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本ページには性暴行の描写があります。閲覧の際はご注意ください。
十二
神祇研の、とある真っ暗な一室で。
万都里は目が覚めてから、ひたすらもがいていた。両手足を縛る縄をどうにか解こうと。口には猿ぐつわも噛まされている。後頭部がズキズキ痛むけれど、いまはそれどころではない。
(ハッサク……!)
自分のことよりも五十槻の安否が気にかかる。雲霞山であれだけの暴行を受けたのだ。それに元々の体調不良もある。そのうえ、万都里を救おうと神籠で周辺の禍隠を手にかけた。育ての親である香賀瀬の命に、背いてまで。いまごろ、この建物のどこかで折檻を受けているかもしれない。
部屋には先刻まで見張りがいたが、万都里が気絶しているふりをしている間にどこかへ行ってしまった。確か、楢井とかいう四角い顔の神籠に呼ばれていったようだが。
(くそっ、オレは好きだと思ったやつ一人助けられないのか!)
さっきから心が焦るばかりで、きつく縛り付けられた荒縄は解ける気配がない。もがけばもがくほど、縄の荒い繊維が万都里の手首とこすれ合い、皮膚は傷つき血がにじんでいく。
銃や弾薬、そのほか携行品は全てはぎ取られた。縄が解けたとして、依然万都里に勝機は薄い。
どうにもできない状況に、万都里は神へ祈り……というか、文句をぶちまける。
──おいこら! 山津大鉄神! テメエの神實が窮地だぞ、助けろ!
万都里は神に対しても横柄である。けれど、それが天津㝢の神へ通じたのだろうか。
ごぉん、と大きな音が建物の二階より上から鳴った。万都里の周辺の本棚が、衝撃でビリビリと揺れている。
(ハッサク……?)
どう考えても雷鳴のような音に、万都里はただ天井を見上げている。すると。
少し離れた場所にある本棚から、チャリ、と金属でできた何かが落ちる音がした。
万都里は両手足を縛られたまま、這いずるようにして音のあたりまで身を引きずっていく。閉められたカーテンの下から、わずかに差し込む月光に照らされる、それは。
「小刀……」
──子供用の小刀だ。
柄の部分に、「ホズミイツキ」と彫ってある。
── ── ── ── ── ──
──掛まくも畏き祓神鳴大神に恐み恐み白く。
神さま、神さま。どうしてですか。どうして僕などに神籠をお宿しになったのですか。
あなたのご判断は間違っておられる──。
偉大なる祖先神へ心中で恨み言を述べて、五十槻は顔を伏せた。
あれからずっと、正座で待機している。何時間経っただろうか。この部屋にはカーテンがなく、満月の夜天が窓越しに五十槻を覗き込んでいる。無遠慮な夜の眼差しの中で、五十槻はこらえていた。油断するとすぐに思い出してしまうのだ、第一中隊での日々を。
甲伍長の明るく元気な笑い声を。崩ヶ谷中尉の奥さん自慢を。
清澄さん、まだ怒ってるかな。僕の初めての女の子の友達。……友達になるまでに、色々あったけど。
獺越さんは、無事に中隊へ戻っただろうか。あだ名でずっと、呼んでくれていたんだ。僕のことを。うれしかったな。
父上、和緒さん。皐月姉さま、奈月姉さま。弓槻。さみしいよ。会いたいよ。
藤堂大尉。藤堂綜士郎大尉。任務延期の指示を破って、ごめんなさい。
でも僕は、もう第一中隊の所属ではなくなります。
もう、あなたの部下では──。
「泣くな!」
五十槻は自分の頬を張った。すでに今日何発も殴られた頬には、青い痣が広がっている。
それから慎重に呼吸する。ふとすると嗚咽に変わってしまいそうな息遣いを、必死で抑えて。
──泣くな泣くな。泣くのは男のすることじゃない。
歯を食いしばれ。泣くな泣くな。僕には涙腺なんて無いんだから。
けれど懸命に堪えれば堪えるほど、五十槻は思い出してしまう。
