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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
51/116

3-2


「何やってんだ、あいつら……」


 連隊長室の扉から垣間見ながら、綜士郎は困惑している。

 廊下で騒ぐ声が聞こえたので何かと思えば、五十槻と万都里が何やら揉めている。綜士郎が介入する隙も無く五十槻が早々に謝罪し、医務室の方面へ去って行った。

 残された万都里は何やら呆然としているようだったが、彼の様子がおかしいのはいつものことである。綜士郎は扉を閉めると、改めて荒瀬中佐へ向き直った。


「大丈夫? 二人なんか揉めてた?」

「あー、ほっといても大丈夫そうです」


 そう、と綜士郎の報告へ薄い反応で返して、荒瀬中佐は少々案じるような面持ちになる。


「八朔くん、たしかに顔色悪かったけど、やっぱり体調良くない? 作戦延期する?」

「それは……御庄軍医少佐のご判断にお任せする、としか」

「まったく、厄介なものだ。門を破壊できるのは八朔家の神籠だけときた。八百万も神様がいるのにね、わが国には」

「……以前から思っていたのですが」


 綜士郎には疑問があった。櫻ヶ原地下でのカシラの発言から、門や羅睺(らごう)という存在が明るみになった。禍隠の勢力が八朔の神籠をいやに意識しているのも、実際に相対した五十槻の証言から分かったことだ。

 けれど、羅睺の門を破壊できるのは、祓神鳴神(フツカンナリノカミ)の神籠だけ。その話はいったいどこからもたらされたものだろうか。


「荒瀬中佐。あなたをはじめとする連隊上層部は、以前より門の存在をご存じだったのでは?」

「ふぅむ……」


 中佐は少しだけ考えるそぶりを見せる。それから綜士郎の問いに対してしっかりと首肯した。


「そうだよ。門の発見は十五、六年ほど前にさかのぼる。当時陸軍省は大騒ぎだった、禍隠が湧いて出る奇妙な構造物が見つかったんだから」

「八朔の神籠でしか門は破壊できない、とおっしゃいますが、その根拠は?」

「当時色々実験したんだよ。唯一破壊にまで至ったのが、当時大尉だった八朔達樹中佐の扱う、祓神鳴神(フツカンナリノカミ)の神籠だった」

「……一般に公表されていないのは、混乱を避けるためですか」

「その通り。社会に混乱をきたしかねないし、世論がどう転ぶか分からないからね」

「…………」


 しばらく考えてから、綜士郎は鷹のような鋭い目を中佐へ向けた。

 八朔の神籠でしか破壊できない、禍隠の巣窟のような物体『門』。綜士郎はよく知らないが、皇都雷神と謳われた先代の八朔家神籠は、十年ほど前に戦死したらしい。そしてその跡を継いだのが──まだ幼かった八朔五十槻だ。


「八朔少尉があの若年で、かつ本来の性別を隠して軍属になったのは、門の破壊に必要だったから。そういうことですか」

「半分正解かな。羅睺蝕(らごうしょく)、という言葉を覚えているかい。藤堂くん」


 いつもの飄々とした雰囲気を潜めさせ、荒瀬中佐は至極真剣な面持ちになる。

 羅睺蝕。こちらは甲精一の報告にあった言葉だ。数百年前に起きた、と櫻ヶ原のカシラは言っていたらしいが、具体的にどういうものかはまったく語られなかったという。よく分かんなかった! と元気に報告してきたキツネの顔を思い出しながら、綜士郎は続きを聞く。


「羅睺蝕はね、簡単に言えば禍隠の大量発生だよ」

「はぁ……?」

「数百年に一度、特殊な星の巡りが八洲へもたらす大災厄。それが羅睺蝕。歴史の授業で功栄(こうえい)の大飢饉って習った?」

「ええ、まあ……」


 功栄の大飢饉は、八洲史上最も過酷な飢饉と伝わる歴史的事件である。四百年ほど前の話だ。記録的な冷夏で作物が実らず、また蝗害も起こり餓死が急増。あちこちに死体が積み上がるような有様だったと伝わる。当然治安も悪化の一途をたどり、大皇(おおきみ)家の権威もあわや失墜するところだったらしい。


