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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
57/115

3-8


 門はやはり赤く、不気味に光を放っている。

 山中に忽然と現れた異物に、万都里は呆然と見入っていた。

 ふと、赤い円はひときわ強い輝きを放った。その直後、円形の内側から、どろりと黒い粘性の液体が大量に排出される。


「おいおいおい!」


 異様な状況に、思わず万都里は後じさった。しかし背後の男は一歩も引かないため、ただ万都里の背中に銃口が食い込むばかりである。

 言っている間に、黒い液体はずるずる這いずるように蠢くと、次々と分裂して固体を形成し始める。

 豺狼型、猩々型、蝦蟇型。黒い粘液から生み出されたのは、多数の禍隠である。櫻ヶ原のときと同様に、数は百体前後。

 しかし万都里以外の一行は落ち着いている。騒ぎ立てもしない。神祇研の職員四名が、常盤木を持って周囲に散開した。本職の式哨と同様の落ち着きと素早さで、神域が展開される。


「神域展開完了、神籠使用可!」


 その報告が上がるや、万都里の背後の男が、良く通る低い声を発した。


「動くな」


 ぴたり。にじり寄っていた禍隠たちが、一斉に動きを止める。そして微動だにしなくなる。


「便利な神籠だな」


 思わず万都里はふつうに感想を漏らしてしまった。甲精一の持つ神籠とは別種の便利さである。


「便利だが、いつもはどうやって禍隠を討伐するんだ? 動きを止めるだけかキサマ?」

「ふだんは動きを止めた後、共食いを命じている」

「ハッ、趣味の悪いことだ」

楢井(ならい)


 その呼び声に、言霊の男が香賀瀬の方を向く。どうやらこいつは楢井というらしい。


「さっそく調査を始める。八朔の神籠の巻き添えにならないよう、離れていてくれ」

「はっ」


 楢井はおそらく、神祇研付きの将校か何かだろう。禍隠からの護衛目的で、神祇研にも少数神籠が配備されていると、万都里は聞いたことがある。それよりも。


「お、おい! オレも身体が動かないんだが! 禍隠と一緒くたに神籠を使いやがったな、キサマ!」

「いいじゃないか獺越くん。特等席で見ていてくれたまえ」

「ふざけんな! 巻き添えがどうとか聞こえたぞいま!」


 直立不動で喚き散らす万都里の後ろから、小柄な軍装の人影が近づいてくる。五十槻だ。


「……獺越さんには、絶対に危害を加えません」

「ばか、オレはいいから、無理をするな!」

「巻き込んで、ごめんなさい」


 二人のやりとりは、五十槻が万都里の横を通り過ぎながらである。おそらく立ち止まって話をすると、香賀瀬に叱責されるのだろう。他の誰にも聞かれぬよう、会話は小声だった。

 そして五十槻が門の前へ立つ。周囲には百近い数の禍隠が、静止したままひしめいている。

 五十槻は一行の最前で門と向き合っている。懐から白獅子の面を取り出し、少年は蒼白な顔面へ装着した。周囲には静止した禍隠の大群。白獅子の面の奥から、紫の眼が舌なめずりするような視線で悪鬼の群れを撫ぜる。


「いいか、周囲の禍隠は攻撃するな。門だけに力を注げ」

「はい、先生」


 五十槻は禍隠から視線を外す。

 淡々と返答して五十槻は佩刀を抜刀した。少年の周囲へ、パリッと紫の稲妻が現れる。


「なるべく低出力からだ。いきなり破壊するな」

「はい、先生」


 白獅子の将校は刀を構えると、門へ切っ先を向けた。


──掛まくも(かしこ)祓神鳴大神フツカンナリノオオカミの大前に(かしこ)み恐み(もうさ)

  清浄(きよら)なる霹靂(かむとけ)あらわし 千早振(ちはやぶ)神寶(かんたから)剣刀(つるぎたち)()

  頑狂醜(くなたぶれしこ)禍隠(まがおに)()だす (こと)つ世の(かど)

