星と瞳と紅い華
「じゃあアモールちゃん。今日は空を飛んでみよっか」
朝起きてから開口一番に言われたのは、そんなセリフであった。
寝起きなのも相まって、一瞬思考が停止する。
「本当はアモールちゃんにも貸してあげようと思っていたけど、今日は私がアモールちゃんを抱えて飛ぶね」
一体なんの話だろうかと思いながら起き上がる。すでに朝食も用意されているようで、詳しい話を聞きながら食べる。
なんでも、霧の中を進んでいくのは面倒であるため、特殊な魔道具を使って空を飛んで進むらしい。
「これ、まだ試作品だけど。セブンリーグブーツだよ。まぁ、名前負けする性能だけどね……」
そう言ってリシテアさんがポーチから取り出したのは、ゴツい見た目のブーツだった。黒い謎の素材でできていて、側面にはびっしりと金色の幾何学模様が刻まれている。通常の魔法陣とは違うため、読み解くのは難しい。ただ、刻まれた神字から、何かしらの保護効果だろうことはわかった。内部構造を守るためのものだろうか?
「起動するのに莫大な魔素を消費するのが難点かな。正直一般に普及させるのは難しい代物ね」
そう言ってブーツを履くリシテアさんを尻目に、ご飯を食べ終える。
どうやらあのブーツが空を飛ぶための魔道具らしい。今回の旅は改良したブーツのテストも兼ねているそうだ。
導系統、風の魔術の応用で飛ぶのだとか。そんな説明を聞きつつ、ナイトキャップを外して髪型を整える。出発の準備と並行しながら野営地を解体した。
一応出発前に魔術で作ったテーブルや椅子は破壊しておく。
軽く準備を終えると、リシテアさんに手招きされる。近づけば、ガバリと抱き上げられ、膝と背中に手を回された──いわゆるお姫様抱っこである。
「舌を噛まないように気をつけてね」
そう忠告され、驚いて開けっぱなしにしていた口を閉じる。次の瞬間、ぐんっと強いGを感じた。視界がリシテアさんの顔と青空だけになった。
恐る恐る顔を横に向けて見れば、下方に広がる森が見える。地上から50メートルほどだろうか。それくらいの高さでホバリングしている。そのあまりの高さに体が強張った。
「Ὦ πνεῦμα ἀνέμου, ὁδήγησον τὴν ἐμὴν ὁδόν.」
リシテアさんが何かを詠唱すると、体の周辺を何かの魔力で覆われる。体を保護する術式だろうか。
「じゃあ、出発しようか」
その言葉と共に、リシテアさんが体を前方に倒した。僕は落ちないよう彼女に強くしがみつく。そんな風に密着すると、意識外から桃のような甘い香水の匂いが鼻腔をくすぐった。
ゴウっという音と共に体が急加速する。その勢いに思わず目を閉じた。
しばらくして目を開けると、視界の端に凄まじい速度で動く景色が見える。
顔を上げてみれば、驚くほど風を感じないことに気づいた。これほどの速度で動いているのに、僕たちの周りだけ凪いでいる。これが先ほどの魔術の効果だろうか。
風圧を感じないため、目をしっかり開けて景色を観察することができた。下方は深い雲海に包まれている。想像以上の霧の濃さだ。木々の頂点が見え隠れする程度で、後は雲ばかりだ。
前方を見ると、平坦な森の先に霧に包まれた山脈のようなものが見える。霧が川のように山々から流れ落ちており、なかなかに壮観な景色だった。
「高度を上げるよ」
山脈に近づくと、リシテアさんが大きく高度を上げ、急速に空気が薄くなるのを感じる。
一瞬気圧差で耳がキンと痛んだが、事前に教えてくれたおかげでなんとか耳抜きが間に合った。
山の鞍部の上空を通り、尾根を跨いでいく。
──次の瞬間、突然リシテアさんが横に勢いよく飛んだ。
そのまま横向きに一回転し、横軸の勢いを殺す。急に視界がぐるぐると回り、思わず小さな叫び声を上げてしまった。
