Ep.11
黒い影の軍勢――
北と西の軍を手に入れても、奴らの猛威には抗えなかった。
剣の腕前はすでに頭打ち。
どれだけ鍛え、どれだけ技を磨いても、一月という限られた期間での成長には限界がある。
軍勢の強化も北と西を支配下に置くタイムスケジュール上、これが限界。
王都を制圧する計画において、これ以上戦力を増やすことは不可能だった。
ならば、次に考えるべきは――強力なアイテムの確保。
アニメ版『彼方の聖女』では、さまざまなマジックアイテムが登場していた。
【隠者の外套】 一定時間透明になれる
【守護の指輪】 致命傷を一度だけ防ぐ
【天女の涙】 強力な回復アイテム
【封印の首飾り】 闇の魔力に対抗する力を持つとされる
どれも強力な効果を持ち、うまく活用できれば戦力不足を補うことができるかもしれない。
この世界がアニメ版とほぼ同じであるならば、アイテムの位置もまた、アニメ通りのはず。
(これらさえ手に入れれば……!)
希望が生まれた。
これまでのループでは、エーデルハルト公爵の説得方法を確立する前だったため、屋敷外を自由に出歩くことすらままならなかった。
だが、攻略チャートを確立した今、王国北部での行動は完全に自由だ。
つまり、アイテム回収のチャンスがある。
私は地図を広げ、アニメ版で登場したアイテムのありかを思い出しながら、探索計画を立て始めた。
(まずは、封印の首飾り……。黒い影に対抗するためには、これが最優先ですわね)
手がかりは、アニメ版でクリスが探索していた遺跡の中――。
私はすぐに行動を開始した。
数日後。
(甘かった……!)
私は探索の結果に肩を落としていた。
片っ端から遺跡やダンジョンを巡った。
だが、そこにあるはずのアイテムはすべて消えていた。
――すでに誰かが入手していたのだ。
「……クリスですわね」
考えてみれば当然のことだった。現在の時間軸はアニメ版の物語終盤、学院の夏季休暇中なのだ。
この世界でもクリスがアニメと同じように動いているなら、彼女が獲得していたアイテムはすべて回収済みである可能性が高い。
(つまり、私が使えるアイテムはもう残っていない……?)
絶望が胸をよぎる。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
何か、まだ残っているものはないのか――考えを巡らせる。
この世界は、私がかつて視聴したアニメと完全に同じではない。
――例えばセドリックの行動。
彼がエーデルハルト邸にいたことはアニメでは描かれていなかった。
アニメがクリス視点で進んだ物語ゆえに、描写されていない場所はまだまだあるのだ。
その「余白」にこそ、生き残るためのヒントが隠れているのではないか。
だからこの周回、私は方針を変え、王国北部の探索に時間を費やした。
そして、気づいたのだ。
アニメには存在しなかった遺跡、未登場のダンジョン――
“描写されなかった場所”が、実際にはいくつも存在していることに。
私は胸の奥に、ぞくりとした戦慄を覚えた。
ここは確かに「彼方の聖女」の世界。だが同時に、アニメの外側には“描写されなかった現実”があるのだ。
(……ならば、今ある現実の中にこそ活路があるはず)
◇ ◇ ◇
それから何度目かの周回――
ギルドの前で、私はその光景を眺めていた。
青髪の青年――レオンが冷ややかに告げる。
「カイル。お前をパーティから追放する」
一瞬、広場に静寂が落ちた。
数十人の冒険者たちが足を止め、息を呑んでいる。
昼下がりの光の中で、その言葉はやけに重く響いた。
「……マジかよ」
「イモータル・ランが仲間を切ったぞ」
追放を告げられた青年――カイルが口を開く。
「っ……レオン!」
「金は……手切れ金代わりに持っていけ」
最後の慈悲だと言わんばかりに、レオンは背を向けた。
赤髪の少女――ミレイユが横から軽蔑の眼差しを向けて告げる。
「最低、これ以上は一緒にやっていけないわ」
彼女の声音には、わずかな哀れみすら含まれていなかった。
残されたカイルは、石畳に崩れ落ちそうになりながら呟いた。
「……違うのに……俺じゃないのに……」
カイルは俯いたまま、唇を噛みしめていた。
レオンとミレイユは背を向け、群衆をかき分けて歩き去っていく。
石畳の上に残されたのは、膝を折り小さくなったカイル。
肩は落ち、拳は震えていた。だが声を上げることはしない。
――あぁ、これでいい。
私はフードの陰でそっと笑んでいた。
この追放劇は偶然ではない。私が仕掛け、導いた結末だったのだから。
◇ ◇ ◇
数日前。
北部領都の冒険者ギルドは、昼下がりの喧騒に包まれていた。
酒場を兼ねた広間には冒険者たちの笑い声が響き、汗と酒の匂いが混じり合う。
掲示板には色とりどりの依頼票が貼られ、金額や危険度を吟味する視線が飛び交っていた。
私はその前に立ち、手に握った依頼票を見下ろしていた。
《黒鋼の迷宮》攻略依頼。
「……また、断られましたのね」
口にした言葉は吐息のように消えた。
依頼を出しても返ってくるのは同じ言葉ばかりだ。
「嬢ちゃん、やめとけ。黒鋼は無理だ」
「死にたいなら勝手に行け。俺たちはごめんだ」
北部山脈の遺跡――通称《黒鋼の迷宮》。
北部でも最難関と呼ばれ、挑んだ者の多くは命を落とし、帰還者は指折り数えるほどしかいない。
報酬は破格の大金を設定した。だが力ある冒険者ほど頑なに首を振る。
気を取り直し、フードを深くかぶり直す。
誰もが私のことを「どこぞの令嬢」だと察しているだろう。
けれど、私が“リリアナ本人”であると気づく者など一人もいなかった。
そのとき、低い声が耳に届いた。
「――その依頼、君が出しているのか?」
振り返った瞬間、目に映った青年の姿に思わず瞬きをした。
青みを帯びた長い髪を後ろで束ね、澄んだ瞳がこちらを射抜いている。
軽鎧に赤いマントを羽織り、腰の剣はよく使い込まれていた。
立ち姿には隙がなく、ただ者ではないと一目でわかった。
「俺はレオン・ヴァルグレイヴ。冒険者だ。……君が《黒鋼の迷宮》の依頼人か?」
「ええ、リリアナと申します」
冷静に答えながらも、私は内心で首を傾げていた。
(……この顔、見覚えがある。確かアニメ版で王都のエピソードに一瞬だけ出てきた……セリフも数えるほどの端役だったはず。見た目だけは主役級ぽい雰囲気だったから覚えていたけれど、もしかしてゲーム版では攻略キャラだったのかしら?)
レオンは依頼票を指で弾き、真剣な眼差しをこちらに向けた。
「黒鋼の迷宮か……あそこは容易ではないぞ」
「承知しておりますわ」
「……いい覚悟だ」