××の後悔
「ほら、起きて。もう出発するよ」
いつもとは違い、柔らかな声と共に目が覚める。寝ぼけ眼で声の主を見れば、いつもとは違う格好をしたリシテアさんがベッドの側に立っていた。
革のブーツに分厚い生地の黒いズボン。その上から真っ白のコートを着ている。今まではゆったりとした服ばかり着ていたが、これが旅用の装備なのだろう。
窓から覗く空はまだ暗い。市民薄明にはまだ届かない程度の暗さだ。今は4時前後だろうか。
「朝食はもうできているから、食べたら着替えて出発するよ」
そう言って隣の部屋へと向かうリシテアさんの後を追う。
いつもは食堂で用意してもらっていたが、今日は時間も時間なのでリシテアさんが作ってくれたらしい。
なんだか、優しい味のするスープだった。
食事を終えて、冒険者としての装備を身につける。ラーミナさんから防具をもらった時のことを思い出して、胸がずきりと痛んだ。
そんな痛みを無視して準備を整える。使う機会があるかはわからないが、いつも通りナイフをポーチに入れて持っていくことにした。
「準備はできた?」
着替えなどを終えて作業室に行くと、リシテアさんが部屋の奥で山積みになった木箱を触っていた。
ちょっと待ってね……と言いながら、リシテアさんが一つの木箱を手に取り持ってくる。
中から取り出されたのは白いローブだった。
「これ、一応着ておいて」
「これは……?」
手に取ると、見た目以上に軽く、存在感のないローブだった。軽すぎて持っている感覚がほとんどない。
「認識阻害のローブだよ。念の為にね」
一応僕は今外では話題の渦中にいるから、目立たない方がいいらしい。
皮の鎧の上から被ると、ふんわり魔力に覆われている感覚があった。
「じゃあ、日が登らないうちにさっさと出発しちゃおう」
そう言うリシテアさんの格好は非常に軽装だ。
白いコートの上からポーチを肩にかけているのみである。
旅をする格好には見えないが、きっと何かあるのだろう。素人の僕は大人しく彼女についていく。
久しぶりに宿を出て、新鮮な空気のもと大きく身体を伸ばす。内心外出を躊躇っていたが、こうして実際に出てみると意外と開放感が強くて気持ちよかった。
日の出前ということもあり、外にはほとんど人がいない。明かりもパン屋などからポツポツと漏れるのみだ。
西門に近づいてくると、巡回の衛兵とすれ違うようになった。すれ違う度にリシテアさんが僕を体で隠してくれる。そこまでする必要があるのかはわからないが。
西門につくと、関所をリシテアさんの顔パスで通過し、街を出る。「有名になるとこういうのが便利なんだよねー」とリシテアさんは言っていた。
今回の遠征では霧の森の深部に行くとのことだった。何を取りに行くのかなどはまだ聞いていない。現地で見せたいと言われてしまった。
街を出ると、いつぞやに見た景色が目に入ってくる。あの時は、冒険の始まりを予感させる美しい景色に思えたものだが。今は、どうだろうか。
森に踏み込むと、ぞわりと背筋を嫌な感覚がなぞった。
ドクりと波打つ心臓を強く握りしめて、嫌な感覚を振り払う。
「大丈夫?」
喉が引き攣ってうまく息ができずにいると、隣にいたリシテアさんが僕の顔を覗き込んでくる。
目が合うと、酷く心配そうな顔をしているのがわかった。
そのキラキラとした綺麗な目を見ると、震えが少しおさまった気がした。吸い込まれるようなその青色に、不思議と落ち着きを取り戻す。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「ほんと? 無理はしないでね……」
まだ心配そうに眉を寄せているリシテアさんに笑いかける。
それに何故か表情を曇らせるリシテアさんだったが、このまま見つめ合っていても仕方ないので一旦先に進んでくれた。
道中は、少しだけ気まずさがあった。あまり言葉はなかった。
そのまましばらく歩き、足元の霧が濃くなってきたところでリシテアさんが立ち止まる。
「そろそろお昼ご飯にしよっか」
そう言って彼女は椅子とテーブルを無機魔術で作る。