「あれが実は羅睺蝕だったのでは、というのが最近の神祇研の見解だね。つまり門とは、禍隠の元々の居所である羅睺と、この八洲をつなぐ出入口のようなもの。それが数百年に一度、とある天文の条件を満たした際に、その出入口が特段に活性化して、羅睺から大量の禍隠が流入する現象……これが羅睺蝕だ」


 中佐はそこで煙管を吸う。


「いま、八洲に出現する禍隠の大半は、功栄の羅睺蝕で現れたもの達の残党だと言われている。数百年前に現れたものが現在でも猛威をふるうほど、多数の害獣が解き放たれたわけだ」

「…………」

「それでね。大問題なのが──その羅睺蝕が、今後十年以内に起きる可能性がものすごく高い。十年後に起きるかもしれないし、もしかしたら明日起きてもおかしくはない」


 綜士郎は大きく嘆息した。五十槻が十五歳で将校に仕立て上げられるわけである。


「つまり、門を予め破壊して、羅睺蝕の際に出現する禍隠の数を極力減らしたい、と」

「そ。大正解」

「そのために八朔の神籠が必要なんですね、たとえ子どもであっても……」

「……国の大事と一人の子どもを天秤にかけて、国の方を取ったんだよ、我々は」


 窓の方へ視線を向けながら、荒瀬中佐は煙を吐いている。やっぱり綜士郎には納得できない話だが、やるせないことに、荒瀬中佐が言う国の都合にも理解はできてしまう。現状門を破壊できるのが八洲に八朔五十槻ひとりだけ、さらに蝕も早期に発生する可能性を排除できないとなると、早めに軍属の神籠として禍隠討伐の経験を積んでおく、というのは分からないでもない。


「本当に、他の神籠ではどうにもならないものですか。あいつの負担が大きすぎる。櫻ヶ原でもひとりで対応させた挙句、大怪我させてしまったんですよ、俺たちは」

「門は物理的な構造物ではなく、電磁気学的な存在らしい。異界と我々の世界をつなぐ、空間の歪みなんだと。唯一どうにかできるのが超高電圧による放電現象だそうだ。そんな能力、該当するのは祓神鳴神(フツカンナリノカミ)の神籠くらいだよ」


 実は八洲には、八朔家以外にも雷の神籠を持つ神實、神依は少数存在する。けれど最も強力な威力を持つのが、八朔家が奉じる祓神鳴神(フツカンナリノカミ)の神籠だった。他の雷系統の神籠は、祓神鳴神の力に遠く及ばない。その事実を把握している綜士郎は、歯がゆいけれどそれ以上五十槻に関しては何も言えなくなる。


「……それにしても、十年内にそんな大災害が起きるかもしれないのに、一般市民はおろか、神事兵の尉官以下にも知らされていないんですね」

「混乱が生じるだろうしね。周辺諸国に隙を見せるわけにもいかんし」

「外征の機運の高まり……か。羅睺蝕なんてものが控えている以上、外国攻めてる場合じゃないと思いますがね、俺は」

「ほんとそれ」


 現政権樹立後十数年、八洲大皇国は国力を蓄え、海外へ版図を広げる意志を強めつつある。当然諸外国には警戒されている。神事兵は所詮国内の害獣駆除専門部隊なので、蚊帳の外ではあるのだが。

 綜士郎のぼやきへ軽く返した後、荒瀬中佐は少し考えこむそぶりをしている。それにしても、今日の中佐は結構ざっくばらんに色々と話してくれるものだ。いつもはにこにこしながら肝心なことは何も喋らない、秘密主義者のくせに。


