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3-13

十三


 祝部(はふりべ)とは──。

 代々神籠(こうご)の力を受け継ぐ一族、神實(かむざね)を補佐する役職である。ふだんは各神實の本籍地である神奈備(かむなび)で、それぞれの家系にまつわる神格を奉祀している。

 彼らは八洲の主宰である大皇(おおきみ)直々に各神實の家系に遣わされ、神籠継承の必要が生じたときに、儀式を取り仕切る役割を負う。

 祝部による祭祀がなくば、神實は神籠を次代へ継承することができない。

……と、されている。実際には祝部が管理しているのは、各神實それぞれの神籠の継承条件だ。継承条件は神實には決して公開されず、大皇による神籠管理の一環として、各家系に派遣された祝部により厳重に管理されている。

 極論、祝部がいなくても神籠は継承できる。各神籠の継承条件が分かってさえいれば。

 ただし現状、継承条件は国が統括管理していて、当事者であるはずの神實には秘匿されていた。だから結局、神實の家系が次代の神籠を輩出するには、祝部の存在が必要である。


 八朔家の本籍地は百雷山。八洲東北にある山岳だ。

 神籠の継承条件を、当然五十槻は知らない。

 そして──当代の百雷の祝部が、古田(ふるた)一比古(かずひこ)である。


 物心つくかつかないかの頃で記憶が曖昧だが、五十槻はたしかにこの男に、百雷山の麓で養育を受けていた時期がある。

 また、先代の八朔の神籠・八朔達樹から異能を引き継ぐ際にも、顔を合わせている。五十槻が六歳の頃だ。

 古田は昔から、何を考えているのか読めない男だった。幼心に五十槻はそういう印象を覚えている。

 久しぶりに会っても、彼の丸い輪郭の顔からは、意図が読みづらい。

 

「──心外です、古田さん。まるで僕が死ぬ前提で、弓槻を引き取りに来たかのようなおっしゃりようですね」

 

 五十槻にしては挑戦的な台詞を吐いたけれど、古田には通じていないようだ。丸顔は笑みを深くするだけ。

 五十槻は玄関の飛び石をコツコツと踏みながら、旧知の祝部へと歩み寄る。人垣を作っていた使用人たちが道を開け、少女と神職の男との距離が近くなった。古田は白い狩衣に烏帽子という出で立ちだ。その広やかな袖を父が押さえつけ、足元では継母が痛々しい泣き顔で裾を掴んでいる。

 

「お気を悪くなされたなら申し訳ない。けれど、あなたの叔父御──達樹殿のときと同じですよ。かつてあなたを百雷へお引き取りいたしましたのは、八朔達樹殿が肺病みを悪しくされ、余命いくばくもない状態になってしまったから。八朔の神籠は当代の神籠に物故の恐れがある場合、次代候補を早々に神奈備へお連れするのが習わしです。ま、達樹殿以前の神籠はみなさん、お元気な方ばかりでしたから。現当主の克樹殿がご存じでなくとも無理はありません」

「父上……」

 

 五十槻は父へ確認しようと思って、やめた。父からは、五十槻へ戸惑いの視線が投げかけられている。さっきの古田が漏らした、『縦貫作戦』のことをきっと気にしているのだろう。

 視線を下ろした先では、継母の和緒がすがるような面持ちをこちらへ向けている。紫の眼は再び古田をまっすぐ捉えた。

 

「……それならば心配ご無用です。僕は叔父と違い、身体も頑健で持病もありません。たしかにこれから臨むのは難しい任ですが、無事にやりおおせる所存」

「やれやれ、かような抗弁をするようになりましたか。香賀瀬さんのところにいた時はあんなに従順だったのに」

 

 わざとらしく、祝部の男は五十槻の気に障ることを言う。腕の中では泣き疲れた弓槻が、弱々しく嗚咽を漏らしていた。

 

「いいですか、五十槻殿──」

 

 丸顔は段々と、にやついた笑いに変わる。

 

「残念ですが、あなたに持病がないこと、身体が健康であることを鑑みたうえで、我々はこの判断に至っております。羅睺の門という禍隠大量発生装置のようなものに連続で挑み続ける任務に、あなたのような者が耐えられるわけがない──そう、女子の分際で!」

 

──あ。

 

 五十槻は反射的に周囲を見渡した。祝部の放った言葉に、周りの使用人は一様にぽかんと呆けた顔をしていて。

 誰かが「やっぱり」とつぶやいた。

 姉ふたりはより厳しく古田を睨みつけている。五十槻は、父の怒った顔を初めて見た。わなわなと唇を震わせている。

 そして──祝部の足元では。

 

「女……の子……?」

 

 和緒があっけに取られた顔をこちらへ向けていた。ずん、と胃のあたりが重くなり、五十槻の軍靴は我知らず後退る。

 

「古田! お前は!」

 

