身を包み、濡羽色の長髪を揺らす女性──アーテルさんだった。
変わらず気怠げな顔で僕のそばに近づいてくる。そしてため息と共に口を開いた。
「もうわかってると思うけど……ここにいてはいけないわ……森へ避難するわよ……。あぁ、ラーミナは怪我をしてるんだから……ヒルデガルド、貴女がアモールを背負いなさい……」
その言葉を聞いて、「失礼」と言いながらヒルデガルドさんが僕を抱き上げる。あまりにも動きが早くて、抵抗する時間もなかった。
混乱の中、身動ぎすることもできない僕を他所に、三人は勝手に話を進める。
そして、三人が並んで走り出した。僕が周りから見えにくいよう、僕を囲うようにしてだ。
そのまま、すごい勢いで景色が背後へ流れていく。
されるがままに抱えられてしまったが、これ以上この人達を僕に巻き込むわけにはいかない。……僕の側にいたら、不幸になることが決まっているのだから。
「もう、ボクに関わらないで……」
そんな言葉が、僕の口を衝いて出る。しかしみんなは止まってくれない。
「それはできないわね……リシテアの、最後の願いなんだから……」
そんな言葉が、並走するアーテルさんから返ってくる。リシテアさんの名に、喉が詰まってこれ以上言葉を出せない。
僕を抱えるヒルデガルドさんの手に力が籠るのがわかった。
「大丈夫だ。今は私たちに全部任せるといい」
そんなことを言いながら、彼女は僕を抱えて走る。
もう、心がズタズタで、何も考えたくなかった。
全てを諦めた僕は大人しく目を瞑って体を委ねる。どうせ行き先は人のいない霧の森だ……向こうに着いてから、彼女達を街へ追い返せばいい。
そうして僕たちは、霧の森へと逃げ込むのだった。




