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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第一章 八朔少尉、女学生になる
7/97

1-3


 厄日だ。

 部隊所有の車を運転しながら、綜士郎(そうしろう)は今日という日の不幸を噛み締めた。


「本当に、申し訳ありませんでした……」

「もういい。謝るな」


 五十槻(いつき)は助手席で縮こまって、本当に申し訳なさそうにしている。

 二人は自動車で、子北区(しほくく)にある神事兵連隊本部へ向かっていた。第一中隊隊長の田貫(たぬき)大尉には尉官の人事権がなく、除隊願の処理ができないからだ。

 八洲では徐々に自動車が普及しつつあるが、行政が追い付いているとはまだまだ言えない。皇都内とはいえ、主要な道路以外はまだまだ舗装が行き届いていない。ガタガタの道をタイヤが踏みしめる度、二人は車内で軽く揺さぶられるのであった。

 綜士郎はハンドルを握りつつ、ちらりと横目で五十槻を見る。

 体つきは、少年にしては華奢な方で、少女にしては丸みがない。胸は厚みがなく真っ平だ。髪も短く顔つきも普段は凛としているので、一見すれば少年である。しかし改めて見れば、いまの五十槻の横顔は完全に少女のものだった。目元に影を落とす長い睫毛に、淡い紫色の大きな瞳。俯き加減で憂いを帯びた表情は、まるで深窓の令嬢である。軍服姿ということを除けば。

 どうして今まで気づかなかったのか、と綜士郎は自問自答したが、答えはすぐに出た。普段の五十槻にはまるで表情がないのである。常日頃から人形のように微動だにしない表情というのは、どうやら性別を韜晦(とうかい)させてしまうものらしい。

 そういえば綜士郎は、五十槻が笑ったところを一度も見たことがない。

 もちろん五十槻が申し訳なさそうにしているところなんて、今日初めて見た。本人は落ち込んでいるけれど、綜士郎はなんだかほっとしている。なんだ、普通の子どもじゃないか。


「でも、中尉……」


 謝るな、と言ったのに、五十槻はまだ言葉を続ける。


「中隊の皆には誤解されたままではないですか」

「あー……」


 五十槻の弁で、先刻の阿鼻叫喚が再び脳裏に蘇る。

 それは、本当にひどい顛末だった。


      ── ── ── ── ── ──


 人間拡声器こと、甲精一による醜聞喧伝の被害は甚大であった。綜士郎が五十槻を組み敷いているところを発見するや、アホのキツネは韋駄天の如く営内を駆け巡り、戦場に響く砲撃の如き大音声であちこちへ触れ回った。


「ねーみんな聞いてー! 藤堂中尉が八朔少尉を押し倒していかがわしいことをー!」

「まじ?」

「ワロタ」


 とはいえ、日頃の行いは大事である。精一は普段からあんな感じで、綜士郎は一応は厳格な将校である。大半の者は「また甲がホラ吹いてんな」と聞き流してくれたようだが。


「あの顔で浮いた噂聞かねえと思ったらさぁ」

「いやー、中尉殿はお稚児趣味であったか」


 口さがない者たちもいるもので、精一を取っ捕まえようと通りがかった廊下で、綜士郎はそんな会話を聞いてしまった。

 これは仕方がない。上官とは往々にして嫌われるものだ。何かしら批判できる事柄があれば、これ幸いと陰口を叩かれる。綜士郎だって上官の悪口を言った覚えがないとは言わない。だが言われっぱなしも癪なので、「コラァ!」と一喝し追い散らしておいた。

