5-2
二
「ここの敷地に『門』がある」
人目のない場所に隠れながら、綜士郎からそう説明を受けて。
五十槻と万都里は怪訝そうな表情を浮かべている。特に五十槻には信じがたい話だ。
「まさか……神祇研に?」
「そうだ。俺の神籠で研究所の敷地を探知したが、間違いない。お前が以前、櫻ヶ原で出くわした構造物と同じ形状のものだった」
綜士郎は手短に伝達を述べる。
「今回、お前たちの救出が優先だ。門にはこちらからは関与しない。ただ脱出に際し、門から出現した禍隠と戦闘になる可能性がある。各々十分注意してくれ。それから獺越」
続いて綜士郎は鋭い目で万都里を見た。
「戦闘状況になった際、俺の神籠を攻撃目的で使用することもあるだろう。もちろん禍隠のみに限って殺傷するつもりだが、発動時には大なり小なり風圧が発生する」
「だから射撃の際には弾道の変化に気を付けろと、そういうことだな」
万都里は歩兵銃へ着剣しつつ応じる。基本、遠距離からの射撃が攻撃手段である万都里にとっては、命中精度に影響する重要な情報だ。
「了解だ。もし場にキサマの神籠の影響があらば、考慮して発砲を行う。ハッサク、今度は門を壊すのが使命だとか抜かすなよ。さっさと帰るぞこんなところ」
「はい、もちろんです」
五十槻は精一から軍刀を渡され、すでに略刀帯へ吊り終えている。
四人の目的は、ここから脱出すること。門だの禍隠だのには構っていられない。
「ただ、ここから研究所の敷地外を目指すとなると、森に近いところを通らなきゃならんのよねぇ」
精一がキツネの目で経路の方向を確認しながら言った。
綜士郎の神籠で確認する限り、ここから正門の方面へは警備の人員がかなり多めに配置されている。綜士郎と精一が潜入時に通ってきた経路も、警備の配置が変わった今はもう使えない。建物の側面から裏手に抜け、塀沿いの並木を利用して脱出を図りたいところであるが、途中に森と接する場所がある。門もその付近にあるという。
「でも不思議だよね。門はあるのに、禍隠の気配はないんでしょ?」
「現状そうだな。門の状態によっては、禍隠が湧きだすこともあるんだろうが……」
ひとまず禍隠の気配のない今が好機である。綜士郎の先導で、一行は身を低くしながら警備の目を避けつつ、まずは本棟側面へ移動する。
建物横には鬱蒼とした木立ちが広がっていた。雑多な木々がひしめく中に、赤い光は確認できない。
──おかしい、門があるはずでは。
五十槻が櫻ヶ原、雲霞山と遭遇してきた門は、不気味な赤い光を発する構造物である。けれど神祇研敷地の門があるはずの場所はしんと暗く静まり返っていて、そんな異様な物体があるなどとは到底思えない平穏さだ。もちろん赤い光なんて微塵も感じられない。
けれどその平穏は突如破られる。門や禍隠ではない。ピーッ、と夜の静寂を裂くように吹き鳴らされる、警笛によって。
「げっ、さすがにバレたか!」
精一が狼狽する。綜士郎がとっさに式哨へ合図を送った。
「……何かしら侵入の痕跡が見つかったようだ。楢井も目覚めたようだし、警備が散開している。こっちにも数名向かってきているな。甲」
「はいはい!」
一行はいったん森の中へ逃げ込んだ。あまり門の方へ寄り過ぎないように注意しつつ、精一の神籠で速やかに樹上へ逃れる。四人の眼下に、二、三人警備の人員が現れた。まさか木の上に四人も隠れているとは思っていないようで、気付く気配はない。けれど、立ち去る様子もない。
「……藤堂大尉。僕の神籠で陽動を行うのはいかがでしょうか」
「いいが、お前体力は大丈夫か?」
「甲伍長のおせんべいのおかげで、少し元気になりました。いけます」
「そうか……ところで、獺越が死にかけているが」
「近い近い近い近い近い!!」