何事かと思い彼女の顔を見上げると、「大丈夫だよ」と言いながら笑みを浮かべている。
「ちょっと砲撃を受けてね。今のはトレントかな? 大丈夫。索敵はしっかりしてるから、撃ち落とされはしないよ」
その言葉に下方へ顔を向ければ、無数の霧の塊が凄まじい勢いでこちらへ飛んでくるのが見えた。それをリシテアさんは大きく旋回することで回避する。後方には霧の柱が乱立している。
その様子に喉が引き攣る。あれは、当たったらまずいものだと本能が告げていた。
視界が四方八方に動き、僕は再び目を瞑る。ダイナミックな動きで空を飛び回るリシテアさんにしがみつき、ただ攻撃が当たらないようを祈ることしかできない。
チラリと目を開けてみれば、空気を穿つ霧の砲弾がすぐ横を掠め、その恐ろしい圧力に身が竦む。
「このブレスは、フォレストドラゴンだね。速度上げるから気をつけて」
リシテアさんのその言葉に、口をしっかりと閉じて慣性力に備える。
強い風の音と共に、さらに速度が上がる。たまにジグザグと飛行したりするせいで三半規管がやられそうだ。
そんな飛行を続けることどのくらいだろうか。1時間ほどは進んだような気がする。
ついにリシテアさんが速度を落とし、一つの山の頂上に降り立つ。
無事に着地し、抱っこされていたのをおろしてもらうと、そこに広がっていたのはなんとも不思議な景色だった。
ここら一帯だけ木々が少なく、生えている草木の色がおかしい。全てが黒に近い灰色をしているのだ。
それに、なんだが息苦しい。山頂ゆえに空気が薄いというのもあるのだろうが、何かそれ以上のものを感じる。
「ここら辺は魔素の濃度がすごく高いからね。私たちなら十分レジストできると思うけど、酔いそうになったら教えてね」
リシテアさん曰く、この息苦しさも、黒い景色も魔素のせいらしい。
今日はここで過ごすらしく、昨晩同様に野営地を建設する。結界を張ったものの、これで防げるのは実体化した魔素のみだ。息苦しさは相変わらずである。
ひと息ついている僕を尻目に、リシテアさんがそこらから黒い枝やら葉っぱやらを拾っている。魔素の被曝に強い優秀な素材になるらしい。
僕にはよくわからないため、ぼーっとその様子を見守る。
「よし、これくらいでいいかな」
そう言ってリシテアさんがこっちに戻ってくる。満足そうな顔だ。
することも無くなったのか、先ほど作った椅子を持ってきて僕の隣に腰を下ろした。
大きく伸びをする彼女の横顔はとても眠そうだ。いつもよりもトロンと緩んだ表情をしている。
「流石にずっと飛び続けて疲れちゃったわ。少しだけ仮眠を取るね。ここは安全地帯だけど、結界からは出ないように」
じゃああとは自由にしてて、と言い残して寝袋に入るリシテアさん。昨晩も結局僕が寝落ちしてしまって、そのまま朝まで寝てしまった。そんな中でそのまま抱えて飛んでもらって、本当に申し訳ないことをしてしまった。
完全にリシテアさんに負担を掛けっぱなしである。申し訳なさで心が痛んだ。
彼女も寝て、手持ち無沙汰になった僕は周囲に目を向ける。
やはり、ここら一帯が不気味なほどに黒い。ゲームに出てくる、所謂魔界にでも来た気分だ。
ずっと心が荒んでいて、何かを楽しむ余裕なんてなかったけど。心を空っぽにしてこの山頂の景色を見てみれば、少しだけ胸の奥が動かされるような気がした。
そうだった。こういう不思議な景色をたくさん見てみたくて、僕は冒険者になったのだった。
先ほどの空の旅路で、リシテアさんはトレントやドラゴンがいると言っていた。僕はまだ、ただの狼しか魔物を見たことがない。せっかくの異世界なのに、出会った魔物が狼オンリーだなんて少し寂しい。
こんなことを考えることができるくらいには、心に余裕が生まれているらしい。