 後ろから古田の腕を掴んでいた父が、彼の目前へ回り込んだ。続けて放つ怒号。

 

「お前が……お前が五十槻を男として育てると言ったんじゃないか! この子が生まれた時、私があんなに拒んで拒んで、泣いて喚いて嫌だと言ったのに、無理矢理百雷へ引き取って行って……! そのうえ男として接しろと強要した挙句! 今度は女子の身では満足に神籠が務まらないからと、弓槻を連れて行くのか!」

「やれやれ、御当主落ち着いて……」

「私がどういう思いでこの子と──五十槻と接してきたか分かっているのか! どういう思いで、この子の性別をいままで秘してきたと……それを、それをこんな一瞬で大勢に打ち明けて台無しにして、一体なんのつもりだ古田!」

 

 古田が弓槻を抱いていなければ、殴り掛かっている剣幕だ。父の激昂に、五十槻は胸の奥が熱くなる。

 しかし、祝部の男は顔色を変えない。

 

「ははは、どういうつもりも何も……五十槻殿はあくまで、次代の、正当な神籠への橋渡しにすぎません。男児の後継を儲けてもらうべく、後添の縁談を世話した甲斐がありました。和緒殿も、玉のような跡継ぎを生していただき、まこと感恩の念に堪えません」

「どう……いう、ことですか」

 

 和緒の声は蚊が鳴くようにか細い。そんな彼女を、丸顔はにんまりしたまま見下ろしている。父は逆に、色を失って後添の隣へしゃがみ込んだ。

 

「和緒、こいつの言葉に耳を貸すな! たしかに縁談を周旋してきたのはこの男だが、私だってそんな意図があるとは──」

「結局、男の子が欲しくて私を娶ってくださったんですね……五十槻さんの代わりに、神籠にするための」

「和緒! ちがう、ちがうんだ!」

「嘘つき! おかしいと思っていたのよ、みんなして五十槻(この子)に女子の装いをさせたり、習い事をさせたり……たしかに男の子にしては、無理のある身体つきだと思ってたのよ! 庭の離れだって、結局あの子のものなんでしょう? どうせ危険な神籠の役目を弓槻に譲って、そしてこの子をふつうの令嬢として育てるために、それで……!」

 

 継母の目はキッと五十槻の方を向く。いつものあたたかな眼差しは微塵も感じられない。立ち尽くしたままの義理の息子──いや、娘へ、和緒は発作的に怨嗟を叩きつけた。

 

「あなたもよくものうのうと、男の子の振りをして騙してくれたわね。小さな頃から家族と引き離されて育って、まだ十代なのに士官させられて、それを哀れに思って……同情してやっていたのに! 私知ってるんですからね! 時々弓槻に辛く当たっていたこと!」

「…………っ!」

 

 五十槻は言葉が出なかった。あんなに大好きだった継母の顔が直視できなくて、俯いて目を逸らして。握りしめた拳は震えている。嫉妬から弓槻に声を荒げていたことも──ぜんぶ知られていた。

 

「和緒! 落ち着いてくれ! それに、五十槻は何も悪くない! 悪いのは……」

「うるさい!」

 

 克樹はそのまま和緒を落ち着かせようと説得していて、しかし彼女は金切り声を上げてそれを拒んでいる。

 使用人たちはどよどよとざわめくばかり。彼らから五十槻へ、驚きと好奇の視線が突き刺さる。

 五十槻はただ、悄然と立ち尽くすばかりである。うつむいた視界の中、飛び石に乗った靴先が心細く目に映る。

 そんな成り行きに、姉たちはしばらく呆然としていたものの。ふと、皐月が目元をきつく引き締めたかと思うと、突然古田めがけて手を上げた。

 

「いいから! 弓槻を返しなさいよ!」

 

 皐月は直情型の娘である。きっと、五十槻の性別が露見した挙句、両親が諍いを起こしているのを見て、短絡的に問題を解決しようとしたのだろう。祝部から弟を奪い返せば、少しでも事態が鎮まるのではと。

 振り上げられた皐月の白い右手は、しかし古田には当たらなかった。屋敷の玄関から、ぬっと太い腕が現れて長女の手首を掴む。

 

「ちょ、放しなさいよ……このデカブツ!」

 

 現れた人物に対し、皐月が勇猛に痛罵を浴びせている。

 家の玄関から出てきたその大柄な体格を目にして、五十槻の顔色からは一瞬にして血の気が失せた。

 

──楢井!

