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1.天使、拾いました。

 初夏の夜。私は橋の上で天使に出会った。

 アルバイトの帰り道。女子高生が夜に外を出歩くなんて、あまり感心できるような行為ではないと思う。でも、生活がかかっているのだから仕方がない。それに、この春から暮らし始めたこの町は、なぜだか分からないけれども、まるで幼い頃から知っている土地みたいな安心感があるのだ。

 大浜ユウ。高校一年生。県内の離島で生まれ育ち、進学のために本土へ渡った。今はアパートで一人暮らしをしている。家賃は親が出してくれたものの、生活費くらいは自分で何とかしたいと、学校に隠れてコンビニでアルバイトをしている。

 その日は、勤務を終えてドアを出て、ふと目線を上げたその先に、何か白くて大きなものが見えたのだ。

 道路を挟んだ川沿いの歩道から伸びた、歩行者専用の細い橋。その上で何かが街灯の光を反射して煌々と輝いている。咄嗟に「ゴミ袋だ」と思った。風に吹かれて川に落ちでもしたら大変だ。だって、この川には野鳥や魚たちが多く生息しているのだから。プラスチックゴミは野生動物の大敵だ。私はゴミ袋を回収すべく、早足で横断歩道を渡った。

 橋の上をひた走る。腰まである長い髪が真後ろになびいてるんじゃないかってくらい、全力で風を切る。近付くにつれ、ゴミ袋の正体がはっきりしてきた。

 結論から言うと、それはゴミ袋ではなかった。それどころか無機物でもなくて。足を止めて思わず口をついて出た言葉は。

「天使……?」

 天使というか、正確には、うずくまってこちらに背を向けた少女だった。ホルターネックの白いワンピースを着ていて、大きく開いた背中には白い羽が生えている。すそからは片足だけだけれども裸足が覗いていた。こんな夜更けに橋のど真ん中に座り、背中に羽を生やした全身まっしろな素足の少女。天使じゃなければ不審者というものだ。肩で息を整えている私の存在に気が付いた彼女は、ゆっくりと振り向いた。

 天使は、泣いていた。


 もしも彼女が本当に天使だとしたら、無防備なこと極まりないと思う。だって、この時代、天使なんてものがいたとしたら、見世物小屋どころかすぐさまSNSで拡散されて、現代人のおもちゃにされてしまうと思う。

 結論から言うと、ゴミ袋もとい天使は、天使ではなかった。それどころか不審者に近かった。思わず口をついて出た言葉は。

「こんな所で何してんの……」

「ゆ、ユウちゃん……」

 今の私をユウちゃんと呼ぶ人間は少ない。故郷の島ならまだしも、ここは本土だ。地味で愛嬌のない私は、友達作りに時間がかかってしまい、ニックネームで呼んでくれる人は未だ片手で足りるほどしかいない。

 ゴミ袋もとい天使もとい不審者の正体は、高校のクラスメイトだった。名前は福田まりな。さして仲良くなどないが、所謂「陽キャ」で、誰にでも平等に優しく接する人気者。つまり私とは正反対の人間だ。まさかこんな時間にこんな場所で彼女に会うとは思わなかった。

 察するに、どうやら彼女にはコスプレ趣味があるらしい。ホルターネックの天使というのも妙な気がするが、まあ、白いワンピースは確かに天使を思わせる装いだと思う。

 いつもは高い位置で結ばれたツインテールは、今は天使の衣装に合わせてか自然に下ろされている。普段見ている制服姿とはまるで違うけれども、明るく優しい彼女には、白いワンピースも天使の羽もよく似合っている気がした。尤も、コスプレするなら場所と時間は選んだほうがいいとは思う。ただ、問題はそこではなくて。

「えっと、まりな。泣いてるみたいだけど、大丈夫? 何だろ、コスプレ衣装が壊れちゃったとか?」

 うーん、我ながら気の利いた言葉が出てこない。そもそも私なんてお呼びじゃないだろう。近くにコスプレ仲間がいるだろうし、ここは何も見なかったことにして立ち去るべきかなどと考えていると、彼女がぷるぷると首を振った。

