3-6
六
平日の昼下がり、伊房行きの汽車の車内は閑散としている。下りの路線らしい光景だ。伊房までは一時間ほどかかる。
「さ、いただきます」
香賀瀬の音頭で、三人は駅弁の蓋を開いた。彼のおごりの鯛めし弁当である。香賀瀬からただ飯を得ることに成功し、ちょっとだけ留飲のさがる万都里である。
「やあ、美味しそうだ」
スーツの紳士は厳格な面立ちをほころばせて、箸を取り、さっそく鯛めしを食している。
五十槻はというと、弁当を膝に乗せたまま静止している。香賀瀬が「食べなさい」と指示をくだしてようやく、箸を手に取った。
それから少年はただ無心で食事を口に運ぶ。箸遣いはどことなく事務的で、味わって食べている気配は皆無である。
四人掛けの席に、万都里、香賀瀬、五十槻が座っている。万都里と香賀瀬が窓際の席で向かい合わせに座り、五十槻はなぜか香賀瀬の隣に座らされている。席順にも納得のいかない万都里である。なぜいけ好かないおっさんと対面で座っているのだ、オレは。いや、横にずれたらいいだけか。
「おいハッサク」
窓際から通路側へささっと座り直し、万都里は弁当のおかずを五十槻へこれ見よがしに見せつけた。
「喜べ。からあげが入ってるぞ」
「…………」
「オレのもひとつやろうか?」
「結構です。ごちそうさまでした」
早々と食事を終え、五十槻は弁当ガラを手早く片付ける。本当に栄養補給以外の意味がまったく感じられない、殺風景な食事であった。
「獺越くんは、この子のことをハッサクと呼んでいるのかい?」
唐突に香賀瀬が話しかけてくる。ちょっと微笑ましそうにしながら、紳士は弁当の具を上品に箸でつまみつつ、万都里へちらりと視線を向けた。
「ふふ、五十槻がそんな愛称で呼ばれるとはね」
「愛称……だったのですか」
香賀瀬の一言に、五十槻が反応した。こちらへ向けてくる紫の瞳はこわばっておらず、ちょっとだけ人間味を宿している。
「僕はてっきり、獺越さんが八朔の読みをなかなか覚えてくれないのかと」
「そんなわけあるか、あだ名だあだ名! くそっ、前に清澄の小娘が言ってた通り、あだ名として認識されておらんではないか!」
「あだ名……」
膝に抱えた空の弁当の包みを見下ろす五十槻の面持ちは、ちょっと嬉しそうだ。また真顔の口角を、わずかに上げるだけの微笑をしている。その真顔なりの微笑に、あっ、と万都里が気付いたときだった。香賀瀬が即座に口を挟む。
「悪いが獺越くん。この子に対して妙な通称をつけないでくれるかな」
「は?」
「いや、微笑ましいとは思うんだがね……彼は誉ある八朔家の当代の神籠だ。それなりの礼節を弁えてもらいたい」
「はァ!?」
やはりこの香賀瀬はいちいち、万都里の癪に障ることを言う男である。
「何が誉ある八朔の神籠だ、オレだって誉ありまくりの獺越の当代の神籠だ! こいつと同格! いや、家格はそれ以上だ、文句あるか!」
「ははは、家柄まで持ち出して。大人げないなあ」
「おのれキサマ! 表へ出ろ!」
「走行中の汽車の場合、表ってどこなのかな。教えてくれるかい?」
「くそっ、絶対に仲良くなれないおっさんだな、あんた!」
弁当を食いながらわいわい喚く万都里に、香賀瀬は苦笑をこぼした。「おいハッサク、お前からもなんか言え!」と五十槻に鬱憤の代弁を要求する彼を横目で見つつ、紳士は静かにつぶやいた。
「まあ、別にきみと良好な関係を築くつもりなんて、毛頭ないんだけどね……」
香賀瀬の視線は、万都里を見遣った後に五十槻へ向かう。
五十槻は背筋をしっかり伸ばしたまま、大人しく座席に座っている。ただ、紫の瞳だけが寂しそうに俯いていた。
車窓の風景は、皇都の都会の景色から徐々に、田園風景へと流れていく。
── ── ── ── ── ──
「なんて体たらくだ第二中隊は!」
綜士郎は這う這うの体で激昂していた。疲労しつつも、苛立った足取りで歩いている。どぶ水に浸かった長靴から、濁った臭い水が滴っていた。
連隊本部にて、第二中隊の緊急の呼び出しに応じて数時間。
