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2.天使のお世話係

 私が暮らしているアパートは、ここから歩いて10分ほどのところにある。それだけ聞くと近いように思えるが、実際のところは……。

「さ、坂道だったんだね……」

 すっかり息の上がったまりなが、少し掠れた声で言う。緩い坂道。私にとっては歩き慣れた道だけど、まりなにとってはそうではない。まして彼女はミュールを履いている。

「この先には階段が続くけど」

「ひえっ……」

「おんぶする?」

「うう……。それは申し訳ないからやだ……」

「じゃあがんばれ」

 気安くおんぶなんて提案してみたものの、さすがに彼女を負ぶった状態で坂道や階段を上るのはつらそうだ。いくら彼女が軽いとはいえ。そこまで考えて、ふと思い付く。

「ねえ、まりなは飛べないの?」

「ふぇ?」

「だって、羽、生えてるじゃん。その羽を使って飛べたりしないのかなって」

「言われてみれば……! やってみるね!」

 まりなはその場で立ち止まると、バッと勢いよくカーディガンを脱いだ。白い羽があらわになる。大きい。立派だ。これならきっと空も飛べるはず。そんな頼もしさを覚える。

 まりなは拳を固めて脇を締めた。気合十分といったところだ。

「ふんっ! えいっ! むおおおおお!」

「おー、がんばれー」

「ふぬぬぬ! うんっ! ぬー! ふぉぉぉ!」

「ファイトだ~」

「ね、ねえっ、ユウちゃん、どうかなっ?」

「どうとは?」

「浮いてる? 私、浮いてるかな?」

「いやあ……。あ、でも踵は浮いてるよ」

「それは背伸びぃ~~~」

 まりなは情けない声を上げながら、ぺたりと座り込んでしまった。結論として、飛ぶどころか、まりなの羽はぴくりともしなかった。まりなは肩越しに羽を見遣り、唇を尖らせてブツクサ言い始めた。

「なんだなんだ、この羽は飾りかね~?」

「まあ、飛べない鳥もいるし。まりなは飛ばないタイプの天使なんじゃない?」

「そんな天使、いるかなあ? だって天使は飛べないと仕事にならないよ~」

「まあ、飛んでいるところを誰かに見られても問題だし、飛べなくて良かったってことで。階段はそんなに長くないから、あともう一息、がんばって」

 まりなの腕を引いて立たせる。世話の焼ける天使だ。


 小さな山の中腹で階段がいったん終わり、少し開けた場所に出る。数軒の家が並んでいて、私が暮らすアパートもその中にあった。

「着いた……? 階段、終わった……?」

「終わりじゃないぞよ。部屋は3階なので、もうちっとだけ続くんじゃ」

 おどけて言ってみせると、まりなは「イヤ~~~」と泣き笑いを返してきた。疲れているだろうに、拗ねたり怒ったり不機嫌になったりせずに、笑顔を返してくれる。いい子なんだろうなと思う。

 ドアでスマホを操作する。ウィィンという機械音に続いて、カチャリと鍵の開く音がした。

「狭いけど、入って」

「おじゃまします……」

 猫の額ほどの広さの玄関なので、二人分の靴が並ぶとそれだけでもういっぱいいっぱいだった。私はさっさと室内へ上がり、電気をつける。たちまち、こぢんまりしたワンルームが広がった。

 カーテンを閉める私の後ろで、まりながぽつりと言ったのが聞こえた。

「ほんとに一人暮らしなんだ」

「私、離島出身なんだよ。家からだと通えないからさ、親にアパートを借りてもらったの」

「うん……。知ってる」

「話したことあったっけ?」

「春、クラスの自己紹介の時に言ってた」

「そうだっけ? てか、そりゃそうだね。それくらいしか話すことなかったから。よく覚えてるね」

「すごいなって思ったんだぁ。だから覚えてる」

「すごくはないでしょ。珍しいかもしれないけど、こういう人、何人かいるよ」

 島にも高校はある。けれども、年に数人は私みたいに島の外へ進学する人がいる。親戚の家を頼ったり、下宿したり、アパートで一人暮らしをしたりといろいろだ。

「ん~。いるかもしれないけど、でも私とは違うから。オトナっぽいなって思ったの」

「なんだそりゃ」

 それより、と私は話を切る。

「お風呂は明日でいいかな。今日はもう疲れたでしょ」

「そだね、ねむたいかも」

「羽の洗い方も分かんないしね」

「そだね……って、よく考えたら、寝方も分かんない! どうしよう、ユウちゃん~」

「横向きになればいいんじゃないかな」

「天才?!」

 何やら感動しているまりなを横目に、私はタンスの引き出しやクローゼットを漁る。それに気付いたまりなが、遠慮がちに声を掛けて来た。

「何か探し物?」

「まりなのパジャマ。その服のまま寝るとシワになるから。でも、背中の開いた服なんて持ってたかなあ」

「何から何までお世話になります……。あの、でも、多分普通のTシャツで大丈夫だと思う。普段、ユウちゃんが着てるやつ……の中で、できるだけおっきいのがいいかな」

「いや、その羽、結構かさばると思うけど……。ひょっとして縮むの?」

「縮まないけど! いや、分かんないけど! でもとにかく大丈夫だからTシャツを貸してもらえたらありがたいです。あと、短パンも」

 半信半疑ながら、言われるがままにTシャツを差し出す。

「あ、かわいい。えっと……猫?」

「島のマスコットキャラクターだよ。フリーサイズって書いてたんだけどメンズっぽいんだよね。ちょっと大きくてあまり着てないから綺麗だと思う。着替えはバスルーム使って」