枝の上に、大人三人と子ども一人が身を寄せられる範囲は限られている。万都里と五十槻は一本の枝を足場として共有しているが、幹に掴まる万都里に、さらに五十槻が掴まっている格好である。ふたりの体勢は密着もいいところであった。「あんまり騒ぐな」と呆れつつ一言注意して、綜士郎は五十槻へ頷いて見せた。
五十槻は意識を集中する。自分たちがいる場所から、かなり離れたところを狙って落雷を神に祈る。果たして。
稲光、それから雷鳴。
「あっちか!?」
目的の位置へ落雷が起こった。目論見通り、眼下の警備たちが駆け去っていく。「やったぜいつきちゃん」と、精一が降下のために神籠を発動しかけるが。
「いかん! 全員動くな!」
「へ?」
突然綜士郎が焦った様子で静止を命じる。その直後。
ぶわっ、と周辺から風が起こった。一瞬、周囲からの音が途切れる。おそらく綜士郎の神籠だが。
「ぐっ……! くそっ、楢井め!」
神籠の局所使用の反動で頭痛が起きているのか、綜士郎は頭を押さえながら本棟の方を睨みつける。他の三人は何が起きたやら分からない。
「綜ちゃんどしたん?」
「ばかたれ! 楢井のやつ、神籠に拡声器を使用していやがる!」
「は……?」
綜士郎は神籠の異能で視た。本棟の建物の中で、拡声器を最大出力にして言霊の神籠を放つ、楢井の姿を。どうやら拡声器は神事兵連隊だけでなく、神祇研にも支給されているようだ。他の雑多な機械類に紛れて、綜士郎の神籠でも存在を把握しきれていなかったようである。
楢井がさきほど放った言霊は「出てこい」だ。たぶん相手はこちらの位置を把握していないのだろう。また、おそらく連隊の式哨が張る神域とは別で、敷地内に自前の神域を展開しているようだ。綜士郎の認識する神域の範囲が、連隊の式哨が展開する範囲と異なっている。
楢井からの言霊による危害を防ぐため、綜士郎はとっさに神籠を使い、自身らの周囲、上下左右前後を囲むように真空の壁を発生させたわけである。一瞬音が途切れたのはその影響だ。
言霊というのは、対象へ音声が届かなければ効力を発揮しない。つまり、音声そのものを遮れば効果は無いも同然である。
「なるほどなぁ、綜ちゃんの神籠は音波を遮断したりもできるわけだ。便利ぃ」
「言っとる場合か! 負担がでかすぎて連発はできない、何かしら対応策を考えないと……!」
「チッ、あのデカブツ、窓際は避けてやがる」
小銃の照門ごしに本棟を覗き込む万都里が、悔しそうな声を上げた。楢井の位置はここからでは狙撃できない。手下らしき男が二名ほど窓の外を伺っているが、下手に彼らを狙撃すれば、こちらの正確な位置を楢井に知られてしまうだろう。
有効な手段はひとつだけである。五十槻は夜天の下、研究所の建物を取り巻く電線に目を向けた。
「もう一度落雷を起こします。研究所全域を停電させる」
「それしかないな! 頼む!」
神祇研を取り巻く電線は、いたるところに張り巡らされている。もちろん、この森の上にも。
狙いを定めている間に、再び突風が起きた。そして音が途切れる。また楢井が何事か言霊をしかけてきたらしい。綜士郎が再び頭を押さえつつ、今度は咳き込みながら樹上から嘔吐している。高所からぐらりと体勢を崩しかける長身を、「綜ちゃん!」と精一がすんでのところで支えた。
急がなければ、藤堂大尉が消耗してしまう。
五十槻は紫の眼を見開いて軍刀の柄を握りしめ、神域の内を満たすような落雷を冀う。そして満天に雷光が閃き、五十槻の神籠は一帯へ激しい迅雷を振る舞った。かつ、鳴り響く咆雷。
果たして。研究所を囲む電線はバチバチと火花を上げて機能を停止し、それまでいくつか部屋の灯かりがついていた本棟が、真っ暗闇に沈んだ。
「よし、今のうちに……!」
再度降下のための神籠を使おうとした精一が、はたと止まった。楢井の神籠にやられたわけではない。
精一以外の全員も、ぎょっとした顔で眼下の森へ目を向ける。
赤い──不吉な光が、夜の森を照らし始めたから。
ゆっくりと輝度を増していくその光の源にあるのは……宙に浮く赤い円。羅睺の門だ。




