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4-2


「すみません藤堂さん。お忙しいところ、お時間を頂戴しまして……」

「お気になさらないでください」

 

 綜士郎は八朔克樹と、中隊長執務室で向き合っている。来客応対用の椅子に卓を挟んで向かい合い、青年と部下の父はさながら、学校の先生と保護者のような雰囲気である。

 人払いは済ませてある。中隊長室にはしばらく、誰も近付かない。

 

「あの、藤堂さん。五十槻は……」

「申し訳ない。実はさっきの車に同乗していたのですが、駐車場へ着くなり飛び出して行ってしまいまして……。どうやら、まだあなたと向き合える精神状態にないようです」

「そうですか……まあ、無理からぬことです。あの、藤堂さんは昨晩のこと、五十槻から聞いておられますか?」

「……はい、大体の経緯は。ご子息が祝部(はふりべ)に連れて行かれた、と……」

 

 ぐす、と八朔家の当主は涙ぐみはじめた。

 

「まったく惨いものです。私は、五十槻が連れて行かれたときも胸が張り裂けそうだったのに、弓槻まで……」

 

 五十槻の母は産褥熱が原因で、産後十日もしないうちに亡くなった。

 十六年前の出産当時、五十槻を取り上げたのは、祝部の息のかかった産婆であった。祝部の古田自身も産前から八朔家に逗留し、克樹が確認するより前に、生まれた子の性別を確かめている。

 当時、五十槻の本当の性別を知っている者は、祝部と産婆──それから、父と母のみである。祝部は他の家族や屋敷の使用人に知れ渡る前に、両親へ性別の隠蔽を強要した。けれど当然、母親は我が子を男子として育てることに、いたく不安を抱いていたそうだ。けれどその不安も虚しく、彼女は数日後に身罷ることとなる。

 結局、五十槻は生後一ヶ月もしないうちに、古田に攫われるようにして父のもとから奪われた。克樹にとっては悪夢のような記憶。

 それが昨日、繰り返されてしまった。

 五十槻の性別も、多くの使用人の前で暴露された。十六年前、古田自身が隠蔽を指示したにも関わらず。

 

「あの子の性別については、その場にいた者たちにはすぐ口止めを指示しました。しかし人の口に戸は立てられぬと言いますし、どこから漏れだすやら……。皮肉なことですが、しばらくあの子は屋敷へ帰らぬ方が良いかもしれません……。口さがない者から、何を言い立てられますやら」

 

 そういう配慮もあって、昨晩は五十槻を無理に屋敷へ連れ戻そうとしなかったのだろう。

 五十槻の性別を知るのは、八朔家では克樹と皐月、奈月の三人だけだった。例の据え膳お泊り事件以降、五十槻へ令嬢の教育を押し付けつつも、彼女の性別を継母の和緒や使用人へ明かさなかったのは、どこか躊躇があったからなのかもしれない。男子として軍営にいる三女の身辺へ、どんな不利益が及ぶか分からなかったから。

 結局それが、最悪の形で継母へ露見してしまった。

 

「妻は……和緒(かずお)は、結局今朝、百雷山へ旅立ちました。祝部に直談判して、どうしても自分が弓槻のそばにいるのだと聞かなくて」

「失礼ですが、御当主は同行されないので?」

「ともに弓槻を取り戻しにいきたいのはやまやまですが、八朔の当主として家業がありまして……。それに、百雷本山には厳しい掟があります。八朔家嫡流の者は、祝部の許可がなくば立ち入れません。妻はその点血縁の外の者ですから、まだ望みはあるかと」

 

 念のため、旅立つ和緒には数人供の者をつけているそうだ。あの朗らかだった後添は、終始無言で八朔家を旅立ったらしい。今頃は汽車に乗り、一路、八洲東北を目指しているだろう。

 綜士郎は、五十槻が継母に不器用に懐いていたことを知っている。だからこの成り行きは正直いたたまれない。昨日五十槻が泣きながら悔いていたのも、大半が継母のことに関してであった。「僕が女の身に生まれたから」という悲痛な潤み声が、青年の耳朶に蘇る。

 和緒も、と克樹が口を開く。

 

「きっと、和緒にも堪えているものがあったのでしょう。彼女は嫁いで以降、ずっと明るく振る舞ってくれていました。五十槻に対しても、実の子のように接してくれていて……。いま考えれば、きっと見えぬところで無理をしていたのだと思います。弓槻が生まれたばかりで、十五、六の継子の面倒まで見て……。それで昨晩のあの顛末です。和緒の憎しみを五十槻に向ける結果になったのは、当主として不甲斐ない限りです」

