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1-3


 綜士郎が沢へ到着したとき、五十槻は一見落ち着いているようだった。少女はいつもの真顔で、淡々と状況を説明している。

 女性の骸の下半身には、五十槻の軍服の上着がかけてある。万都里と精一が、その軍服ごと沢から彼女を引き揚げていた。死骸の発見から、さほど時間は経っていないようである。

 

「──ご遺体の状況から見て、被害者は禍隠から生殖行為を受けたのち、内臓の損傷が原因で死亡したものと思われます」

 

 五十槻はシャツ姿で、まっすぐ紫の瞳を綜士郎へ向けながら報告を上げている。一見ふだん通りの冷静沈着っぷりだが、短い付き合いながらも綜士郎には分かる。だいぶ無理をしている真顔だ。

 綜士郎は無言で上着を脱ぐと、無造作に五十槻の身体にかけてやった。

 

「あの、藤堂大尉……」

「いいからそれ着てろ」

 

 五十槻のシャツは特別厚めの生地で仕立ててある。が、こう激しい雨ではそれも少し心許なかった。目ざとい者ならば、彼女の体型の違和感に気付くかもしれない。そのことを理解したのか、五十槻は大人しくぶかぶかの軍服に着られている。

 

「五十槻、このあたりで休んでなさい。後は俺たちが処理するから」

「はい……」

 

 綜士郎はため息をひとつ吐いて、五十槻から視線を外し、沢の方を見た。精一や万都里、崩ヶ谷らと、式哨数名が遺体を担架に乗せている。崩ヶ谷によると、付近の禍隠はクズキュアの活躍により殲滅できたらしい。クズキュアとは?

 ともかく、女性の遺体は、弔ってやるためにも麓へ降ろさねばならない。身元確認の必要もあるだろう。

 綜士郎は各人員へ指示を飛ばし、やがて遺体は担架に乗せられて麓へと運ばれていった。途中、五十槻が綜士郎の軍服を羽織っていることに気付いた万都里が非常に鬱陶しかったが。

 

「おのれ藤堂キサマ! それオレがやりたかったのに!」

「じゃあ俺が来る前に着せてやりゃよかっただろうが!」

「たわけ! 思いつかなかったんだ!」

「そういうところだよ、まつりちゃん……」

 

 だだをこねる万都里はほっといて。

 綜士郎が一同に撤収を命じ、残っていた人員も三々五々、下山していく。ぷんぷん怒っていた万都里も、精一に宥められながら荒い足取りで五十槻より先に山を下りていった。そういうところである。

 後に残ったのは、綜士郎と五十槻の二人だけだ。

 他に誰もいなくなった途端。五十槻は綜士郎へ駆け寄ると、少々乱暴に彼の軍服を脱いで、持ち主の手に押し戻した。

 

「お、おい、五十槻?」

「…………!」

 

 そのまま五十槻はそそくさと背を向けると、その辺の茂みのそばへうずくまる。続けて、「おぇえ」と苦しそうな嘔吐の声。

 なるほど、と綜士郎は押し付けられた軍服を見下ろした。吐瀉物で汚してはならないと、わざわざ返却してから嘔吐に及んだわけだ。別にそんな気遣いなんかいらないのに。

 

「大丈夫か?」

「…………」

 

 綜士郎は少女の隣にしゃがみ込むと、背中をさすってやる。五十槻はこくこくと頷きながら、ズボンのポケットから取り出したハンカチで口許を拭った。

 

「すみません、藤堂大尉……僕」

「謝らなくていい。酷い有様だったからなぁ……」

 

 五十槻が見つけた遺体は、股間部が裂け、内臓が内から外へ掻きだされたような状態だった。想像を絶する苦痛だっただろう。被害者の惨苦(さんく)を思うと、綜士郎もやりきれない。

 禍隠は稀に、人間に対して生殖を試みることがある。交尾行動を取る禍隠は、陰茎を持つもの──つまりオスの特徴を有した個体ばかりだ。人間の男女の見分けがつかないのか、禍隠は性別に関係なくそういう行為を行おうとする。