まさか逃げ惑う鼠型の禍隠の群れに翻弄された挙句、掃討までにこんなに時間がかかるなどとは予想してなかった。綜士郎が神籠で禍隠の場所を特定して伝えても、隊内の連携が取れず、神域外へ取り逃すことが何回もあった。
結局、逃した禍隠は暗渠内ですべて溺死しているのが確認された。散々追いかけたのに、なんともあっけない幕切れである。
それにしても、第二中隊は以前から応援要請の多い部隊ではあるが、やはり指揮系統に色々と問題があるのではないだろうか。
憤懣を抱えつつも綜士郎は、我が第一中隊を振り返ると他部隊のことは言えないな、と肩を落とす。自らの部隊にも、甲精一や獺越万都里、八朔五十槻といった皇都有数の問題児を抱えているからだ。
ひとまず第一中隊へ戻らなければならない。綜士郎は第二中隊の指揮官へ若干の改善点や苦言をお節介に伝えたあと、帰営のために街を歩き始めた。
(五十槻はちゃんと宿舎に帰って、飯を食って休んでいるだろうか)
今日一番の気がかりはそれである。最後に接した彼女は、尋常の精神状態ではなさそうだったから。
案じながら帰路を辿っているさなか。
「あら、藤堂さん?」
後方から柔らかい女の声に呼びかけられた。聞き覚えのある声である。そして声の主は、もう二度と会わぬつもりの相手であった。げっ、とあからさまに背後へ嫌そうな視線を投げかければ、こちらへ近づいてくるひとりの美女と目が合ってしまう。
暖かそうなコートの下に、黒い旗袍。手には分厚い書類用封筒を抱えている。清澄京華である。
「你好! 偶然ね藤堂さん。もうやだ、そんな蛇蝎でも見るような目で」
美女は朗らかに笑いながら、綜士郎の横へ並んで歩き始めた。綜士郎はげんなりと嘆息して言い放つ。
「……なんの用だ。生憎、俺は勤務時間中だ。婚活目的の女にかかずらってる暇はない」
「ああ、婚活やめたの、私」
京華の一言に綜士郎は「へえ」と少し感心の目を向ける。そんな彼へ、京華は続ける。
「ふふふ。誰かさんに、自分を粗末にするなって言われちゃったしね。今は就活してるの!」
「婚活の次は就活か……忙しい人だなあんた」
そもそも何目的の婚活だったのだ。綜士郎は疑問である。京華はどうにも、結婚よりも神籠の将校に近づきたがっているような節がある。そんな綜士郎の疑問へ答えるように、京華はおっとりした口調で語りだした。
「実はね。私、八洲で神籠の研究をしたくてこっちに帰ってきたの。でも、神籠研究の仕事ってなかなか間口が狭くて……だから神籠の方にお嫁入りして、夫を伝手に専門機関に売り込みをかけようかと思ってたのよねぇ」
「就職の伝手を得るための婚活だったのか……思い切りが良すぎるだろう」
なるほど、と綜士郎は思った。研究者になるために愛のない結婚をしようとしていた、というのは、かなり突飛な発想である。しかし、八洲では女性の研究者というのはほとんど皆無に等しい。財閥令嬢とはいえ、夢を叶えるために手段を選んではいられないのだろうと思うと、綜士郎はちょっと京華への態度を改めねばと思うのだった。
「ま、あんたも自分のやりたいことのために本気なんだな。少し見直したよ。やり方はどうかと思うけど」
「ふふふ、いい女でしょ? 結婚したくなった?」
「本当に婚活やめたんだよな?」
のんびりしているけれど、真意の見えない笑顔で京華は綜士郎を見上げている。青年はいかにも、「この女苦手だ」とでも言いたげな顔で視線を逸らした。
「ところで藤堂さん。ここで会ったのも何かの縁、ちょっとあなたの見解を聞きたいことがあってね」
言いながら京華は、持っている書類封筒を抱え直す。随分たくさんの書類が入っているようで、封筒はパンパンに膨れている。
「就活に当たって、太華から研究成果を持って帰ってきたんだけど……ぜひ現役の神籠の方のご意見を伺いたくて」