「八朔さん……」

 

 しんみりしてばかりもいられない。綜士郎にはひとつ、どうしても聞かなければならないことがある。

 

「……すみません、ひとつお尋ねしたいことがあります。昨晩、祝部の古田氏に、陸軍の将校が一人同行していたそうですね」

「あ、ああ……。たしか、楢井殿と紹介されました。顔に包帯を巻いた大柄な男で……古田によると、口を利くことができないそうです。包帯の隙間から、妙な痣のようなものが顔に浮いているのが見えました。当家ではずっとニヤニヤ笑っていて、至極不気味で……」

 

 その男が何か? と問う克樹に、綜士郎は「いえ、ただ確認のため」とひとまず話題を終える。どうやら克樹は、楢井と五十槻が接触した瞬間を見ていなかったようである。おそらくは和緒を落ち着かせるので手一杯だったのだろう。もし見ていれば、五十槻がひどく怯えているのに気付いたはずだ。

 なぜ祝部が陸軍将校──それも楢井信吾を同行させていたのだろうか。神事兵ではなく、歩兵将校の軍装だったことも妙である。

 楢井は元々香賀瀬修司の配下で、五十槻の性別を知っているということは香賀瀬にとって、かなりの腹心だったはず。香賀瀬、ひいてはおそらく楢井も、神籠外征転用派の思想に賛同している。つまりは祝部の古田とやらも──。

 綜士郎が思索を巡らしていると、克樹はまた「はぁ」とため息を吐いた。

 

「藤堂さん。五十槻が転属になると聞きました。八洲を縦断する大規模な作戦に参加するそうで……。八月一日からでしたか」

「ええ。正式な通達は本日出たばかりです。内示は今月中旬ごろには出ていたのですが、お伝えするのが遅くなり、申し訳ない。……五十槻は自分で伝えたかったようです。昨日、俺にそう宣言してくれました」

「そう、ですか……。それにしても、八月一日とは……祓神鳴神(フツカンナリ)さまも因果な日を思し召しなさる」

 

 克樹が八月一日という日付にこだわるのは、「八朔」の姓の由来だからであろう。旧暦八月朔日(ついたち)は、秋まっさかり、稲刈りの季節である。刈り取った稲穂を積み上げて神に奉納したことから、穂積(ほづみ)──転じて稲刈りの時期である八月朔日を八朔と縮めて、「ほずみ」という音をあてがった。それがこの家の姓の由来である。

 そういう成り立ちを簡単に説明して、克樹は続けた。

 

祓神鳴神(フツカンナリノカミ)は元々、豊穣の神だったそうです。百雷周辺は穂の実りがよく、それすなわち百雷に棲む神の御神徳のおかげだと、古来から信仰されていたようです。当家の興りはこの神の末裔で、祓神鳴神を産土(うぶすな)として祀っていた一族だそうで。いまとなっては、私から弟だけでなく、我が子を二人も奪い去った疫病神のようなものですが」

 

 神籠の歴史が大好物の清澄京華が聞けば、喜びそうな話だ。しかし八朔家当主本人としては複雑だろう。その神がもたらす神籠の力が元凶となり、いまや家族がバラバラの状態だ。

 

「いや、失敬。ここへ参りましたのは、斯様なうんちくを垂れるためではなくてですね……」

「ええ、存じております。五十槻の様子を見て参ります。説得次第ではこちらへ面会に連れてくることもできるかと……」

「いいえ、五十槻には会えないものと思って来ました。さっき、五十槻はあなたの運転する車に乗っていたんでしょう? 顔を出してくれなかったということは、私と顔を合わせたくないんでしょうね。これ以上、あの子に無理を強いはしたくありません」

「八朔さん……」

「今日こちらへ参りましたのは、藤堂さんに謝罪と……お願いをするためです」

 

 謝罪とお願い。きょとんとする綜士郎へ克樹がまず詫びるのは、例のお泊り事件についてであった。

 

「……改めて。先日当家へご宿泊いただいた際、あなたに対し親子ともども終始非礼に徹したこと、お詫び申し上げます」

「そ、その話なら、俺は別に……」

「いいえ。あなたに五十槻を娶らせようとしたのは……実は私の当てつけのようなものでした」

「あ、当てつけ?」

「はぁ……」

 