昨晩、リシテアさんにずっと慰めてもらったのが効いたのだろうか。さしずめ美少女セラピーである。
こんな美少女にずっとお世話してもらって、実はものすごく罰当たりなことをしているのではないだろうか。
本当に、いつか恩返しをしないといけないなと、そう思った。
※※※
魔力制御訓練をしたりそこら辺の枝で遊んだりしているうちにそれなりの時間が経ち、気がつけばリシテアさんが起きていた。
僕の手元には、ナイフで皮を剥かれた木の枝がある。それを見たリシテアさんが微笑ましそうに目を細めた。
少しだけ恥ずかしくなって、僕は誤魔化すように枝を捨てた。ただ内部まで真っ黒なのか知りたいだけだった。
「今日はこのまま夜まで待つよ。夜にしか取れない素材だからね」
そう言ってリシテアさんはポーチから蝋板と羊皮紙を取り出す。
なんだろうと思い覗いてみると、導系統と思われる魔法陣が無数に描かれている。
「時間は有限だからね。せっかくだから、今日はこのブーツの仕組みについて教えてあげる」
正直に言うと、ブーツの構造はあまりにも複雑で、こうして話を聞くだけではあまり理解できなかった。
そうして講義を聞くことしばらく、それなりに時間が経ったように思われたが、まだまだ太陽は沈まない。朝早くから空を飛んで来たこともあり、夜まではかなりの時間があった。
なんだかんだで時間を持て余してしまった。
「今日は夜に作業しないとだし、アモールちゃんは夜まで仮眠を取っておいてもいいよ」
そんな僕を見かねたのか、寝袋を取り出したリシテアさんにそう提案される。
提案されたものの、少しだけ悩ましく思う。
──正直に言うと、まだ寝るのが怖い。
夢見は最悪だし、寝付きもあまり良くないし。
そんな僕の内心が顔に出ていたのだろうか、リシテアさんが思案げな顔でこちらを見ている。
うーんと唸った彼女は、座っていた長椅子を改造して横幅を広くする。
その上に寝袋を敷くと、こちらを向いて手招きをしてきた。リシテアさんはそのまま笑顔で口を開く。
「おいで、一緒に寝よう」,
そうして飛び出してきたその言葉に、一瞬思考が停止する。
言葉の意味を咀嚼する前に、反射的にリシテアさんの方に歩いていく。
困惑している僕がおかしかったのか、ふふふっと柔らかく笑うリシテアさん。
「後ろを向いて」
そう言われて大人しく従うと、髪を持ち上げられる感覚がある。細い指が僕の髪を通っていく感触があった。
そのまま髪を緩く編まれ、ナイトキャップを被せられた。こうして髪を誰かに触られるのは、幼少期の孤児院以来だ。どことなく懐かしい気持ちになる。
普段は髪を下ろしっぱなしなので、普段とは違う圧迫感があった。ここまで丁寧に髪を扱うのは初めてである。孤児院にいた頃は髪を放り出して寝ていた。
リシテアさんがぽんぽんと、軽く寝袋を叩く。そうして促されるままに寝袋に入る。
「じゃあ、左手を出して。ほら」
そんなことを言われ、畳んで閉じている寝袋の側面を少しだけ開く。そこから左手を出せば、リシテアさんからその手をそっと握られた。すべすべしたその感触に驚いて、思わずひゃっと変な声を出してしまう。
「ふふふ。ごめんね。こうしたら少しは眠れるかなと思って。昨日はぐっすり眠っていたから」
僕の手をにぎにぎしながら、リシテアさんは悪戯っぽい笑みでこちらを見下ろす。そういえば、昨日は彼女に抱きついたまま寝落ちしてしまったのだった。
「心配しなくていいわ。私は本でも読んで時間を潰すから」
そう言って、彼女は反対の手でポーチから分厚い本を取り出す。膝の上に乗せてペラペラと捲っている。
その様子を見て、僕は大人しく彼女の言葉に甘えることにした。