連れ立って歩きつつ、京華は現在、働き口を得るために官民様々な研究機関へ自身を売り込んでいると語った。太華の大学院はすでに卒業見込みの状況であり、卒業のための単位も足りているため、学舎へ出席する必要はないという。俺には遠い話だな、と綜士郎は少々羨ましい気持ちでそれを聞いている。
学歴こそ華々しいものの、やはり女性の研究者というのはなかなか採用されないらしい。京華は研究機関を現在まで三つ梯子したらしいが、すべて御健闘を祈られて終わっている。
「で、皇都内で目ぼしいところと言えば、残るは陸軍の神祇研究所だけ……」
「神祇研か……」
今日はやたらに神祇研の名を聞く日である。雲霞山の作戦に、五十槻の生い立ちに。綜士郎は神祇研所長の香賀瀬修司と知己であるため、京華のために紹介することもできなくはない。けれど、紹介したとしても。
「あんたは太華の大学院の卒業見込みだろう。陸軍が外国の大学、それも太華の学校を出た奴を採用するとは思えん」
「そうなのよね。八洲の世論がいま以上に外征へ傾いたら、まず侵攻先には太華の土地を狙うでしょうし。新聞でも仮想敵国扱いだわ」
八洲と太華の関係は若干冷え込んでいる。通商や資源の産地を巡って、年々諍いが多くなっているのだ。現状外交で双方抑え込んでいるものの、どちらかががしびれを切らす未来は想像に難くない。八洲国内での帝国主義思想の隆盛も、その後押しをしているようだった。太華も太華で、西洋列強の圧力に押されている状況だ。国威発揚のために一戦交える、という選択肢も考えられなくはない。
「私は嫌だわ。太華は住み慣れた第二の祖国。本当の祖国である八洲と、戦争になるなんて」
京華にしては珍しく、本心からの言葉のようだった。「俺もだ」と思わず綜士郎もこぼす。もちろんその同意の言葉も綜士郎の本心で、そんな彼へ、京華はにんまりと笑いながら問いかけた。
「いいのかしら、あなた軍人さんでしょう? 戦争が嫌だ、なんて言っちゃって」
「軍人といっても、俺たち神事兵は害獣駆除の専門部隊のようなものだ。外征が発生して実際に出征する連中に比べりゃ、のんきなもんだよ」
「……駆除するのが、害獣だけで済まばいいわね」
「あ?」
意味深なことを口にする京華へ視線を向けると、美女はいまの不穏な台詞が嘘のように、晴れやかな笑顔でこちらを見た。
「で、本題なんだけれど。あなたにぜひ感想を聞かせてほしい資料があるの。ここじゃなんだから、どこか喫茶店に入らない?」
「おい。さっき俺は勤務時間中だと言ったよな? 悪いが今日は急いで帰る用事があるんだ」
綜士郎は辟易した。なかなか胡散臭い女だが、話すとそこそこ面白い。けれどやはり胡散臭い。それに綜士郎は一刻も早く部隊に帰りたかった。五十槻がしっかり休んでいるか確認しなければ、綜士郎も今日は安穏とは眠れない。
しかし綜士郎はそうもいかなくなる。京華が口にした言葉のおかげで、彼は彼女と茶をしばくはめになる。
「明見、という姓を知っているかしら」
京華が口にしたのは、八洲では少し珍しい姓だ。さっきまで知り合い相手の気さくな眼差しだった綜士郎が、目つきを鋭くする。明見は、綜士郎の実父の姓である。
「あなたに神籠を宿らせた、香瀬高早神には、かつて神實の一族がいた。それが──明見氏」
京華は資料の詰まった封筒を掲げながら、試すような笑みでこちらを伺っている。
「ご自身の出自に関わるかもしれない話なんだけれど……ちょっと聞いてみたくない?」
── ── ── ── ── ──
五瀬県、大応連山。神代より八洲東北の大地にそびえる、雄大な山脈である。山には風の神が棲み、その神が山から年がら年中、大風を吹き下ろしてくると言われている。山には神の末裔と伝わる一族がおり、厳かに産土を祀って暮らしていた。
その神の名を香瀬高早神という。そしてその神實を、明見氏といった。
いつしか八洲には禍隠が現れるようになり、香瀬高早神も自らの神奈備を守るため、神實の明見一族へ神籠の力を授け、周辺の蒼生を守るために代々受け継がせしめた。
「太華側の史書に引用されているのは、そういう記述」