 ここまではまだマシだった。綜士郎はすっかり忘れていた。五十槻には非常に厄介な信奉者がいることを。

 屋外の運動場にて、やっと精一を捕獲して猿ぐつわをかけている時だった。


「藤堂中尉……いや、藤堂綜士郎!」

「貴様ァ! 我らの神聖なる八朔少尉を穢したとは何事だァ!」

「おどりゃあブチまわすぞテメコラァ!」

「うわ……」


 その場に集まってきたのは、綜士郎が率いる小隊の中でも、とりわけ屈強な男たちである。二十人くらいが徒党を組み、綜士郎を取り囲んでいる。

 彼らこそが五十槻を神の如く崇める信奉者集団、自称「八朔少尉親衛隊」である。全員が全員いかつい。


「いや、あの、誤解……」

「誰が口をきいていいと言ったァ!」


 もはやどっちが上官だ。普段は従順な部下たちだが、五十槻が絡むと理性のタガが外れるということを、綜士郎は今日初めて知った。

 そんな場面を救いに来てくれたのが、当の五十槻である。精一を追う前に手持ちの刃物は全て回収しておいたが、作戦室に彼女を残してきたことが少し気がかりだった。もしかしたら舌を噛んでるやも、と一抹の不安もよぎったが、五十槻は無事に駆け付けてくれた。上官が不名誉を被っている最中に自決を優先するほど、この年若い少尉は身勝手ではないようだ。


「やめてください! 誤解です!」


 綜士郎と親衛隊の間に入り立ちふさがると、いつもの凛とした声で五十槻は綜士郎をかばった。


「八朔少尉! そこをどいてください!」

「俺たちが少尉の仇を取ります!」

「落ち着いてください!」


 しかし五十槻本人の制止があっても、親衛隊の勢いは止まらない。しかも騒ぎが大きくなって、野次馬の兵卒がわらわらと集まってきた。これはもうどう収拾をつけていいものか、まったく分からない。元凶の精一は、猿ぐつわを噛まされたまま一人キャッキャと喜んでいる。


「僕は中尉になにもされていません! 皆さんは誤解されている!」

「おいたわしや少尉……! きっと何か弱みを握られて……!」

「許せん!」

「な、何故……!」


 五十槻自身がなんと否定しようと、親衛隊は頑なに少尉が穢されたと信じて疑わない。むしろかばえばかばうほど、怒りの炎は燃え上がる。そこで五十槻は思ったのだろう。この顛末の原因は全て、自分のせいなのだと。そもそも、自分が性別を偽っていたからだと。

 自分が女の身であること。ずっと性別を偽って軍務に就いていたこと。しかし、それが故に除隊願を出そうとしたこと。

 隊の皆々を欺いていたことへの自責甚だしく、自決を決意したものの、中尉が身を挺して割腹を止めてくれたこと。その際のもみ合いの結果が、あらぬ噂につながってしまった。それらを全部説明すれば、この場にいる全員納得するのではないかと、五十槻は考えたに違いない。あとからこの状況を回顧して、おそらくそういうことだろうと綜士郎は思う。


「僕が、僕が悪いんです!」


 今まで以上に声を張り上げて、五十槻は烏合の衆に向けて深々と頭を下げた。


「僕が実は(おん)……」

「俺が襲ったァ!」


 五十槻が何を告白しようとしているのか察して、綜士郎はとっさに大声で叫んだ。最悪の展開である。

 もう殴られるのは必定なのだから、早いとこタコ殴りにされてでもこの状況を終了したい。綜士郎はもはや自暴自棄だった。

 果たして親衛隊の諸君は怒りに満ちた鬨の声を上げた。野太い鯨波の中で、五十槻が綜士郎へ驚愕の目を向ける。「なんで誤解を深めるんですか!」とでも言いたげだ。そんな少尉に対し、綜士郎は「言・う・な」と声には出さず、唇の動きだけで伝える。ここで八朔少尉が本当は女子だと知れたら、本当にまずいことになる。


「少尉どいてそいつ殴れない!」

「あっ」


 ひょいっと五十槻が脇によけられて。

 屈強な青年たちが綜士郎へ殺到した。もうすでに藤堂中尉は胸倉を掴まれている。綜士郎はもちろん一方的に殴られるだけのつもりはない。ただ、骨の一本や二本は覚悟しなければならないだろう。だが。


「やめてっ」


 脇によけられたはずの五十槻が、ひょいと戻ってきた。綜士郎の胸倉を掴んでいる上等兵の首に後ろからしがみつき、腕を回してぎゅっと絞める。ごきっ、と音がして上等兵はくにゃりとへたり込むように倒れた。


「くだっ」


 向かってくる屈強な兵士たちの数々を、ある者は足払いで蹴倒し、ある者には大外刈り、あるいは背負い投げ。ある者には関節技をしかけ、ちぎっては投げちぎっては投げ。


「さい!」


 華奢な身体で親衛隊の二十余名を、あっという間に地面へひれ伏せさせるのであった。

 五十槻は普段、あまり格闘術が得意ではない。綜士郎も普段の調練でよく知っている。他の士卒には普通に力で負けるし、よく投げ飛ばされている。だが、一人だけ居残りの稽古をして、真剣に取り組んでいたものだ。

