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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第一章 八朔少尉、女学生になる
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1-4


「うん、却下だね」

「は……?」


 どっしりした紫檀の机の上にぽいと投げ出された除隊願を、信じられない面持ちで二人は見た。まさか、読まれもせずに拒否されるとは。

 神事兵連隊指揮官・荒瀬(あらせ)史和(ふみかず)中佐は、まったく顔色を変えずに続ける。


「知っての通り、華族といえど三年は軍務に就かねばならない。八朔(ほずみ)くんの軍歴はまだ半年にも満たないはずだ」


 きっちり整えられた黒い髪に、蓄えられた豊かな髭。見るからに軍人然とした風貌の荒瀬中佐は、牛革張りの椅子に座ったまま、二人をじっと見据えていた。

 洋風の調度で満たされた連隊長執務室へ、静寂が訪れる。五十槻はしばらく困った様子で逡巡し、おずおずと口を開いた。


「し、しかし連隊長。父からは軍を辞めるようにと言いつかりまして……」

「きみは御尊父の言いつけと軍法と、どちらが大事だと思うかね?」


 荒瀬中佐の語気に責める調子は一切なく、むしろ優しく諭しかけるようである。さすがに十五の五十槻では、この百戦錬磨の連隊長に敵うはずもない。


「お言葉ですが中佐」


 綜士郎は失礼を承知で口をはさんだ。


「そもそもの話、八朔少尉は現時点でも士官の下限年齢を迎えておりません。我々所属部隊の者は特例と聞き及んでいますが、まず少尉の任官自体が軍法を曲げてのことなのでは?」

「はっはっは」


 荒瀬中佐は老獪に笑うと、机上の煙草盆を引き寄せて煙管に火をつけた。古風な人で、いまだに煙管で煙草を吸う。

 ふぅと一服して、中佐は続けた。


「いや、痛いところを突くね藤堂くん。まったくもってその通りだと思うよ」

「中佐……」

「しかし現実問題、人手不足が深刻だ。神籠は他の兵科のように、徴兵での人員補充が効かないからね。それに藤堂くんだって、いま八朔くんに辞められたら困るんじゃないの?」

「う……」


 綜士郎も痛いところを突かれる。配属されてまだ半年未満の五十槻だが、すでに小隊の主戦力だ。正直、対禍隠を考えると、五十槻が抜けてしまうのは痛手である。

 だがそれが間違っているのだ。自分も含め、子どもに頼っている現状のなんと情けないことか。

 綜士郎は憮然とした面持ちを隠さず、紫煙を吐き出す荒瀬中佐を見据えた。

 荒瀬連隊長は相変わらず煙管をふかしながら、ふと話題を変えた。


「そういえば八朔くん。御兄弟が生まれたそうだね」

「え? ええ」

「男かい?」


 急な質問に、五十槻はきょとんとしながら答える。


「はい、男児です」

「はっはっは、それでか!」


 五十槻の返答に、荒瀬は突然膝を打って笑い始めた。


「なるほど、それで除隊願か。八朔くん、きみの御父上もせっかちだねぇ」

「?」

「つまり、跡取り息子が生まれたから、きみを女の子に戻したくなったということだよ」

「知ってたんですか!」


 荒瀬の言葉へ、噛みつくように反応したのは綜士郎だった。

 車を運転しながら考えてみて、どうにも違和感が拭えなかったのだ。男所帯の軍隊生活で、女子が性別を隠しながら生活するのはどう考えても不可能である。年に何度かは身体検査があるし、風呂も集団入浴、寝るときは大部屋で雑魚寝。

 しかし五十槻は華族だ。兵営内では浴室付きの個室を与えられ、身体検査は一人だけ別で受けていた。

 特権階級だからと皆納得していたが、あれは今考えると、上層部による性別の隠蔽のためだったのかもしれない。


「おや、藤堂くんは知ってたのかい? 八朔くんが女性だって」

「いえ、今日知りました。それよりも、中佐」


 実は中佐との面会時に、絶対に聞かねばならないと考えていたことがある。八朔五十槻が本当に女子なら、神籠の定義がひっくり返りかねないのだ。


「女子は神籠になれないはずでは……?」


 八洲では尋常小学校の歴史の授業で習う。長い八洲の歴史の中で、神籠に選ばれるのは男子のみであると。

 実際に、綜士郎が知る限りの神籠は男ばかりだ。目の前にいる髭の中佐もそうだ。歴史書の中に現れる、禍隠退治の英雄はすべて男性。そんな綜士郎の疑問に、中佐は軽く笑う。


「知らないよ。神さまが選んだんだから、八朔くんは女の身でも神籠になれた。それだけ」

「し、しかし……!」


 食い下がろうとして、綜士郎は言葉に詰まった。思っていた以上に、五十槻の周辺は前代未聞の事柄だらけだ。あまり深入りすると、上層部の不興を買いかねない。現にいま目の前にいる荒瀬中佐は表面上、ニコニコと好好爺の応対をしているが、きっと心の内では色々と詮索されることを快く思ってはいまい。


「八朔くんの身柄には色々と事情があるんだよ。悪いけど、ぼくからは詳細は伝えられないな」

「それは、本人でもですか?」


 五十槻が中佐へ問いかける。どうやら五十槻本人にも知らされていないことがありそうだ。

 もちろん、とにっこり笑んで、荒瀬中佐は続けた。


「ともかく、八朔くんは親御さんの意向がどうあれ、我らが神事兵連隊に慰留、ということでひとつ。いいかな?」


 いいかな、なんて問いつつ拒否権はない。

 五十槻はしばらく無言で逡巡する様子を見せ、やがて意を決したように「はい」といつもの調子で鋭く返事した。普段通りの、人形のように無表情の五十槻である。

 事の成り行きに、綜士郎は納得できなかった。けれども五十槻自身が慰留を承諾した以上、綜士郎が介入できることは何一つない。


「藤堂くん」


 中佐は続けて綜士郎へ視線を向ける。


「現在、八朔くんの性別を知っているのは、きみ以外に誰がいるかね?」

「いえ、私のみです」

「ふむ、ならよし。八朔くんは今まで通り、隊内では男性として忠勤に励んでくれ。藤堂くんはもちろん、このことは他言無用だ。よろしく頼むよ?」

「はっ……」


 返事をしながら、綜士郎は落胆を覚えていた。まだ幼い少女が辞めたいといっても辞めさせてもらえず、男の振りをして、危険な化け物へけしかけられる。本当に我が皇国陸軍神事兵連隊は、情けない限りだ。

 そう思いながら、綜士郎はちらりと五十槻を盗み見た。きっと表情の無い顔の奥で、やはりがっかりしているだろう。

 と、思っていたのだが。


「……ふぅ」


 同情の視線の先で、五十槻はため息を吐いた。それが傍目にも分かるくらい、安心のため息だったのだ。


(……軍隊辞めたいんじゃなかったのか?)


 綜士郎は分からなくなった。荒瀬中佐は相変わらずにこにこしている。


「あ、そうだ」


 不意に中佐がガサゴソと机の引き出しを漁り始めた。何事かとその様子を見守る中尉と少尉に語り掛けながら、荒瀬中佐は何やら資料を取り出して見せる。


「八朔くん。せっかくならさ……女の子の身分を活かしてみない?」

「どういうことです?」

「女学校に体験入学。どう?」


 中佐が机の上に広げて見せたのは、とある学校の案内用資料だった。

 学校名は──国立櫻ヶ原(さくらがはら)高等女学院。

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