食事と言っても、どうするのだろうか。ここで調達するのだろうか。軽装で来ているし、何か持ってきている様子はないが。
そう思っていると、リシテアさんが肩から下げていた小さなポーチから次々と袋を取り出し始める。その量は明らかにポーチの収容量を上回っていた。
「ふふ、驚いた? 実はこれ、空間拡張を施した魔道具なの」
そう言って、リシテアさんが得意気にポーチを掲げる。
以前空間魔術の応用として保存の魔術の話をしていたし、確かにこういった空間拡張も可能なのだろう。
しかし、魔術を齧った身としてはなかなかポーチという形にその魔術を納める方法をイメージできなかった。そんな魔道具の話もまだ聞いたことがないし、もしかしたら相当高価なものなのかもしれない。
「そのうち君にも作れるようになってもらうよ。実は今取りに行ってる素材もこういった魔道具に使うものなの」
さ、食べましょう。という言葉と共にパンと干し肉、干し葡萄を渡してくれる。水とコップは魔術で自分で用意する形だ。こういう時、魔術師は本当に便利である。
比較的短い旅路であるため、硬い黒パンではなく普通のパンである。レーズンと共に食べると美味しい。
「そういえば、その鞄って、重さはどうなんですか?」
「あー、これは特別製でね。空間の接合部をここに繋げてるだけで、ポーチの中を直接広げているわけじゃないから重さはないよ」
ふと気になったことを聞くと、そんな回答が返ってきた。魔術というのは本当に何でもありらしい。
普通の魔道具だと重さはそのままなんだけどね、とも付け加えられる。また少し、魔術への造詣が深まった。
そうやってほのぼのと昼食を摂ると、再び森の奥へと歩き始めた。今の所魔獣とは出会っていないため非常に平和な旅である。せいぜい足元の霧に気をつけないといけない程度だ。
奥へと進むこと数時間。霧がだいぶ濃くなってきた。ここから先は魔道具がないと前に進むこともままならないエリアである。
そのまま進むのかと思ったら、今日はここで野営するらしい。
「明日、少しズルをして先に進むからね。今日は一旦ここまでにしよう」
野営をすると言ってもテントは張らない。咄嗟に魔獣に対応できるようにだ。
以前も見せてもらった結界を張る魔道具をいくつか並べ、風の魔術で霧を払う。その後地面を平らにして布を敷き、その上に寝袋を置く。これだけで簡易野営地の完成である。
結界で雨を防げることもあり、テントがなくても問題ない。
「まだ時間もあるし、前も話した保存魔術の勉強をしよっか」
野営地の形を整えたリシテアさんがそう言い、ポーチから大きな紙を取り出す。そこには、三つの魔法陣が書き込まれていた。
それからしばらく、リシテアさんによる魔術講義に耳を傾けるのだった。
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目の前でぼーっと焚き火を眺めているアモールちゃんを見つめる。
できるだけ多くの魔道具を見せたくて、色んな種類を持ってきてしまった。
少しは楽しんでくれただろうか? 旅の目的地を霧の森にしてしまったのは本当に不注意だった……反省しないと。
彼女にとって、ここはあまり来たい場所ではないだろう。本当に、申し訳ないことをしてしまった。今は落ち着いているようで一安心である。
食事も終え、あとは寝るのみ。フォレストウルフに一回くらいは出会うと思っていたが、平和に旅ができてよかった。
「久しぶりに外に出て疲れているだろうし、先に寝ちゃっていいよ。最初の夜番は私がするね」
眠そうにしている彼女に寝るよう促す。
アモールちゃんは静かに頷き寝袋に入っていく。少し前まで一挙手一投足でビクビクしていたが、最近はだいぶ素直になってきた。
「ちょっと待って、髪痛むわよ」
私の声を聞いてむくりと起き上がった彼女を見ると、案の定結びもせず何も被っていない。せっかく長く綺麗な髪なのだから、もう少し気を使って欲しい。
ナイトキャップは持ってきていないようなので、私の分を貸してあげる。髪は編んであげたかったが、触れられるのが苦手だろう彼女に提案するのは気が引けた。
アモールちゃんはおぼつかない手つきで髪をセットすると、再び寝袋へ戻っていく。