「違うの。この羽、コスプレじゃないの……」

「え?」

「突然、生えてきて……。それであたし、びっくりしちゃって……っ」

「うわ、ちょっと、ストップストップ。こんな所で泣かないでよ」

「っ、ごめん」

 私の言葉を受けて、彼女はぐっと唇に力を込めたようだった。それから、手に握りしめていたショールを顔に押し当てた。

 状況はさっぱり掴めないけれども、どうやらそれは相手も同じらしい。私は羽織っていたカーディガンを脱ぐと、彼女の背中にそっと掛けた。

「その羽、弱そうだしさ、カーデが重たかったらゴメンなんだけど。でもコスプレじゃないなら人目にはつきたくないかなと思って」

 尤も、遠目にはゴミ袋にしか見えないと思うが。改めて足元に目をやると、裸足なのは片方だけで、もう片方はミュールを履いているようだった。ぐるりと周りを見回す。片割れは見当たらない。ふと思い付き、ぺたりと座り込んだままの彼女のスカートをぺろりと捲ってみた。

「ゆ、ユウちゃん?!」

「あ、あった。ミュール」

「え、あ、うん。あの、転んだ時に脱げちゃって」

「え、何。転んだの。もしかしてそれで泣いてる? どっか痛い?」

「ううん、へいき……」

 ぼんやりとした返事だ。本当に平気なのだろうか。まあとにかく、いつまでもこの場所にいるのは良くない。だから私は彼女に背を向けた。

「じゃあ、行くよ」

「あ、うん……。またね。えっと、来週、学校で」

「は? いや、またねじゃなくてさ」

 言いながら、私はその場にしゃがみこんだ。

「ほら、背中。乗って。おんぶするから」

「え?」

「橋を渡った先にベンチがあるから、そこまで行こ。ここだとそのうち誰かに見られちゃうと思うし。今のまりな、ケガはしてないにしても、腰が抜けて立てそうにないじゃん。あ、ミュールは自分で持ってね」

「え、え、えええええっ?」

 え、が多い。可愛い女子は甲高い声さえも可愛いんだななどと思う。私が「うっさ」と小さく笑うと、彼女は黙り込んで俯いた。

 私はしゃがんだ状態で腰に当てた手の平を、上に向けてパタパタする。「おいで」の合図だ。島ではよくこうやって小さな子どもをおんぶしていた。同級生を負ぶったことはないけど、まあそれなりに重たいだろうと覚悟を決める。

 果たして彼女はおずおずと体重を預けて来た。立ち上がってみて、その軽さに驚く。

 前言撤回。やっぱり彼女は天使だったのかもしれない。


 ベンチは木々に覆われていて、少し薄暗かった。まあまあ都合がいい。二人、隣り合って座る。クラスメイトとはいえ、彼女にこんなに近付いたのは初めてのことだった。バッグの中から、先ほどバイト終わりに買ったペットボトルを取り出す。キャップを捻ると、静寂の中にパキパキという音が小気味よく響いた。そのまま片手で彼女に手渡してやる。彼女は素直に受け取り、両手で大事そうに持ったままこちらを向いた。

「あの、ユウちゃん、色々とありがとう」

「どういたしまして。水、さっきそこのコンビニで買ったばかりだから賞味期限は大丈夫だよ。苦手じゃなければ飲んで」

「ん……ありがと」

 可愛い女子というものは、ペットボトルの水を飲むしぐさすら可愛いものらしい。両手でヒマワリの種を持つハムスターみたい。顎がこくこくと小さく揺れていて、まるで小動物だな、などと思う。しばらく経った後、ぷはあ、と息を漏らして口を離した。いや待て。中身が全然減ってない。今の時間は何だったんだ。それはさておき。