 八朔家当主の真摯な口調が、一転、恨みがましいため息に変わった。

 

「本当は……私はあなたが憎らしくてたまらない。これまでほとんど会う機会のなかった可愛い娘に、実の父親以上に懐いている男がいるんですよ……! できることなら藤堂さん、あなたをはっ倒してやりたいところです!」

「うっ……」

 

 やっぱり。綜士郎は途端に目の前の部下の父と、目を合わせられなくなった。

 

「ただ、五十槻の話を聞くに……あなたはあの子へ実に誠実に対応してくださっている。そのことは認めます。……認めますけど認めたくないといいますか! 親としては、祝部とは別の意味で娘を奪われたようにも思えましてねえ、ええ!」

「いや、あの、それは、その……」

 

 群参謀就任予定の男が、急にしどろもどろである。克樹からぶつけられる恨み節は、当初綜士郎が危惧していた通りの親心であった。実父を差し置いて父親代わりをしているような男を、本当の父親が許せるわけがない。

 

「どうせ娘を奪うなら、せめて私の目の届くところに五十槻を縛りつけておいてほしい。あの晩あなたにした非礼の一連は、そういう親の嫉妬から起こしたことでした。五十槻は藤堂さんのことは特別に思っているようでしたから、女子としての情操教育を施せば、きっと尊敬の念も恋心に転じるかと……」

「無理だと思います」

「……でしょうね。あの子が望まぬことを無理に押し付けたせいで、我々と五十槻の間には結局、容易に埋められない深い溝ができてしまいました。いま思い起こせば、あの子がどうしてほしいか、あの夜ちゃんと五十槻は口にしてくれていたのに……」

 

 悔いる父の声に、綜士郎は当時の五十槻の言を思い起こす。

 

──どうして、いまの僕を見てくれないんですか。どうして軍人である僕を受け入れてくれないんですか。どうして、神籠である僕を……。

──ありのままの僕を受け入れてくださるのは、藤堂大尉だけです。

 

「どんなに歪んでいようと、ねじ曲がっていようと……五十槻が神籠の将校となるべく育てられたことは間違いありません。あの子の人生はそのために用意されたようなもの。古田や香賀瀬の手によって……。けれど、そこにあの子が無二の価値観を感じていることを、親の私は軽視してしまった。危険な神域(ひもろぎ)の内にいるより、女子としてあるべき枠におさまってくれればと……」


 あの夜の五十槻の言葉は、ちゃんと父親に伝わっていた。けれどその言葉を実行する勇気が、克樹には持てなかった。それはつまり、娘が死地に赴くことを肯定しなければならない、ということだから。

 綜士郎は目の前の父親を慮りながら、口を開く。


「……心中お察しいたします。俺も正直、子どもを危険な目に遭わせるこの国や軍部のやり方は、どうかと思っています。無理矢理あの子を前線から引き離そうとしたこともありましたが……」

 

 そこで綜士郎はいったん言葉を切る。彼だって克樹の気持ちに同意したい。八朔の神籠として育てられた八朔五十槻という存在は、やはり何もかもが間違っている。本当はこんな子どもに生命の危険を負わせることを、肯定したくないし、そんな命令とは無縁でいたい。けれど。

 

「五十槻は神域の内にこそ、自分の存在価値を見出しています。八朔の神籠として、禍隠を狩り尽くすことが自らの悦びなのだと。……おそらくは俺のことも、神籠という立場を庇護する存在として、信頼を置いている部分が大きいのだとと思います」

「……はぁ、達樹とおんなじだな。そんなところまで似なくても……」

 

 八朔達樹。彼の人となりについても、綜士郎は先日精一から、大体のことを聞いたばかりだ。たしかに神域や禍隠に固執するところは、五十槻そっくりである。

 

「俺が本人に聞く限り、なんでも禍隠をぶっ殺したくてたまらない欲というのがあって、そこにはちゃめちゃな肯定を感じているそうです」

「はちゃめちゃな肯定を感じているのかぁ……」

「五十槻当人がそうである以上、俺は──なるべく本人のやりたいようにやらせてやる方針です。もちろん、俺たち大人が、しっかりあの子の身の安全を確保したうえで」

 

 綜士郎の言葉に、克樹はもう何度目になるか分からないため息を吐く。

 

「今回の大規模な作戦……ちなみにそれは、五十槻を外していただくことはできないのでしょうか」

 