一応周りを警戒しつつ、私は日課である手記をつけることにした。
今日したこと、反省点、アモールちゃんのこと。色々と書くことがある。日記を書く時間は、深く内省できるため好きだ。
日記を書き終わるとすることもないので、ここ最近のことを振り返りながらぼんやり景色を眺める。
それなりに彼女と生活しているが、いまだに彼女が暴走する気配はない。
だが、やはりまだ魔眼は常時発動しており、外で自由に生活させることはできない。
魔眼を抑えるための魔道具を開発しようと試行錯誤してはいるものの、いまだに肝心の部分が不鮮明だ。
私の魔力と彼女の魔眼の力が相殺しているところまではわかったのだが。
私の魔力をストックして、彼女の魔眼を封じる機構を作れれば良いのだが。私がいなくなった時のために他のアプローチについても考えないといけない。
なんにせよ、私の魔力をどう使って彼女の力を抑えるかもまだ検証できていない。早く彼女に自由な生活をさせてあげたいものだ。
「頑張らないとね……」
そう呟いて体を伸ばすと、どっと疲れが押し寄せてきた。私の使命だとかなんだとか、最近は重圧が大きくて心身が疲弊しているのを感じる。もう少し私もリラックスしないといけない。
横で眠るアモールちゃんを眺めながら体を弛緩させる。そうしていると少し眠気が来てしまったため、頭を振って気を引き締めた。
そんな時である
──突然、アモールちゃんがガバリと体を勢いよく起こした。急な出来事に、私は一瞬固まる。
体を起こしたまま固まり、目を大きく見開く彼女。そのまま、わなわなと震え出した。
それと同時に、ぶつぶつとなにかを呟き始める。
「い、いや……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんないごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……あ、あああああああああ」
急いで彼女に駆け寄るも、うわごとを繰り返している彼女は反応しない。
その恐怖で引き攣った顔を見て、思わず強く抱きしめてしまった。
「いや、いやああああああ──!!!」
体を強張らせて叫ぶ彼女を腕の中に抱きしめて、背中を優しくさする。一体何があったのかわからないが、とにかく落ち着かせないと。
「大丈夫、大丈夫だよ。怖くないよ。大丈夫、落ち着いて、ゆっくり、深呼吸」
はっはっと荒い息をする彼女を抱きしめて、一体どのくらい経っただろうか。
少しずつ彼女の震えもおさまり、息も正常になっていく。気がつけば、抱きしめ返されていた。
背中をトントンと叩き、頭を撫でてあげる。
泣いているのだろうか、胸元に湿った感触を覚える。その様子に、私も胸を締め付けられた。
「……立てる?」
一旦落ち着いた様子の彼女にそう声をかければ、無言で首肯が帰ってくる。
そっと彼女を支えながら立ち上がり、長椅子と背もたれを作り出して一緒に腰掛けた。
腕にぎゅっとしがみついてくるアモールちゃんの頭を反対の手で撫でる。大人しく受け入れてくれる彼女に、躊躇いながらも口を開いた。
「……こういうのって、その……いつもなの?」
そう聞けば、少しの時間を置いて首肯が返ってくる。そうして頷く彼女の肩は小刻みに揺れていた。
「毎日……ではないけど、たまに……」
「そっか…………気づいてあげられなくて、ごめんね」
魔道具の実験のために防音を施しているのが仇となってしまった。いままでずっと苦しんでいただろうに、気づくことができなかった。
申し訳なさに、悔しさに表情が歪んでしまう。それを見られたくなくて、思わず彼女を抱き寄せた。
そうして抱きしめていると、アモールちゃんがポツリと言葉をこぼす。
「……これから、どうしたら良いんだろう」
「大丈夫だよ。私が、面倒を見てあげるから」
「でも……」
アモールちゃんが、言葉を選んでいるように沈黙する。密着しているから、彼女の小さな震えが伝わってきた。
「私に、そんな資格はあるのかな……」