「藤堂くん。雲霞山の件だがね」


 少し間を置いて、中佐は窓の外へ視線をやりながら口を開いた。話題はまた違う方面へ向かう。


「おそらく現地で、神祇研の職員と鉢合わせるだろう」

「神祇研と?」

「たぶん、門の調査に現れると思うんだよ。櫻ヶ原のときは彼らの到着前に、門が破壊されてしまったからね。恨みに思われているようだ」

「相変わらず、神祇研と我らが連隊は仲が悪いようで」


 綜士郎は皮肉を吐く。彼の嫌味の通り、第一師団麾下神事兵連隊と、陸軍神祇研究所は反目しあっている。というか、八洲全土における神事兵という兵科全体が、神祇研という機関を快く思っていなかった。そもそも神祇研は陸軍省直下の組織であり、神事兵科とは別系統の研究機関である。神事兵科所属の神籠は神祇研と従属関係にないものの、研究目的という名目で、日頃から様々な無理難題を押し付けられることが多かった。

 一昨年、第一中隊にも神祇研から依頼があり、禍隠を生け捕りにするという度し難い任務を強要されたことがある。その際は精一が苦心の挙句、植物を操る神籠で狂暴な禍隠を拘束したものの、引き渡し時の職員の対応は非常に冷淡であった。「あいつらきらい!」とキツネが喚いていたのを、綜士郎も昨日のことのように覚えている。

 綜士郎は神祇研の所長である香賀瀬修司へ、個人的に恩義を感じている。だから神祇研のことを悪く言われるのはあまり気分のいい話ではないが、実際に先のような職員の横暴に接したこともあるため、複雑な胸中だ。


「そういうわけで、彼らが居合わせたら、とりあえず門の調査はさせてやってほしい。なんだかんだ、彼らの研究のおかげで禍隠という存在が解き明かされている面もあるからね。門の破壊は、彼らの調査が終わってからだ」

「禍隠出現時には職員の護衛も、ということですか」

「もちろんだ。ま、危険地帯へ調査に来るぐらいだ、自前で護衛の神籠くらい連れて来るとは思うがね」


 数は少ないものの、神祇研に所属する神籠も数名いるらしい。研究内容が内容だけに、禍隠と接する機会も多く、職員の安全を確保する目的で配備されているそうだ。

 ここまでの荒瀬中佐の指示は、理解の範疇である。神祇研の研究者が現場に来訪したら、安全を確保しつつ遠慮なく調査をさせる。危険時には護衛を行い、職員の調査完了を待ってから門の破壊を行う。

 けれども続く内容は不可解な指示だった。


「……藤堂くん。なるべく八朔くんがひとりで神祇研の職員らと接することのないよう、気を配ってくれたまえ」

「それは……どういうことですか?」

「もし彼らが八朔くんを無理矢理連行しようとしたら、多少けが人が出てもいい。絶対に止めてくれ」

「は? ほんとにどういう……」

「実はだね……櫻ヶ原の件の後からずっと、神祇研に八朔くんの身柄を引き渡すよう要求され続けている」

「はぁ?」

「本当は士官学校卒業後に神祇研の所属になるところを、無理矢理うちの連隊麾下に引っ張ってきちゃったからねぇ」


 綜士郎はいかにも「何言ってんだこのおっさん」という顔である。五十槻の人事にそんな裏事情があるなんて、初耳だ。荒瀬中佐は当時を思い出すかのように、やれやれとまだ語っている。


「八朔くん、西部方面の師団とも取り合いになって、ほんと大変だったんだから。まあ西部の師団はいい、純粋にあの子の能力を買って手を挙げたわけだから」

「神祇研は違うと?」

「そうだ」


 荒瀬中佐にしては珍しく、真面目な顔での言いきりだ。


「あの子はね、十二歳まで神祇研に住んでいたんだよ」

「えっ……」


 明かされたのは意外な事実だった。そういえば綜士郎は、五十槻から彼女の幼少期の話をあまり聞いたことがない。一度食事の席でそれとなく尋ねてみたときに、勉学や鍛錬に励んでいた、という当たり障りのない内容を言っていた記憶はある。言われてみれば五十槻は香賀瀬所長と知己であるらしいし、神祇研で幼少期を過ごしていたとすると有り得る人間関係だ。

 けれど納得できないのは、彼女の人となりの仕上がりっぷりである。

 八朔五十槻は常に一定の真顔を保ち、年相応の喜怒哀楽を見せない神色自若っぷりが特徴だ。極端な食事制限を受けており、身体の特徴はほぼ少年に寄っている。士官するまでは、肉親と会う機会もほとんど与えられなかったようだ。また偏った教育を受けたためか、自らの生命に執着がなく、禍隠との戦いで命を落とすことを所望している節がある。