 謝罪とお願いの──お願いの部分はこれだろうか。綜士郎はやるせないけれど、これに対しては首を横に振るしかできない。

 

「──残念ですが。詳細は機密に関わるので申し上げられませんが、いまや五十槻は作戦の要です。俺一人の力では、どうにも」

「そもそもなんのための作戦なんです? 長い間皇都を留守にするようですが。少なくとも半年は皇都に帰って来ないとお伺いしましたけれども……」

「すみませんがそれも機密です」

「あっそう……」

 

 綜士郎から大した情報を引き出せず、克樹は肩透かしを食らったようである。しかしながら、羅睺の門や羅睺蝕、及び八朔の神籠が唯一の門破壊能力を有することは機密事項である。たとえ家族といえど詳らかにはできない。

 克樹は今度は小さくため息を吐いた後、端正な顔を綜士郎の方へ向けた。壮年の父の目元は、多少くたびれてはいるが五十槻そっくりである。

 

「……まあ、念のため一応聞いてみただけです。五十槻が神籠の使命に身命を賭すつもりなのは、うんざりするほどよく分かりましたから。最後に、藤堂さん。あなたにお願いしたい」

 

 作戦から外せ、というのが本題のお願いではないらしい。克樹は真剣な面持ちを伏せ、綜士郎へ頭を下げた。

 

「藤堂大尉。娘を──五十槻を何卒、よろしくお願いいたします。あの子を無事に皇都へ返してくれることを、親としては何より願っております」

 

 もちろんです、と綜士郎も頭を下げる。父の本当の願いは──娘の無事。

 娘思いのいいお父さんだ、と綜士郎は思う。斜め上の暴走をするときもあるけれど。

 二人同時に頭を上げて、もう一度目を合わせ。不意に克樹が気恥ずかしそうに笑みを漏らした。

 

「いやまったく、この顛末……あの子と関わる度、私が父親として未熟であることを思い知らされます。それにしても藤堂さん。あなたはあの難しい子と、うまくやっていらっしゃる。きっと、ご両親、とりわけ御尊父が偉大だったのでしょうな。親御さんから良い影響を受けたことが、五十槻への対応に活きているものとお見受けします。とても良いお父上だったのですね」

「あ……」

 

 素直に称賛する克樹の言葉に、綜士郎は口元を引きつらせて固まった。彼の父親と言えば……目の前の娘思いとは、雲泥の差のクズ男である。

 

「お、おふくろはともかく、俺の父親はその……八朔さんとは月とすっぽんのクズ親というか、お褒めに預かれるような大層な人間では……」

「またまた。御尊父を卑下するものではありませんよ」

「いえ、それが……ガキの頃、親父の借金を押し付けられまして。返済のため炭鉱で働かされました」

「い、いるの……? そんな親……」

 

 八朔克樹はドン引きしている。

 中隊長室に気まずい沈黙が満ちた。


      ── ── ── ── ── ──


 七月三十一日。

 第一中隊の営庭で、五十槻は出立前の最終訓練を行っている。神籠の出力等を確認するための訓練だ。

 神域の展開された営庭から直上の蒼天へ、一筋の紫の稲妻が走る。一拍遅れて響く雷鳴。

 八朔の神籠は上空で神籠を解く。高みから見下ろす街並み。紫の瞳が捉えているのは、やはり景観ではなく状況だ。軍営のどこそこに人がいるとか、周辺に禍隠の影がないかだとか。

 ふと、中隊の正門に部外者がいることに、五十槻は気付く。視力に優れた八朔の紫眼は、否応なくその姿を捉えてしまう。

 

──父上。

 

 ここ数日硬直していた五十槻の表情筋が、わずかに緩み、そして少し悲しげな色を浮かべた。

 本当のところ、僕は──。


 地上で父も、娘の稲妻を見上げていた。可愛い我が子は蒼天の中、小さな小さな黒い点と化している。

 

──五十槻……。

 

 この日、神籠の訓練をすることを取り計らったのは、藤堂綜士郎である。もちろん日時を克樹へ漏らしたのも彼だ。

 雷鳴の残響の中、親子は互いの姿を見つめ合っている。

 結局これが、作戦前における、親子の最後の邂逅となってしまった。

 八月一日を以て八朔五十槻神事兵少尉は、対ラ特務群所属小隊「飛電」の筆頭戦力として、皇都を出立することとなる。

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