それを聞いて、はっとした。彼女からしたらなぜ匿ってもらえるのかもわからず、なぜ魔道具作りを教えてもらえるのもわからず、そうしてほとんど無償で与えられるものに不安を感じているはずだった。
彼女の様子に、なんと声をかけるべきか悩む。少し考えて、言葉を絞り出した。
「アモールちゃんは、これからどうしたいの?」
そう聞けば、十数秒ほど黙り込むアモールちゃん。しばらくしてか細い声で答えた。
「……わからない」
でも、と彼女は付け加える。
「…………孤児院を出て、冒険者になって、世界を旅して、いろんな経験をして生きていきたかった」
そう語る彼女は俯いたまま、私を抱きしめる手に力を込める。私はそっと頭を撫でながら続きをゆっくりと待つ。
「でも、あんなことが突然起きて…….わけもわからないまま助けてもらって、何も返せてないのにそのまま、衣食住全部、お世話してもらって……。その上、これからのお仕事も何もかも面倒を見てもらうなんて、あまりにも貰いすぎてる」
アモールちゃん自身、言うべきことを迷っているのか、その言葉は途切れ途切れだった。
体を起こして私の手の中から離れたアモールちゃんは、泣きそうな顔でこちらを見上げる。そして、絞り出すように、懺悔するように口を開いた。
「それに、あのパーティを壊しちゃったのは、きっと……」
「それは違う」
思わず、彼女の言葉に否定を被せる。それだけは言わせてはならなかった。
「悪いのはアモールちゃんじゃない。だから、あの件で自分を責めるのだけはやめて」
気がつけば、私の声も震えてしまっていた。それに私自身驚いてしまう。思わず口元を押さえてしまった。
アモールちゃんはこちらを見ながら固まっている。急に変な声を出して、驚かせてしまったかもしれない。怒っていると思われただろうか?
硬直している彼女をそっと抱きしめなおす。
背中をトントンと叩くと、体の力を抜いてくれた。私よりも小柄な彼女に、胸の奥から庇護欲が湧いてくる。
お互いに無言で、辺りを静寂が包み込む。そうしているうちに、今まで言語化できていなかった私の感情に気づいた。
なんでこの子を見るとこんなにも心が動かされるのか。それが今わかった気がする。
この子は…………私なんだ。
弱くて、臆病な女の子。世界にくだらない役割を押し付けられた存在。
運命に翻弄される、弱い命。
だけど……私は使命から逃げた。全てから逃げた。逃げることができてしまった。
でも、この子は逃げることなんてできない。だから、哀れで仕方なくて。
私なんかよりもよっぽど重い運命を背負ったこの子に、私は傲慢にも自分を重ねてしまったのだ。
「私は……たぶん、貴女に同情していたのよ」
「同情……?」
「私もね……何もかもを失って、これからどうして良いかもわからず彷徨っていたところをアーテルに救われたの」
ほんのりと嘘の混ざった、私の心のうちを彼女に明かす。
「私は、とある存在と戦うための人材を育てる施設で生まれたの。でも……一番力を持っていたにも関わらず、逃げてきちゃったんだ。ただ戦うことが苦手で、嫌いだったから」
目をつぶって当時のことを思い出す。いまだに後悔が胸の奥で燻っている。きっと、この後悔は生涯消えないのだろう。
「そうして一人で旅していたところをアーテルに拾われてね。魔術もたくさん教わって、戦わなくてもいい魔道具師という道も教えてもらったの。だから、私も同じことを誰かにしてあげたくなっちゃったんだと思う」
アモールちゃんが再び顔をあげる。こちらを見つめる彼女と、パチリと目が合った。焚き火の明かりに照らされてキラキラと輝いている。
「だから、アモールちゃんは気にしないで。どうしても気になるなら、将来他の子に同じことをしてあげて欲しいな」
こんな言葉で彼女の心のモヤは晴れないだろう。現に、まだあまり納得していなさそうな顔をしている。まぁ、当然だ。
「ふふ、かわいいね」
彼女の柔らかい頬っぺたをむにむにと揉む。怯えずに、抵抗なく受け入れてくれることが嬉しい。以前は触られるのを怖がっているようだったが、ひとまず安心してくれたようでよかった。
そうして、アモールちゃんが座ったまま寝落ちしてしまうまで、二人で静かに過ごすのだった。