 おそらく今の大立ち回りは、火事場の馬鹿力というのもあっただろう。しかしそれだけではなく、頭に血の上った親衛隊員達の動きは単純で、動きが読みやすく、技をかけやすかった。また、背の低い五十槻なので、死角に入りやすいのも立ち回りに有利であった……のだろう、たぶん。


「中尉、お怪我は!」

「いや、全然大丈夫……」


 小さな体で大立ち回りをやり遂げて、息を荒げながら五十槻はまず綜士郎を気遣う。綜士郎はお陰様で結局無傷だが、この状況にちょっと引いている。


「うっ」

「ううっ……」


 地面に倒れている親衛隊たちが息を吹き返した。呻いているのかと思ったら、よく見たら泣いている。


「くっ……少尉……親衛隊の俺たちではなく、まず中尉を心配するのですね……」

「いや、それは……」

「つまり合意だったってことですか……!」


 どうしてそうなる。藤堂綜士郎中尉は頭を抱えた。五十槻も困惑のあまり、唖然としている。


「聞けよみんな……あんなに小柄な少尉が、藤堂中尉をかばって俺たち全員倒しちまったんだぜ……? これが愛の力でなくてなんなんだよ……?」

「つまり相思相愛ってことかよ……」

「純愛じゃあ……」

「ボーイズラブ……」


 親衛隊員全員がはらはらと涙を流した。汚い嗚咽があちこちから聞こえてくる。なぜか周囲の野次馬から感動の拍手が上がりはじめた。ひどい茶番である。

 綜士郎はぐっと腹に力をこめて大喝した。


「総員さっさと持ち場に戻らんか、ばかたれーッ!」


 藤堂中尉マジギレの命令に、さすがにみな蜘蛛の子を散らすようにわーっと去っていく。勝手に敗北を喫した親衛隊員たちの背中が、特に寂しい。


「ひー、ひー……めっちゃ面白かった……! 草!」


 最後に残った精一が、痙攣する腹筋をおさえながら、息も絶え絶えに感想を伝えてきた。いつの間にか猿ぐつわを外している。さすがの五十槻も呆れた眼差しをキツネ顔へ向けざるをえない。

 綜士郎はすべての元凶たるアホ伍長の脳天へ、全身全霊の拳骨を見舞ってやった。


      ── ── ── ── ── ──


……というのが、皇都守護第一中隊に起こった阿鼻叫喚の一部始終である。


「どうしたら中尉の不名誉は晴れるでしょうか……」


 五十槻は責任を感じている様子だ。確かに彼……いや、彼女が動転して自害などしようとしなければ、こんな経緯にはならなかっただろう。どぼどぼと油を注いで炎上させたのは甲伍長だが。


「もう終わったことだ、仕方がない」


 気丈に振る舞いながらも、綜士郎は明日が見えないような心持ちだ。明朝、どんな顔で登庁すればいい。


「少尉は自分のことを気にしなさい。除隊が認められれば、中隊でのことは金輪際関係なくなるのだから」


 そう言葉をかけている間に、車はもう子北区(しほくく)四馬神(しめがみ)の神事兵連隊本部の門前だ。

 綜士郎は車を停め下車し、門衛へ所属と来訪理由を告げる。訪問が認められると、再び車に乗り込んでアクセルを踏んだ。

 駐車のための所定の場所へ向かいつつ、綜士郎は気にかかっていたことを一つ吐露した。


「八朔少尉。先刻は少尉の自決を止めるために、神籠の力を用いて少尉を窒息させた。知っての通りもちろん触法行為だ。これから連隊長に目通りするが、報告してくれて構わん」

「……しません。絶対に」


 五十槻は両ひざの上に置いた拳を、ぎゅっと握りしめながら言った。それは助かる、と綜士郎は心の内に思う。神事兵に自由は少ないが、一生出られない神籠者用の収容所よりずっとマシだ。

 ほっとしている綜士郎の心境を知ってか知らずか、五十槻はぽつりと尋ねた。


「……ところで、親衛隊ってなんですか?」


 車を停めてエンジンを切り、綜士郎は疲れた声で答えた。


「それは……分からん……」

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