リシテアさんの手は、その儚げな容姿とは対照的にとても温かい。細い指が絡むように僕の指を包んでいる。改めてそれを意識してしまい、少しドキドキした。
昨日はなんだか雰囲気に流されていたが、こういった接触にはあまり慣れていないのだ。眠ろうとしても、そわそわして目が冴えてしまう。自認が男性なのか女性なのかも曖昧な僕だが、それはそれとして美人は心臓に悪い。
それにしても、なかなかに不思議だ。手を握り返してみれば、道具師だとは思えないほどに肌が滑らかである。これも霊力だったりの影響なのだろうか。
「ゆっくりお休み」
そんなリシテアさんの声が優しく響く。聴き心地の良い澄んだ声だ。肩の力が少しだけ抜けた。
そうして目を瞑っていると、心臓の鼓動が少しずつ落ち着き、いつしか意識が遠のいていった。今までとは違う、穏やかな時間だった。
※※※
「アモールちゃん、起きて。もうすぐ時間だよ」
リシテアさんの柔らかな声が耳元で響く。ゆっくりと目を開けると、周囲はすっかり暗くなっていた。空は星々が散らばる黒い幕で覆われ、月の姿は見えない。新月の夜だ。
僕は寝袋から体を起こす。少しぼんやりとした頭で周りを見回した。相変わらず周囲には黒い草木が生い茂っている。息苦しさは相変わらずだが、慣れたのか幾分かマシに感じた。
「おはよう」
リシテアさんはそう呟いて僕の頭を撫でると、ゆったりと立ち上がる。月明かりもないため、とても暗い。彼女の姿もぼんやりとしか見えない。
暗闇に包まれた静かな山頂に、風の音だけが響く。
その静寂を破ったのはリシテアさんだった。
「このあたりは魔素の濃度が極めて高いからね。ある特殊な花が咲くの」
そう言ってリシテアさんが振り返った時である。突然、地面が淡く光り始めた。
最初は気のせいかと思った。しかし、次第にはっきりと視界が明るくなってくる。足元から柔らかな白い光が広がっていく。
──黒い土から、無数の小さな蕾が顔を覗かせた。真っ白で、淡く発光しているそれらは、ゆっくりと膨らみ始める。まるで花の観察映像を倍速で見ているようだ。
そして、一気に花開いた。
五つの花弁を持つ、美しい花。純白の花弁が星のように輝き、周囲を照らす。山頂一帯が、そんな花の海に変わっていく。息を呑むほどの幻想的な光景だった。
僕は思わず立ち上がり、その光景に見惚れる。気がつけば、息苦しささえ忘れていた。
そんな中、リシテアさんがゆっくりと歩き始める。美しい花に包まれた彼女の姿は、まるで花の精霊のようだった。真っ白の髪が夜風に揺れ、白い光でキラキラと輝いている。
「綺麗でしょう? この花の名前は、隕星花っていうの」
リシテアさんが振り返って、そう僕に語りかける。白い光に照らされて、彼女が微笑んでいるのが見えた。
「魔素の濃度が極めて高い特定の場所でしか咲かないの。新月の夜にだけ、こうして花開く変わった性質を持っているわ」
そう言って、リシテアさんは足元の花を一輪摘んだ。摘まれた花も輝きを失わず、淡く光っている。
「星が落ちてきたみたいに輝くことから、こんな名前が付いているわ。…………この景色を見せたくて、アモールちゃんを連れてきたの」
そんな言葉と共に、リシテアさんが僕を手招きする。花を踏まないよう気をつけて駆け寄ると、そっと手を差し出された。
その優しげな顔を見て──僕の心臓が、ドクリと強く跳ねた。
その姿があまりにも、あまりにも……綺麗すぎたのだ。
黒い草木に囲まれて、淡い光の中に立つ白い少女。そんなモノクロの世界にある色は、唇を優しく彩る赤色と、細められた瞼から覗く青色だけ。
相変わらずキラキラと輝く美しい目だと思った。その光に魅了されて、僕は思わず硬直してしまった。
痺れを切らしたのか、動かない僕の手を自ら取るリシテアさん。その体温に、僕の心臓が早鐘を打つ。