資料とやらを喫茶店のテーブルで示しながら、京華は知的な語り口で説明している。彼女がまとめたらしい資料は、八洲の言葉で記述されている。どうやら八洲の神──とりわけ神籠へ異能を顕す神格については、一通り調べ尽くしているらしい。香瀬高早神も、そのひと柱なのだという。
綜士郎はなおも胡散臭そうな眼差しを、卓上の資料へ注いでいた。
明見は、綜士郎の父の姓である。彼の父は名を明見欣治という。綜士郎が小学六年生のときに逐電したっきり、音信不通である。
綜士郎は京華に対し、明見が父の姓であることを明かしていない。だから彼女は綜士郎の血縁に「明見」という姓の者がいるとは知らないはずだ。けれど、彼女は以前に綜士郎が関わった十二年前の事件を突き止めている。そのことが京華の胡散臭さに拍車をかけていた。
「けれど、明見氏は神實ではなくなってしまった。当時の大皇からの罰によって」
淡々とした口調で、京華は続ける。
「この八洲に在るあらゆる神籠を統括する存在が、この国で最も尊い神籠である、代々の大皇陛下ね。神域とはすなわち、陛下の神籠の成せる御業。陛下が神聖なる領域を敷いてくださるおかげで、あなたたち神籠は神域の内に、それぞれの神格に応じた奇跡を起こすことができる」
八洲の正式名称は、八洲大皇国だ。その名の通り、この国で最も権威ある存在が大皇である。
そしてこの皇大御国で最上の神が、恒日天之久仁別大神である。皇統の始祖とされている神だ。一般には恒日大神と呼ばれている。
大皇の神籠は、「領域」を司る。
具体的に言うと、神域を展開するための常盤木が、大皇の神籠の産物である。大皇は自身の神籠を用い、常日頃、手ずから神域用の松葉の枝を清めている。大皇の手で清められたこういった常盤木は、八洲全国の神事兵科へ下賜される。禍隠出現時、その周囲を囲うように四方にこの常盤木を設置すると、その内がつまり──神域として機能する。
また、大皇は八洲の神籠を支配する存在として、罪を犯した神實や神依を罰する権限を有した。例えば、神聖な力である神籠を、禍隠以外──八洲の臣民へ向けた者などを。
「その明見って氏族は、つまりその大罪を犯したんだな」
京華の説明に割り込んで、綜士郎は京華の目を見て言った。美女は「そうね」と短く答える。
自分自身と父方の先祖が同じ罪を犯しているのかと思うと、綜士郎は気が重くなる。
「当時の大皇により、明見氏は断絶。代々の祝部は廃され、神籠を継ぎ得る血統の者は、残らず誅殺されたと伝えられている……」
「…………」
「……以上よ」
「急に終わるんだな」
突然終わった説明に、綜士郎はいかにも「何が言いたかったんだこの女?」という顔である。京華はちょっとぬるくなった珈琲を上品に一口飲むと、今度はほんのり好奇心のにじんだ口調で言った。
「でも、私思うのよ。断絶したはずの神實の末裔が、実はひっそりと存続していたらって。長い間、こっそり本来の姓を隠してね」
「…………」
「それで、偶然その末裔が神依として──神籠として目覚めたら、面白いと思わない?」
「何が言いたい」
京華の意図が段々掴めてきた。明見という姓で綜士郎の関心を寄せ、その氏族の来歴を語り、断絶したはずの一族の末裔が、神籠として目覚めるなどと。綜士郎からしてみれば、明見の末裔はお前だと、指をさして言われているようである。
綜士郎は京華の意見を待たずに反論する。
「大体、神實の華族のやつらは、祝部がいないと神籠の継承ができないんだろう? すでに断絶しているうえに、祝部を廃された家のやつが、どうやって神籠になるっていうんだ」
「祝部はあくまで、神籠になる条件を知っているだけよ」
一介の軍人と専門の研究者では、やはり知識の量に差があるようだ。京華は余裕の笑みで続ける。
「祝部は代々の大皇のもとから派遣される。祝部は各氏族の神籠の継承条件を把握しつつ、神實にはその条件を絶対に明かしてはならない。なぜならそれが、大皇による神籠の支配の一環だから」
話が脱線したわね、と美女は眼差しを珈琲へ向けながらその先を述べた。
