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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
68/115

5-4


「どうして止めるんですか……!」


 十三歳の綜士郎は、病室の床にうずくまっている。目の前には血の付いたナイフが転がっていた。

 それを手のひらからぽたぽたと血液を垂らしつつ、香賀瀬修司は見下ろしている。


「何人も殺して……あんな、惨い死に方させて……」


 綜士郎は嗚咽まじりに言う。「もう、一分一秒でも生きていたくない」と。「死なせてくれよ」と。


「けれどきみは選ばれてしまった。香瀬高早神(カゼタカハヤノカミ)に」


 香賀瀬の言葉は無常に響いた。どうして俺を選んだんだ、と少年は恨みがましく思う。


「神籠として選ばれたからには、きみの生には意味がある。もう二度と同じ過ちを犯さず、蒼生(あおひとくさ)を救い守るために、その力を使うという意味が」


 しかし、続く言葉は優しい声音で。


「けれど、友を殺めた悔恨は──一生晴れないかもしれない。神も、あまりにも惨いことをなさる。十三歳のきみには、重すぎる重荷だ」


 言いながら、彼は綜士郎へ歩み寄った。少年の隣へしゃがみ込む紳士の眼差しは、どこまでも深く、優しいもののように思えた。少し骨ばった香賀瀬の手が、綜士郎の背中を慰めるように撫でる。


「辛かったな、苦しかったな……綜士郎」


 その手のあたたかさに、綜士郎の頬を涙が伝う。


「きみは、生きていていいんだよ。綜士郎……」


 実の父親にろくな思い出のない綜士郎だから、その姿が本来あるべき父のように思えた。

 だから神の籠に囚われたことも、受け入れたのに。

 だから神事兵という一生出られない牢獄の中でも、一人前の将校の顔をしていられたのに。


      ── ── ── ── ── ──


「あんたに聞きたいことが山ほどある」


 久々の再会だ。綜士郎は借りていた万都里の肩から離れつつ、恩人へ刺すような眼差しを叩きつけている。

 対峙する香賀瀬修司は、十二年前と同じ微笑みで綜士郎を見つめている。彼の背後では、警備人員が複数名、こちらへ向けて銃を構えている。それを手を挙げて制して、香賀瀬は警備の銃口を下ろさせた。


「私も久々にきみと語らいたいところだが……あまり余裕はなさそうだな」


 言いつつ香賀瀬は、綜士郎の背後を顎でしゃくって示した。森の方面から、薄く赤い光が漏れ始めている。

 それからふと、香賀瀬は綜士郎らの足元に倒れている人物へ目を向けた。楢井信吾だ。


「……顎を撃たれたのか。言霊の神籠としては、再起不能だな。いい異能だったのに」

「介抱してやらないんですか。まだ生きてる」


 警備の人手へ目線を遣りつつ、綜士郎が問う。香賀瀬はさも当然のように答えた。


「残念だが、神籠としてはすでに死んだも同然だ。このまま息絶える方が楢井も本望だろう」

「あんた、本気でそれを言ってるのか……?」


 綜士郎の中ではすでに、猜疑は確信に変わっている。もうこの人は、十二年前の優しい恩人ではない。いや、もしかしたら、少年だった自分と知り合う以前から、この人は──。


「綜士郎。そこの出来損ないを返してもらおう」

「生憎と、この場に出来損ないなんて奴はいません」


 綜士郎は香賀瀬の要請を拒否する。五十槻は紫の瞳でじっとやりとりを見守っている。


「五十槻」


 香賀瀬が五十槻を呼ぶ。いつもの、厳しく冷たい目で。


「五十槻、こちらへ来なさい」


 香賀瀬先生の命令は絶対だ。五十槻は一歩前へ踏み出す。


「行かなくていい! 五十槻!」

「大丈夫です、藤堂大尉」


 言いながら五十槻は綜士郎の前へ、香賀瀬に向かって立ちはだかるように立ち止まった。そこから動こうとしない養い子に、香賀瀬が苛立った声を上げる。


「何をしている。こちらへ来いと言っている」

「いいえ、香賀瀬先生。もう僕はあなたの命令を聞きません」


 五十槻は淡々とした声ではっきり言う。恬淡さに意志が宿っている。

 香賀瀬先生の命令が絶対だったのは、ついさっきまでだ。もう五十槻は彼の鎖から外れている。

 八朔五十槻はかつての恩師へ、堂々と告げた。


「僕は藤堂綜士郎大尉の部下です。誰が、なんと言おうと」

「……出来損ないめ、毒されおって」


 厳格な顔に憎しみを露わにする香賀瀬へ、五十槻は真顔で問うた。


「香賀瀬先生に改めてお伺いしたい。今日の雲霞山でのことです。なぜ獺越さんに危害を加えられたのです。あまつさえ、命まで奪おうとなされた」


 結局現在までのところ、五十槻はその件に関する具体的な理由を彼から得られていない。背後で「そうだそうだ!」と万都里も合いの手を入れている。

 香賀瀬はそんな獺越の御曹司を、蔑んだ目で一瞥する。


「単に邪魔だっただけだ。それに獺越は、ただ銃器や金物で禍隠を攻撃できるだけのつまらん神籠だ。元から存在価値の無いものが消えたとて、八洲にとっては大した損失ではない」

「なんだと……!」

「獺越さんは」


 万都里の怒りを遮って、五十槻は淡然と言葉を紡ぐ。


「獺越さんは、禍隠に対する戦闘装備、技術をそのまま対人の白兵戦へ転用できる、本邦唯一の神籠です。今日のような特殊な状況下で、僕はそれを痛いほど思い知りました。また平素は俊敏な禍隠を相手取っておられる分、獺越さんの動体視力は並みの歩兵将士を上回ると思料します。現に先刻も難しい狙撃を成し遂げておられた」


