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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
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3-1 雲霞山


「大変申し訳ございませんが、自分にはこの任務を遂行することができません」


 四馬神(しめがみ)の神事兵連隊本部、連隊長室にて。五十槻は真摯に頭を下げている。隣の藤堂大尉が止めなければ、平伏しているところだ。

 五十槻は荒瀬連隊長の前で、藤堂綜士郎嫁取り作戦からの撤退を表明している。

 そんな五十槻を紫檀の机から眺めて、荒瀬中佐はふふふと楽しそうに笑った。


「あちゃー、八朔くんでもダメだったか! 残念残念」

「身命を賭すと申し上げた手前、本来ならば腹を切ってお詫び申し上げるところ、藤堂大尉より自決を厳重に禁じられております。割腹できぬこと、何卒ご容赦を」

「う、うん……その命令はちゃんと守ってね、一生。自決ダメ絶対」


 全身全霊すぎる謝罪を戸惑い気味に受け止めて、中佐は五十槻の隣へ立つ綜士郎へ視線を動かした。やっぱりこの結婚したくない大尉は、終始腹が立って仕方がないという面持ちをしている。


「やれやれ。藤堂くんにも困ったものだね。そんなに結婚するのいや?」

「何度も言わせないでください。大体八朔少尉まで巻き込んで……中佐は冗談のつもりで命令なされたのでしょうが、こいつは真剣そのものでしたよ。郷里からうちの親まで呼びつけるし」

「ははは、そりゃ参るね!」

「笑いごとじゃなくてですね!」


 ぷんぷこ怒る綜士郎に構わず、荒瀬中佐はいつのも手順で煙管に火をつけて吸う。


「ま、いまのところは勘弁してやるかぁ。ほとぼりが冷めた頃にまた仕掛けるからね、よろしく」

「絶対に応じませんがね! まったく、大体俺に結婚させて神籠の子どもが生まれたとして、戦力になるのはだいぶ先でしょうに」

「しょうがないじゃない、禍隠は八洲国の開闢以降、現在にいたるまで災いをもたらし続ける害悪だ。対抗戦力である神籠が貴重である以上、数世代単位で戦力の拡充を考えていかないとね」

「で」


 三人の会話へ、不意に四人目の声が混じる。さきほどから室内後方で不機嫌そうにしているのは、獺越万都里少尉である。本日連隊本部へ呼び出されたのは、五十槻と綜士郎だけではない。なぜか万都里もいる。


「藤堂大尉のひとまずの独身が決定する場面に、なぜ自分までお呼び出しを?」

「ああそうそう。獺越くんにも来てもらったのは、大事な話があるからだよ」


 紫煙を吐き出しながら、中佐は飄々とした口調を崩さずに要件を告げる。


「特に八朔くんによく聞いてほしいんだが……『門』が見つかった」


 呼び出しを食らった第一中隊の面々の表情が引き締まる。


「場所は皇都と伊房県(いぶさけん)との境にある雲霞山(くもがやま)の山中。獺越家所有の山だ。獺越くんにも来てもらったのは、その関係でだ」

「確かに雲霞山は当家の所有地、先代の当主が林業投資のために購入した場所です」


 さすがに佐官の前なので、万都里の口調はいつもよりずいぶん丁寧だ。横でそれを聞く綜士郎はいかにも「さすが公爵家の買い物は規模がでかいな」とでも言いたげな顔をしている。


「さすが地主の子息がいると話が早い。その雲霞山の近隣住民が、山の中で不気味に明滅する赤い光を見たらしい。実際、周辺では禍隠被害が増えている。門が存在すると考えてよさそうな状況だ」


 しかし、と荒瀬中佐は万都里の方を向いて言う。


「きみたちも聞いていると思うが、門を破壊することができるのは、八朔の神籠だけだ。こら獺越くん、あからさまに不機嫌な顔をしない。まあこの獺越くんを見て分かる通り、厄介なのは今回、獺越家の所有地で門が発見されたということだ」

「獺越家の所有地だと、何か問題があるのですか?」


 五十槻は素直な疑問を中佐へ投げかけた。そんな彼女と、「ケッ」と機嫌を損ねてそっぽを向いている万都里を見比べて、荒瀬中佐は拍子抜けたような表情を浮かべる。


「えっ、八朔くん分かんないの? 獺越さんとこの八朔家嫌いって神實の間じゃ有名だよ? まあほぼ獺越側の因縁みたいなもんだけど」

「そうなんですか、獺越少尉」

「あーあーそうだよ! お前は鈍感だから全ッ然気付いてなかったようだけどな!」

「そうだったのですか……」


 五十槻、初めて知る事実である。獺越さんは士官学校のときから自分を気遣ってくれる良い人だと思っていただけに、その実家から一族ごと嫌われているのはなかなか気落ちする話だ。