  (ことごと)く砕き 祓い清めたまえ


 いつもより抑揚のない調子で祝詞を唱え、八朔の神籠が門へ紫電を放ち始める。

 刀の切っ先から微弱な稲妻が、断続的に赤い円へ向けて放たれる。

 それから五十槻は、香賀瀬の指示に従いつつ、徐々に出力を上げていく。


「ハッサク……」


 万都里の間近くで、八朔の雷は段々と強大な威力へ変わっていく。それに従い、五十槻の姿勢にもブレが生じていく。

 ピンと伸びていた背筋は、神籠使用の反動によりふらつき始めている。体調不良だけでなく先程の暴行も相まって、五十槻の身心は限界に近い。その状態で、万全の制御ができるはずもなく。


「うあッ!」


 どぉ、と閃光とともにひときわ大きな雷声が鳴った。衝撃に耐えきれなかったのか、自身の神籠に弾き飛ばされた五十槻が、万都里の横へ弾き飛ばされた。


「お、おい! 大丈夫か!」

「う……」


 思ったほど痛手ではなかったらしく、五十槻は呻きながらすぐに身を起こした。

 門はどうなったか。万都里と五十槻が門の方向へ顔を向ける。ちょうど五十槻が制御を失った瞬間に破壊の閾値に達したらしく、周囲の禍隠をいくらか巻き込んで門は消えていた。だが、まだ多数の禍隠が、静止した状態で残っている。

 つかつかと、香賀瀬が突然こちらへ歩み寄ってきた。紳士の顔には怒りの色が浮かんでいる。

 香賀瀬は五十槻を無理矢理立たせると、白獅子の面をはぎ取り、その頬を思いっきり平手で打った。パシン、と林間に乾いた音が響く。


「いきなり破壊するなと命じただろう!」

「はい、申し訳ありません。香賀瀬先生」

「くそっ、休眠状態にできるか確認したかったのに……」


 五十槻は香賀瀬へこわばった瞳を向け、謝罪している。隣でそれを見せられている万都里は、激怒どころの騒ぎではない。いったい何度、この胸糞悪い光景を見なければならないのだ。


「キサマふざけるなよ! ハッサクも、もうこんなやつの言うことなんか聞くな! その軍刀で小突いてやれ!」

「ったく、お前もいい加減騒がしいやつだな」


 再び楢井が近づいてきて、今度は正面から万都里へ拳銃を向けた。ちらりと見えた撃鉄は倒れているので、いますぐどうこうというわけではなさそうだ。楢井の手の内のものを馬鹿にしたように一瞥して、万都里は「撃ってみろよ」と挑発する。


「ハッ、やっぱり二十二年式短銃だな。正式採用されて日が浅い銃だ。なおかつ口径も従来品より小さく、官製の専用実包を装填しなければならない。銃、弾薬ともに、現状は陸軍内のごく一部でしか支給されていない代物だ」

「…………」

「神籠は軍人のくせに銃器に疎い奴が多いからな。もしかして新式の銃だからと、その辺よく考えずにウキウキで携行してたか? それでオレを殺したところで銃痕から簡単にアシがつくと思うが、まあそれでも良ければ撃ってみるがいい」

「口の減らない御曹司さまだな。うるさくてかなわん」

「悪いな、地味な神籠のせいで銃火器には人一倍うるさいんだ」


 嫌味たっぷりに言う青年に、楢井は「ふん」と鼻を鳴らして、拳銃を仕舞った。

 それから言霊の神籠は、取り上げていた万都里の愛銃をぽんと彼の足元へ放る。それを見下ろして、再び楢井へ視線を戻し、「なんのつもりだ」と万都里は問う。

 答えたのは香賀瀬だ。


「門が消滅した以上、我々がこの場へ留まる必要はもうない。獺越くん、巻き込んでおいて申し訳ないのだが……」


 厳格な面持ちに、冷酷な笑みが浮かぶ。


「色々と見られたくないものを、見られてしまったからね。きみにはここで禍隠のエサになってもらう」

「は!? 勝手に見せつけてきたのはキサマらだろうが!」

「銃で始末するのが手っ取り早いんだけど、たしかにきみの言う通りアシがつくしね。一番自然なのは、神籠らしく禍隠と戦って死んでもらうことだ。ちょうど、ここはきみのご実家ゆかりの地だというし。我々が安全圏へ退避した後、楢井に神籠を解かせよう。その地味な神籠でせいぜい華々しく、二階級特進を遂げてくれたまえ」