リシテアさんに手を引かれて、花の間を歩いていく。その先にあったのは、息を呑む絶景だった。
山頂から見下ろす崖一面に、花が咲き誇っている。その白と黒の景色に、異界へと迷い込んだような錯覚があった。
「綺麗……」
思わず、僕の口からそんな言葉が漏れていた。それを聞いたのか、隣に並ぶリシテアさんが満足げに頷く。
「一度見たら忘れられない景色でしょう? どうしても、この景色をアモールちゃんに見せたかったの。……まだまだ世界には、こんな景色がいっぱいあるわ」
そう言って、言葉を選ぶように一瞬沈黙するリシテアさん。僕の手をぎゅっと握ると、柔らかく笑って口を開いた。
「だから……色々と落ち着いたら、また……いろんな景色を見に行きましょう。この国以外にも、いろんな場所の景色を」
そう言うリシテアさんの手は、少しだけ震えているような気がした。
──────────────────ー
少しは楽しんでくれたかな、という不安は、頬を染めて景色に見入るアモールちゃんを見ればすぐに霧散した。どうやらこの景色も気に入ってもらえたらしい。
綺麗な景色を見れば、鬱屈とした空気も多少は晴れるだろう。また街に戻れば、いつものように引きこもって魔眼の対策をすることになってしまう。
今だけでも気分転換ができれば良かった。
「実は、この花にはとある伝説があってね。黒い隕星花を見つけた人は、なんでも願い事が叶うと言われているの。気が向いたら探してみるといいよ」
そんなことをアモールに語りながら、のんびりと歩く。この話は昔アーテルから教わったものだ。当時は、私もここに来るたびに黒い隕星花を探したものである。結局見つけることはできなかったが。
下を見ながらキョロキョロとするアモールちゃんを見て微笑ましく思いながら、繋いでいた手を離して、ポーチから今日使う道具を取り出す。
一応お仕事もしなくては。
保護液が入った瓶を5つほど取り出し、隕星花を中へと詰めていく。相変わらず一度で持ち帰ることができる量が少ない。
アモールちゃんが不思議そうな顔で見てくるので、軽く解説してあげる。
「この花はすっごく良い素材になるんだけど……保存が効かなくてね。朝には全部消滅しちゃうの。保存するにはこの保護液が必要なのよ。でもこれもすっごく高価で貴重だから、なかなか手の出せない素材ね」
この花の特性も併せて教えてあげる。この花は特殊な魔道具には必要不可欠なものだ。魔素を保持する効果があり、魔素の保存、放出ができるのである。
「そして、もう一つだけ保存方法があるわ。……そう、最近ずっと教えている保存魔術ね」
もう一つ小瓶を取り出し、中に隕星花を入れる。すると、瞬く間に溶けて銀色の発光する液体が出来上がった。これは保護液ではなく溶解液である。魔術の触媒に使うものだ。
筆の先端を中へと入れ、溶けた隕星花を絡め取る。そして、羊皮紙の上に3つの魔法陣を書き込んだ。
その魔法陣の中央に、隕星花を一輪乗せる。そのまま魔力を魔法陣に流しつつ詠唱を始めた。
「彼のものは恐れを知らず、いずれ世界をも呑まんとする者」
そんな起動式を詠唱をすれば、凄まじい量の魔素が吸い取られていく。やはりこれは燃費が悪い。
「彼の御霊の力を借り受けん。我が声は時の門を叩き、星の巡りを静寂へと導く。クロノス・イレミア」
そうして詠唱を完遂すれば、魔法陣が青い光を帯びる。トドメと言わんばかりに、まとめて魔素が持っていかれた。
急激な魔素量の変化に少しふらついてしまう。アモールちゃんに心配そうな目で見られてしまった。
大丈夫だよ、と笑いかけて魔術を発動させる。魔法陣が浮かび上がって、花へと吸い込まれていく。
そうして青い光が瞬き、無事に魔術が完了した。