 ちょっと真顔をしょんぼりさせている五十槻に、自ら憎まれ口を叩いておきながら、万都里は若干ばつが悪そうな様子である。


「そ、そう落ち込むな。少なくともオレはお前のことを、まあまあ認めてやっているぞ」

「獺越さん……」

「そういえば二人とも士官学校では同期だったっけ。現役世代の神籠同士が友情を築いてくれて、ぼくは嬉しいよ」


 八朔と獺越、神籠同士のやりとりを微笑ましく眺めて、荒瀬中佐は続けた。


「ま、そんなわけで獺越家の敷地に八朔家の神籠を送り込むのには、我々としてもちょっと遠慮があったんだがね……獺越くんと八朔くんが友人同士というなら、その辺うまくやれそうだ」

「なるほど、自分がこの場へ呼ばれたのはつまり、当家の所有地へこいつを送り込むための融通をしろと、そういうわけでしたか」

「そーいうこと」


 軽いノリの中佐に、少し考えてから万都里は発言した。


「雲霞山は当家の所有地とはいえ、ふだんは外部の者に管理を委託しています。実家に諮らずとも、自分が掛け合えば八朔の神籠でもなんでも、立ち入りは可能でしょう。自分も何度か足を運んでいる場所なので、それなりの土地勘はあります」

「それは結構。よし、懸念事項一個解決だ。獺越少尉には八朔少尉に同行し、雲霞山での門の捜索、および出現した禍隠の迎撃に当たってもらいたい。それで、藤堂くんも」

「はっ」


 次に藤堂大尉へも指令が下る。けれど、内容を聞くなり、綜士郎は眉をひそめて訝しんだ。


「藤堂くんにも、雲霞山の門捜索に同行してもらいたい。きみの神籠で不審な構造物を探知してほしい。あとは甲くんあたりもいると安心かな」

「そんなに神籠が抜けたら、第一中隊は崩壊しますが」


 どこの部隊も神籠の数は少ない。中隊から四人も抜けたら、残るは崩ヶ谷(つえがたに)中尉他二名くらいである。そんな事態になれば、また崩ヶ谷が特別手当だなんだと無茶苦茶を言い出すに決まっている。

人員不足についてはさすがに考えがあるらしく、荒瀬中佐は落ち着いた語り口で告げた。


「そこは他部隊へ補填を依頼しよう。なに、第一中隊は日頃から他部隊管轄地の応援要請にもよく応えているからね。恩返しに期待しようじゃないか」

「第一中隊の指揮官が不在の間、指揮はいかになさいます」

「そりゃ副官の崩ヶ谷くんにやってもらうしかないよ」

「またふんだくられますよ」

「それな」


 崩ヶ谷黄平はなぜか、本来認められないはずの特別手当だのなんだのかんだのを、上手いことせしめる手練手管に長けた男である。それはともかく。


「さて、善は急げで明朝には出立してもらう。今日は各自準備に当ててほしい。軍営に戻ったら、甲くんにもこのことを伝えてね。藤堂くんは段取りとか確認したいことあるから、ちょっと残ってて。他の二人は帰営していいよ」

「了解致しました」


 そんなこんなで、急な出張が決まったものである。五十槻は中佐へいつものように整然とした挙手礼を捧げ、連隊長室を後にしようとする。


「八朔少尉」


 そんな五十槻の背へ、綜士郎が呼びかけた。少し心配そうな声だ。


「中隊へ帰る前に、御庄軍医にちょっと診てもらいなさい。お前、最近本当に顔色が悪いぞ」

「しかし……」

「命令だ!」


 無理矢理命じて、綜士郎は荒瀬中佐へ向き直った。別に大丈夫なのに、と五十槻は大尉の背をじとりと一瞥する。なんのこっちゃか分かっていない万都里が、「なんだ?」と二人を見比べていた。

 連隊長室を出て、扉を閉めたところで。


「……言われてみれば、まあちょっと青白い気がするな」

「獺越さんまで」


 万都里に顔を覗きこまれ、五十槻は真顔に若干の不本意の色を浮かべる。

 顔色が悪い、はここ数日、藤堂大尉にずっと指摘されていることだ。あのサイダーの夜の次の日くらいからだろうか。

 別に五十槻の体調に問題はない、と本人は思っている。一日三食を一食に減らし、寝る前の腕立て伏せの回数を増やし、その分睡眠を削っているだけだ。自分が堪えれば軍務に差し支えはない。


「よく見りゃクマできてんぞハッサク」

八朔(ほずみ)です」

「お約束の訂正はいい。ほら、医務室行くぞ」


 そう言って万都里はずんずん五十槻の前を歩き始める。なぜか医務室へ先導を始める万都里の後に続き、五十槻も彼の後についていく。正直なんでもないことで御庄軍医のお手を煩わせるのは忍びないが、藤堂大尉に命令だと言われれば、逆らえないのが五十槻の悲しい習性であった。


「あれ、医務室ってこっちだったか? おい、案内板はないのか!」


 先導を買って出たくせに、万都里は道が分からない。五十槻は日頃から御庄軍医少佐の世話になっているので、この建物の構造はよく知っていた。別に万都里が同行する必要はないのだが、なんとなく五十槻は「こっちです」と正解の通路を指さしつつ、先にそちらへ進もうとする。けれども。