 

「藤堂大尉は……もしかして、ここにご遺体があることをご存じだったのですか?」

「…………」

 

 五十槻の問いかけに、綜士郎は無言を保っている。けれど、その顔はいかにも「そうだ、すまん」と言いたげで。五十槻はそんな上官の表情をしばらくじっと見つめたあと、「そうですか」と得心したようにつぶやいた。

 

「……ご存じだったのですね」

「俺は何も返事をしとらんが」

「出過ぎたことを申し上げるようですが、藤堂大尉はお考えが面持ちによく表れる方ですので」

「おい。そんなに分かりやすいか? 俺は」

 

 綜士郎はちょっと納得がいかない。たしかに人からそう指摘されることは多いけれど、五十槻にすらそう思われているとは心外だ。

 

「……黙ってて悪かった。極力、五十槻の目に触れないようにするつもりだったんだ」

 

 部下のまっすぐな紫の瞳を見返しながら、綜士郎はため息まじりに言う。当初は自分と式哨とで、秘密裡に遺体を処理するつもりだったのだが。

 五十槻は身体を雷に変じて、光速で移動することができる。もちろんその速度は、式哨が扱う「式札」による伝達の速度よりもはるかに速い。

 だから──後方から放った式札が前線の部隊に到着する前に、五十槻は死体の存在に気付いてしまった。 単に高速で移動できるだけではない。綜士郎は失念していたが、五十槻にはとある特性があった。

 

「……忘れてたよ。お前、そういやめちゃくちゃ目が良かったよな」

「神籠を使っているときは、特にそうかもしれません」

 

 八朔の神籠は、八洲に数ある神籠の中でも格段の性能を持つ。

 雷撃を発し、雷光に乗じて瞬時の移動を可能とし。刃物状の装備があれば、人智を超えた鋭利さをその刀身に宿す。また神経組織に伝う電気信号を操作することで、身体能力の向上をはかることも可能だ。

 そして、頻繁に雷による閃光が視界に入る関係で、八朔の神籠は瞳孔の光量調整を常人より精密に行うことができる。神籠使用中に頻繁に瞳孔の大きさが変わるのは、このため。

 その影響か、視力自体も非常に優れていた。五十槻の紫の瞳は、数町離れた場所にある看板の文字を読むことができる。

 まさしく破格の異能である。本来なら同僚、もしくは部下として非常に頼りになる能力だ。

……これが、十代の幼い少女に宿ってさえいなければ。

 

「藤堂大尉。一点、気になることがあります」

「なんだ?」

 

 五十槻はまだ少し苦い真顔で、綜士郎へ報告を上げる。

 

「大尉もご覧になったかもしれませんが、付近の茂みに禍隠の死体がありました。下半身の無い、猩々型の禍隠です」

「それならさっき確認した。あれはお前の神籠で討伐したんじゃないのか?」

「いいえ、違います。自分はこの沢に到着して以降、神籠を攻撃に使用していません。獺越少尉にも確認していただければ、確かかと」

「じゃあ、あれは……」

 

 誰がやったんだ、という言葉を綜士郎は飲み込んだ。

 犯されて死んだ女。下半身のない禍隠。

 そしていま、綜士郎の目の前には、現状八洲唯一の──女子の神籠がいる。

 

「それにしても……禍隠は、どうして人間に対して斯様な蛮行を為すのでしょうか」

 

 五十槻が沢の方を見ながら問う。綜士郎は「さあな」としか答えようがない。

 分からないことが多すぎる。神籠に、禍隠に。

 

「……あんな害獣を、これ以上八洲にのさばらせておくわけにはいきません」

 

 ふだんより強い語調で五十槻が言った。

 

「僕はいずれ、かの(まが)(おに)どもを根絶します。絶対に、この手で。身命を賭して」

 

 僕は八朔の神籠なのだから、と五十槻は続けた。自分に言い聞かせているようでもある。

 綜士郎はその様子を、なんとも言えない顔で見下ろしていた。


 五十槻は十六歳になった。

 身体の線は徐々にたおやかになりつつある。


 雨に打たれる白いシャツの背中に、綜士郎は再び自分の軍服を羽織らせてやった。そのぶっきらぼうな羽織らせ方に、五十槻から戸惑ったような眼差しが向けられる。

 