「その羽が自前だっていうなら、いったい何があったの?」

「分かんない……」

「ていうか、まりなの家ってこの辺じゃないよね。何でこんな時間にこんな所に」

 私の質問を受けてか、横から小さな「う」が聞こえた。答えられないようなことを訊いてしまったのだろうか。何か別の話題を、と思っていると、彼女が口を開いた。

「その、そこにコンビニがあるじゃない?」

「ああ、うん」

「そこのね、あの、えっと、唐揚げを食べたかったの」

「唐揚げ? ほかのチェーン店と同じだと思うけど……」

「あぅ。あの、じゃあ、唐揚げじゃなくてもよくて」

「はあ」

 だいぶ意味が分からない。唐揚げが食べたかったのなら唐揚げが好きなんだろうなと思うが、それじゃなくてもいいと言う。

「あの、それでね、唐揚げを買って、店内のイートインスペースで食べて……」

 ああ、言われてみれば確かに、女性客がいたような気がする。私はすぐに交代で奥に引っ込んじゃったから、ちゃんと見てはいないけど。尤も、そんなこと、まりなは知らないだろう。ここでアルバイトをしていることは学校には伏せているわけだし、地味で目立たない存在の自分が顔見知りに気付かれるとは考えにくい。

「それでね、その後、お店を出て橋を渡っていたら、何だか背中がむずむずしてきて。何だろうって思ったら、肩に掛けてたストールを吹き飛ばす勢いで、ぶわあって羽が生えちゃって」

 いきなり話が飛躍したように感じるが、まあ、実際にそうだったんだろうから仕方がない。おとなしく続きを聞く。

「それで、ストールを追いかけて振り向いた時に足首を捻って転んじゃって。なんかもう、わけがわかんなくて……その、泣いちゃって」

「で、そこに私が通りかかったってわけか」

「うん……」

 自分でもおかしな話をしている自覚があるのか、まりなの声は元気がない。私は会話を続けるために、疑問を一つ口にしてみた。

「まりなんちって、天使の家系なの?」

 果たして回答は、予想通りのものだった。

「まさか。そんな西洋っぽいものからは一番遠いと思うよ」

 彼女はワンピースのポケットに手を突っ込むと、桃色の小さな袋を取り出して言った。

「だってうち、神社だもん」

 袋の正体は、お守り。こんな軽装でもしっかりと持ち歩いているあたり、さすがだと思う。

 そう。彼女は神社の一人娘。そして、見習いとはいえ巫女なのだった。

「だよね。神社に天使がやって来たら、神様はどう思うんだろうね」

「それ以前に、家族にこんな姿、見せらんないよぉ……」

 頭を抱えるまりな。それはそうかもしれない。それならば。

「じゃあ、うちに来る? 一人暮らしで誰もいないしさ、この近くだから」

 私の提案に、まりなはぽかんと口を開けた。

「その羽がこの先どうなるか分かんないけど、ひとまずの避難所としてさ。いつまでもここにいるわけにもいかないし、明日は土日で学校がないし、とりあえず、おいでよ。あんまり話したことない相手の家に泊まるとかって、まあ、抵抗あるとは思うけど」

 うーん、先ほどまではまりなこそが不審者だったけど、今は私のほうこそ不審者丸出しだ。だけど放っておけない。でも余計なお世話だったかな。何となくまりなの反応が怖くて、おずおずと横目で見ると。

「ううん、ううんっ、そんなことない」

「あ、そう?」

 拍子抜けする。知り合って数か月のクラスメイトをそんなにあっさり信じていいものだろうか。この純粋さ、やはり彼女は天使なのかもしれない。そう思っていると、天使は胸の前で両手を組んでおずおずと言った。

「あの……」

「ん?」

「ふ、フツツカモノですが、どうぞよろしくお願いいたしますっ!」

「嫁入りか!」

 思わず突っ込む。そして二人同時に吹き出した。

 大浜ユウ。高校一年生の夏の初め。思いがけず、天使を拾ってしまったのでした。

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