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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
54/116

3-5


「息災そうで良かったよ、五十槻。変わりないか?」

「はい、お陰様で」


 万都里は五十槻と紳士の会話を、横で胡乱な顔をしつつ聞いている。五十槻はふだんからぴしっと伸ばしている背筋をさらに正し、実に改まった様子で応答している。

 香賀瀬先生と呼ばれた紳士は、五十槻の隣で横柄な態度を晒している青年にも笑みを向けた。


「おや、こちらは同隊の御同輩かい?」

「ええ、この方は……」

「士官学校同期の獺越万都里少尉だ。失礼だが、貴殿は?」


 万都里の尊大な口調を気に留める風もなく、紳士はやはり余裕ある微笑で自己紹介を行う。


「これはこれは、先に名乗らずに失敬を。私は香賀瀬修司。陸軍神祇研究所にて所長を務めている者だ。お初にお目にかかるね、獺越家の神籠の御曹司殿」


 神祇研。その名称を聞いた途端、万都里は臆面もなく渋い顔をした。万都里は神祇研が嫌いである。なぜならば、第三中隊所属時、神籠の調査に現れた神祇研職員から「獺越の神籠クソ地味すぎ、調査する意味なし」という趣旨の悪口……もとい評価を受けたことがあるからだ。それ以降万都里は神祇研へ反感を抱き続けている。

 それはともかくとして。万都里が気になったのは、香賀瀬という姓である。


「香賀瀬……というと、神實の香賀瀬家のご出身か」

「はは、いかにも。私は多津河淵深水神タツガフチミミズノカミを奉る香賀瀬の家の者だ。当代の神籠は私の弟で、いまは西部方面にて神事兵を務めているよ」

「ふむ……」


 それにしても、五十槻とその神祇研の所長が知己なのは、どういった故あってのことだろうか。万都里は香賀瀬から視線を外すと、五十槻へつっけんどんに尋ねた。


「おいハッサク。どういう知り合いだ」

「獺越少尉。香賀瀬先生は、自分が幼き時より薫陶を賜っていた方です」

「五十槻、その言い方では、彼にはなんのことか分からないだろう」


 苦笑しながら香賀瀬が説明を引き継ぐ。


「五十槻くんは三歳頃から士官学校に入るまでは、わけあって神祇研で面倒を見ていたんだ。私が親代わりのようなものを務めていてね」

「……神祇研で?」


 三歳から、ということは小中学校のときも神祇研から通っていた、ということだろうか。


「お前、神祇研から小学校に通ってたのか?」

「はい。ご存じありませんでしたか」

「初耳だぞ」


 万都里はてっきり実家から通っているものだと思っていた。けれど、小学校の頃は万都里と五十槻は、学年もクラスも違っている。幼き日の二人が接触したのは、かの獺越万都里返り討ち事件の一度きりだ。だから万都里が知らなかったのも、無理もないことで。


「それより五十槻。ここにいるということは、いまから伊房の雲霞山へ向かうつもりかい?」


 ふと、香賀瀬が話題を変える。上品な顔に、少しわくわくしたような気配を忍ばせている。


「いや、偶然だなぁ。私も先程知らせを受けて、これから向かうところなんだ。櫻ヶ原のときは、五十槻に先を越されてしまったからね。今回はしっかりと調査ができそうだ。そうだ、良かったら」


 神祇研の所長は、渡りに船とばかりに言い出した。


「五十槻も一緒に行こう。どうせ向こうで合流するんだ、構わないだろう?」

「しかし……」

「悪いが所長さん」


 言い淀む五十槻の代わりに、万都里がしゃしゃり出る。なんとなく、香賀瀬から有無を言わせない雰囲気を感じたからだ。


「オレたち第一中隊の神籠の出立は延期だ。勝手に予定を変えるわけにはいかん」

「延期……それはまた、どうして」

「こいつが体調不良なんだ」


 育ての親のくせに見て分かんねえのかよ、と苛立ちながら、万都里は五十槻の軍帽の脳天をぽんぽん叩いて告げる。五十槻の顔色は、連隊本部へいたときよりもずいぶん悪くなっている。いまや一目で見て分かるほどだ。

 香賀瀬は五十槻へ目線を合わせると、「そうなのか、五十槻?」と優しげな声で問いかける。

 五十槻は瞳を硬直させて答えた。


「……いえ、大丈夫です。体調に問題はありません」

「本人はこう言っているよ、獺越くん」

「あんた、ちゃんとこいつの顔見て言ってるか? 誰がどう考えても真っ青な顔してやがるだろうが!」

「ふむ、困ったな。てっきり明日には、現場に八朔の神籠がいるものと思っていたからな……」


 香賀瀬はあごに指を当てて思案する様子を見せた後、思いついたように同期二人へ切り出した。


「よし、じゃあこうしよう。五十槻にはやはり、今から私に同行してもらう。現地で休息を取り、体調が回復次第、雲霞山にて門の調査、及び破壊に加わってもらう。禍隠を大量に発生させるような代物をあまり長い間放置しておくのも、考え物だからね」