「藤堂大尉……」

「それはやはり着ておけ。余計な面倒ごとは避けたいだろう」

 

 言いつつ、綜士郎は先導して山道を下り始めた。五十槻は「はい」と返事をして、ぶかぶかの軍服の袖に腕を通しながら後に続く。

 雨脚はゆっくりと椋野の山を横切っていく。

 やがて現れた晴れ間から、黄昏のやわらかい光が緩やかな稜線に降り注いだ。


      ── ── ── ── ── ──


「京華ちゃん、見つかった?」

 

 雨がやみ、神事兵が全員帰営したあとのこと。陸軍神祇研究所から調査にやってきた研究者一行は、椋野山の山中で何かを探している。

 

「南桑所長。あちらに祠のようなものが……」

「ふぅむ、やはり『ここ』もか……」

 

 南桑老人は京華に案内してもらい、彼女らが見つけた祠へとたどりつく。先刻のようなおちゃらけは一切なし、老人の隻眼は大きく見開かれ、皺だらけの顔は知的好奇心でいっぱいだ。

 彼らの目前にあるそれは、一見、崩れかけた廃屋である。しかしその両脇には苔の生えた石碑が添えられていて、何やら古ぼけた文字が刻まれている。

 

火乃佐軌牟久埜神(ホノサキムクノノカミ)……」

 

 京華が読み上げた。

 風化が進んで彫りの薄くなった碑文を難なく解読し、女学者はしれっとした顔で佇んでいる。「火の神か」と老博士が応じるようにつぶやいた。

 神祇研は新体制となってから、門の跡地に関して追加で調査を行っている。今回神事兵の門破壊任務に同行したのも、門の所在地にこういった──神を祀る遺構が存在するかを、確認するためだ。

 

「こうして社が残っているのは珍しいんだってな」

「ええ。足元が悪い中、来た甲斐がありましたわ」

 

 小さな祠の中には、いつ供えられたとも分からない神酒の瓶が転がっている。それ以外に崇拝の形跡はなく、ただただ両脇の石碑に神の名が記されているばかりだ。神名の後に続く文字列を読み解いて、京華はにんまりと笑む。

 

「やっぱり。今まで忘れ去られていたようですけれど、ここは──神奈備(かむなび)ですわ」

「ふむ。事前の推測通りか……」

 

 老博士は口元に手を当て、考え込む仕草。皮膚のたるんだ手指の下にある口許は、にんまりと弧を描いている。

 神奈備とは、神の居所を指す語だ。

 碑文から察するに、この椋野山は元々、火の神である火乃佐軌牟久埜神(ホノサキムクノノカミ)という神格の棲むとされる場所。おそらくは山自体も信仰の対象だったのだろう。残されていた祠はきっと、山岳を神そのものとして信仰していた時代の名残だ。

 

「神奈備に門。それから──八朔の小童が見つけたとかいう、禍隠と女の死体。そしてその死に様」

 

 隻眼の眼光は、思量するのが楽しくてたまらないとでも言いたげだ。老爺は杖でガツ、ガツと地面を力強く叩きながら、考察内容をぶつぶつとつぶやいている。不意に南桑博士は「ふへへっ」と堪りかねたように笑声を漏らした。

 

「まさかここにきて、わしの仮説を補強するような状況に出くわすとはのう。いや、残念だが禍隠に襲われた娘……あの女は死んで正解だ」

「…………」

 

 求知心に逸るあまりの、人倫にもとる発言。京華はそれをとなりで静かに聞いているが、目は笑っていない。射干玉(ぬばたま)の瞳は光を宿さず、深い深い闇を見つめているかのような深淵を映している。

 そんな彼女をちらりと一瞥し。老博士は大して気にも留めず、自信に満ちた発声で続けた。

 

「まあ、本人としてもその方が良かったろうて。なにせ──禍隠の子を宿したかもしれんのだから」

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