楽しく囲んだ食卓の記憶を。実家での家族とのふれあいを。第一中隊の楽しい雰囲気を。
背中を撫でてくれた、あの優しい温かさを。
五十槻は泣くな泣くなと繰り返しながら、窓の下の壁へ何度も頭を打ち付けた。
知らなければよかったと、自らに加える痛みの中で五十槻は悔いた。
最初から、神祇研という枠の内にいれば。外の世界なんて知らなければ。
こんなに辛くはなかったかもしれないのに。
誰にも迷惑をかけることなく、惑うことなく。
先生の指し示すままの、八朔の神籠でいられたかもしれないのに。
「何をやってるんだ?」
突然、部屋の明かりがともされた。入ってきたのは、楢井信吾だ。後ろに式哨らしき男たちを二人連れている。
「…………」
いきなりやってきた男たちに、五十槻は呆然としている。
五十槻は楢井のことをよく知らない。五十槻が神祇研へ住んでいるときには、いなかったはずの関係者だ。
「何か、御用でしょうか」
平静を取り繕い、五十槻は尋ねる。男たちは答えないまま、五十槻の周りを取り囲むようにしてしゃがみ込んだ。一様ににたにたした、粘度の高い笑みを浮かべている。
「あ、あの……」
「あーあ、可哀そうに。何回もぶん殴られて痣ができちまってるよ」
「ちょっと萎えるな」
無遠慮に顔へ触れようとする手から、五十槻は反射的に身を引いた。楢井が連れている男のうち一人は、手のひらへ赤くまだらに湿疹ができている。その手でもう一度五十槻へ触れようとしてくる。
「待て、お前は最後」
その男を制して、楢井は四角い顔の中の口角を持ち上げて笑った。
それから座っている五十槻の、下腹へ手を伸ばす。
「なにを……!」
「抑えてろ」
立ち上がりかける五十槻を、他の二人の男が押さえつける。楢井の手はすでに五十槻の下腹を撫でている。
「哀れだなあ。女としての仕事もしないうちに、ここの中身を無くすなんてな」
「やめてください」
五十槻は楢井の手から逃れるように、腰を後ろへ引きながら叫ぶ。
「先生! 香賀瀬先生!」
「呼んでも来ないのは知ってるだろう。博士はすでにご帰宅なされた」
言いながら楢井はふたりの男へ目配せする。五十槻を抑える男たちの手が、軍服ごしに少女の胸をまさぐった。五十槻は束縛を解こうと抵抗を試みる。けれど男二人がかりの拘束は、なかなか五十槻から離れない。
「こら、暴れんな! ちょっと楢井さん、神籠使っちゃだめなんですか?」
「さすがにこういう用途じゃ許可されなかったよ。あの人も、なんだかんだ神籠を神聖視してやがるからさ」
「おいおい、胸ぺたんこだな。顔以外は男じゃねえか」
「顔のほかは……ここがあるだろうが」
仲間の文句に応じながら、楢井は五十槻の股間をさわさわと撫でている。その手つきの気色悪さに、五十槻の背筋へ悪寒が走った。
五十槻は確信する。彼らは自分に対し、性的な行為を行おうとしている。以前から強制性交の恐れがある場合、相手を完膚なきまでに叩きのめしてよいと、五十槻は香賀瀬から教育されていた。小学生の時分に服を脱がされかけて抵抗したときも、この教えが念頭にあった。
──先生がいらっしゃらない以上、自分の力でなんとかしなくては。
五十槻は自分を掴む男の腕を取り、引きはがそうとした。のっぴきならない状況のとき、どうしてか途轍もない膂力が湧き上がることがある。今回もその気配があったけれど。
「おっと」
「ぐぅ!」
楢井が咄嗟に五十槻の首を掴んだ。そのまま締め上げられて、五十槻はせっかく掴んだ男の腕を離してしまう。
「知ってるよ。なんか時々、火事場の馬鹿力が出るんだってなお前さん。けどさすがに首を絞められたらそうもいかねえか、ははっ。なあおい、俺がこいつ抑えてるからよ、お前ら服脱がしてくれ」
「う……ぐっ……!」
苦悶で呻く中、五十槻の軍服の前がはだけられた。内に着たシャツのボタンを引きちぎるように開けつつ、男らの手指が無遠慮に五十槻の肌に触れている。