「はぁい」

 ものの数分もしないうちに、まりなは着替えを済ませて帰ってきた。その姿に私は「ああ」と納得する。

「私とまりなじゃ、そもそもサイズが違ったか」

 まりなは細身だ。そして私は。

「とは言え、いくらなんでも細くない? ちゃんと食べてる?」

「食べてるよぉ。さっきだって、唐揚げ2パックも食べたもん」

 やっぱり唐揚げが好きなんじゃん。唐揚げにパクつく天使を想像して思わず笑った。


 まりなが顔を洗っている間に、ストックしていた歯ブラシの封を切る。いくつかある中で1番かわいい色にした。歯ブラシスタンドなんて洒落たものはないから、うがい用のカップにそのまま立てる。狭い洗面台に歯ブラシがふたつ並んでいる。かわりばんこで歯を磨いて、うがいをして。同棲ってこんな感じなのかな、なんて考える。

 歯磨きを終えて戻ると、まりなが部屋の真ん中で突っ立っていた。

「どうしたの? 寝ないの?」

「ね、ねる!」

「うん」

 促すと、まりなはおずおずとベッドの上へ。えらいまた端っこに行くなあ。そんなところも小動物っぽくて笑える。

「じゃあ、電気、消すね。おやすみ」

「うん、お、おやすみ、ユウちゃん」

 消灯。まだ日付は変わっていないけど、今日は疲れたからか眠たい。まりなはもっと眠たいんだろうなあ。なんて思いつつ、床に転がる。初夏とはいえ、無精して冬用のラグから変えていなかったから、それなりに厚みがある。多少腰が痛くなるかもしれないが、まあ大丈夫だろう。タオルケット代わりのバスタオルをお腹に掛けて枕代わりのクッションに頭を埋めると、段々と意識が遠のいていってーー

「ユウちゃん……?」

 遠のいた意識が引き戻された。なんだなんだ。寝ないのか。

「あの、来ないの……?」

「何が? 眠気が?」

 私のところにはとっくに来ている。

「ねむけ……? ううん、ユウちゃんが」

「いや、私のところには来てるよ。まりなは環境が変わって落ち着かないのかもね。でも疲れてるだろうから目を閉じたら自然と眠たくなるはず……だ、よ……」

 最後のほうは眠気に負けた。が、次の瞬間、まぶしい光がまぶたを襲い、思わず目を開けた。どうやらまりなが電気をつけたらしい。

「や、やっぱりユウちゃん、床で寝てる! なんでなんで! だめだよ!」

「へ?」

「なんで床で寝ちゃうの! しかも寝れちゃうし!」

 何を怒っているのか分からない。寝れちゃうのならいいじゃないかと思う。しかしまりな的には良くないらしかった。

「あたしがベッドに寝てるから? あたし、ふたりで寝るんだと思ってた。ごめん、ごめんねユウちゃん。あたしやっぱり帰る」

「待て待て待て待て待て。まりな、何怒ってんの」

「怒ってない!」

 怒ってるだろ……。そう思うものの、これ以上触れないほうがよさそうだ。そんなことより、とにかく。

「帰るのはダメ。こんな時間に外に出すわけにはいかないよ」

「それなら、あたしお風呂場で寝る!」

「おふ……?」

「だってあたし、羽が生えてるから鳥だし! 飛べないけど鳥だし!」

「いやいやいや……」

 まず、鳥がお風呂場で寝るというのが意味が分からないし、そもそも鳥ではないし。

「だから、ユウちゃんはベッドで寝て。いつも通りにして!」

「じつは、いつも床で寝てるんだ。だからこれはいつも通り。というわけで、まりなはベッドで寝て」

「そんなわけないもん!」

 まるで駄々っ子だ。さっきまでおとなしかったのに突然どうしたことやら。別に床で寝るくらい何てことないのに。

「このベッド、シングルサイズだからさ。二人で寝たら、まりなが窮屈な思いをするよ」

「きゅうくつとか、そういうもんだい~……?」

「まあ、それでもよければ一緒に寝ようか」

「うん」

 素直だ。さっさと寝かしつけて、後でこっそり床で寝よう。まりなが何か責任を感じる必要なんてないのに。橋の上で声を掛けたのも、家に誘ったのも、全部私なんだから。お世話をするのが筋というもの。

「それじゃあ、まりな、おやすみ」

「うん、ユウちゃん、おやすみなさい」

 薄いカーテン越しに外の光が漏れている。暗闇に目が慣れると、自分の隣に横たわる小さなぬくもりの形がうっすらと浮かび上がってきた。

 あの白い羽は、今はTシャツの下にしまわれていて見えない。それでも私は彼女のことを天使だと思えた。ちょっと世話の焼ける、そんなところも可愛い天使だ。なんてことを思いながら、私は今度こそ眠りについた。

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