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2-3


 そうは言っても、綜士郎は八朔家での食事を断るつもりである。五十槻を家へ送り届けはするが、屋敷にまで上がり込むのはさすがに図々しいだろう。ましてや大事な娘に食事を作らせるなど、彼女の家族に妙な勘ぐり方をされてもおかしくはない。

 皇都の夜道を五十槻を連れて歩きつつ、綜士郎はいかに八朔家の門前で彼女を振り切るかを考えている。

 まずは安全に家まで送り届ける。正門に着いたらひとまず五十槻だけ玄関に向かわせ、家の人が戸口を開けたところで自分はさっさと退散する。

 それだ。それでいこう。

 

「藤堂大尉は、食べられないものなどありますか」

「いや、特にないが……」

「そうですか。よかった」

 

 五十槻は歩きながら献立を考えているようだ。その健気な様子に、綜士郎の胸に湧く罪悪感。せっかく五十槻が禍隠退治以外のことに意欲を見せているのに、それを徒労に終わらせてしまうのは非常に心苦しいところである。

 けれど、厚かましく華族の邸宅の玄関に上がり込むことなんて、綜士郎にはできるわけがなかった。正直なところ、彼は彼女の家族に対し引け目がある。

 

「……本当に俺のことは気にしなくていい。お前の食事は家の人が用意してくれていることだろうし、自分がしっかり休むことを優先しなさい」

「そうはいきません。それに、また第一中隊まで帰営なさるのも大変でしょうし、なんなら泊まっていかれても……」

「そりゃ無理だ。外泊届けを出しとらんからな」

 

 そんなやりとりをしているうちに、ふたりの足取りは八朔家の外構にさしかかる。長い塀の先に、橙色の光をこぼす門灯が見えてきた。その門灯に、ふたり分の人影が照らされている。

 

「あれは……」

「皐月姉さまと、奈月姉さま」

 

 八朔家の門前で五十槻を待ち構えていたのは、彼女の姉ふたりである。姉妹と目が合うや否や、綜士郎の頬が強張った。なにを隠そうこの藤堂綜士郎は、五十槻のふたりの姉がかなり苦手である。

 

「五十槻! やっと帰ってきた!」

 

 長女の皐月が若干語気を荒げて、こちらへずかずかと駆け寄ってきた。その後ろで奈月も「あらあら、今日は遅いお帰りですこと」と淡々とした調子で末妹らへ視線を投げかけている。

 

「よ、よし五十槻! お姉さま方がお出迎えにきてくれたぞ。じゃあ俺はこれで。また明日、な!」

「えっ、あの、藤堂大尉?」

 

 とりあえず五十槻の保護者が出てきたので、これで俺の役目は終了とばかりに綜士郎は踵を返す。青年はそそくさと元来た道を戻り始めるが。

 

「あっ、こら! 逃がすか藤堂綜士郎!」

「おわッ!」

 

 長女皐月、逃亡を試みる長身へ素早く駆け寄り、容赦なきドロップキック。跳び蹴りは見事綜士郎の腰を直撃し、青年はどしゃりと無様に地面へ倒れ伏した。

 大の男を蹴倒した皐月は、どこか誇らしげである。着物姿なのに衣服には一分の乱れもなく、器用なものだ。八朔家長女は綜士郎の胸倉を掴んで無理矢理起こすと、そのままガクガクと前後に揺さぶった。

 

「ちょっと藤堂さん! 今日は帰りが遅いんじゃなくて? うちの大事な五十槻に何かあったらどうしてくれるのよ! ていうかなんで逃げるの!」

「おやめください皐月姉さま! なんということをなさるのです……!」

 

 慌てて五十槻が割って入った。皐月の手を綜士郎からほどきながら、「大丈夫ですか」と、紫の眼差しが真剣にこちらを案じている。

 その様子を背後から、奈月が「ふむふむなるほど」と口元を着物の袖で覆いながら冷静に眺めている。甲斐甲斐しく上官の介抱をする妹の姿は、彼女にどう映っているのだろうか。皐月からも怪訝な視線。

 居たたまれなさに、綜士郎は痛む身体を無理矢理起こして立ち上がった。まだ腰がじんじんする。

 

「すまない、俺なら大丈夫だ。帰りがこんなに遅くなったんだ、お姉さま達のお怒りももっともだよ。申し訳ありません、お二人とも。本日は遅くなりまして……」

「藤堂大尉……」

「それじゃあ、俺はこれで……」

「いやちょい待ち、藤堂さん」

 

 自然な流れを狙って今度こそ帰営をはかるものの、綜士郎の行く手には皐月がするりと回り込む。

 なんでだ、と綜士郎の顔は素直に怪訝な気色を浮かべている。五十槻の姉たちは、いつもは門前で出くわしてもここまで綜士郎のことを引き留めはしない。なのに今日に限って、何故。

 皐月はそんな彼へ冷ややかな眼差しをちらりと浴びせて、呆れたような口調で口を開いた。

 

「まったく……。五十槻の帰りが遅いんだし、きっとあなたが送り届けてくれるだろうと思って待ってたんだけど。そんなに慌てて逃げ帰ることないじゃない!」

「はい?」

 

 皐月の言いぶりに、綜士郎は目を丸くする。その言い方だと、まるで五十槻だけでなく、綜士郎のことも待っていたようである。

 そのとき、八朔家の玄関から、がらりと戸口の開く音。五十槻がそちらを振り返り、一声発した。

 

「父上」

 

 えっ、と綜士郎も思わずそちらへ顔を向けた。下駄の音が、カツカツとこちらへ歩み寄る。

 橙の門灯に照らされて現れたのは、五十槻によく似た、端正な顔立ちの中年男性だ。上品に蓄えられた口髭が、柔和な笑みを浮かべている。

 五十槻の父にして八朔家当主──八朔(ほずみ)克樹(かつき)は、人の好さそうな笑みをこちらへ向けて、丁寧な口調で言った。

 

「お初にお目にかかります、藤堂さん。娘からお噂はかねがね……」

「あ、えーと……ほ、八朔の御当主……?」

 

 綜士郎は克樹とは初対面である。青年は慌てて居住まいを正し、緊張の面持ちで応答しようとするけれど。

 克樹は綜士郎が口を開く前に、こう切り出した。

 

「わざわざ五十槻を送り届けていただいたところ、大変恐縮ですが……少し、お話をよろしいでしょうか?」

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