 明らかにまっとうな生育課程を経ていない、そんな八朔五十槻という人物を作り上げたのが──陸軍神祇研究所。中佐はそう示したいのだろう。


「たぶん、幼い頃の話を八朔くん本人からは聞いたことはないだろう。聞いてみたとして、彼女も当たり障りのないことしか言わないだろうからね」

「……俺にはにわかには信じられません。神祇研の所長、香賀瀬博士は俺の恩人です。とても彼があいつの養育に関わったとは……」

「ああ、大応連山の事件で会ってるんだっけ、きみと香賀瀬博士は」


 荒瀬中佐は綜士郎の来歴を把握している。無論、大応連山での事件の後、綜士郎が香賀瀬修司と接触したことも。中佐はそれ以上香賀瀬には触れず、綜士郎へさらなる忠告を述べる。


「いいかい、藤堂くん。神祇研付きの神籠の中に、楢井(ならい)信吾(しんご)がいる。確か、顔と名前、神籠の特徴は知っているだろう?」

「ええ、存じていますが」


 楢井信吾は元憲兵隊の対神籠制圧担当の将校だったはずだ。綜士郎は過去に一度、合同の訓練か何かで顔を合わせた覚えがある。彼の神籠の異能を思い出して、綜士郎は顔をしかめる。


「……まさか中佐。八朔少尉を確保するために、神祇研側が神籠を使用するとでも?」

「その危惧があるから、きみと獺越くんに同行してもらうんだよ。きみの神籠なら、楢井に対応できるでしょ?」

「それは……できなくはないですが」


 荒瀬中佐の見立てに、綜士郎は困惑しか感じない。対人への神籠の使用は勅令で厳重に禁じられている。とはいえ綜士郎自身は以前に二度、禁を破ったことがあるが。大応連山の事件と、八朔少尉切腹未遂事件と。

 ともかく、先方が勅令を犯す可能性まで示唆されるのは、穏やかではない話だ。


「……獺越の起用も、白兵戦を見越してのことですか。そこまでの危険を冒すくらいなら、神祇研の調査後に門の破壊を行えばよいのでは?」

「神祇研の調査が終わるのを待ってもいいんだけど、門が禍隠を大量に吐き出す性質を持っている以上、放置するわけにはいかないからねえ。師団長も極力対応を急ぐようにと仰せだ。ま、相手方も藤堂くんの神籠は知ってるだろうし、きみが睨みをきかせてれば何もしてこないと思うよ」

「はぁ、まさか神祇研と反目しあうどころか、敵対の可能性があり得るとは……」

「ともかくだ。八朔五十槻くんは絶対に神祇研へ引き渡してはならない。あそこにあの子の幸福はない」


 断言して、中佐は話を締めくくった。勝手に締めくくられても、綜士郎の胸裏には山ほど疑問が去来している。


 なぜ五十槻は神祇研で幼少期を過ごしていたのか。

 どうして神祇研は現在の五十槻の身柄を欲しがっているのか。門に関係してのことなのか。

 香賀瀬博士と五十槻との関わりは、どのようなものだったのか。

 それで荒瀬のおっさんは結局どういう立ち位置なんだ。


 いくつもの納得できない疑問を、綜士郎はぐっと胸の内に押し込める。きっとこれ以上は何も教えてくれない雰囲気だ。


「……それにしても、今日は色々と重要なことをお話ししてくださるんですね、中佐」

「うーん。ま、気分かな。いまの話、全部機密扱いだからね。よろしく頼むよ」

「気分で機密情報掴ませないでくださいよ」


 綜士郎は呆れのため息をひとつして、「了解」と短く敬礼を行い、踵を返した。

 ばたん、と閉ざされる連隊長室の扉を見つめながら。去って行った綜士郎へ語り掛けるかのように、荒瀬中佐はぽつりとつぶやいた。


「……連隊(ぼくら)が神祇研から奪い取った士官は、八朔くんだけじゃない。きみもだよ、藤堂くん」

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