「ともかく、祝部は各神實から神籠となり得る素質のある子孫を選出し、その氏族の本籍地……たとえば、八朔家なら百雷山ね。そういう祖先神ゆかりの地の神奈備で、一定の条件を満たした場を用意し神籠を宿らせる。これが祝部のやっていること。つまり、彼らの仕事は神籠の資格のある者を探して、継承の場を整えることだけ。別に彼らに特別、神へ訴えかける力や、神意を聴く力があるというわけではないわ」
つまり、神籠の継承に祝部は必須ではない。神奈備の内で条件さえ満たせば、神籠は宿る。ただその条件を祝部──ひいては大皇家に握られているため、現在の神實は独力で神籠の継承ができない、というだけのことだ。だから。
「偶然、断絶したはずの神實の末裔が故地の神奈備に迷い込んだとしても、継承の条件さえ満たせば、神籠になるということもあり得る、と」
「私、正直いまの八洲にいる神依の大半って、そういうことなんじゃないかと思うの」
京華はやはり、綜士郎もそうだと言いたいのだろうか。大応連山の神奈備へ連行されて、啓太たちを殺して神籠に目覚めた、あのときのことがそうだと。
深い思惟へ落ちている綜士郎へ、京華は不意に笑みを潜めて言った。
「それか……条件を知っている者が、あえて神籠の継承を仕組むこともあるかもね」
よくよく意味深なことを言う美女だ。仕組む、という言い方に、綜士郎の鷹の目がきつい眼差しを送る。
「……結局あんた、この話をどこへ着地させたいんだ? 仕組むってどういうことだ?」
「ふふ、ただの仮定の話。私はただ、滅びたはずの一族の末裔が、再び神籠に目覚めるなんて浪漫があるわ、って思ってるだけよ」
再び蠱惑的な笑みを浮かべて、京華は最後に尋ねた。
「ねえ、香瀬高早神の神籠の将校さん。あなたに実は、明見という姓の縁者がいたりしないかしら?」
「…………」
おどけるように問う京華をじろりと睨みつけて。綜士郎はふと、思い浮かべた。自分と瓜二つの面立ちをした、大嫌いな父親の顔を。
「いないな、そんなやつ」
「あら、そう」
あっさりと綜士郎の返答を受け取って、京華は資料を数枚まとめると、彼の手元へ押し付けた。
「もし、興味があれば読んでみて。香瀬高早神の文献をまとめたものだから」
「えぇ……」
「もう、あからさまに嫌な顔しないでよ。あなた、考えてることがよく顔に出るって言われない?」
そう言って可笑しそうに京華はひと笑いすると、コートを抱えつつ席を立つ。
「それじゃ、私はもう行くわ。これからダメ元で神祇研にでも行ってみる。お付き合いありがとうね、藤堂さん」
「まったく、あんたの胡散臭さが増しただけの時間だったな!」
大体、就活のために意見がほしいという名目ではなかったのか。京華は就職に役立つような意見は一切求めぬまま、自分の分の珈琲の会計をして店を去っていった。綜士郎は一緒に店を出てさらに付き合わされたくないので、もう少しだけ店内にいることにした。五十槻のことも、まあ気になるけれど。
手持無沙汰に、綜士郎は京華が残した資料を手に取った。なんだかんだ、綜士郎は文章を読むのが好きである。香瀬高早神のことは嫌っているが、ざっと目を通してみるとなかなか興味深いものだ。
「おっと」
不意に、資料の間に挟まっていた紙切れがひらりと床へ落ちていく。なんだこりゃ、と綜士郎は拾い上げて確かめた。
一枚の領収書である。ただ、ものすごく古いものだ。発行年は雲照十二年──いまから十二年前のもの。あの忌まわしい事件より、少し前の日付だ。
領収書の宛名を見た瞬間、綜士郎は目を疑った。明見欣治殿、とある。綜士郎の父の名だ。記載してある金額はかなり多額である。それこそ、車一台買えるくらいの。
「なんだこれ……」
ずくずくと、妙な動悸が全身を駆け巡っている。京華のくれた資料にこんなものが紛れているのは不可解であるが、もっと不可解なのは、領収書の発行元だ。
──陸軍神祇研究所。
但し書きには、「情報提供料」とある。