 

 筋骨たくましい体型に、顔にはぐるぐる巻きの包帯。ちらっと伺える素肌の部分に這う──赤い蔦のような紋様。かつて、雷に撃たれた痕だ。

 歩兵科将校の軍服に身を包んでいるのは、間違いないく楢井信吾であった。かつての神祇研で、香賀瀬修司の部下だった男だ。以前の抗争の際に万都里の銃弾を下顎に受けたからか、包帯ごしにうかがえる顎の輪郭は少し(いびつ)に変わっていた。

 楢井の目元は五十槻の姿を認めると、ニヤッと笑った。

 

「いや、悪いね楢井さん。一緒についてきてくれてよかった、どうせ抵抗されるとは思っていたからね」

 

 古田は楢井に馴れ馴れしく話しかけている。楢井は喋れないのか、無言だ。

 祝部は包帯男を伴って門へ歩み始めた。

 そのまま五十槻の前へ近づいてくる。

 

「五十槻! そいつらとっちめてやって!」

「五十槻、お願い弓槻を!」

 

 姉の声に五十槻は、ハッとして顔を上げるけれど。

 すれ違いざま、楢井が五十槻へ向けて手を伸ばした。その手の動きが、過日の神祇研での一幕と一致する。

 五十槻の軍服を暴き、首を絞めようとしたあの手の動きと──。

 

「…………」

 

 五十槻は反射的に飛びのいてしまった。唇はすっかり青ざめていて、胸郭の内を酷い動悸が満たしている。

 その様を、楢井が声にならない声で嘲笑いながら、そばを通り過ぎていく。ぽん、と馬鹿にしたような手つきが、五十槻の軍帽を叩いていった。

 弓槻の力ない泣き声もまた、遠ざかっていく。

 

──何もできなかった。

 

 無力感に苛まれるけれど、五十槻にはへたりこむ暇もなかった。

 少女は突如、胸倉を掴まれる。乱暴な感触に目前へ視線を上げれば、怒りの形相でこちらを睨みつけているのは継母だ。

 パシン、と乾いた音が響いた。五十槻の頬へ痛みが走る。

 

「あなたが──あなたが女の子に生まれたせいで!」

 

 和緒の恨みがましい声に、五十槻は何も答えることができなかった。継母はもう一度五十槻の頬を強かにぶつと、継子の胸倉を放し、門の外へ走り去っていった。

「弓槻! 弓槻!」「お願いします、弓槻を連れて行くなら私も一緒に……!」という声が、門の向こうへ遠くなっていく。まず父が「和緒!」と追って行く気配。「バタバタと何人かが、「奥様!」「和緒さん!」と彼女を引き留めに行ったようだ。

 少女はそのまま、へなへなとへたりこんだ。

 

「い、五十槻……」

 

 姉たちが心配そうに末妹のそばへ駆け寄り、顔を覗きこむけれど。妹の様子に、何もできないことを悟ったのだろう。後ろ髪ひかれながらも、姉たちはその場を離れ、継母の保護に向かう。

 

──そうだ。僕が、僕が……女の身に生まれたから。

 

 この八朔の家に渦巻く不幸の元凶は、自分だ。五十槻が女子として生を享けたから。

 気が付けば、その場には五十槻しかいない。みな和緒を追って行ったのだろう。

 しんと静まり返る夏の空気の中、少女の胸には自罰と自虐の念が渦巻いている。

 五十槻は無人の屋敷でひっそり荷物をまとめると、誰にも気づかれぬよう、塀を乗り越えて屋敷を立ち去った。

 もう黄昏は夕闇に変わっている。


      ── ── ── ── ── ──


 綜士郎は今日も多忙であった。昼に五十槻と会話を交わした以外、特に休憩という休憩もない。

 午後の予定から帰営して、綜士郎はまず中隊事務所へ立ち寄った。また、持ち出しの資料を返却するためだ。

 手探りでパチンと、電灯のスイッチを入れる。

 パッと明るくなった事務所の風景の中に、机に突っ伏している五十槻がいた。

 綜士郎はもちろんぎょっとする。

 

「なっ、五十槻!? お前、家で家族と話してるんじゃ……」

 

 綜士郎の言葉の途中で五十槻は席を立つと、ものすごい勢いで彼の胸元へ突っ込んできた。突然のことに「おい!」と青年はその肩を引きはがそうとするけれど。

 

「ごめんなさい、藤堂大尉……僕、僕……」

「五十槻、お前……?」

 

 五十槻は上官にしがみつきながら──泣いている。

 

「やはり僕にはあなたしかいません、大尉……」

 

 家族に打ち明けるという選択を、無下にされて。

 五十槻のどうにもできぬもので、五十槻はぜんぶ台無しにしてしまった。

 少女にはもう、こんな恐ろしい世界で、一人で生きていく気力なんてなくなってしまった。

 一人で何もかもを選び取って生きていくなんて、そんな恐ろしいことは、とても。

 

──命じてください。定義してください。僕の何もかもを。

 

「どこにも行かないでください、藤堂大尉……」

 

 そうして縋り付くようにして泣いている娘を、綜士郎はただ抱きしめてやるしかできなかった。

【作者よりおしらせ】


今回のお話で書き溜めていた分が尽きましたので、いったん更新をお休みします。

再開の暁にはまたお読みいただけますとと幸いです。

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