「喜べよ。女じゃなくなる前に、男を知れるんだから。香賀瀬博士の温情に感謝しな」
「せ……先生が?」
首を絞められながら、五十槻は息も絶え絶えに問う。楢井は五十槻の首元を抑えつつ、床へ少女を押し倒して嘲った。
「博士の指示なんだよ。お前を犯せってな。なるべく手酷く凌辱してやってくれだと」
「う、嘘だっ……!」
絞った喉で叫ぶ。先生がそんなことを指示するはずがない、と五十槻は楢井を睨みつけた。
いつもの先生の教えと矛盾している。香賀瀬は五十槻の女性性を、絶対に許さないのだから。
──香賀瀬先生が……僕が女性であることを肯定するようなことを、おっしゃるはずが。
けれど楢井はせせら笑う。
「育て方をぜんぶ間違えたんだとさ。こんなに反抗する子に育てた覚えはありません、ってわけだ。言うことを聞くように、なるべく酷いことをしてくれとさ」
「まちが……」
その瞬間、五十槻の身体から力が抜けた。
(先生。僕のすべてが──間違っていたというのですか)
僕は、あなたに与えられた枠組みの中でしか存在の価値を持たないのに。
その枠組み自体が、間違いだったというのですか。
「お、急に大人しくなった」
「楢井さん、辛抱たまんねえよ」
「だから梅毒持ちは一番最後だって」
五十槻のシャツはすでに前を開けられ、なだらかな胸郭を晒している。
楢井は五十槻の首から手指を外すと、せせら笑うような顔で少女の身体の上にまたがった。そのまま大柄な男の身体が、五十槻にのしかかってくる。おぞましさのあまり、五十槻は叫んだ。
「やだ、いやだっ!」
「くそっ、暴れるな! おい、もう一回首絞めろ!」
「大人しくしろって!」
再び五十槻の首が締め上げられる。手下に五十槻を拘束させて、楢井は今度は少女の下半身の着衣を剥ぎ取ろうとしている。必死で足をじたばたさせながら、五十槻は声にならない声でひたすら叫んだ。
助けて、助けて。
いやだ、僕は──。
誰か。
藤堂大尉!
神さま……!
そのとき。窓越しの夜の闇が取り巻く部屋の中に。
紫の閃光が爆ぜた。
続いてごぉん、と低く唸るような轟音。
五十槻が目を開くと、自分を押さえつけていた男たちの姿はない。部屋の電灯がバヂッと火花を散らし、事切れる。
起き上がって周囲を見渡す。三人の男たちが部屋のあちこちへ横たわっている。
ひくひく、と彼らの手足が痙攣している。死んではいない、ようだけれど。
五十槻は紫の瞳をわななかせた。慌てて右手を見る。神籠の力を籠める。
八朔の神籠は発動しない。神域は、張られていないはず。
──どうして。
自らの貞操が助かったことへの安堵よりも、戸惑いの方が強かった。
五十槻はふらつきながら立ち上がると、よろめいた駆け足で部屋を飛び出した。
無我夢中で走った。頭の中は真っ白だった。
たどりついたのは小さな物置だ。窓が一つだけついていて、普段使っていない資料や器具が乱雑に棚に納められ、部屋の隅へ押しやられている。
昔、幼い五十槻が叱られた後、閉じ込められていた場所だ。五十槻は窓から差し込む月光を避けるように、部屋の片隅へわだかまる、暗い影の中に身を潜める。
震える手でシャツと軍服のボタンを閉める。そのまま膝を抱えて、縮こまった。
──祓神鳴神さま。
──ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
僕は尊き神の神聖なお力を、自らの保身のために、人へ──。
香賀瀬先生。ごめんなさい。
楢井さんは先生の指示に従っただけなのに。僕は我知らず、彼へ神籠を使ってしまった。
藤堂大尉、ごめんなさい。
あなたが最も厭う行為を、僕は行ってしまいました。
ごめんなさい、ごめんなさい。
でも僕は怖かったのです。
許してください。
助けてください。
辛くて、苦しくて、たまらない。
誰か。どうか。