 つらつらと語る五十槻に、当の万都里は「ハッサク……?」とあっけに取られている。


「また、先生は銃器で禍隠を攻撃できるだけ、とおっしゃいますが、現在銃火器の開発は世界的に見ても発展の度合い凄まじく、戦場には数多の新兵器が登場しつつあります。もちろん、弾頭に金属を使った火器もこれから多く生み出されることでしょう。今後の禍隠の討伐を考えれば、将来そういった最新鋭の兵器を神域内に投入できる強みは計り知れない。獺越家の神籠は八洲にとってかけがえのない、唯一無二の素晴らしい神籠です」


 五十槻の主張に、万都里は「ハッサク……!」と喜びを噛み締めている。「よかったね、まつりちゃん」と精一。

 語り終え、五十槻は香賀瀬へ真っ直ぐ紫の瞳を向ける。


「先生は神籠の研究者であらせられるのに、このようなこともお分かりになられないのですか。そのようなつまらない理由で、獺越さんを……」


 真っ直ぐな瞳には憐れみが宿っていた。香賀瀬は無言で睨み返している。


「……お聞きしたいことはもうひとつあります。先生が本日ご帰宅前に、楢井さんへお命じになったことは事実でしょうか」


 淡々とした問いかけに、香賀瀬は憎しみの面持ちを変えずに答える。


「そうだ」

「僕が先生に逆らったからですか」

「そうだ。今の状況を見るに、成果は無かったようだがな」

「……そうですか」


 香賀瀬の冷淡な受け答えに、綜士郎が五十槻の背後から「おい!」と吼えるような怒声を放つ。香賀瀬へ掴みかからんばかりの勢いだったが、五十槻は軽く振り返り、首を横に振ってそれを押しとどめた。

 他の二人が会話から置いてけぼりになっているが、彼らは詳細を知らなくてもよいことである。

 五十槻はまた香賀瀬へ視線を向ける。


「質問は以上です。よく分かりました」


 少女の声音はどこか残念そうな色味を帯びている。


「本日の先生の振る舞いは、これまでご教授頂いた先生ご自身のお教えと、矛盾しています。無闇に人を害してはならない、他者に対し尊厳を冒涜する行為を為してはならない。前者への矛盾に相当する事象は身勝手な理由に見受けられますし、後者に至っては、やはり折檻の域を超えていると僕は感じます」


 それに、と五十槻は付け加える。近傍に自身の本当の性別を知らぬ者もいるから、詳しくは語らないけれど。


「先生は僕の身体に対し、さる不可逆を命じました。いったんは命じられるまま受け入れましたが、しかし……」


 五十槻はきっぱり言った。


「香賀瀬先生。あなたはやはり間違っておられる。僕の居場所はもはや、あなたのもとではない」


 紫の瞳はもうこわばらない。背筋も恐怖で凍り付くのではなく、自らの意志で伸びやかに凛と姿勢を整えている。


「僕の居場所は、僕を僕として尊重してくださる方々の中にある。僕は──獺越万都里少尉の同期で、甲精一伍長の後輩で、その他大勢の士卒の同輩で……そして、藤堂綜士郎大尉の部下です」


 これまでもこれからも、そこが五十槻の居場所である。一片の迷いもなく宣言する養い子に、香賀瀬は憎々しげな顔を向けている。


「香賀瀬先生。これまで出来損ないの僕を八朔の神籠として養育してくださり、感謝しております。けれど確信しました。あなたは僕に対して、何の情愛も持っておられない。とても、寂しいことです」

「当然だ、お前のような出来損ないの……!」

「香賀瀬さん」


 香賀瀬の言葉を遮って綜士郎が割って入る。怒りを押し殺した声だ。軍服のポケットから、かさっと紙切れを取り出して突き付ける。


「俺もあんたに聞きたいことがある。こいつに見覚えはないか?」


 恩人へ突き付けたのは、一枚の古い領収書である。十二年前の日付の、神祇研発行の領収書。宛名に記載の姓名は「明見欣治」、但し書きは「情報提供料」とある。

 満月の明かりの下、領収書の文字は香賀瀬にも明瞭に読み取れた。神祇研所長はフッと鼻で笑うような仕草の後に、五十槻へ向けるのと同種の目つきを綜士郎へも送る。


「なにかと思ったら、どこでそんなものを見つけてきたんだ綜士郎。実家か?」

「あんたに見覚えがあるのかと聞いている。……実家、という言葉が出てくるということは、あんたこの明見欣治が俺にとってどういう人間か、知ってるってことだな?」

「ははは……」


 香賀瀬は月を仰いで笑い始めた。なんだか、諦めたような笑声である。


「いやぁ綜士郎。久しぶりに会って改めて思ったよ。お前は明見さんそっくりに育ったな」

「あんた……!」

「簡潔に言おう。綜士郎、お前は実の父親に二回も売られたんだ。炭鉱と……それから神祇研に」


 香賀瀬の告げた真実に、綜士郎はさほど動揺を見せず「そうだろうな」と呟いた。


「あのクソ親父ならやりかねん所業だ。それで、神祇研が俺を買ったのは何のためだ」


 声音は少々震えていた。

 五十槻は綜士郎の高い目元を見上げる。藤堂大尉が、不安そうな面持ちをしていらっしゃる。五十槻はそう思った。なんだか幼い少年のような表情にも見える。

 香賀瀬修司は腕組みしながら、観念するように言った。


「綜士郎。きみの父方の血筋は──元々は香瀬高早神(カゼタカハヤノカミ)を祀る神實の家系なんだよ」

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