 だから銃を返したわけだ。

 周囲に残る禍隠は数十体はいる。万都里の弾薬盒(だんやくごう)に入っている手持ちの銃弾は、三十発前後だろうか。圧倒的不利の状況の中、これから単身放置されるわけだ。くそくらえ、と公爵家の御曹司は微動だにせぬ拳を握りしめる。


「香賀瀬先生!」


 五十槻が楢井と万都里の間へ割って入った。いまはもう、香賀瀬の操り人形のような状態ではない。ただ切羽詰まった様子で万都里のことを案じている。


「どうして獺越さんにこのような仕打ちをなさるのです!」

「…………」

「獺越さんをここへ残すと言うのなら、僕も残ります!」

「ハッサク……!」


 いま万都里をかばってくれているのは、いつもの、真顔だけれどお人好しの五十槻だ。けれど。

 香賀瀬が「楢井」と部下の神籠を呼ぶ。楢井は低い声で、五十槻へ命じる。


「動くな」

「……ッ!」


 動きを封じられても、紫の瞳はまっすぐに香賀瀬と楢井を見据えている。その態度へ、香賀瀬が「聞き分けがない」と冷たく一声発した。ゆったりと楢井が拳を振り上げる。「おいやめろ!」と万都里はとっさに叫んだが。

 動けない少年の腹部へ、大柄な軍人の渾身の拳が叩きつけられる。


「うぐっ……」


 しかし五十槻は耐えた。動けない体勢のまま少量の嘔吐をして、口元から胃液を軍服へ垂らしつつ、再び眼差しを香賀瀬へ向けた。薄紫の虹彩の中心にある瞳孔が収縮している。


「やれやれ、服を汚すなと言ったのに。楢井、指導が足りないようだ。失神させろ」

「はっ」


 楢井が再び、拳を振りかざした瞬間だった。周囲に、紫の閃光が爆ぜる。

 狂ったような雷鳴が鳴り響いた。雲霞山山中に発生した禍隠の一切へ、おびただしい雷霆が降り注ぐ。

 そして迅雷が()む。焦げ臭いにおいが周囲を満たしている。焼けているのは、禍隠の骸だけ。雲霞山を覆う雑木林は、何事もなかったかのように風にそよいでいる。


「…………」


 香賀瀬は忌々しげな目で、養い子同然の少年を見下ろしていた。五十槻もそんな彼を見上げている。異様に瞳孔の(すぼ)まりきった紫の(まなこ)で、うっすらと、悦ぶような微笑を浮かべながら──。


「その顔をやめろ!」

「ぐぅッ」


 反射的に香賀瀬は五十槻を殴り飛ばした。「ハッサク!」と悲痛な声を上げる万都里の視線の先で、五十槻はもんどりうって転げた後も、なおも香賀瀬へ顔を向けていた。まだ楢井の神籠が解けていないため、倒れた体勢のまま動けない。


「……香賀瀬先生。禍隠はすべて焼けて死にました」

「…………」

「獺越さんを解放してください。僕は、どんな折檻を受けても構いませんので」


 五十槻からすでに微笑は消えている。幼気(いたいけ)な顔に、殴打の痕と滴る鼻血。真顔の淡々とした命乞いに、香賀瀬は憤懣やるかたないように、長めの鼻息を漏らした。


「博士、獺越の神籠はいかようになさいます。こいつの手持ちの小銃で自害に見せかけますか」

「いや……一度身柄は確保しよう。腐っても公爵家獺越の次男だ、上の連中なら良い活用法を見いだせるかもしれない」


 上の連中? 万都里は五十槻を案じていた目線を上げ、香賀瀬を睨む。まだ黒幕がいるというのだろうか。

 おもむろに楢井が万都里へ近づいてきた。身じろぎすらできない万都里の足元から、やれやれと彼の愛銃を拾う。


「珍しい造りだな。銃床を鉄板で覆っているのか。涙ぐましい工夫だが、いまはちょうどいい」

「くそっ……!」


 それは、万都里の神籠を銃床にも機能させるための工夫であったが。

 楢井は銃身を握り、銃床を振り上げる。

 ガツッ、と万都里の後頭部へ衝撃が走った。強い痛みの中で万都里の意識は混濁し、急速に暗闇へ落ちていく。


「獺越さん!」


 最後に五十槻の悲痛な声が聞こえたところで、万都里は完全に意識を失った。

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