 そこでくらっと立ち眩み。

 頭から血の気の引く感覚がして、急に五十槻は意識が遠のいた。正面を向いていたはずの視界がぐらりと回り、気が付けば目前へ倒れそうになっている。


「おいおい、危ないだろうが」

「ぐえっ」


 すんでのところで万都里が首根っこを掴み、倒れそうな体を引き戻してくれた。ただし軍服の首の後ろを掴まれて、五十槻の喉元は若干締まっている。


「ったく、おいハッサク。歩けるか?」


 問いかけつつ万都里は五十槻の左腕を取ると、自分の首の後ろへ回した。肩を貸してくれるつもりらしい。朦朧としながら、五十槻は右手で目元を抑えた。まだくらくらと、眩暈の名残のような感覚がある。


「すみません、獺越さん。ご迷惑を……」

「平常心平常心平常心平常心……」

「獺越さん?」

「黙ってろ! いま平常心を保つので忙しい!」


 相変わらずこの青年は時々意味不明な言動をする。そんなやりとりをしているうちに、五十槻の平衡感覚はだいぶ元に戻ってきた。もう万都里の肩を借りる必要はないだろう。


「失礼しました獺越さん、もう大丈夫です」

「大丈夫なわけないだろうが、倒れかけたんだぞ? せめて医務室までは連れて行く」

「そこまで甘えるわけにはいきません」

「まったく、ガキのくせにかわいげがないな、昔から。これぐらい甘えたうちには入らん!」


 言いながら万都里は、自分から離れようとする五十槻の腕や体から手を放そうとしない。なんとしてでも同期に肩を貸したい男、獺越万都里。

 青年は照れくさいのを誤魔化したいのか、五十槻の横腹あたりをばしばし叩きつつ、ついでとばかりに憎まれ口を一言放った。彼は知る由もなかったが、それは五十槻がいま、絶対に言われたくない言葉である。


「やれやれ、ずいぶん細っこいけどお前、ふだんちゃんと飯食ってるか? 女みたいに頼りない身体つきしやがって……」


──女みたい。


 その瞬間、五十槻の頭にカッと血が上る。気が付けば少女は万都里の腕を振りほどき、彼の胸倉を掴んでいた。


「ハ、ハッサク?」

「僕は男だ!」


 激怒のまま五十槻は、生涯初となる怒号を万都里へ叩きつける。

 一喝したところで、少年を演じる少女は正気に戻った。あっ、と気付いた顔で万都里の胸元から手を離すと、五十槻は一転、申し訳なさそうな面持ちで「ごめんなさい」と呟いた。


「突然無礼を働き、申し訳ありません……」

「い、いや……」

「僕、ひとりで行けますので……では」


 一礼して、五十槻は浮かない顔で早足に去っていく。おそらく万都里は軽口のつもりだったろうに、過剰に反応して情けない。彼はただ、手を貸してくれただけだったのに。いや。

 誰かが手を差し伸べざるを得ない状況を起こしてしまったこと自体が、いまの五十槻にとっては不甲斐ない話だった。


──八洲の男子は自立していなければならない。他者の手を借りることを恥と思え。


 やはり香賀瀬先生の教えに間違いはない。敬愛する藤堂大尉も、彼を信頼しているのだから。

 そのはずだけれども。五十槻はもやもやしていた。自分の胸の内にわだかまる違和感を、自分で自分にどう説明してよいものか、適切な言葉が見つからなかったから。


(藤堂大尉の御命令だ。御庄先生のところへ行かなければ)


 いまの五十槻には、ただ命令に従うことだけがよすがである。少年のふりをした足音が、廊下の奥へ遠ざかっていく。



 一方、残された万都里は、その場で立ちすくんだまま呆然としていた。

 あの八朔五十槻を激怒させてしまった。あんな怒りの表情は初めて見た。


(いや……)


 いや、初めてではない。先刻ほど満面で怒りを露わにしたわけではないけれど、あんな風に自分を見据える紫の瞳に、万都里は覚えがあった。

 あれは彼が小学校六年生の頃。先祖代々の因縁をぶつけるべく、一年生の五十槻に「おんな顔!」などと絡んだ挙句、からかい半分で服を脱がそうとして返り討ちされたときのことだ。無遠慮に着物の袂を掴む万都里の腕を取り、キッとこちらを睨んだ幼い五十槻の目が、確か先程と同じ目だった。

 万都里はいまの件で、ふとその時のことを思い出していた。確かその直後、五十槻に腕の関節を外された上に背負い投げを食らい、地面へ転がされたのだっけ。地面から仰向けに見える視界の中で、万都里の取り巻き連中も同様に返り討ちを受けていた。すべてが終わった後、冷ややかにこちらを見下ろす紫の瞳を見て、万都里は思ったのだ。


 なんておっかなくて、静かで、ものすごく綺麗なのだろうと。

 そして──とても寂しそうだと。


 万都里は軍服越しに、心臓のあたりへ手を当てる。異様にドキドキしている。

 そしてやっと気付いた。ハッサクへ向かう妙な情動の源は、小学生のあのときからあったのだと。

 青年は胸に手を当てたまま、へなへなと(くずお)れた。思わず抑えきれない心の声が、口をついて漏れる。


「好きだ……」

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