これで、ちょっとやそっとじゃ壊れなくなった。羊皮紙の上に鎮座する花を摘み上げてみれば、不思議な感触が指を撫でる。柔らかく変形する陶器を触っているような、形容し難い感触だ。
「せっかくだから、記念にこれはアモールちゃんにあげる。ちょっと待ってね……」
ちょっとした思いつきで無機魔法を発動する。ちょうど良い軸を作り、花を髪飾りに加工した。道具師をやっているだけあって、これくらいはすぐにできる。
無事に綺麗な隕星花の髪飾りができた。なかなかに満足のいく出来だ。
そっとアモールちゃんの髪に着けてあげると、ピンクの髪に純白の花が綺麗に映えた。
「わっ……ありがとうございます」
目をぱちくりとさせながらお礼を言うアモールちゃん。きっと、鏡もないからあまり実感が湧かないのだろう。
いまだに硬いその口調に、思わず苦笑を返しながらその頭を撫でた。
「よく似合ってるよ。……よし、じゃあ今日はアモールちゃんも実践してみよっか」
そう言って、彼女に瓶と筆を渡す。まだお手本が必要だろうと、先日も見せた魔法陣の資料も一緒に手渡した。
それを見ながらアモールちゃんが慎重に魔法陣を書き写していく。陣同士の干渉が起こらないように、下書きなしでのやり直しが効かない作業だ。緊張しているのか、筆先が少し震えている。
ゆっくりと魔法陣を3つ書き終えると、一度深呼吸をして詠唱を始める。
「────我が声は時の門を叩き、星の巡りを静寂へと導く……クロノス・イレミア」
そうしてアモールちゃんが詠唱を終えると、魔法陣が赤い光を帯びた。そのまま強く発光し、中央の隕星花へと吸い込まれていく。
その様子を見て、わかっていたことなのに胸が締め付けられた。
「……そう、君の魔力は、その色なんだね」
やっぱりそうなんだ、という言葉は寸前で飲み込んだ。
私の言葉に首を傾げているアモールに、私は笑って誤魔化す。
魔術は、無事に発動していた。文句のない出来だ。だから、褒めてあげないと。
「初めてで成功するなんて、すごいね。やっぱり、魔術の才能は凄まじいものがあるわ」
そう言って頭を撫でてあげれば、満更でもなさそうに口許を緩めるアモールちゃん。その様子はなんとも可愛らしい。
「そうだ」
アモールちゃんはそう呟くと、魔術を施した花を手に取り、加工し始める。
しばらく観察していると、完成したのはシングルピンの髪留めだった。それを手に、おどおどとしながら私の顔を窺っている。
何かを迷っているようにもじもじとこちらを上目遣いで見上げるアモールちゃんは、まるで小動物のようだった。そして遂に決心したように身を乗り出すと、私の髪にそっとそのピンを差し込んできた。
それは……ものすごく、母性を刺激される仕草であった。あまりに可愛くて、ついそのまま抱きしめてしまった。頬擦りをすれば、恥ずかしそうに身を捩らせる。なんだか、娘か妹でもできた気分だった。
「ふふふ、お揃いだね」
こんなにも良い子が運命に翻弄されるのが、やはり私は耐えられない。
この子の呪いは、必ず私がなんとかしよう。そう、強く決意するのだった。
※百合展開はありません。
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・隕星花(asterianthos/アステリアントス)
黒い隕星花の伝説: 古き時代では、隕星花は世界中に咲くありふれた花であったとされている。当時は子供達の娯楽の一つとして、黒い隕星花を探すという遊びがあった。見つけたものは願いを叶えるとまことしやかに言われていたのである。また、創造神の一柱である闇の女神ニグレーツィアは、黒い隕星花を髪飾りとして身につけていたとされている。黒い隕星花を見つければ、彼女の加護を受けることができるのかもしれない。