「おい……」


 香賀瀬の提案に、万都里は終始訝しげな面持ちを隠さずにいる。五十槻の蒼白な顔面に気付かぬような者が、彼の体調を果たして的確に把握し、慮れるものだろうか。大体、現時点でもあからさまに体調が悪そうな五十槻に対し、配慮がない。やたらと調査を急いているような気配もあるし、なんとなく信用できないように万都里は感じる。

 当の五十槻は、終始直立不動のまま微動だにしない。この男が現れてから、ずっと。


「ばかばかしい、あんたに何の権限がある。こいつは軍人で、軍営で療養せよとの命が上から出ている。軍人に命令を破らせようとするな」

「その理屈で言えば私も軍属だ。幸い、神祇研所長の立場は色々と融通が利くんだよ。連隊よりもさらに上部の組織へ、彼の扱いを打診することもやぶさかではない。荒瀬連隊長よりも上から許可が出れば、問題ないだろう?」

「屁理屈を……」


 万都里は沈思した。たしかに香賀瀬の言う通り、連隊上部組織である師団幹部級から許可が出れば、五十槻は規則的には問題なく雲霞山へ向かうことができるかもしれない。コネ自慢も腹の立つところではあるが、しかしあくまで万都里が気にしているのは、五十槻の体調だ。

 青年は「それでもオレは反対だ」ときっぱりとした口調で言う。

 納得しない万都里に、香賀瀬は彼とのやりとりをいったん切ると、五十槻へ視線を向けた。


「……それじゃあ、どうするかは彼本人に決めてもらおう。どうだ、五十槻。今から雲霞山へ行くのと、第一中隊で休養を取るのとでは、どちらがいいんだ?」


 そう言いながら覗き込んでくる香賀瀬の視線を受け止めて。五十槻は即答した。淡々とした口調である。


「雲霞山へ参ります。身命を賭して皇国の蒼生(あおひとくさ)を守ることが、自分の使命ですので」

「……だそうだよ、獺越くん?」


 まるでそう言わせているかのようである。なにもかも気に食わない。

 いっそハッサクを抱えて逃げるか、とも思ったが、当の五十槻はやはり直立不動で、梃子でも動かぬような気配を醸している。下手に触れるとまた岩石落としを食らうかもしれない。

 万都里はため息を吐き、「分かった」とげんなり呟いた。それから意を決して告げる。


「ならばオレも連れていけ」


 自身の同行を条件とし、万都里は自らを現地へ伴うことへの、一応の利点を述べた。


「もともと雲霞山へは、オレもこいつに帯同する予定だ。そもそもあの山は我が獺越の所有地、獺越本家の者がいれば様々な面で便宜が図れるだろう。それにオレはある程度現地に土地勘もある。あんたの調査とやらにも利のあることだと思うが」

「ははは。心配性の御同輩に恵まれたな、五十槻」

「本当は連れ帰りたいところだけどな、オレは!」


 一笑に付す香賀瀬へ苛立ちも露わに言いながら、青年は五十槻をちらりと見た。やっぱり土気色の顔色で、それでも懸命に背筋をまっすぐに保とうとしている。よっぽど尊敬しているのか、それとも、恐れているのか。

 そして香賀瀬は万都里の同行へ、「いいだろう」と了解の意を示した。

 交渉を終え、ため息を吐いて。万都里は自身と五十槻の身の振り方が決まったところで、所属部隊へ連絡を入れるべきだと思い立った。


「それじゃあ香賀瀬博士、せめて駅近くの式哨から中隊に連絡を取らせてくれ」

「残念だが、まもなく発車時間だ。すまないが向こうに着いてからにしてくれないか」


 香賀瀬は丁寧な口調でそっけなく言うと、五十槻を伴ってさっさと歩き始める。上品な出で立ちと仕草のくせに、強引な男である。

 チッ、とこれ見よがしに舌打ちをしつつ、銃を背負い直して万都里もその後を追う。


「クソッ、伊房に着いたらいの一番に式哨に報告させてもらうぞ! オレらの中隊長はこのチビに対して、やたら過保護だからな!」

「心配しなくとも、私からも口添えをしておくよ。第一中隊の隊長は、藤堂綜士郎大尉だろう?」

「けっ、神事兵全般と不仲のくせに……神祇研め。あとな!」


 万都里は香賀瀬の早足にずかずか追いつきながら、口うるさく喚いた。


「こいつ腹減らしてっから! 歩廊(ホーム)で駅弁かなんか買ってやれ!」

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