Ep.19 クリス外伝
私は王国南部の、貧しい村に生まれた。
痩せた土地からはろくに作物も取れず、いつもお腹を空かせていた。
父と母は疲弊しきり、やがて口をついて出たのは「この子を売ろう」という言葉だった。
人買いに売られる――それが口減らしの手段。
私は鎖に繋がれ、馬車に押し込まれる未来を見た。
未来? そう、それは初めての「未来視」だった。
私は悟った。
ただ受け入れるのではなく、未来は“選び直せる”のだと。
人買いは行商人の一団とともに翌日やってきた。
村に物資を売りつけ、人身を買い取る、そんな下卑た連中だった。
私は未来視で彼らの行程を調べ上げ、ひとつの「崩壊する未来」を選んだ。
村外れの山道――地盤が緩み、いつ崩れてもおかしくない斜面。
そこに小石を落とすだけで大崩落が誘発される。
人買いの馬車も、護衛をしていた行商人も、皆その下敷きになるだろう。
けれど一人だけ、生き残らせるべき者を見つけていた。
行商人の一人、若い商人。彼は後に私の評判を広める重要な駒になると未来視が教えてくれた。
だから私は仕掛けた。
小石を蹴り落とし、崩れを呼び起こす。
轟音と悲鳴。馬車ごと泥と岩に押し潰され、男たちの断末魔がこだました。
私はすぐさま駆け寄り、助けを求める若い商人の手を引き上げる。
「大丈夫ですか? 私が……助けますから!」
純真な顔を作りながら言えば、彼は涙を流して感謝した。
その日を境に、私は村の「聖女」になった。
未来視を使えば何でも思い通り。
行方不明の子どもを探し、病人を救い、獣の襲来を避ける。
「あなたのおかげで助かりました」
「やはり聖女だ……」
内心で笑いながらも、私は聖女の仮面をかぶり続けた。
人間なんて単純だ。
欲しい言葉を見抜き、少し先を読んで差し出せば勝手に崇めてくれる。
――世界は私のために回っている。
そう確信するようになった。
やがて王都にまで噂が届き、私は国王に招聘された。
初めて見る王都は、光に満ちていた。
食卓にあふれる料理、絹のドレス、豪奢な学院。
腹をすかせて眠るしかなかった日々が遠い幻のようだ。
国王は私を学院に入学させ、こう言った。
「国の宝として育てよ」
――宝。
やっぱり私は選ばれた存在なのだ。
学院での日々は簡単だった。
未来視を使えば、誰にどんな言葉をかければいいか一目瞭然。
「あなたは努力家ですね」
「大丈夫、きっと上手くいきますよ」
少し笑顔を添えれば、それでいい。
貴族の子弟たちは皆、私を慕った。
(クソチョロい……)
心の中で嘲りながら、外面は純真無垢な聖女を演じ続ける。
そして――出会った。
金髪を縦ロールに結い上げた少女。
エーベルハルト公爵家の令嬢、リリアナ。
初めて目が合った瞬間、私は奇妙な感覚にとらわれた。
未来視は揺らいでいない。彼女の未来もきちんと見える。
けれど――理屈では説明できない、嫌な予感が胸をざわつかせた。
まるで、この子は私にとって「脅威」になる、と。
どうしてかは分からない。
けれど、直感がそう告げていた。
私はいつもの聖女の微笑みを浮かべ、礼儀正しく自己紹介をする。
「はじめまして。あなたがリリアナ様なのですね?」
その裏で、心はすでに決めていた。
――この娘は危ない。
――決して油断してはならない。
――常に監視し、一歩先を読み続けなければ。
私の物語を乱す存在が現れた。
だからこそ、徹底的に警戒する。
聖女の仮面を崩さぬまま、私はそっと息を潜めた。